第十六章 浮遊城


 徳川の最新鋭の大砲で一部が崩れた大坂城に入城した幸村が根来衆の頭領に確認する。
「大砲の準備は?」
「滞りなく天守に配置した。しかし、この振動は」
「まもなくこの城は舞い上がる」
 作戦を承知していても頭領は言葉を失う。
 すべての抜け穴が潰れて大きな丸い黒曜石が大坂城の底に向かって転がり始める。いくら重い頑丈な大坂城も無数の黒曜石に突き上げられる。大坂城の裾部分の土地が盛り上がり始める。意外に揺れは小さいが金属と金属がぶつかり合うような音が響き渡る。それは多数の黒曜石がぶつかり合う音だ。大坂城の真下での現象だが水中とはいえ黒曜石の摩擦から生じるエネルギーは強力で地割れしたところから雷のような火花が現れる。そして大爆発音とともについに大坂城が浮き上がる。


 この異様な光景に徳川軍は大混乱に陥るが、しばらくすると雪崩を打ったように大坂城に向けて最新鋭の大砲を撃ちまくる。しかし、狙いが定まらないというよりは届かない。仰角を最大にして撃つが、高くあがった弾道は弧を描くだけで内堀を越えることができない。


 逆に大坂城から砲弾が徳川軍に撃ち込まれる。根来衆の砲撃は正確だ。徳川軍の大砲陣地を次々と破壊する。特に京橋口は入念に攻撃した。なぜなら京橋口は男山から伏見に通じる起点でだから。いずれにしても大坂城の攻撃はたったの数分で終了した。まるで作戦が成功したのを見計らったように大坂城が下降し始める。このままでは大坂城は地面にたたきつけられる。

 

[204]

 

 

「何かにつかまれ。砲撃手は大砲から離れよ」
 大坂城が浮く前から徹底されていた命令が行き渡る。全員、幸村に対して全幅の信頼を持っていた。真下は見えないが、ぽっかりと開いた大きな穴がどんどん盛り上がる。横からだと黒い池が盛り上がっているように見える。黒曜石の大集団が高く盛り上がるとそこに大坂城の基礎部分が接触する。石垣の一部が崩れるが大坂城は元の場所に収まる。


 この作戦を信じて疑う者はいなかったが誰もが驚く。しかし、驚いている暇はない。地面に様々な亀裂が走る西の丸に待機させていた馬を総動員して幸村、小猿、真田十勇士、そして騎馬隊が外堀から南に向かう。その後を歩兵隊が続く。


 幸村は大坂城が浮遊したときに徳川軍の主力部隊が向かった方向を確認していた。砲兵隊を失ったと言っても徳川軍は大軍だ。しかし、兵が切れたから兵や武器や食料の補給は止まる。


 大坂城下の庶民が一斉に炊き出しにかかる。幸村を応援するためだ。万全の体制を確立した幸村は途中で立ちはだかる徳川軍を次々と打ち破り家康がいるはずの本陣へ向かう。勢いというのは恐ろしい。やがて幸村軍はほぼ無傷で因縁の茶臼山手前に到着する。低い山だと言っても乗馬したまま登れば鉄砲隊の餌食になる。しかし、素早く攻撃しなければ多勢に無勢となる。前回の戦いと違って徳川勢は手厚く本陣を固めている。しかも暑い。梅雨明けの猛暑は耐えがたいが、そのとき大きな声が響き渡る。

 

[205]

 

 

「家康はいるか!」


 奇声をあげたのは黄金の鎧を着た小猿だった。そして坂道を登り始める。


「小猿!気が狂ったか?」


 小猿は半身で顔を幸村に向けると笑っている。


「大丈夫」


 幸村は小猿が忍者であることを忘れていた。小猿が佐助へ小刻みの瞬きを繰り返す。すぐ佐助はその意味を理解すると真田十勇士に伝える。


「我らは鉄砲隊を引き連れ遠巻きに茶臼山を登る。そして小猿が……」


 真田十勇士が頷くと幸村を見つめる。


「任せる」


 一言だけ放って幸村は馬に乗る。騎馬隊の兵士は馬がいななかないように入念に口枷をして体勢を整える。


***


 数十人の兵を引き連れた小猿が徳川軍に全身をさらけ出す。


「自慢の大砲はすべて破壊した。家康!もはやこれまで!」


 すぐさま徳川軍の鉄砲隊が一斉射撃を開始する。しかし、小猿に命中しない。それは小猿の姿が揺れてよく見えないからだ。

 

[206]

 

 

「まやかしか?」


 茶臼山の南側に山と同じぐらいの池がある。その池の水が真夏の暑さで激しく蒸発していた。その水蒸気が夏の南風に乗って茶臼山の北側に押し寄せる。もちろん目に見えるものではないがそれが小猿の身体を陽炎のように見せる原因だった。この現象に気付く者は誰もいない。このことを知っていれば徳川軍が茶臼山に陣を張らなかったし、幸村が知っていたら先手を打って茶臼山に陣を張ったはずだ。いずれにしても徳川軍は茶臼山の北側から攻める豊臣軍が揺れ動いて見えるのに動揺するのは仕方がないことだった。


 流れ弾だと言ってもまともに当たれば当然死ぬ。極限まで我慢していた小猿が後退する。入れ替わるように三好清海入道と弟の三好伊左入道が身体に巻き付けていた鎖が付いた火薬入りの砲丸を遠投する。近くを鉄砲の弾が通過するがお構いなしにすべて投了する。根来衆が制作した砲丸は大炸裂して徳川軍の鉄砲隊を恐怖のどん底に陥れる。豊臣軍の鉄砲隊が襲いかかる。陽炎の影響は多少あるが命中率は徳川軍を凌ぐ。すぐさま騎馬隊が徳川の本陣に迫る。


 あと一歩と言うとき本陣に次々と援軍が現れる。大坂城を取り巻いてた砲兵隊は浮遊した大坂城からの砲撃で全滅したが、残った騎兵隊や歩兵隊が本陣に向かったのだ。もちろん途中で豊臣軍と相まみえるが、何とか本陣に到着して幸村たちを押し返す。狭い茶臼山周辺で攻防が繰り広げられるが、幸村は無理をせずに一部の兵を残していったん退く。それは昼が長いと言っても陽が落ちれば有効な攻撃ができないからだ。暗闇というのはどちらの軍にも公平だ。

 

[207]

 

 

***


 大坂城に戻った幸村は夜を無駄にしない。


「天守から下ろした大砲を使えるか?」


「大丈夫です。整備が終わりました」


 根来衆の頭領が胸を張る。


「いつもながら備えを怠らない根来衆に感謝する」


「長年付き合っている。次にすべきことはすべて承知している」


 幸村が満足げに笑みを浮かべると頭領が部下に命じる。


「整備が終わった大砲を台車に乗せろ」


 そういったとき馬番長が頭領に進み出る。


「力のある馬の準備はできております」


 すると水や食料を調達する責任者が幸村の前に進み出る。


「この水をお呑みください」


 差し出された竹筒の水を幸村が呑む。


「冷たい!心地いいぞ。みんなに呑ませろ!」


「手配済みです。それに前線の兵士にも届けました。握り飯と一緒に」


 夜になっても暑いが誰も文句を言わず、なすべきことを手を抜かずに実行している。幸村が小猿に向かって笑う。

 

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「私などいなくてもこの戦、勝利できる。よくぞここまで統率したものだ」


「何をおっしゃいます。すべて幸村様の人徳」


「いつも言ってるだろ。私に人徳などない」


 頭領が小猿の後ろで大笑いする。


「人徳がある方が人徳があると言えば、みんな逃げます。なあ真田秀吉!」


 頭領が小猿の肩をポンと叩く。


「痛い!」


 取り巻く誰もが笑い出す。暑さも忘れて誰もが冷たい水を呑みながら握り飯を食う。そして疲れからか夜空の美しい星に気付くことなく大きなイビキが大坂城を包む。


 しかし、前線ではまるで悪戯をするように真田十勇士が徳川本陣に小さな野戦を挑む。真田十勇士に昼も夜もない。つまり夜の戦いは相手に緊張感と疲労感を与える神経戦だった。


***


 大あくびして小猿が起き上がるとまだ暗いが、すぐに騎乗した幸村に気付く。


「よく眠れたか?」


「は、はい」


「行くぞ!」

 

[209]

 

 

 用意された馬に小猿がひらりと飛び乗る。しかし、小猿は怪訝な表情を向ける。


「秀頼様は?」


 幸村は応えることなく軽く馬の脇腹を刺激する。東の空はまだ暗いが小猿の視力を持ってすれば周りの状況がはっきり見える。大砲を積んだ台車を馬が力強く引いている。鉄砲隊が続く。その周りを兵隊が囲んで歩調を合わす。小猿は寝過ごしたことの詫びを入れようと幸村の横に馬を進める。


「お前はどっしりと構えていればいい」


 この頃小猿は自分を育ててくれた大猿のような立派な体格になっていた。本物の秀吉より二回りも三回りも大きくなっている。しかも威厳がある。


――影武者の服部半蔵にはどう見えるのか、楽しみだ


 数では及ばないが、幸村は強い信念のもと確信する。やがて東の空がほんのりと赤くなる。夏だと言っても心持ち冷ややかな風を受ける。


 松屋口から高津宮神社、生國魂神社の麓を通って茶臼山を目指す。先に真田十勇士が安居天神から茶臼山の手前にある一心寺付近を偵察する。朝焼けを受けた赤い徳川の幟が多数見える。一晩のうちに茶臼山を固めたのだ。


 狭い下寺町通で幸村が大砲の準備を指示する。西洋式の大砲の設置は簡単だ。すぐ発射体勢に入るが砲手の不満が聞こえてくる。道が狭いので三列しか大砲を並べられないのだ。

 

[210]

 

 

「これでは攻撃の効果があげらない」


 幸村は無視して理不尽な命令を出す。


「二列にせよ」


「何と!」


「命令どおりにせよ」


 幸村が馬を下りると砲兵隊長たち幹部と根来衆の頭領を呼び寄せる。


「一斉射撃したら後方の大砲と入れ替える。後方の大砲も二列縦隊で待機させる」


 幸村の説明を遮る者がいる。


「待ってください。真田十勇士の報告では敵も大砲を装備しています」


 意見が続く。


「さすが家康。一晩で調達したのだろう。だが心配するな。佐助の報告では大砲は確保したが砲兵の確保が十分ではない」


 それは浮遊した大坂城の攻撃で大砲もろとも砲兵を全滅に追い込んだからだ。武器が調達できても使い手の調達はそう簡単ではない。ここで幸村は根来衆の頭領に説明させる。


「鉄砲隊が攻撃するとき、まず第一陣が攻撃する。発射したら第二陣と入れ替わって退く。その間に弾を詰めて次の攻撃に備える。第二陣の攻撃が終わると第三陣が入れ替わる。その第三陣が打ち終えると準備が調った第一陣が復帰させる」

 

[211]

 

 

 砲兵隊長が大きく頷く。


「分かりました。隊列を変えます」


「もう一つ重要なことを教える」


 頭領が幸村の顔を伺うが反応しないので言葉を続ける。


「敵は小高い丘に陣を張っている。撃ってくださいと言わんばかりじゃないか。昨夜撤退したのはこのような体勢を徳川軍に取らすためだった」


 ここで幸村が促す。


「急げ!陽が昇る」


***


 昔、長篠の戦いで織田信長が「三段撃ち鉄砲戦法」で勝利したが、それを幸村は大砲で実行する。狭い道を利用して三段どころか十数段撃ちで徳川軍の砲兵隊や鉄砲隊を蹴散らして陽が完全に昇ったときには徳川軍本陣のすぐそばまで迫る。


 さすがに家康と秀忠となった服部半蔵が四天王寺へ向かう。この家康が先の春の陣で幸村(この幸村も影武者だったが)に追い詰められたときの影武者だった半蔵と同一人物かは不明だが、今回は本物の幸村が追い詰める。


「まずい。四天王寺に逃げ込んだらやっかいだ」


 幸村は由緒ある四天王寺を戦場にしたくはなかった。四天王寺は大坂庶民にとって大事な寺だ。

 

[212]

 

 

建立したのは聖徳太子。前の戦いのように茶臼山で対峙せずに四天王寺で戦うことは想定外だった。


 家康と秀忠はわずかな兵士とともに四天王寺の正門に到着する。すると奥から豊臣軍の幟を背負った騎馬隊が現れる。その先頭にいるのは秀頼だった。


「家康!覚悟せよ」


 すぐ家康は後戻りする。もちろんそこには幸村が待ち構えている。すでに馬を下りて短銃を構えている。


「待て!わしは……」


「家康!」


 幸村は両手で短銃を構え直すとすぐさま引き金を引く。鎧の胸あたりが粉々になると家康が倒れる。そばにいた秀忠も秀頼の長槍で胸を突き破られる。有無を言わせない速攻だった。周りにいた徳川の武将が右往左往するが、やがて切腹しようと座り込む。


「切腹させるな。取り押さえろ」


 なかには命乞いする武士もいる。


「主君は死んだ。お前たちの命まで取ることはない。安心しろ」


 幸村は寛大な方針を披露する。



[213]

 

 

「家康、秀忠をさらし首にする。だが線香をあげたい者がいれば許す。そして国元に帰って見たままを伝えよ」
 潔しとしない者はその場で割腹するが、意外と幸村の言葉どおりにその場にひれ伏す徳川の武将や、特に足軽は武器を捨てて幸村に頭を下げる。

 

[214]