結局徳川の思惑どおりチェンが再び大統領に就任する。今大統領執務室でそのチェンと鈴木が話し合う。以前のようにダブル大統領制ではなく鈴木はノロ接触担当の特務官としてチェンを支える。
「盗聴されていないだろうか」
鈴木が心配そうに室内を見回す。
「いくら何でも、もうそういう姑息な手段は使わないだろう」
「ならいいんだが」
「徳川は本当に変わったんだろうか」
「人とはあんなに変われるのものなのか」
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「確かに別人だ。誰かが代わりに徳川を演じているみたいだ」
ふたりは苦笑するとつい三日前、地球連邦政府迎賓館での出来事を思い出す。
*
鈴木が重そうなジュラルミン製のケースをテーブルの上に置く。そしてパチンと金具を解除すると小さなガラスビンをやはり重そうに持ち上げる。
「トリプル・テンです」
ビンの中では直径数ミリの黒い球体がコロコロしている。
「丸い!」
徳川が目を見開いて見つめる。
「手を開いてください」
鈴木が徳川の手のひらにビンを移動させる。
「これだけでも二キログラムはあります。力を入れてください」
ズシッとした重さに手のひらが窪む。
「重い」
チェンが特殊な直径十数センチほどの金属製の底が浅い器をテーブルに置くと鈴木が徳川の手のひらからビンを取り上げてふたを開ける。そして十センチぐらいの高さからソロリとトリプル・テンを器の中心部に落とす。小さな黒いビーズのようなトリプル・テンが数回跳ねた後
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停止する。
「まるで小さなゴムボールのようだ」
チェンが少し器を傾けると落ちた地点に小さな窪みが見える。
「見えますか」
「ああ」
「この器はチタンで造られています」
「!」
徳川は驚きのあまり声も出せない。
「触ってみてください」
黙ったまま指を差し出す。
「柔らかい!」
「押さえてください」
「何だ!この感触は」
脳外科医でもある徳川の指先の感触は鋭い。摘まもうとするが小さくて重いのでどうしようもない。
「これがトリプル・テンなのか。しかしストーンヘンジにあった板状のものとはずいぶん違う」
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「トリプル・テンは様々な形を取ります。いえ一定していません。私たちにはそう見えるだけなのかもしれませんが」
徳川は器の中のトリプル・テンを見つめるだけでそれ以上言葉を出さない。
*
ドアをノックする音がする。
「補佐官のキングです」
チェンが施錠を解除する。
キングと名乗る白いスーツ姿の黒人の女性が入ってくる。その後ろから青いスーツ姿の白人の女性が入ってくるとキングは振り向いてチェンと鈴木に紹介する。
「ご紹介します。スミス財団付属病院の産婦人科の医師で遺伝子学の権威でもあるキャミ博士です」
キャミがキングの横から腕を差し出す。
「初めまして。チェンです」
軽く握手をすると鈴木を紹介する。
「鈴木です」
キャミは軽く会釈して鈴木の手を握る。
「参ったな」
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チェンと鈴木はキャミをまともに見ることができない。圧倒するほどのグラマーでしかも美人だ。
「スミスは老練な技術と知識を持ったスミス財団付属病院でもっとも頼りになる医師とだけしか言っていなかった。まさか女性だとは」
キングが制する。
「失礼ですよ。実力に年齢も性別もありません」
「申し訳ありません。セクハラではありません」
チェンがふたりをテーブルに案内する。着席したのを確認してから鈴木が発言する。
「何か飲み物をお勧めするのが礼儀ですが、すぐ本題に入ります。と言いながらも先に伺いたいことがあるのですが」
キャミは物怖じすることなく笑顔で応える。
「ストップ細胞の件です。あなたのヒントで徳川がストップ細胞を造ることができたとスミスから聞いたのですが、本当ですか」
「アイディアは私のもです。でもそれを現実化したのは徳川さんです。もちろん私にもストップ細胞は造れます」
謙虚かそれとも対抗心があるのか、どちらとも取れる表情にチェンと鈴木は戸惑う。一呼吸置いて鈴木が続ける。
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「ストップ細胞とトリプル・テンで生命永遠保持手術の可能性が高まるのですか?」
意外とキャミはすぐさま首を横に振る。
「可能性という言葉で質問されたことに感謝します。可能性はありますが確率は不明です」
さすがスミスが推薦しただけのことはある。容姿から想像できない回答が返ってくる。
「単刀直入にお願いしたいことをお伝えします」
キャミがニッコリと微笑む。
「徳川に協力して生命永遠保持手術の実用化に向けた研究をお願いしたいのです」
「すでに申し入れがありました」
「スミスさんから?」
「いえ、徳川さんからです」
「えーっ!」
チェンと鈴木が同時に驚く。
「私はスミスさんと意見が合わないという理由で辞表を出しました」
「そうですか。スミスに近いと疑われますからね」
ここでキングの携帯通信機からの呼び出し音が聞こえてくる。
「ここで通話してもいいでしょうか」
チェンが大きく頷く。
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「失礼します」
キングは立ち上がると部屋の隅に向かう。そして二,三度頷くと席に戻る。
「今、スミスが『生命永遠保持手術の開発』に対して反対声明を出しました」
チェンがテレビをつける。画面には口角泡を飛ばして激高するスミスの姿が現れる。
*
「……不老不死の手術には断固反対する。人は子孫を残して人生を全うすべきだ。不老不死というのは夢でいい。それなのに夢を叶えるためだと勝手に辞表を提出して出て行った」
「スミスさん。落ち着いてください」
記者がなだめる。しかし、意地の悪い記者もいる。
「ストップ細胞のアイディアを考えたキャミ博士が徳川に協力するのに焼き餅を焼いているのでは?」
「おまえはどこの記者だ?今後記者会見を開くときは招待しない」
「気に入らないことを質問されたからと言って暴言を吐くとはよほどキャミ博士が辞職することに腹を立てているのですね」
「徳川と組んでこの地球を自分たちの好きなようにしようとしている。黙って見ているほど私はバカではない」
「しかし、最近の徳川は人が変わったように人類の未来を語っています。単に不老不死になる
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のではなく難病に苦しむ人や感染症にかかった人を助けることができると啓蒙活動を活発に行っています。彼が言うことには一理あるし説得力があります」
「仮面を被っているのだ。一皮むけば独裁者だ。こんな明確なことがなぜ分からんのか!」
「日頃冷静なあなたがここまで大声を上げるなんて想像もしていませんでした。あの若くて美人でグラマーなキャミ博士を徳川に取られたことに嫉妬心を抱いているのがよく分かりました」
記者会見を打ち切ったのは記者の方だった。スミスは会見台に拳を振り落とす。巨漢のスミスの力は強烈で会見台をまっぷたつに破壊する。画面はコマーシャルに変わる。
*
「迫真の演技だ。アカデミー賞ものだ」
チェンが大げさに両腕を広げて鈴木に同意を求める。しかし、鈴木はあごでキャミを指し示す。キャミがハンカチで顔を覆って泣いている。
「スミス先生……」
チェンも鈴木もキングもキャミを見つめるだけで言葉をかけることができない。キャミの任務の重さに改めて気づいたのだ。鈴木がチェンに囁く。
「もしこんな任務を命じられたら、私だったら辞退するな」
この囁き声がキャミに届いたのか、ハンカチをたたむとキッとした視線をふたりに向ける。
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そして立ち上がって深々と頭を下げる。
「見苦しい態度、お許しください。与えられた任務、必ず成功させます」
キャミの表情に乱れはない。それは口紅はおろかまったくのノーメイクだったからだ。職業柄化粧をしてはならなかった。
チェンも鈴木も改めてキャミの美しさに魅了される。そして素顔の美しい女性に初めて出会ったことに驚く。
「そんなに見つめるのは少し失礼では?」
キングの言葉にふたりが目が覚めたように恥じかむ。
「あなたに人類の未来がかかっていると言っても大げさではありません」
「スミス先生の事は一生忘れません。貧乏な私を親代わりに育てていただいて最高の教育を授けてくださいました」
「それでは今後の計画について説明します」
キャミが着席するとメモを取ることなく暗記の体制に入る。
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