第三話はベテランだがやる気のない調査官の話をしたが、今回登場するのは新米調査官というより国税調査官になる前の国税事務官の話をする。事務次官ではない。一見事務次官より上のようなこの「事務官」は実は最低の官職名だ。説明を続ける。
財務大臣は財務省のトップで、事務次官はその財務省事務方のトップだ。大臣の「次」に偉いという意味なのだろうか。
その財務省には国税庁という組織があってそのトップは国税庁長官と呼ばれる。そして国税庁の下には十一の国税局がある。その国税局の下に税務署がある。その税務署に勤める一番下の位が「国税事務官」だ。
キャリアの採用は財務省が行うが、ノンキャリアの採用は各国税局で行われ高卒資格組と大卒資格組に分かれる。採用されると高卒組は約一年三ヶ月ほど税務大学校で研修を受けて各区国税局が管轄する税務署に配属される。大卒組も税務大学校で三ヶ月の研修を受けて同じように税務署に配属される。配属先は法人税、所得税、資産税(相続税が中心)、徴収などの部門で、このとき自分の進路がほぼ決まる。つまり背番号が付けられるのだ。この辺の説明は拙著「成程」で詳しく記述しているので興味のある方はそちらを参照してほしい。
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配属された年から税務調査に携わるのはきわめて希だ。大概一年かけてまず内部事務を覚える。そして一年後少し年上(かなり年上の場合もあるが)の国税調査官、上席国税調査官について調査の手伝いをする。調査の雰囲気に慣れてくると自分が調査担当者になる。そのときは上席国税調査官や管理者である統括国税調査官(以下「統括官」という)が同行してフォローする。
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民間企業でも大体同じようなことが行われるが、民間企業と決定的に異なることがある。つまり新米の国税事務官でも強力な調査権を持っている。
さて民間企業の営業マンが会社に訪れたとしよう。
「新入社員です。至らないことがあると思いますが――」
先輩営業マンが紹介すると、すぐさま新入社員は名刺を差し出して深々と礼をする。そして名刺交換後元気いっぱい口上を述べる。
「頼りないかもしれませんが、頑張りますのでよろしくお願いします!」
これに比べると商品を売るとか、サービスを提供するとかとは無縁な税務署員の対応は当然のことながらまったく異なる。異なっていて当たり前だが、かといって税務サービスを提供するという使命を忘れるのはもってのほかだ。
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さて少し話が逸れるが税務調査ではやたらと「勉強」という言葉が出る。
「先生。もっと税法を勉強した方がいいですよ」
なんてことは言わない。たとえば次のようなことを調査時にのたまうことがある。
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「この業種の調査初めてなんです。ですから色々教えていただければ助かりますし、勉強になります」
こんなことを言われると私はすぐさま調査を拒否する。顧問先がきちっと帳簿を付けていてその内容を私がチェックしている場合、まず申告内容に間違いはない。しかも棚卸に立ち会い、何も告げずに現金残高が合っているかも確かめてある。だから恐れることは何もない。
「えっ!」
私の言葉に調査官が驚く。
「私が『この業種の申告書を書くのは初めてです。教えてくれませんか?勉強にもなりますし、まずもって正しい申告書が提出できます』とお願いすればあなたは教えてくれますか?」
質問に答えず協力要請をしてくる。
「調査をスムーズに行うためです。よろしくお願いします」
無視して続ける。
「昔小学生のころ先生は復習しなさいとよく言っていましたね。中学生になると復習も大事だが予習もしなさいと言われた。さて税務署に配属されたとき『準備調査をキチンとしろ』と言われませんでしたか?」
調査官が頷く。
「キチンと準備調査をすれば調査は半分済んだようなもの。それぐらい準備調査というのは大切なものだと」
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調査官が苦笑いする。
「先生はまるで統括官みたいですね」
「折角お見えになったのだから必要な帳簿を持ち帰って署でチェックしてこの業界のことを勉強してから出直していただけますか。何なら預かり証を作成していただければ署に帳簿をお持ちしますが……」
私は社長に視線を移すと社長が頷く。
「先生がそうおっしゃるのなら、今すぐ税務署に帳簿を届けさせます。経理部長準備を」
最初の一言がこのような事態になるとは思ってもなかった調査官が頭をかく。
「参ったなあ。こんな応対は初めてです」
「いい勉強になったでしょ」
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国税事務官の話に戻る。
上席調査官や調査の責任者(最終責任者は税務署長だが実務的には統括官)が事務官を連れて調査に来ることがある。
「この若い事務官の勉強のため調査に同行している」
このようなことを言われれば、やはり調査を断る。若手の教育は自前ですべきだから露骨に調査を通じて若手職員の教育をするのであれば授業料を税金から差し引いて欲しい。その教育に対して無駄になった時間や経費は税務署に対する寄付金のようなもので受忍義務の範囲外である。
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逆に税務署に相談してそれなりの勉強をさせてもらえるのなら授業料を支払う。国税庁や税務署は無料納税相談だ言って胸を張るが、それなら有料納税相談があるのかといえばそれはない。無料だからかも知れないが、どちらかというと表面的な相談しか応じないと言っても過言ではない。
私の対応に統括官の顔色が変わるが、昨今、納税者とのもめ事をできるだけ避けるようにと国税庁が指導しているから統括官は自重する。
「最近は統括官も自分の事案を持って調査をしていると聞きます。でも今回はこの若い方から事前通知(調査をするという通知)を受けましたので、この方が調査担当者だと理解していいのでしょうか?」
「おっしゃるとおりこの事務官が担当者です」
「そうなると少し困ることがあります」
「どういうことですか」
「統括官の事案なら文句はありませんが、勉強のために担当者としてこの若い方が来られているのなら、お引き取りいただきたい」
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「なぜですか」
「それは明らかでしょう。調査後、問い合わせに返答しても担当者はいちいち統括官に報告して指示を仰ぐことになる。さらにその指示をきちんと理解して伝えられる保証はありません。行き違いが生じ誤解を生んだりする場合があります。それにプロでない職員の勉強のための調査にまで付き合う義務はありませんし、時間の無駄になります。たとえば裁判では裁判官を忌避することができます」
突拍子もない私の理屈に驚いたのか統括官が口を挟まないので続ける。
「もっとも素人の調査は穴だらけですから、ありがたいといえばありがたい」
やっと統括官が口を開く。
「内部事情に随分お詳しいですね」
やっと統括官は私が元職員であることに気付く。
「退職して二十年になります」
「それじゃ同じ年頃ですかね」
「いえ、統括官の方が三つ年下です。国税職員の個人情報はじゃじゃ漏れですよ」
統括官は参ったという表情をするが留まる。
「それじゃ、私が担当者になります」
「担当替えは統括官の権限の範囲内ですから文句はありません。この調査真剣勝負になりますね。でも調査中に勉強の時間は取らないでください」
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「わかりました。でもコピーとか補助をさせるのは許してください」
「コピーはこちらで取りますから心配しないでください」
ここまで言えるのはこの顧問先の税務申告に対する誠実さが並大抵ではないからだ。それを悟ったのか調査は一日で済んで呼び出しもなく、しばらくすると「是認通知書」が送られてきた。統括官はもとより若い担当者もいい勉強になったようだ。
なぜなら翌年この統括官は仕事がイヤになって退職して税理士になったが、開業すると私の事務所を訪ねてきたからだ。
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訪ねてきたのは夕方だった。一通りの話が終わると元統括官を誘う。
「夜の予定は?」
「顧問先がありませんから暇です」
私は親指と人差し指で丸い型を作る。
「食事はどうですか」
「先生さえよければ」
「じゃあ、開業祝いを兼ねて飲みましょう」
居酒屋での会話が弾む。国税当局の制度疲労が深刻度を増しているが、国税庁長官はもちろんのこと財務省も改革を行おうとしない。それは権力を持っているからに他ならない。どっぷりとあぐらをかいているのだ。
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勘定を済ますとこの新米税理士が深々と頭を下げる。
「あのとき本当にいい勉強をしました」
「私もです」
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さて「この通達の意味がよく分からないので、勉強のために相談に来たのですが」と言っても応じてもらえることはない。権力を持っている側には納税者を利用して勉強できる権利があるが、納税者側は自分で勉強するしかないのだ。
「通達に書いてあるでしょ」
と言われても通達は国税庁長官が職員に対して行政執行を統一するために発遣されるもので納税者に対して強制力はない。でも通達を押しつけてくる。もちろん職員は通達に逆らうことはできない。納税者や税理士も逆らおうとして教えてくれと言っているわけではない。むしろこう言う前提や事実があるから適用できる通達や適用できない場合の理由を知りたいのだ。
「事前相談には予断があるから応えられない」
予断の介入を抑えたいから、つまりきちんと申告したいから尋ねているのに相談に応じない。
だが調査となると「勉強」だと言って質問してくる。不用意な応答をするとつけこまれる。
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つまり「勉強」不足を装って調査権という武器を利用して一方的に攻撃を仕掛けるようなものだ。調査官からすれば納税者や税理士の勉強不足だと言うことになる。相談に応じてくれない以上どうしようもない。如何せんこちらには武器弾薬はないに等しい。
一方、調査官が本当に勉強不足であれば、調査のやり取りの中で誤解が生まれて時間だけが無為に経過する。こうなると任意調査の趣旨を逸脱することになる。その場合は調査官の後ろに見える豊富な武器弾薬を無視して正論を通せばいい。
きちんと申告していれば戦争を仕掛けるのは納税者ではなく税務署だ。いい加減な申告やごまかした申告を出せば税務署に対する宣戦布告になる。しかし、どちらが宣戦布告したかは調査結果による場合もある。理不尽な侵略行為があった場合は国税不服審判所(裁判所ではない)に不服を申し立てするしかない。しかし、審判所は国税庁の管轄下にある行政機関だ。いくら救済機関だと言っても納税者から見れば猜疑心は残る。
それよりも事前相談機関なるものを設置すれば無用なトラブルを防止できる。少なくとも真面目な納税者にとって本当の意味での救済機関となるだろう。そこで徹底的に正しい申告方法を議論すれば、無用な調査もなくなるし不服申し立ても激減するだろうし、訴訟も少なくなるだろう。
本当に税制をどうすればいいのか国税庁と納税者が知恵を出し合うこういう機関が設置されれば、この国はもっと発展するだろう。
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勉強というものはこのように非常に重々しいものだ。そうすると調査官が軽々しく「勉強」と言ったときに「帰ってくれ」と言うのは税理士として当然だと思う。
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