18 生命永遠保持機構の誕生


 月面の豊臣自動車工業ではフル稼働で空間移動装置が製造される。完成した空間移動装置は次々と地球に向かい病院の内装に必要な部材や部品を積み込んでは戻ってくる。


 一方、工場の一角が生命永遠保持手術に必要な設備や道具の製造に割り当てられる。その分空間移動装置の製造台数が減少するので、いくら空間移動装置があっても足らない。


 ノロは製造過程のボトルネックを徹底的に洗い出して生産効率を上げるが、工員の健康には最大限配慮した。工員もノロの要求によく応えた。全員、永遠の命を得るために努力を惜しまなかった。


 豊臣自動車工業が空間移動装置の製造と生命永遠保持機構の工事を独占しているとは言ってもモノを造るのは人間だ。とても豊臣自動車工業の社員や工員だけで製造や工事ができるわけがない。全世界から有能な人材が集められる。豊臣自動車工業の独占に不満を抱いていた連邦各国の首脳は自国の有能な人間を送り込むことで、積極的に生命永遠保持機構の立ち上げに関与しようとした。


 数ヶ月という短い期間でついに生命永遠保持機構の建物が完成した。あとは医療器具や薬品の搬入を待つばかりとなった。

 

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 徳川とキャミが完成した生命永遠保持機構の理事長室に案内される。案内したのは鈴木だった。結局徳川はノロと会談することはできなかった。それほどノロは忙しかった。


「ノロ先生は?」


「工場長と次世代の空間移動装置の開発にかかっています」


「次世代の?」


「時空間移動装置です」


「?」


 理事長室のドアが横にスライドすると鈴木が先に入る。


「ここがあなたの執務室です」


 意外と簡素な部屋だ。徳川会の理事長室と比べると広くはないし調度品も実用に徹したモノばかりだ。たとえば応接セットはない。その代わり十数人が会合できるテーブルが置かれている。椅子も実用に徹したモノだった。


「素晴らしい!」


 しかし、鈴木は徳川の少し落胆した表情を見逃さなかった。


「ここであなたは全人類に生命永遠保持手術を施す指示を出すことになります。歴史的な瞬間が始まる部屋です」

 

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「鈴木補佐官!感謝します」


「私はほとんど何もしていません。礼ならノロに言ってください」


「そうしたいが私は一度も話し合うことができなかった。現場では工員と親しげに接しているのに。まるで私を避けているようだ」


「気になさらぬように。ノロは現場第一主義です」


「よく分かりました」


 徳川が鈴木に向かって頭を下げるが、鈴木はこれまでとは違う空気を感じ取る。


「正式な引き渡しはいつですか」


「一週間後です。それまでに手術室や検査室の装備などの点検をお願いします。不備な点があればすぐ改善します」


 徳川が鈴木の手を強く握る。


「何から何まで行き届いた配慮に感謝します」

 

「まだ工事中なのでくれぐれも作業着の着用とヘルメットをお忘れなく」


 徳川が含み笑いをすると頷く。


 生命永遠保持機構の完成パーティが大会議室で盛大に行われる。とは言ってもスペースの関係上総勢数百人だ。月なので物々しい警備体制はひかれないが、集まった者は連邦各国の要人ばかりだ。

 

 

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 まず地球連邦政府の大統領チェンが挨拶する。


「ついに生命永遠保持機構本部が完成しました。ご努力いただいた方々にお礼を申し上げます。特にノロ……」


 慌てて鈴木がチェンに近づくと囁く。チェンが咄嗟にマイクを切る。


「ついさっき、時空間移動装置が完成したので試運転すると言って欠席届を出してきた」


「えー。そういえば工場長の姿も見えない。調べてくれ」


チェンはこれ以上間が取れないと考えてマイクのスイッチを入れてにこやかにしゃべり出す。


「最大の功労者ノロは過労で休養が必要らしい」


 最前列にいる徳川が手を上げる。チェンはこれを渡りの船だと考えて発言を許す。


「恐縮だが、我が生命永遠保持機構の最初の患者として治療をさせていただきたいと思います」

 

 このよく通る声に会場から大きな拍手が起こる。


――まずい!


 しかし、チェンは笑みを絶やすことなく踏ん張る。


「症状は軽いそうです。心配には及ばないとの報告を受けました」


 チェンは会場を後にする鈴木を見つめてから徳川を、そして会場全体を見渡す。

 

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「冒頭の不手際、陳謝いたします。完成パーティを続けます」


 チェンが手を打つと各テーブルに用意されたシャンパンを接待役の工員が手にする。


鈴木は豊臣自動車工業の工場長室で図面と大型モニターを一心不乱に見つめる工場長を見つける。ふたりは鈴木が入ってきたことにまったく気付かない。


「工場長」


 呼びかけても返事はない。


「工場長!」


「あっ」


 やっと工場長が顔を上げる。


「完成パーティが始まっている」


「えー!すっかり忘れていた」

 

「どうしたんだ?」

 

 鈴木が近寄ると目の前の図面を指さす。


「時空間移動装置の設計図です。電子ファイルでは見にくいのでペーパーにしました」


 図面の厚みは十センチ以上はある。


「時空間移動装置?」

 

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 鈴木は時空間移動装置に搭乗した経験があるがあえて尋ねる。


「空間移動装置など時空間移動装置に比べればオモチャです。少し前におにぎり盗難事件が頻発しましたが、これを使ったのではないかと」


 ノロはニーッと口を広げるだけでしゃべらない。


「大きさは?」


「空間移動装置と変わりません」


 鈴木はおにぎりだけでなく高度な性能を持った大型の機械や装置も盗まれたことを思い出す。


「だったら機械など積み込むことは不可能だ」


「確かに。でもこの時空間移動装置を大型化しているのはノロの方舟を見れば明らかです」

 

 ノロは答弁を工場長に任せて何もしゃべらない。


「私は自動車に始まりエアカーの製造に携わってきました。そして空間移動装置の製造責任者に抜擢されました。だからといって自慢したことはありません。でもこの分野にかけては第一人者のひとりとしてこの時空間移動装置の設計図は……なんと言ったらいいのか……」


「いったい何を造っているんだ」


 親友のような付き合いをしていた工場長がノロに尋ねる。


「時空間移動装置」

 

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「時空間移動装置?」


「空間を瞬間的に移動すると言っても時間をコントロールして移動しなければ……えーと大昔、アイシタラ、アイシュンタ、じゃない相対性理論を……」


「アインシュタイン博士のことですね」


「そうだ。アインシュタインの理論を一言で言えば、瞬間的に移動しようとすると必ず光の壁が邪魔をする」


 勘がいい工場長が反応する。


「音速を超えようとすると音の壁を乗り越えなければならないのと同じように時空間移動装置は光の壁を超える装置だとでも」


「そうだ。プロペラ機ではいくら頑張っても音速を超えることができなかった」


「まったく異なるジェットエンジンを開発して音の壁を破った」


「いいたとえ話だ」

 

「でも空間移動装置と時空間移動装置の形は同じですね」


「当然だ。時空間移動装置を開発するために空間移動装置を造ったんだ」


「そうだったんですか!」


 ノロは鼻の穴を最大限に広げる。これは自慢のポーズだ。


「どのようにして光の壁を突破するんだ?」

 

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 しかし、広げた鼻の穴で大きく空気を吸い込んだ後しぼめる。


「正直言うと俺の独創的なアイディアではない」


「どんな発明も何らかのヒントで生まれる。そのヒントに気付いて素晴らしいモノを造ることこそ独創的だという。ヒントはどこにあった?」


 工場長のくすぐる言葉にノロは丸いメガネの奥で目を細める。


「俺とサブマリン八〇八のなり染めから話さなければならないな」


「その話は何度も聞いた」


「?」


「酒を酌み交わすと必ず出てきた話だ。何度聞いてもおもしろい。アテなんかいらないぐらいに」


「えー!酒を飲んだら極秘情報を毎回しゃべっていたのか」


 ノロは完全に工場長を信頼していた。しかし、アンドロボットのノロがなぜ酒が飲めるのかは定かではない。


「トリプル・テンがサブマリン八〇八を時空間移動船に変身させたが、そのカラクリはよく分からん」


「えっ!その話は初めてだ」


「どうやらトリプル・テンは宇宙の大部分を占める得体の知れないダークマターやダークエネルギーそのものらしい」

 

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「聞いたことはある。大量にあるはずなのにその正体はまったく分からない謎の物質、あるいはエネルギーの事ですね」


「何度も言うがカラクリはわからない。でもトリプル・テンをうまく使うと空間を自由に移動することが可能なんだ」


「空間移動装置のことですね。それを発展させて時空間移動装置を製造する」


 と言いながら急に工場長の表情が険しくなる。


「軽々しく私にそんなことを話していいのか?」


「俺はあんたを信頼している」


「人間は裏切る動物だぞ」


「工場長に裏切られても俺は構わない」


「ノロ!何を考えているんだ」

 

 ノロは真剣なまなざしの工場長に囁く。


「俺はノロではない。ノロの影武者のような存在だ。このことについてはいくら酔っても白状しない」


「影武者……?」


 

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 パーティが終わると連邦各国首脳は出口で徳川、チェン、鈴木と握手して空間移動装置に乗り込んで月を後にする。


 横にいたチェンが徳川に声をかける。


「ご苦労様でした」


「こちらこそ、立派なパーティを開催していただいありがとうございました。しかし、さすがに疲れました」


 徳川が肩を落とす。それまで目立たないように控えていたキャミが徳川に近づく。


「上着を脱がれたら?」


「大統領の前で失礼だ」


「遠慮は要りません」


 チェンが先に上着を脱ぐ。


「少しばかり酔いました」

 

 チェンに促されて徳川も上着を脱ぐとその上着をキャミが受け取る。


「そうですね」


「わがままを言うのは何ですが、理事長室のソファーで少し横になっても構いませんか?」


「どうぞと言いたいところですがソファーはありません。確かに疲れたとき、少し横になれる必要ですね。用意させます」

 

 

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「いや。立派な椅子がある。それでいい」


「もう理事長室はあなたの部屋です。ご自由にお使いください」


 チェンが応じると鈴木が一歩踏み出す。


「場所はおわかりでしょうが、私がご案内しましょう」


「大丈夫です。私が案内します」


 キャミが鈴木を制すると徳川とともに会場を出る。そんなふたりの後ろ姿をチェンと鈴木が見送る。


 理事長室に入ると徳川がドアをロックする。そして少し間を置いてから大声で笑い出す。そして拳を握りしめるとキャミに近づく。


「我慢した甲斐があった」


 キャミはすり抜けると徳川の上着をハンガーに掛ける。背中に徳川の荒い息づかいを感じると再び離れる。


「これからが大変だわ。全人類に生命永遠保持手術を施すなんて本当にできるんでしょうか。予防接種のようにはいかないわ」


 キャミはそう言ってから部屋の隅の目立たない場所に冷蔵庫を見つける。


「環境は整ったし、生命永遠保持手術も実用化のレベルにある」

 

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「手術に必要なトリプル・テンを十分確保できるのかしら」


「大丈夫だ。ノロが保証している」


「私はノロを余り信用していません。気まぐれすぎます」


 キャミは冷蔵庫を開けるが返事はない。


「女の私がそう思うのですから、かなり気まぐれです」


 すぐ後ろに徳川がいることを感じたキャミが缶コーヒーを取り出す。


「冷たいけれど飲まれますか?」


 目の前の徳川から返事はない。その目は年甲斐もなくランランと輝いている。少しだけ身をよじってキャミは缶コーヒーのプルに指をかけて引っ張るとコーヒーを一気に飲む。


「美味しい……」


 そしてもう一方の手に持っていた缶コーヒーを有無を言わせずに徳川に渡す。その缶の文字にキャミが驚く。表面には「10」の文字が縦にみっつ並んでいる。

 

「理事長!これはトリプル・テンのコーヒーだわ」


 いつの間にか徳川が肩で息をしている。キャミは覚悟を決めるように目を閉じる。そのときインターフォンからチャイム音がする。


「徳川理事長。鈴木です。ソファーをお持ちしました。ドアロックを解除してください」

 

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