02 ウサギ


地球連邦政府自体はなんとか存続している。


「連邦各国の食料品店から食べ物が盗まれる事件が続発している」


 チェンの元に異常事態の報告が入る。

 

「実情を調べよう」


 チェンが緊急会議を開催すると意外と多数の連邦国家の代表者が参加する。


「食料品店よりコンビニの被害が甚大だ」


 日本の代表が口火を切る。


「特におにぎりの被害が多い」


「防犯カメラや監視カメラがあるから犯人は特定できるだろう」


 議長が尋ねる。


「それがフワフワとおにぎりが店内から勝手に出ていく光景しか映っていない」


 会議室の大型モニターにその光景が映しだされる。


「まるで透明人間がおにぎりを盗んでいるような感じだ」


「透明人間?」

 

[11]

 

 

 「確かサブマリン八〇八は透明潜水艦だった」


「いやサブマリン八八八だ」


「どちらでもいい。トリプル・テンが関わっているような気がする」


「人間にトリプル・テンを塗ると透明化するとでも」


「ということはあのノロの仕業か」


「地球を見限って宇宙に行くとか言っていたヤツだな」


「本当は狂言で地球に留まっておにぎりを盗んでいるのかも」


「私ならそんなつまらない物より金とかダイアモンドを盗む」


「俺なら銭湯に行って……」


 ここでチェンが割りこむ。


「本当に宇宙を目指したのなら、今さら地球に戻っておにぎりを盗むなんていう奇妙な事件を起こすはずがない。逆に地球に留まっているのなら、なぜおにぎりを盗む必要性があるんだ?」


「不思議な現象だ」


「別にノロに特定する必要はない。誰でもいい。透明人間になったら先ほどの意見のようにおにぎり以外の物を手に入れようとするだろう。だが盗まれているのは食糧ばかりだ」


 チェンの意見に鋭い反論が入る。


「食糧に目を奪われているが、それはカモフラージュで我々が気が付かない物が盗まれている


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のでは?」

 

「具体的には?」

 

 しかし、その発言者も首を傾げるだけで黙りこむ。チェンは腕組みをするとポツンと漏らす。


「金でもダイアモンドでもない、何か重要な物とはいったい何なんだろう」

「皆さん、大国はグレーデッドの月の秘密基地を攻撃すると豪語していましたが、月に到達したという発表はありませんね。現状はどうなんですか」


 チェンが少し茶化しながら話題を変更したとたん各国からの発言が相次ぐ。


「我が国は着々と準備を進めている」


「ほー。どの程度まで進んでいるんだ?」


「それは極秘だ」


 同じような発言が続いたあとチェンが尋ねる。


「私は皆さんのなかに、すでに月に行ってもぬけの殻になった秘密基地で採取したトリプル・テンを持ち帰った者がいるのではと思ったのですが、どうでしょうか」


 チェンがいたずらっぽく続ける。


「でも『うん』と言えばおむすび泥棒の犯人にされてしまいますね」


少しだけ緊張感がほぐれる。


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「正直なところ、月に行くのは簡単だ。しかし、そこに滞在して秘密基地内を探索するのが大変な作業になる。さらにトリプル・テンが発見されたら、地球に持ち帰るのは困難だ」


「一国で無理なら協力すればいいじゃないですか」


 チェンが議論を促す。


「それもそうだな」


「大統領の提案はもっともだ」


 チェンは手応えを感じる。


「ここは地球連邦政府のもとに各国が協力したほうがいいのでは」


「この不可解な事件究明にはそれが最善の策かもしれない」


「取りあえずこの提案を本国に持ち帰って検討したい」


「しかし、なぜ、おにぎりなんだ?」


「そうだ。おにぎりを盗まれているのは日本だけじゃないか」


「いや、我が中国もだ」

「大胆にいろんな物を盗んでいるけど気が付いているのかしら」


 ノロの惑星の造船所の事務室でイリが心配する。


「しばらくは大丈夫だ。だから時空間移動船の建造を急いでいる」


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「しばらくということは、いずれ気付くということなの?」


「いくらなんでも気付くはずだ」


「どういうこと?」


「盗まれているのが分かると恥になるから、隠すんだ」


「そうね!」


「特に俺たちが盗んでいる装置や機材はすべて最高機密レベルの物ばかりだ。担当者も怒られるから上司に報告しないだろうし、上司が知ったところで担当大臣には伝えないだろう。役人にとって大臣なんて大した存在じゃないからな」


「それに急に消えるから防ぎようがないわ」


「今のうちにバンバン盗むんだ」


「ちょっといいかしら」


「?」


「盗み物リストにスイーツを追加して欲しいの」


「それじゃ、歯ブラシも追加する」


「そういえば急に引っ越ししたから歯ブラシはもちろんシャンプーも石けんもないわ」


「それは手配済みだ」


「いっそうのことスーパーやコンビニを丸ごと盗めば?」


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「結構、イリって大胆なんだなあ」


「長い間、総統をしているからよ」


「いや、元々わがままなんだ」


「えー!わがまま教の教祖に言われたくないわ」


「俺が教祖?」


 加藤がノックもせずに入ってくる。


「時*空間移動船の二番艦の進水式……いえ……とにかく完成しました。どうします?」


「縁起を担ぐのは一番艦だけで……」


 ノロはここで言葉を切って加藤に目配せする。


「総統。どう致しましょう」


「もう総統はいいわ。飽きちゃった」


「待ってください。急にそんなことを言われても。それにここはノロの惑星です」


「そう言えばそうね」


「俺が総統になってもいいけど、選挙をしなければ」


「そんな邪魔くさいこと誰もしないわ」


「そうだな。とにかく地球に向かわせろ」


「分かりました」


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「今度はケーキが盗まれている」


地球連邦政府での会議の議題がケーキに変わった。チェンが苦笑しながら応ずる。


「それにチョコレート、ドーナツ、アンパンでしょ」


「歯ブラシも」


「月への共同作業の進捗状況は?」


「五〇パーセントを超えました」


「いや三〇パーセントだ」


チェンがやれやれという表情をして議論を戻す。


「おにぎりに始まってチョコレート、ドーナツ、アンパン、歯ブラシ……いずれも重要な食料品や道具ですね」


チェンが会議室を見渡すときつい視線を送る。


「そろそろ何を盗まれたのか、報告してください」


「歯磨き粉」


「コーヒー」


「バター。いやマーガリン」


ついにチェンが立ち上がる。


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「工作機械とか汎用ロボットとかは?」


「そんな物は厳重に管理されているから盗まれるはずがない」


 チェンが席に着く。


「部下を信用できますか」


「無礼な!我が国の秘密機器の管理は完璧だ」


「ということは秘密機器をお持ちなのですか?」


「いや、まあ、大げさなものではないが」


「私はノロとわずかな時間ですが、お付き合いしたことがあります。今回のおにぎりに次ぐケーキや歯ブラシはフェイントでしょう。あるいは彼独特のユーモアでしょう」


「宇宙に旅だったのに、なぜ地球に戻って盗みを重ねるのか。誰がそんな話を真に受けますか?!」


「我々は地球と月を往復するのに苦労していますが、グレーデッドの中国秘密基地上空での戦闘で一〇数機の戦闘機に一万機以上の中国空軍の戦闘機が撃墜されました」


 ここで中国の代表者が立ち上がるがチェンは無視して続ける。


「今考えればそれは地球と月を自由に往復できる宇宙戦闘機だった」

 

 チェンが目を閉じる。


「確かに」


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中国の代表者が頷く。


「巨大な軍艦が空中に浮いていた」


「トリプル・テンがすべてだ」


 チェンが目を開ける。


「いくらトリプル・テンを自由に使いこなすことができるとしても、宇宙に飛びだすなんて無謀だと思いませんか?」


「宇宙へ飛びだしたことにして、この地球のどこかに潜んでいるのか!」


「いや、月に留まって地球征服を狙っているのだ」


「ノロはそんな下司な人間ではありません」


 チェンが牽制する。


「しかし、グレーデッドは地球征服を狙っていたじゃないか」


 チェンは議論がまともな方向に進まないことに苛立ちを覚える。


「地球征服におにぎりやケーキは要らないでしょう。ノロやグレーデッドはすでに新しい地球型の惑星を手に入れたのかもしれません」


「大統領!それは妄想だ」


 ついにチェンがテーブルを叩いて立ち上がる。


「地球連邦政府の大統領として命令する。各国は一致団結して月探査に向かう。準備を急げ!」


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 ノロは時空間移動船が完成すると次々と地球に送りこんだ。


 これまで以上に盗み方が大胆になったので各国は盗まれたことを隠しきれなくなった。盗まれる物の量が一番多かったのは日本だ。それは品質がいいからだ。一度に大量の鉄材や大型のブルドーザーが盗まれることもあった。ドイツもかなりの損害を受けた。


 アフリカ諸国などの開発途上国は被害がほとんどなかった。ロシアや中国などの大国では工業製品の盗難はあまりなかったが希少金属が狙われた。食料品に関してはやはり日本の被害が大きかった。


 いずれにしても情報が少ないのと犯人がはっきりしないので混乱するばかりだった。想像で事件を説明すれば混乱はより大きくなると考えたチェンや連邦各国は積極的に情報公開しない。


「相手が見えないからどうしようもない」


 地球連邦政府の大統領執務室で鈴木とチェンが打開策を検討する。


「犯人は分かっているのだが、証拠がない」


「盗みは現行犯逮捕でなければならないからなあ」


「連絡は着かないのか」


 チェンが首を横に振って手元の特殊通信機を握る。


[20]

 


「ノロどころかグレーデッド総統のイリとも連絡は取れない」


「地球を離れてすぐに地球型の惑星を発見したのか。仮にそうだとしても地球との距離は想像を絶するぐらい遠いはずだ」


「一瞬にして移動可能な宇宙船を開発したのだろうか」


 ふたりは何回も疑問を口にするが、お互い応えることはない。


「まるでSF小説の世界だな」


「でも現実だ」


「すごい人間だな。ノロは」


 ここで鈴木が膝をポンと叩く。


「スミスに尋ねたか」


「もちろん」


「どうだった」


「例の笑い声をあげるだけで何も教えてくれない」


「そうか」


「ところで月探査作戦が遅々として進まない」


 チェンが視線を落とす。


「日本は最大限努力しているし、アメリカ、イギリス、フランスなどは協力的だが、ロシア、


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中国が積極的ではない」


「情けないことに大統領である私にはそのような情報が入ってこない」


「少し時間をください。これ以上引き伸ばすのなら、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、それに日本だけで月探査に向かうと揺さぶりを掛けてみる」

「……」

 右往左往しながらもなんとか地球連邦政府として月探査作戦が実行される。いざ地球を飛び立つと不思議なことに宇宙飛行士たちはすぐ打ち解ける。アメリカ人の宇宙飛行士もロシアの宇宙飛行士もまったくわだかまりなく会話を楽しむ。


「月探査作戦が実行に移されてよかったな」


「そのとおり。宇宙飛行士は宇宙を飛んでなんぼの商売だもんな」


「訓練は厳しいが宇宙へ飛びだす意欲は誰にも負けんぞ」


「ノロが宇宙に飛びだしたと聞いたとき、一緒に行きたかった」


「ノロは日本人だと聞くが……」


 アメリカ人の宇宙飛行士が日本人の宇宙飛行士に尋ねる。


「それがよくわからない。まず名前が日本人的ではない」


「だが、足が短くてメガネを掛けている……いや失礼なことを言ってしまった」


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 アメリカの宇宙飛行士が頭を下げるとイギリスの宇宙飛行士が発言する。


「おまえもメガネを掛けているし、アメリカ人にしては足が短いじゃないか」


「いやー参ったな。俺は日本人が好きだ」


「そういえば宇宙飛行士は足が短くて小柄な人間が多いな」


「様々な事情があってそういう者が人選されているらしい」


「本当か?」


「宇宙船に負荷を掛けないような体型の人間が宇宙飛行士としては理想なんだ」


「なるほど。そうだったのか」


 ここで全員が大笑いする。


「ところでグレーデッドの総統イリは中国人なんだろ」


 笑うと言うより微笑んでいた中国人の宇宙飛行士が応える。


「国籍は中国だが、漢民族ではない。先祖は騎馬民族だったが、今は海洋民族に変身したらしい」


「ノロの姉だといううわさがあるが……」


「というと、ノロは中国人?」


「我々は世間に疎いからよく分からない」


 このように宇宙飛行士同士は自国の大統領や首相たちと違ってすぐ仲良くなるし助け合おう


[23]

 


とする。


「先は長い。それぞれの持ち場で全力を尽くそう」


 ドイツ人の宇宙船長が水が入ったチューブを持ち上げると中国人の宇宙飛行士が声をあげる。


「乾杯!」


 お互いチューブをくっつけると飲み干す。

 月に着陸すると二人の宇宙飛行士が船外に出る。


「聞こえるか」


「よく聞こえる」


「入口を探せ」


 前方に巨大な建物が見える。


「かなり大きいな」


「ここへ来るのがやっとなのに、よくもこんなものを月に造ったものだ」


「イテッ」


 相棒が何かにぶつかる。重力が弱いので倒れることはないが数歩後退する。


「どうした!」


[24]

 


「何か壁がある」


 宇宙船から連絡が入る。


「光の加減でよく見えないが、透明ガラスのドームのようだ」

 

「ドーム?」


 もうひとりの宇宙飛行士が地面を蹴ると舞い上がった砂を両手で前方にあおる。砂は何かに遮られてゆっくりと地面に落ちる。


「強化ガラスか」


 軽く叩くが当然音はしない。


「ここがドームの端だとすれば、かなり巨大だ」


「どこに入口があるんだ?」


「グルッとひと回りするしかないな」


「重力が地球の六分の一程度だから、時間がかかるな」


 ふたりは片手をドームに当ててウサギのように跳躍しながら慎重に前進する。


「船長、ヒントはないのか」


「今、飛行カメラを飛ばした」


「いい報告を待っている」

 

[25]

 


「あれは?」


 前方に赤く輝く何かが浮かんでいる。


「赤い小さな浮遊物体を発見」


 早速宇宙船に連絡を取る。しばらくすると上空から飛行カメラが近づいてくる。ふたりがたどり着くとドームの表面に何かを見つける。


「箱のような感じがする。でも宙に浮いているように見える」


 しかし、その周りには配線らしいものはない。


「電池が内蔵されているのか?」


 半ば本能的に手が伸びる。ボタンらしきものを押すと半透明のテンキーボードが現れる。


「パスワードを入力しろと言うことか」


「船長、どうする?」


「うーん。どうしたものか。地球連邦政府に尋ねてみる」


「急いでくれ。酸素の残量が半分を切った」


「分かっている。動かずに節約してくれ」


「了解」

「888と入力しろ」


[26]

 


「了解」


 入力したとたん、もたれていた宇宙飛行士がドーム内にゆっくりと倒れる。


「開いた!開いたぞ」


 船長から通信が入る。


「中に入れ。ただしひとりだけ」


「了解」


 倒れこんだ方の宇宙飛行士がそのまま中心部に向かって跳躍しながら進む。


「聞こえるか?」


 その宇宙飛行士が船長からの通信に応える。


「明瞭に聞こえる。ガラスなら通信は可能なはずだ」


「不測事態の可能性を排除できない。なんでもいいから話しながら前進しろ」


「何でもいいと言われても……そうだ!」


 その宇宙飛行士が歌いだす。


「ウサギ追いしかの山~小鮒釣りしかの川~夢は今も巡りて~忘れがたき故郷……」


 その宇宙飛行士は日本人だった。しかし音痴だった。


「もういい」


 そのあともうひとりの宇宙飛行士もドームの中に入る。


[27]

 

「またあの赤いボタンが付いた箱が見える」


「ドームは二重になっているのかもしれない」


 ボタンに近づくとその周りをなぞる。


「船長の言うとおりだ!」


 ボタンを押すとやはりテンキーボードが現れる。


「888でいいか」


「入力してくれ」


「あっ!ダメです」


「それなら808はどうだ」


「開いた!」


「進め!」


「了解!」


 しばらくしてから船長から通信が入る。


「聞こえるか」


「鮮明に聞こえます」


「よかった。環境測定器は正常に作動しているか?」


[28]

 


 緊張でまったく確認しすることがなかった環境測定器を確認する。


「わあ!酸素が!酸素がたっぷりある」


 酸素供給パイプを口から外して恐る恐る息をする。


「確かに酸素がある」


 もうひとりの宇宙飛行士もパイプを外すと跳躍する。


「歩ける!地球ほどじゃないが今までより楽に歩けるぞ!」


「重力調整されているんだ」


「何という設備だ!」


「あの建物を目指して前進しよう」

「鍵は掛かっていない」


 大きな扉を開けると中は閑散とした工場だ。ほとんどの装置や機材は運び去られていたが、かつてはここで何かが製造されていたことを宇宙飛行士は確信する。


「大きな工場だな」


「あれは?」


 奥の方に篭らしき物が見える。ふたりが引きつけられるようにその篭に近づく。


「ウサギだ」


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「月にウサギがいると聞いたが、本当だったんだ!」


 白い封筒が篭の上に置かれている。日本人の宇宙飛行士が中の便せんを取り出す。


「月にようこそ。イリ」


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