16 戦闘準備


 今やグレーデッドは地球にとって救世主なのだが、人間の欲望は加速する。地球が大変なことになっても、グレーデッドが何とかしてくれるという奇妙な雰囲気が蔓延する。


 それどころかグレーデッドがかなりの量のトリプル・テンを確保していることが分かったので、各国や有力企業や得体の知れない組織がトリプル・テンを何とか手に入れようと動きだす。


 月のグレーデッドの秘密基地に気付く者はまだいないが、中国の沿岸にあった秘密工場は中国政府が力尽くで占領した。もちろん重要な設備はすでに撤収されて中国の首脳が期待していた物は何も残っていなかった。


 チェンが祖国の非礼を詫びるが同じく中国を祖国とするグレーデッドの総統イリは意に介しなかった。イリから見れば中国は単なるわがままな大きな子供だった。それより資源を持たないかつての先進国の一部やますます発展から取り残され、なんとか自立しようと努力する国々の支援に軸足を移す。イリは誠実と節約を基本路線とした。


 しかし、ノロはそんなイリの気持ちを気にすることなく、様々な物を製造する。


「ノロ!これは何なの?!」


「戦闘機だ」

 

[173]

 

 

 「見れば分かるわ。その向こうの大型の鯨のような格好をした船のことを言ってるのよ」


「よく気が付いたな」


「何を言ってるの!あんなに大きければ誰でも気が付くわ」


「あっ、そうか」


「何なの、あれは?」


「うーん。何と言ったらいいのか。そうだ!サブマリン八八八の親分だ」


「親分?」


「潜水空母だ」


 加藤が口を挟む。


「グレーデッドのかつての旗艦は潜水空母だった。それを遙かに上回る究極の……」


 イリが遮る。


「と言うことは目の前の戦闘機を搭載するのね」


「いずれは」


 イリがノロに近づくと真上からツバを飛ばしながら激怒する。


「武器や兵器の製造は許しません!」


「そんなこと百も承知だ」


 ノロがツバの雨をものともせずに応戦する。

 

[174]

 

 

 「いずれトリプル・テンを奪いに来るヤツが現れる。地球連邦政府が樹立されたが前途は多難だ」


「サブマリン八八八で十分対応できるわ」


 意外にもノロは頷くだけで反論しない。


「だったら……」


「イリ」


 イリは真剣な眼差しのノロに一歩引く。


「あの惑星のこと、覚えているか?」


「時空間移動装置で見つけた星のこと?」


「ラッキーだった」


「あとで分かったけれど、一回だけのテスト時空間移動で生命がいる惑星を見つけたなんて宝くじに当たる確率の一〇〇億分の一もないと聞かされて目眩がしたわ」


「それは目眩じゃない。気絶だ。場合によってはショック死にいたる」


 イリは圧倒されて黙る。こういう話になるとイリはノロを単なる男というより神様のように思ってしまう。若いときに陥るアイドル信仰とは次元が違う。それでいてあんパンを食べ過ぎて目を白黒させながら「水、水!」と叫ぶノロにイリは心の底から揺さぶられる。血が繋がっていないが弟のようなノロにイリはすべてを捧げる覚悟を持っている。

 

[175]

 

 

 しかし、しかしだ。ノロはそんなイリの気持ちを無視しないが、気にかけることはあまりない。近眼だから仕方ないとしてもまっすぐ前進する。決して後ろを振り向かない。かといって物事の本質からずれることはない。いや命の本質からずれた発想はしない。


「あの惑星に行かなければならない。そのためには時空間移動宇宙船を建造しなければならないのだ!」


 ノロが手足をバタバタさせて興奮する。


「時空間移動装置の最低一〇パーセントぐらいの移動能力が必要だ。それに宇宙にどんな生命体がいるかも分からん。輸送能力はもちろんだが攻撃能力も必要だ。艦載機も必要……」


「これがその戦闘機なの?とても宇宙を飛行するような形じゃないわ」

 

 まるで昔の戦争で活躍した戦闘機のように見える。もちろんプロペラは付いていないが。


「外形で判断してもらっては困る」


「あっ!浮いている」


「ふふふ。エアカーの技術を転用したのだ」


 ノロが戦闘機の機首に回る。


「流線型じゃないわ。本当に宇宙を飛行できるの?」


「宇宙は真空だ。空気の抵抗はない」


「じゃあ、空中は?」

 

[176]

 

 

 「空中での速度はマッハ一〇だ。ミサイルより早い」


 イリが機首の大きな穴を覗き込む。


「それは四十インチレーザー砲だ」


「昔、戦艦に積み込まれた大砲は四〇センチぐらいだったから、その2・5倍の口径です」


 加藤が説明する。


「戦艦より大きな大砲を積んでいるの?」


「そうだ。滅多に使うことはないと思うが、宇宙空間ではどんな敵に出会うかもしれない」


 ノロが機首の上の小さなふたつの穴を指差す。


「二十ミリレーザー機関砲。拡散発砲すれば空母ですら一瞬で蒸発してしまう」


「ちょっと待って。いくら未知の生命体と戦うことに備えるとしても強力すぎるんじゃ?」


「まだすべての原発を廃炉にしていないし、建築に着手して放棄した原発もある。核兵器を隠し持っている国もある。今までのようにトリプル・テンを使って廃炉すれば地球が痛むことになる。場合によってはこの戦闘機を使って廃炉原発を消滅させる。そのことも考えて製造したのだ」


 ついにイリは質問を諦める。


「あなたの脳をかち割って中身を覗いてみたいわ」


「それは止めてくれ」

 

[177]

 

 

 「冗談よ」


 確かにこの一年も経たない間にノロは独創的な発想をフル回転させて数々の物を造った。エアカーですらサプライズなのに、時空間移動装置、戦闘機、そして宇宙戦艦にはイリはもちろんグレーデッドの幹部もただ驚くばかりだった。


 イリも本当に製造できるとは、いや、短期間に製造してしまうとは、よもや思ってもいなかった。だから総統として何の制限もしなかった。しかし、グレーデッドにはノロのアイディアを現実化する能力があった。

 地球連邦政府は世界秩序を維持しようとしたが、経済発展を優先する各国のわがままを抑えることはできなかった。


 その最大の原因はグレーデッドの持つ科学力だった。もちろんグレーデッドは宇宙戦艦や宇宙戦闘機や時空間移動装置を公表することはない。


 それでも宇宙ステーションを建設して電力を確保したり、核兵器を処分したり、原発の原子炉を廃炉したり、膨大なゴミの処理をしたりと驚くべき業績を残した。


 いったん地球連邦政府を通じてグレーデッドにひれ伏した大国の不穏な動向に対してイリは敏感に反応する。特に祖国中国の情報は超大国で民族間に軋轢があるだけに漏れやすいのでくイリにとっては手に入れやすかった。

 

[178]

 

 

 「ノロの言うとおりだわ」


「何も俺はそのために軍備しているのではない。目の前の欲望を抑えて地球連邦政府を中心にこの地球を守ろうとする国々を応援すること、そして大国の不穏な動きを牽制するためだという大義を掲げるが、俺は第二の地球を建設するために宇宙に出るのだ」


「でもあれだけの宇宙戦艦や戦闘機があれば大国を押さえることは十分可能だわ」


「グレーデッドに世界の警察役をさせるというのか」


 ノロが強い反発にイリが気後れする。


「人間は欲が深い。必ず独裁的な野望を持った者が出現する。グレーデッドだってそうだったじゃないか」


「そうだったわ。平和を目指した集団がいつの間にか独裁的な総統に率いられて地球を征服しようとしたわね」


「高い理想を持った組織ですら独裁者が暴走する。それに愛や悟りを説く宗教はどうだ?役目を果たしていないだろ」


「人間は本質的に残酷なのかしら」


「人間だからじゃない。動物だってすべてがそうじゃないか。生きるためにはやむを得ない。植物だって目立たないが壮烈な生存競争をしている」


「そうか。逆に理性を持った人間は平和に暮らそうとすればできる可能性があるのね」

 

[179]

 

 

 「そこなんだ。俺は平和な地球を造りたい」


「分かったわ」

「総統が製造許可を出した戦闘機、開発コードネーム『ゼロ』とはまったく違うな」


 完成した戦闘機を見て加藤が感想を漏らす。


「宇宙戦闘機だ。当然だろ」


「名前は?」


 イリが改めてガンメタル色の戦闘機を見上げる。


「よくぞ尋ねてくれた!『ハヤブサ』だ!」


「宇宙を超高速で突き進むのに、羽ばたく鳥の名前なんておかしいわ」


「いやー。そのー、あのー。でも『ゼロ』より勇ましい名前だろ……」


「『ファイアーバード(火の鳥)』とか『コスモファイター』とかにすればよかったのに」


 ノロがうなだれると加藤が助け船を出す。


「いい名前だ」


「そうだろ」


 すぐノロの機嫌が直る。


「加藤をハヤブサ戦闘機隊の隊長に任命する」

 

[180]

 

 

 「私が?」


「そうだ」


「飛行機どころか宇宙戦闘機なんて操縦できるんだろうか」


「大丈夫だ。俺が特訓する」


「えー!ノロは飛行機を操縦したことがあるの?」


「長老に教えてもらった」


「彗星の操縦を長老がしたことは知っているけれど、長老は年寄りよ。それに彗星も旧式の戦闘機よ」


 そのとき大きな咳払いがする。


「総統。私をお呼びか?」


「長老!いつここへ」


 イリは小姑のような長老が苦手だった。


「ノロ殿に操縦を教えるためにグレーデッドに滞在しておる」


「もうイリ村に帰ったら」


「村のことは村長に任せている」


「でもさっきも言ったように旧式の戦闘機の操縦技術が最新鋭の宇宙戦闘機の操縦に役立つの?」

 

[181]

 

 

 「多いに役に立つ」


「?」


「どのパイロットもカトンボみたいな軽飛行機から訓練を始める。今は旧式の戦闘機での訓練は行われていないが、彗星の操縦技術を身につければどんな戦闘機だって操縦できるんだ」


「ノロ殿の言うとおりじゃ」


 長老が胸を張る。


「ふー。仕方ないわね。任せるほかないわ」


 イリはそう言い残して製造工場から出ていく。


「それでは長老の指示するとおりに操縦訓練を行う。俺も忙しい。長老、あとはよろしく」


 ノロも出ていく。


「安心して任せてください。立派な戦闘機乗りを育てます」


 長老がノロの背中から視線を加藤に向ける。突然の長老の視線に加藤が狼狽える。

 

[182]