第六章 大坂城の謎


 年取った家康は安定を目指しすぎた。もちろん大坂城を揺さぶるが、その揺れが数倍にもなって返ってこようとは思いもよらなかった。原因は春の陣での詰めが甘かったことだった。と言うより幸村を取り逃がしたことだ。逆に影武者だったとは言え、幸村に追い詰められもした。


この春の陣。大坂では家康の負けだと言われているが、中立的に見れば引き分けだろう。


 関ヶ原の戦いで勝利した家康は東軍の大名に報償として中国、四国、九州に領地を与えて西方の監視を強化したが、春の陣を境に冷や飯を食わされた西軍の大名たちの不満が高まる。未だ威厳を保つ大坂城が徳川勢を東と西に分断する。すなわち大坂城より西方の治安が乱れる。


豊臣家の兵力、財政力は徳川家の半分以下だ。逆に言えば関ヶ原の戦いに負け、秋の陣で手痛い目に遭った豊臣家だが、それだけの底力があるということだ。


 大坂城では秀頼と幸村が更なる戦略を練る。淀君の排除に成功したが北政所は積極的に加わらない。それでは何をしているのかと言えば小猿に亡き秀吉の生き様を教えていた。小猿は今で言う大坂城マラソンや筋トレをしながら、それ以外は北政所の話を興味深く聞く。素直な小猿はいつの間にか自分が秀吉だと思うようになる。それほど北政所の影響を受ける。それは新しい世界を目指した秀吉の無念を晴らすと言うよりは、保守的な家康に対する不満であった。決して家康を憎んではいない。


 つまり北政所には理想があった。それは血統の良い家康では庶民感覚でこの国を治めることができないと思ったからだ。夫の秀吉ならと思い奔走するが、その秀吉も権威主義に陥った。

 

[66]

 

 

降って湧いたような小猿の出現に北政所は残りの人生をかけることにした。しかも絶えずどん底の縁から豊臣家を守った幸村がいる。その幸村には私欲がない。幸村と小猿ならばこの国を庶民主義の国に変えるかも知れない。北政所は愛情と言うよりも猿に育てられた小猿に人の道というものを分かりやすく熱情を注いだ。


***


 治安が安定すると京は再び華やかさを取り戻したが、田舎者扱いされる徳川方の諸大名は京に住みたがらない。むしろ秀吉が蘇ったという噂が不安をかき立てる。駿府や名古屋や岐阜から大坂城を目指そうにも京が目に見えない壁になる。それでなくても淀城まではともかくそれ以西では豊臣方の守りは堅い。迂回して奈良から攻めようにも途中には伊賀の里がある。紀州回りで泉州、堺から大坂を攻めるのはもっと困難だ。それは九度山が幸村の第二の故郷だからでもあるが、その付近には雑賀衆や根来衆といった戦に長けた忍者軍団が存在する。


 秀吉の影響は近江や京や淀川にだけに残っているのではない。中国や四国や九州はかつて秀吉に征服された。それなら秀吉を毛嫌いしているのかと言えばそうではなかった。それまでの支配者から解放してくれた秀吉を慕う庶民が多い。それはその地に根を下ろしていた大名だけではなく町民や農民もそうだった。大出世した太閤秀吉の人気は時が流れても薄れることはなかった。


 それほど親しみやすい性格を秀吉は持っていた。結果的には関ヶ原の戦いで狸が猿を押さえたが、それは大名感覚で庶民感覚はまったく違っていた。

 

[67]

 

 

***


「真田丸を建築したときに意外なものを発見しました」


 秀頼が身を乗り出すと幸村が真田丸の設計図を広げる。


「真田丸の北側を見てください」


 そこには真田丸と大坂城の間に巨大な丸いものがいくつも描かれている。


「真田丸をもう少し大坂城寄りに建築したかったが、これが障害となって真田山に建築せざるを得なかった。家康軍が真田山から勢いをつけて真田丸、そして大坂城を攻めてくれば逆にいったん低地に留まることになる。後から来る大軍が重なり合って身動きが取れなくなった所を狙って一網打尽の攻撃を仕掛けたかった」


 珍しく秀頼が幸村を制する。


「結果的には家康軍を追い払ったのだから、その話はいい。私が知りたいのは『丸いもの』の正体だ」
 幸村が図面上の丸いものを指先でなぞる。


「意外なことに大坂城を支える石垣の下には無数の丸い巨石が敷き詰められていた」


「父上がそうしたのか」


「いえ、秀吉様ではありません」

 

[68]

 

 

「誰が?」


「石山本願寺の誰かです」


 秀頼が首を傾げる。

 

「真眼寺の住職によれば、織田信長の戦艦が石山本願寺を攻撃したとき、本願寺が宙に浮いたらしい」


「何と!」


「どのようなカラクリか分かりませんが、この丸い巨石群が原因ではないかと」


 始めからこの話をしようと考えていたのか、幸村は手を打つ。佐助が慎重にガラス玉が入った漏斗のようなガラスの器を持って部屋に入って幸村に手渡す。


「よく見てください」


 秀頼がまじまじと幸村の両手の中のガラス漏斗を見つめる。中心は少し大きめのガラス玉が配置されていてその上には黒曜石が鎮座している。周りのガラス玉は中心のものより小さいが中には少し大きなものが含まれている。片手で漏斗の下を掴んで回し始める。すると周りの小さなガラス玉が漏斗の下から落ちていく。その後を少し大きめのガラス玉が落ちずに穴を塞ぐ。すると中央部の大きなガラス玉が盛り上がる。もちろんその上の黒曜石も上昇する。


「浮いた!」


 ここで幸村は漏斗を佐助に返す。無言で説明を求める秀頼に微笑む。

 

[69]

 

 

「太閤殿も知らない秘密が大坂城に組み込まれています」


 もう秀頼に冷静さはない。そのとき開けっぱなしの隣の部屋から一部始終を見ていた北政所が秀頼の横に座ると幸村に言い放つ。


「得心しました」


 幸村が驚く。


「このカラクリ、秀吉は知っていたようです」


「本当ですか?私は太閤殿下から聞いたことはありません」


「わらわもじゃ」


 幸村が絶句する。


「秀吉は大坂城からの抜け穴をあちこちに掘らせていた」


「それは存じております」


「不思議だと思いませんか」


 さすが読みの早い幸村が即答する。


「天下無敵の太閤殿下が、天下無敵の大坂城から逃げるための抜け穴を造ったのか?とお尋ねなのですか」


「そのとおり」


 幸村が目て応じる。

 

[70]

 

 

「真田丸を造るとき徹底的に大坂城や真田山周辺を調べました。そのときに見つけた数多くの抜け穴のすべてが封印されていました」


「幸村。そなたの考えを」


「封印を解けば小さな丸い石が抜け穴に向かう。そして最終的には大坂城が浮き上がって場合によっては宙に浮く。その後はそれまで以上に深い堀に囲まれる……」


「本当ですか」


「想像です」


「想像を続けなさい」


「仮に外堀を埋められても大坂城は難攻不落の城になる」


「攻められれば攻められるほど強力な城になるとでも」


「もちろん。でも保証はありませんが。しかし……」


「しかし?」


「実績はあります」


 北政所が初めて興奮して幸村に言葉を催促する。


「石山本願寺です。私は真眼寺で宙に浮く石山本願寺が描かれた掛け軸を見ました」


 同席した佐助が頷く。


「真眼寺の住職を呼べ」

 

[71]

 

 

***


 掛け軸を見つめる北政所が秀頼、幸村、小猿、佐助、真眼寺の住職以外の者に所払いを命ずる。そして天守閣の最上階に移動すると西方向の外廊下から北政所が浪速の海を見つめる。


「どのようにして信長水軍が宙に浮いた石山本願寺を打ち砕いたのか、教えてください」


 北政所が丁重に尋ねる。


「巨大な大砲を積んだ数隻の戦艦で攻撃したとのことです」


「命中したのですか」


 住職が応じる。


「その頃は小坊主でした。大砲の音より石山本願寺からの読経の方が大きかったのを覚えています。その頃の真眼寺は心眼寺と言う名の寺でした。心眼寺でも全僧侶が大きな声で読経しました。もちろん拙僧も声を張り上げて読経しましたが、徐々に石山本願寺は降下しました。何時間も読経を続けましたが、石山本願寺もその周りの寺からの読経もいつの間にか小さくなりました」


 住職の額から汗が、そして目から涙が落ちる。


「心眼寺からよく見えませんでしたが、後日本願寺が元の場所に戻ったことは確認できました。瓦は落ちて壁は崩れて哀れな姿になりました。そこへ信長軍が総攻撃を始めたものですから石山本願寺は降伏せざるを得ませんでした」

 

[72]

 

 

 住職が言葉を詰まらせる。


「申し訳ありません。少し休憩させてください」


「十分だ」


 幸村が住職を庇うと浪速の海を見つめる。大きな赤い太陽が音もなく沈み始める。


「聞けば太陽は馬鹿でかい火の城だと言われている。しかし、音もなく上り沈む。これを毎日繰り返す。しかし、石山本願寺はもちろん大坂城はそうは行かない。一度だけ上り沈むだけ。むやみに浮き上がることはできないが、家康にはそんな大坂城を討つことは不可能だ。なぜなら石山本願寺を攻撃した頃の信長と年齢が違いすぎるし、日本を統一しようとしていた信長の夢をすでに家康はほぼ手中にした。我らの方が信長に近い」


 幸村は沈む真っ赤な太陽に手を合わせる。気が付けば北政所も秀頼も小猿も住職も佐助も手を合わしていた。

 

[73]

 

 

[74]