第十一章 経済と文化の地方移転


 紀伊国から大坂に戻った幸村が秀頼と北政所、それに小猿を天守閣に呼ぶ。天守閣なら周りを気にせずに話し合える。


「まず京と大坂が独立宣言する。そして長州、薩摩など徳川の支配を嫌う有力大名を誘う」


「独立?」


「自らの経済力でその地域を完全統治すること」


「確かに薩摩は琉球を通じて中国交易で、長州も朝鮮交易でそれなりの財力を保持している」


 幸村は秀頼との会話を通じて北政所を議論に巻き込もうとするが、北政所は柔和な表情を保ったまま黙っている。


「中国や四国、それに九州は江戸から遠いし、陸路だけでなく水路に恵まれている。大坂の経済力も元はといえばそういう地方の産物を集荷して全国に送り届けることで培われた」


「戦いを好むのは権力者のわがまま。これからは兵力ではなく経済力の時代だ。それぞれの地方を独立国家として認めて相互依存の経済圏を構築する」


 小猿は理解できないのか母と慕う北政所の横顔を伺うが、北政所の表情は変わらない。


「幸村の考えはよく分かったが、大坂以西も徳川の勢力圏だ。豊臣びいきの大名も残っているが独立を勧めても受け入れないのでは?」


「そんなことはない。先ほど言った薩摩や長州は徳川に隙あれば狭められた領地の回復を目指している。一方、元東軍の大名たちは不慣れな西日本に領地を与えられたが、統治に苦労している。なぜなら文化が異なるからだ。それに関東や東北の文化を押しつけられても民が受け入たみれない」

 

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 ここで幸村が目を閉じる。しばらくして両手をついて畳におでこをこすりつけると顔をあげる。


「秀吉様は地方を攻めるとき必ずその地の民を大事にした。食料を提供させる農民に『まず、お前らが食べろ』と言って取り上げるようなことはしなかった」


 北政所が頷く。


「まず民を味方に付る。あとは簡単。民を味方にすれば情報を得やすくなる。勝負はついたようなもの」


「幸村の言うとおり」


 初めて北政所が口を開く。


「でも出世するにつれ、特に光秀を破ってからは、様々な人のお世話になったにもかかわらず、低い腰が高くなった。もちろん背丈が伸びたわけではありません」


 この言葉に小猿とともに秀頼と幸村が爆笑する。


「それでも大坂の民、特に安井道頓には目をかけた」


「私も安井道頓が大好きです」


 小猿がはしゃぐ。

 

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「幸村の言いたいことよく分かりました。小猿には秀吉のいいところだけを教え込みました。三人でよく相談して事を進めなさい」


 幸村は最大の味方を得たと満面の笑顔を北政所に向けてから深く頭を下げる。そのとき秀頼が両手を着いてから北政所に明言する。


「母上。私には父上を継ぐ器量がありません。小猿に跡を継がせて当面の間幸村が小猿を補佐させるのが豊臣家存続のためだと思います」


「たわけ者!」


 柔和な北政所が激怒する。


「何を勘違いしている!」


 秀頼は呆気にとられるが、幸村は驚きながらも北政所の真意を探ろうと神経を集中する。


「もはや豊臣家は滅んだも同然。かといって家康がこの日本のあらゆる民を幸福にする政(まつりごと)をするとは限りません。それにお前に器量がないからといって秀吉の嫡男に変わりはない。家康が許すことはありません」


 秀頼がうなだれると幸村が庇う。


「言い過ぎでは?」


「どの辺が?」


 幸村が黙り込む。

 

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――私の思うことをはっきりおっしゃった


 そう思うと幸村は話題を変えるためでもあるが、具体的な作戦に話題を替える。


「まず雑賀水軍で瀬戸内海の制海権を確保します。徳川が領地を与えた瀬戸内海の諸大名の水軍はしれています」


 北政所が再び沈黙を守る。


「そうすることによって徳川に反目する大名の領地の経済力を高め、逆に徳川に忠誠を誓う大名の領地の経済力を削ぎます」


 気落ちしていたが秀頼はむしろ晴れ晴れした表情で幸村の話を真剣に聞く。


「経済力を削がれて生活が苦しくなった領地の民には雑賀水軍がそれなりの手当します」


 秀頼が驚く。


「そこまで考えているのか!父と同じように民を味方に付けるという作戦か」


「そうです。秀吉様がどのようにして中国や四国や九州を平定したのか、検証しながら作戦を展開します」


 突拍子もない作戦が具体的になる。熱心に聞き入る小猿を横目で見ながら北政所が満足げな表情をする。


 やがて幸村の説明が終わると秀頼はすぐさま賛成する。しかし、北政所が座り直したとき幸村が補足する。

 

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「経済力だけではダメです」


 北政所が興味深そうに幸村の言葉を待つ。


「経済力、つまり金子だけで人は生きているのではありません。金子はもちろん大事なもの。きんすしかし、領地と金子は人を狂わせます。信長、家康そして晩年の秀吉様もそうです」


 北政所は意に返さないが秀頼が反論する。


「父はそのような人ではない」


「若いときはそうでした」


 遅くして生まれた秀頼に記憶はない。なぜなら母淀君からの申し伝えによれば父は温厚な人間だったと吹き込まれていたから。


「秀吉様の悪口を言っているのではありません。人というのはそういうものなのです」


 しかし、秀頼の興奮は収まらない。


「ならば、お前はそうではないのか!」


「はい」


「嘘をつけ!」


「私は心底この国をよくしようと考えていた頃の若い秀吉の意思を全うしたいのです」


 ここで北政所が秀頼をたしなめる。


「あなたは幸村を信用していないのですか」

 

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「そんなことは……」


 秀頼の続きの言葉を無視して北政所は幸村に視線を移す。幸村も秀頼から北政所に視線を移す。


「金子以外に大事なものとは?」


「それは政(まつりごと)ではなく祭りごとです」


「民が大事にしてきたものですね」


 北政所が相づちを打つ。


「その祭りごとの源は京にあります」


 北政所が感心する。


「だから京を独立させるのですね」


「そうです」


 幸村は北政所から秀頼に視線を戻す。


「京は都です。そこにはこの国の心を支える独特の文化があります。この国の民はいつも京に憧れています。大坂の経済力とともにこの京の文化も地方へ移転するのです」


 幸村の眼差しが緩む。


「地方が築いた独自の文化が経済力を得て京の文化と融合すると、やがて全国に小京都呼ばれるような町が生まれます。そうなれば民の楽しみが広がるはず」

 

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 いつの間にか秀頼の興奮が収まる。


「そのように地方が繁栄して文化が成熟すれば秀吉様が理想とした国になる」


「幸村!」


 秀頼が頭を下げる。


「つまらないことを言った。許してくれ」


「許す?」


「先ほどの件だ」


「先ほど?もう忘れました」


 北政所が立ち上がると秀頼に近づく。


「幸村の考え、どう思う?」


「大坂の経済力と京の文化力を地方に移転すれば、バカな戦などやってられないでしょう」


「よかった。よかった」


 北政所が年甲斐もなくはしゃぐ。そして大坂弁で幸村を激励する。


「好きなようにやってみなはれ」


 四人しかいない天守閣から響き渡るような爆笑が城下に伝わる。

 

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