第十五章 夏の陣


 幸村を支える真田十勇士は不思議な存在だ。それぞれの出身母体は異なっても、その母体との関係は良好だし、その母体も含めみんな仲がいい。そのような関係を維持するのは幸村に惚れているからだ。そして四貫目が姿を現したと言うことは関ヶ原の戦いやそれ以降の大坂の陣に比べようがない戦が始まることを意味する。


 今の寝屋川市の淀川沿いに「木屋」という村がある。そこに幸村は質素な陣を張って戦況を伺っていたが、その陣に四貫目が近づく。


「佐助か?」


 返事がないので身構える。


「才蔵?」


 この気配は猿一族ではなく百地一族のものと嗅ぎ取った幸村が陣屋の外に出ようとすると背後に気配を感じる。振り向くと小柄な老人が片膝を着いている。


「百地一族の者か?」


 名乗らず老人が告げる。


「三太夫の言ったとおりになりました」


「ということは、まさか」


「お察しのとおり服部一族が完全に徳川家を乗っ取りました」


「そうか。やり直しか」

 

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「やり直し?」


 この問いに応えず幸村が尋ねる。


「家康や秀忠となった半蔵はどこまで後退するのか?」


「伏見桃山城」


「そうか。よく調べてくれた。感謝する」


 開けかけた扉に向かって幸村が笑う。


「才蔵!そこにいるのは分かっている。入れ!」


 才蔵が現れる。


「なぜ分かりましたか?」


「この方は百地一族の忍者。そうすると佐助ではなくお前が招き入れたと言うことになる」


 滅多に笑わない四貫目の目元が揺らぐ。


「三太夫から聞いていたが、幸村様は……」


 幸村が四貫目を制する。


「私も三太夫から聞いていた。あなたは四貫目だろ」


 四貫目は目元を引き締める。


「徳川軍が伏見まで後退すれば問題では」


「確かに。だが攻められるよりはいい」

 

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 四貫目は幸村の深い読みとポジティブな思考に驚く。


「家康や秀忠自身になった服部半蔵が京に戻ればまずいのでは」


「すでに梅雨間近。京を落とすのにはあまりお勧めの季節ではない。それよりも半蔵は体力を温存しながら駿府や岐阜から大砲を再調達して梅雨が明けてからに大坂へ進行するはず」


 四貫目は幸村が「やり直し」といった意味を理解すると才蔵が進言する。


「大砲を封じた今が攻めどきでは」


「敵の兵站も長いが、こちらの兵站も結構長い。持久戦になれば体力勝負になる。体力で劣る我らに勝ち目はない。ならば、なぜここまで戦ったのかと言いたいのだろ?」


 才蔵は黙る。


「かなりの大砲を取り上げた。しかし、火薬がなければどうしようもない。こちらも時間が必要だ」


 四貫目が引き継ぐ。


「いくら根来衆が火器に精通していると言っても手に入れた大砲に合う弾と火薬を処方するのは時間がかかるということ」


 才蔵が納得すると幸村は四貫目に念を押す。


「半蔵の動きを逐一伝えて欲しい。頼む」


 四貫目は黙って姿を消す。

 

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***


 服部一族が伊賀を離れて数十年経つ。すでに忍者ではない。むしろ武士といった方がふさわしい。忍者一族はお互い協力することはほとんどない。しかし、百地一族や猿一族の伊賀者や紀伊国の根来衆や雑賀衆をいつの間にか配下にした幸村は自在に忍者を操る。


 梅雨が明けるまで徳川軍が動かないと見た幸村は着々と準備をする。


 一方、京の監視を怠らない。徳川軍が本気になれば二条城や淀城など簡単に落ちる。秀忠は征夷大将軍の地位を授かったままだ。大将軍と言っても今の政治組織で言うと防衛大臣、つまり数ある大臣の一人に過ぎない。朝廷に圧力をかけることは可能だが、独立宣言をした京をおとしめれば徳川方に付いていた各地の大名が離反する恐れがある。それほど京の文化には影響力があるのだ。


 大坂も経済都市として機能している。大坂が混乱すれば流通網が乱れ不況になることは明らかだ。だから家康は大坂城を落とすのではなく脅かして外堀を、できれば内堀を埋めさせて無血開城させようとしたのだ。しかし、幸村に阻止された。それなりに豊臣家を優遇して大坂の経済力を無傷で手に入れたかったが、豊臣家と言うよりプライドが高い大坂商人が許さなかった。そこのところを幸村は巧みに操った。秀吉が蓄えた金銀財宝を惜しげもなく使う。大坂の景気を刺激するのが目的だ。商人だけでなく誰もが徳川の攻撃から大坂を守るという気概に満ちあふれた。

 

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***


「根来衆が徳川の大砲の試し撃ちに成功した」


 猿飛佐助の報告に幸村がにんまりとする。


「思ったより早い。さすが根来衆」


「砲弾と火薬の量産に入ったとのこと」


「根来衆の努力に応えなければ。抜け穴の整備を急げ!」


 佐助と入れ替わるように霧隠才蔵が現れる。


「数日で京や近江も梅雨が明けます」


「そうか。ギリギリ間に合ったと言うことか」


 幸村は天守から眼下の堀の水面を見つめる。


「問題は我が軍に正規軍が少ないことだな」


 やはり豊臣側に付く大名は少ない。かといって徳川軍に合流するのかと言えば関ヶ原のときと違って勢いはない。しかし、風見鶏のようにいつ徳川になびくとも限らない。


「傭兵は所詮、金子で動く兵士だ。何とか心で動いてくれないものか」


 首を振りながら小猿が発言する。


「心配には及びません。数は少ないけれど立派な兵士です」


 いつの間にか小猿は秀吉のように傭兵たちを可愛がって信頼を得ていた。そして秀頼とともに組織化して正規軍の体裁を整えるまでになった。

 

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小猿が秀頼を促すが秀頼は頷くだけで後ろで黙っている。地位が人を作るのか、小猿には若かった頃の秀吉の雰囲気が漂う。この場の風を機敏に捕らえた幸村が秀頼に近づく。


「秀頼様。まもなく徳川軍が大坂に攻め入りますが、徳川軍と言っても家康や秀忠はいません」


「!」


 驚いて秀頼が幸村の顔をのぞき込む。


「もはや徳川家は服部半蔵に始末されました」


「恐ろしいこと。影武者に乗っ取られたのか!」


 秀頼は目を閉じて黙る。幸村も目を閉じて考えを巡らせる。


「なあ、幸村」


 先に目を開けた秀頼が口を開く。


「小猿と幸村で蘇った豊臣軍を指揮してくれ」


「まかり成りません!」


 すぐさま幸村が否定するが、相変わらず秀頼の声は弱々しい。


「私が指揮すれば勝てる戦も負けてしまう」


 危惧していたことが現実になったと幸村は残念がる。そして秀吉との約束を、つまり、いずれ裏切る家康を退けて秀頼を天下人にするという約束を思い出す。すでに家康はもちろん嫡男の秀忠もいない。

 

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ただし半蔵が家康や秀忠の姿を借りて立ちふさがる。そのとき小猿が秀頼に直言する。


「豊臣家を継ぐのは秀頼様だけ」

 

 意外にもすぐさま秀頼が大きな声で反論する。


「秀吉を継ぐのは秀吉。小猿だ!」


「私は捨て子。捨て子が天下人になるなど聞いたことがありません」


「秀吉も貧しい農民の出。素性など関係ない」


 秀頼は立ち上がると席を外す。小猿がその後を追おうとするが幸村が止める。


***


 幸村は思案する。


――北政所様に相談するにも京に行く手立てはない


 すでに徳川軍が京までの長い兵站を維持したまま大坂のすぐそばまで進軍している。


――それに「好きなようにやりなはれ」とまでのたまわれた


 次に考えたのは淀君だった。


――淀君しか秀頼を説得できないだろうが、淀君の介入を許せば混乱するだけ


 そして結論する。


――小猿しかいない。とにかくこの戦に勝利しなければ意味がない

 

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 幸村がやっと口を開く。


「小猿」


 先ほどから小猿は幸村を見つめたままだ。


「はい」


「お前が豊臣軍の総大将を務めよ」


 小猿は驚いて声も出せない。


「心配するな。だが何が何でも勝たなければならない。勝てばその後は何とでもなる」


 小猿の表情が童心に戻る。


「よく分かりました」


「敵は服部半蔵。家康でもなければ秀忠でもない。しかし、お前は違う。お前は豊臣秀吉だ」


 すると小猿が明るく答える。


「違います。私は真田秀吉です」


 一瞬幸村が驚くが大きな笑い声をあげる。


「そうだった!」


 そのとき猿飛佐助から報告が入る。もちろん佐助だけでなく他の真田十勇士の報告も含まれる。真田十勇士はいつでも幸村の五感となって漏れのない正確な情報を収集するから幸村は的確な判断を下せる。

 

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「外堀が復活したのを見て遠巻きに陣を張って大砲の準備ができたところで攻め入ろうとする戦法か」


 作戦会議が始まる。出席者は真田十勇士はもちろんのこと小猿、秀頼、豊臣軍の各部隊長、そして根来衆の頭領。さらに食事の賄いをする責任者、馬の世話役の責任者などの裏方も含まれる。幸村は裏方を大事にして必ず意見を求める。


「水や食料は馬の分も含め確保されているのだな。ご苦労だった」


 大坂城周辺の絵図を眺めながら幸村は真田十勇士が集めた情報を佐助に説明させる。すでに冬の陣で手痛い目に遭った大坂城と外堀の周辺をつなぐ抜け穴を警戒する布陣であることに誰もが気付く。


「同じ戦術を取るはずないのに」


 そして大砲の位置を確認しながら根来衆の頭領に意見を求める。


「試し撃ちをしとうございます」


 幸村はわざわざ席を立って頭領に自分の席に座るよう勧める。


「滅相も……」


「上も下もない。堂々と上座から意見を述べるのだ」


 恐縮する頭領の肩をポンと叩く。


「大砲については頭領以外みんな素人だ。部下に指示するように言えばいい。奇妙な意見を挟む者がいれば私を含めて無視していい」

 

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 頭領は九度山に匿ったときの幸村を思い出す。幸村は上下関係など無視してざっくばらんに根来衆やときには雑賀衆とも付き合った。会話はいつも呼び捨てで最後は酒で終わった。


「突拍子なことを言うが聞いてくれ」


 頭領は上座に座らずに絵図の真ん中に立つ。そこには大坂城が描かれている。主君の城を踏む失礼な態度に幸村はたしなめることもなく説明を待つ。頭領は佐助が持つ筆を取り上げると器用に身体を回転させながら足下の大坂城を中心とした同心円を描き出す。途中で墨が切れると佐助に催促する。そして同心円を描き続ける。


「もういい」


 佐助を制して背中の忍剣を抜くと一番外からひとつ内側の同心円をなぞる。そこには徳川方の大砲の陣地が点在している。次に一番外側の同心円をなぞる。


「一番外の円は大坂城からの大砲の射程距離を示している。朝や昼や夜、暑い寒い、そして風の強弱によって影響を受けるが、徳川軍の大砲は大坂城に届くギリギリのところに大砲を配置しているが、こちらの射程距離の方が長い」


 ある部隊長が思わず声を出す。


「同じ大砲なら射程距離は同じでは?」


「そうではない。我らの大砲は内堀と外堀の間にある。一方徳川の大砲は、点在する抜け穴を用心していることもあるが、我らより低いところにある。この高低差ゆえ徳川の大砲より我ら
の方の砲弾の飛距離は長くなる」

 

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 部隊長が納得したのを見計らって統領が幸村に進言する。


「試し撃ちと言ったが先制攻撃したい。幸村様!許可を!」


 幸村は座ったまま周りの雰囲気を確認すると小猿と秀頼を交互に見つめる。応じたのは秀頼ではなく小猿だった。


「任せる」


 幸村は満足そうに首を縦に振る。


***


 徳川軍が驚くほど根来衆の攻撃は正確だった。しかし、徳川軍は反撃せずに大砲を後退させた。それは大砲の射程距離を正確に読んでいたからだ。いくらかの大砲が破壊されたが被害は軽微だった。


 天の川で多くの大砲を失ってもが、随時イギリスなどに最新鋭の大砲を発注していた。とりあえず無事だった大砲で大坂城を包囲したが梅雨が明けるまで待った甲斐があった。根来衆の攻撃が一巡した後次々と最新鋭の大砲が届く。射程距離も長く破壊力も格段に強くなっている。


 さすがの幸村もそこまでは読めなかった。根来衆の頭領が進言する。


「外堀の外に大砲を移動させましょう」

 

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 頭領は少しでも敵陣に近づこうと考えたが幸村は首を横に振る。


「その分低いところから撃つことになる。射程距離を稼げないのでは?それに移動している間に攻撃されれば」


 頭領が頷く。


「そのとおり」


「それにしても動く気配がないな」


 そのとき才蔵が駆け込んでくる。


「徳川軍が大砲を入れ替えています!」


「なに!」


 幸村が遠眼鏡で敵陣を確かめるとその遠眼鏡を頭領に手渡す。


「これは!砲身が長い!」


「やはり!」


 幸村が矢継ぎ早に命令を下す。


「大砲を大坂城に移動!」


「屈強な者を抜け穴に向かわせろ!そして出口まで行って抜け穴を支える柱を撤去しながら戻るように指示しろ」


 突然の命令に驚く者はいない。すでにこの作戦は徹底されていたからだ。奇襲が得意だと言われるが、そうではなく幸村状況に応じて戦術を変えるだけだった。

 

[199]

 

 

われるが、そうではなく幸村状況に応じて戦術を変えるだけだった。


「分かりました!」


 小猿、根来衆がすぐさま実行にかかる。そして幸村は鎧を身につけると部屋を出る。


「出陣!」


***


 特に大きな抜け穴を除いてすべての抜け穴が塞がれるとその中に外堀の水が流れ込む。その流れ込んだ水は内堀の底の奥深い柔らかい粘土層に逆流して染みこむ。抜け穴の数は数百もある。いったん抜け穴を満たした水はやがて逆流して内堀の底で合流して地下に大きな貯水槽を形成するが時間はかかる。


 一方大きな抜け穴は馬に乗って駆け抜けることはできないが、暗闇でも視力が落ちない真田十勇士に先導されて鉄砲隊が、そして幸村、騎馬兵が馬とともに元真田丸に向かう。鉄砲や槍が抜け穴の天井に接触すると幸村が制する。


「焦るな!この穴が崩れたら万事休すだ」


 時折「どーん」と響くような音が聞こえてくる。三好清海入道が不安な声をあげる。


「徳川軍の攻撃が始まった」


 しかし、幸村が笑いながら応じる。


「派手な音を立てて攻撃すればするほど、我らに気付くことはない。安心しろ」

 

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 不利なことが起こっても幸村はそれを利用する。やがて前方が明るくなる。抜け穴の扉が開かれたのだ。


「幸村様。こちらへ」


 真眼寺の住職だ。


「松明を!」


「鉄砲隊はすぐ攻撃準備にかかれ」


「馬を優先しろ」


「陣を組め!」


 幸村軍はすぐさま体勢を整える。そして住職から徳川軍の情勢を聞き取った真田十勇士が散らばる。幸村が住職に一礼すると馬にまたがる。鉄砲隊の準備を確認すると廃墟になった真田丸に向かう。すると佐助が戻ってくる。


「大坂城に一番近い徳川軍の大砲陣地はこちら」


「背後の状況は?」


「今のところ我らに気付いた敵兵はいません」


「鉄砲隊、登れ!」


 真田丸は小高いところにあった。幸村率いる騎馬隊は真田丸を避けてゆっくりと敵の背後に回る。鉄砲隊が元真田丸の一番高いところに到達すると、黄金の軍扇で光を送る。鉄砲隊の一斉攻撃で徳川軍の砲兵隊が大打撃を受ける。そこへ幸村が殴り込む。

 

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「どこから現れた?」


「抜け穴の出口はすべて押さえていたはずだ」


「家康様に報告を」


 佐助と才蔵は報告に向かう伝令を手裏剣で始末する。一方、三好清海入道と弟の三好伊左入道が大砲のそばに置いてある砲弾や火薬に火の玉弾を浴びせる。連鎖するように砲弾が次々と爆発を起こす。そしてちりぢりになった徳川軍を一掃した後幸村は大きな声をあげる。


「撤退!」


 それを見た他の大砲隊が標的を大坂城から幸村の騎馬隊に変更するがすでに遅かった。幸村は外堀の水位を確認しながら大声を張り上げる。


「開門!開門!」


 幸村率いる奇襲部隊は無傷で大坂城の内堀を目指す。内堀の水位は外堀と反対に急上昇している。幸村は真田十勇士とともに内堀を渡って大坂城に向かう。そして城内に通じる通路が異常に盛り上がっているのを確認した幸村は手応えを感じる。

 

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