徳川会といえども所詮は民間団体に過ぎない。徳川は少し前までの強権的な態度を改めて「人類の未来」という看板を掲げて生命永遠保持手術の確立に没頭すると、徳川の周りでは不穏な動きが目立つようになる。
徳川は安心して生命永遠保持手術の研究に没頭することができなくなる。啓蒙活動にかなりの時間を割いていることが原因だが、この活動は将来全人類に生命永遠保持手術を受けさせるために欠かすことができない。ノロは全人類すべてに生命永遠保持手術を受けさせることを条件にトリプル・テンを提供することにしたからだった。手術に当たって極端な優先順位をつけることも禁じた。
*
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徳川は執務室の専用回線を使って地球連邦政府の大統領補佐官に連絡を取る。
「取り入って大統領にご相談したいことがあるのですが」
「分かりました。大統領に伝えます」
徳川が受話器を置いたときノックの音が聞こえる。
「キャミです」
「入れ」
軽く会釈するとキャミの報告が始まる。
「行方不明だったストップ細胞主任研究部長がアフガニスタン山中において変死体で発見されました」
「そうか。なぜアフガニスタンなんだ」
「アフガニスタン当局の調査結果を待たなければなりません。日本の警察が現地に向かう予定です」
そのとき机上の真っ赤な電話機が鳴る。すぐさま徳川が受話器を取る。
「徳川です」
「補佐官のキングです。今、差し支えなければ大統領に繋ぎます」
「お願いします」
「しばらくお待ちください」
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キャミが電話機を見て尋ねる。
「大統領に相談ですか?」
徳川は黙って頷く。
「チェンです。お待たせしました」
「こちらこそ、お忙しい中、お呼び出てしまして申し訳ありません」
「ご用件は?」
「月に生命永遠保持機構を移設できないものかと」
「なぜなのですか」
「また重要なスタッフがアフガニスタンで……」
「それは承知しております。月なら安全なのも分かります。少し時間をください」
徳川が受話器を置くとキャミが再び尋ねる。
「返事はどうでしたか」
「前向きだった」
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もちろんチェンもノロの条件を理解している。だから徳川を監視するが、一方では協力もする。とは言っても月に生命永遠保持機構を移動させるとなる膨大な費用と時間がかかる。
「どうすればいい」
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チェンの悩みに応えるかのように鈴木はノロからプレゼントされた次元通信機でノロを呼び出す。
「どうした」
一連の報告を受けるとすぐさまノロが応じる。
「ウサギがいた倉庫のことを覚えているか?」
「忘れもしない。あの倉庫で聞いたブータン国王の演説は今でも覚えている」
「その倉庫の横にも倉庫があったよな。そこで空間移動装置を製造する」
「えーっ!生命永遠保持手術の研究施設にするんじゃなくて?」
「研究施設はウサギがいた倉庫、つまり今は月の地球連邦政府の月面大統領府に改造された建物を再改造する。まずは空間移動装置製造工場だ」
「でも工場となると膨大な設備が必要になる」
「ふふふ」
恐らくノロは口をいったん大きく開いてから横に広げて笑っているのだろう。
「はぐらかさずに教えてください」
「いますぐ月に行って確認しろ」
「分かりました」
鈴木は次元通信機のハンドセットを置いてから手短くチェンに説明すると空間移動装置の貸
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与を要請する。キングにチェンが手配を命令すると部屋を出ようとするキングの背中に追加する。
「私も同行したいが、立場上地球を離れるわけにはいかない。腕っ節のいい部下をひとり選んで鈴木に同行させろ」
「了解」
「鈴木、頼むぞ」
「なんだかワクワクするような、それでいて少し不安も感じる」
「ノロが提案しているんだ。ワクワクしかない」
チェンが鈴木の肩をぽんと叩く。
*
三人を載せた空間移動装置が月の大統領府の隣の大きな倉庫に現れる。ドアが飛び跳ねるとまず完全武装した身長二メートルもあるジャンボという名前の護衛官が頭を打たないように腰をかがめて降りる。続いて鈴木とキングが降りる。
早速鈴木がリュックから次元通信機を取り出すとノロを呼び出す。
「今到着した」
しかし、返事はない。
「ノロ、聞こえるか」
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「聞こえる」
その返事は通信機からではなくジャンボの後ろから聞こえてくる。振り向くと何とそこには空間移動装置があってドアにノロがいる。
「いつの間に!」
鈴木が駆け寄ろうとするが引力が弱い月では俊敏に動けない。
「驚かさないでくれ」
ノロがニーッと口を広げる。そのとき通信機からノロの声が聞こえる。
「それは俺じゃない」
鈴木が歩を止めるとジャンボがすぐさま拳銃を構える。
「安心しろ」
今度は目の前のノロがしゃべる。ほぼ同時に通信機からもノロの声がする。
「それは俺に似せて造ったアンドロイドもどきだ」
「もどき?」
「ロボットではないが、かといってアンドロイドでもない。まだ未完成なんだ」
するとノロに瓜二つのロボット?いやアンドロイドが鈴木に頭を下げる。
「ようこそ月面空間移動装置製造工場に」
「製造工場?ただの倉庫じゃないか」
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今度は通信機から声がする。
「そいつを俺だと思って指示に従ってくれ。じゃあ」
「待ってくれ!どういうことなんだ」
赤や緑に輝いていた通信機のボタンが消灯する。鈴木を見つめていたアンドロイドのノロが視線をジャンボに向ける。
「武器を納めてください」
首を縦に振る鈴木の指示を確認したジャンボが銃をしまう。
「説明してくれ。その前にあなたをどう呼べばいいのですか」
鈴木が言葉を選んで質問する。
「『ノロ』で構いません。私はノロではないがノロそっくりのアンドロボットです」
「アンドロボット?」
「そう。ロボットではない。かといってアンドロイドほど人間に近い能力を持っているわけでもない。アンドロイドに限りなく近いロボットだ」
「アンドロボット……何となく理解できた」
「そのうち言葉遣いも怪しくなるけれど何でも聞いてください。できるだけ応えるように設計されています」
「わかった。ところで空間移動装置製造工場と言ってたが、この空っぽの倉庫にどうやって製
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造設備を設置するんだ?」
「何度も言ってますが、ここは空間移動装置製造工場です」
ノロが倉庫の出入口に向かう。その背中に鈴木が大きな声を上げる。
「だから、どうやって……」
ノロは出入口の配電盤のようなボックスを開けると中のスイッチを押してから鍵盤を操作する。
「ウイーン、ウイーン」
複数のモーターが一斉に回転するような音があちらこちらからする。そしてどこからか微風が発生して鈴木たちの髪の毛を撫で始める。
「?」
鈴木たちはノロから視線を倉庫の天井や床に移動させる。今まで何もなかったのに倉庫全体がモヤがかかったように変化する。鈴木が倉庫の中央に向かおうとする。
「待った!」
ノロが大声を出す。その瞬間鈴木は何かにぶつかったように転ぶ。
「イテッ!」
顔を打ちつけたのか眉間が割れて血が噴き出す。キングとジャンボが慌てて鈴木に近づこうとするがノロが怒鳴る。
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「動かないで!」
白っぽいモヤがグレーに変わってやがて霧が晴れるように消えるとそこには様々な装置や機械が整然と並んでいる。
「!」
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装置や機械が鈴木たちを威圧する。
「説明します……」
アンドロボットのノロがニーッと笑う。
「その前に治療を」
ノロは鈴木の袖口を引っ張ると奥にある小部屋に連れて行く。そして「診療室」と書かれたドアを開けて中に入る。
「工場では事故が付きものです。ここで治療します」
ベッドや薬品庫がある。
「私が治療に当たります。こう見えても医師の資格があります」
ジャンボは手際よく薬品庫から消毒液のボトルを取り出すと次はガーゼを用意する。
「すまない」
鈴木がベッドに横になってジャンボの治療を受けながら、診療室の窓から工場内を見つめる。
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天井には室内クレーン装置が見える。本格的な、いや地球上のあらゆる工場より先進的であることは素人の鈴木にでも分かる。
「これまで何もなかったスケルトンの倉庫が急に立派な工場になった」
ここで鈴木が大声を張り上げて笑い出す。
「動かないでください」
ジャンボが制するが鈴木は拳を握って続ける。
「分かったぞ!」
ノロが大きく頷きながら先回りする。
「装置や機械や材料にトリプル・テンを薄く塗っていたのだ」
「どうやったのかは分からないが、要はそのトリプル・テンを取り除いた」
「そう。透明だったモノが可視化した。さて謎が解けたからジャンボの治療をまじめに受けるように」
鈴木は視線をジャンボに戻すと目を閉じてじっとする。
「ここで空間移動装置と生命永遠保持手術に必要な機材や設備を生産する。そして大統領府を改造して病院にする」
黙って治療に専念していたジャンボが呟く。
「ノロのことは知らないが、すごいことをやり遂げる男だ。一度会ってみたい」
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ノロがジャンボを見上げるとニーッと笑う。
「目の前にいるじゃないか。いいか?今から俺がノロだ。このことはあなた方三人とチェン以外には秘密だ。他言は無用」
鈴木、キング、ジャンボが神妙に頷く。
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エアカーの製造や重力制御装置の製造をいち早く手がけたベンチャー企業の豊臣自動車工業が月面工場で輸送用の空間移動装置の製造をすることになった。
ところで豊臣自動車工業の株式を所有しているのは徳川会だった。他の自動車メーカーも月での空間移動装置の製造に意欲を目指したが、生命永遠保持手術に必要な装置や設備の製造のノーハウを持っていない。そのノーハウを持っているのは徳川会だ。大きな抵抗もなく豊臣自動車工業がこの重要な任務を担うことになった。
豊臣自動車工業のことはさておいて、月面に忽然と製造工場ができてノロがその指揮を執っていることを知った徳川はすぐさま月面工場を訪れる。そして面会を申し出るが「忙しい」の一言で断られる。
豊臣自動車工業の幹部がオロオロするなか徳川は視察と称して製造現場に向かう。幹部が慌てて追いかけるが徳川を見失ってしまう。
明るい照明と騒音の中で徳川はヘルメットをかぶって丸いメガネをかけた背の低い男を見つ
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ける。意外なことにメモ帳と赤鉛筆しか持っていない。身振り手振りを交えながら工員を指導している。
会ったことはないが、徳川はその男がノロだと確信する。小走りで近寄るが声をかけるタイミングがない。それほどノロは熱心に指示を出しているのだ。そのうちノロの方が徳川に気付く。
「おい!ヘルメットは?なんだ!その格好は」
「私は……」
ノロが徳川を制すると大声を上げる。
「こいつを摘まみ出せ!」
やっと徳川を見つけた取り巻く幹部が叫ぶ。
「ノロ!この方は徳川理事長です」
「知らん。摘まみ出せ」
徳川が急に怒り出す。当然と言えば当然なのだが、ノロにではなく幹部を叱責する。
「ノロ先生を呼び捨てにすることは許るさん!」
「ノロ先生?」
幹部はもちろん周りにいた工員が驚く。
「そうだ。この方は地球にとって重要な方だ」
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徳川が叫べば叫ぶほど周りで笑い声が大きくなる。すでに工員はノロに慣れ親しんでいる。誰かがヘルメットを徳川の頭に被せる。
「ここではいつ事故が起こるか分かりません。作業服に着替えて安全靴に履き替えてください」
「そうする」
徳川は素直に引き下がる。そしてノロに向かって頭を深々と下げる。
「大変失礼しました」
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