第十一話 印紙税


 印紙税という税金がある。よく目にする領収書(五万円以上)に貼られた収入印紙。そうこれが印紙税と呼ばれている税金だ。サラリーマンならあまり領収書を受け取ることはないだろうが、居宅を購入して代金を支払う(と言っても住宅ローンを組むだろうが)と必ず数万円の印紙が貼られた領収書を受け取る。そんな印紙は要らないからその分値引きしてくれといっても通用しない。住宅を売る業者は商人(商売人)だから印紙を貼らなければ印紙税法違反になる。

 

 しかし、あなたがサラリーマンなら居宅を売って領収書を発行しても印紙を貼る義務はない。なぜならあなたは商人ではないから。


 収入があるから印紙を貼るという意味で「収入印紙」と呼ばれているわけではない。この印紙を貼ってもらうと国に収入が入るからと言う意味で「収入印紙」と呼ばれている。よく目にする収入印紙だが結構難しい税金だ。


***


 それなりの顧問先の会社に税務調査が入った。いかにもベテランらしい調査官が三人も来た。しかし、日頃からキチンと指導しているし社長以下経理担当も順法精神が高いので調査は順調に進む。


 二日目の午後に契約書綴りを調査したいと言われた。


 私は調査通知が入ったとき必ず事前に調査の予行練習をする。そのとき契約書の印紙が適正かもチェックする。

 

[148]

 

 

しかるべき印紙を貼っていないと本来貼るべき印紙の額の三倍の過怠税(罰金のようなもの)を納税しなければならないが、悪質でない場合一・一倍で済むケースが多い。さらにキチンと貼ってあれば損金処理できるが、過怠税となると全額損金に算入できないので結構厳しい。


 しかし、印紙税は意外と難しい。印紙税の対象となる課税文書に該当するのかどうか、するとすれば何種類もある課税文書のどれに該当していくらの印紙を貼ればいいのか判断するのは税務署員でも難しい。非常に専門的な知識が必要となる。もちろん私の能力も知れている。取りあえず過去五年間に交わした契約書を精査する。


「うーん、これは……」


 ある契約書を前に悩む。


「二百円でいいのかなあ……」


 横にいた経理課長がのぞき込む。


「これは先方に確かめました。二百円の印紙でいいそうです。相手は上場会社ですから間違いないでしょう」


「税務署がそう言っているのであれば問題ないのですが、上場会社といっても素人です。その会社の関与税理士の回答であっても絶対とは言えません」


 取りあえずコピーをお願いする。

 

[149]

 

 

「後輩に確かめさせます」


「そこまでするんですか?」


 経理部長が驚く。


「この印紙は先方が貼ったことになります。もし税務調査で指摘されれば、先方にも影響します」


 経理課長が怪訝な表情をする。


「この印紙は私が貼りましたが、取引先が貼ったことになるのですか?」


「形式上お互い印紙を貼るということですが、法律上は自分で印紙を貼った契約書を相手に渡して相手が貼ったものをいただくということになります。例えば相手が国や地方公共団体であれば彼らは非課税ですが、よく誤解されるのは国などに渡した課税文書には印紙が貼ってありますが、もらった課税文書には印紙は貼られていません。調査で『貼っていない』と言われれば『こちらが渡した文書には貼ってある』と反論すれば済みます。もちろん本当に貼っていればの話ですが」


「そういうことなのですか」


 結局貼るべき印紙の額に問題がある文書が五年分で三十数種類見つかる。特に高額な印紙を求められる案件に絞って気心が知れている税務署の後輩に確認することにしたが、税務署員といえども難しい印紙税だ。

 

[150]

 

 

 社長が私に感謝しながら謝意を示す。


「今まで印紙税の調査はなかった。出たとこ勝負でも結構ですよ」


 この会社は売上高は三十億円ほどでその約三分の一の十億円程度の利益を上げる超優良企業だ。今までの調査では多少の見解の相違で過少申告だと指摘されてわずか数万から十数万円程度の税金を納めるケースが多かった。だから税務署員として難解な印紙税の調査はしなかった。理不尽な指摘で修正申告をしたこともあったが、額が知れていたのと常日頃から経理体制を整えてきたので社長はあまり気にしなかった。


「指摘されたら次から気をつければいい。印紙税など知れています。先生は潔癖主義ですから気にされるようですが……そこが気に入っていますが、わざわざ後輩に相談しても確実な回答はないでしょう?」


 さすが一代で会社に育て上げた社長だ。世渡りのコツを心得ている。


「まあそうですね」


***


「印紙税は契約書のコピーを税務署に持ち帰って検討します。そのほかのことについては何の問題もありませんでした。惚れ惚れするぐらいキチンと申告されています」


 一番年長の上席調査官が笑顔で私を見つめる。


「回答にどれぐらい時間がかかるのでしょうか」

 

[151]

 

 

「ご存じの通り我々は印紙税については素人です。申し訳ありませんが審理担当に判断を仰ぐので少し時間がかかります」


 彼は私が元税務署員であることを踏まえて笑顔をくずさずに応える。


「本来の法人税の調査に関して問題がないのなら、いつまでかかっても構いません」


「お言葉に甘えさせていただきます」


***


 結局、答が返ってきたのはほぼ一ヶ月後だった。その内容を聞いて納得した。


「アウトだった契約書は五件でした。そのうち一件は契約日から五年経っていますのでセーフです」


 正しい印紙はすべて二百円ではなく二件が一万円、そして二件が二万円、そしてもう一件が五万円だった。貼るべき印紙が五万円の契約書の日付は五年と十日前だった。調査が入った日はその一ヶ月前だったから税務署が迅速に処理すればアウトだった(五年経過すると課税できない)。


「ほとんど適正に貼っていただいていました」


 この調査官は敢えて課税権が及ばない五年経過後に通知してきたのだ。


「お手数をかけますが、四件については過怠税の課税通知書を送付します。返信用封筒を同封しておきますから折り返し署名押印の上返送してください。通知書は先生の事務所でいいですか?それとも……」

 

[152]

 

 

「会社の方にお願いします。ご高配、ありがとうございます」


 気持ちのいい調査だった。

 

[153]

 

 

[154]