08 秘密基地(パートⅡ)


 エネルギー問題は完全に消滅した。まさしく地球そのものがオール電化になった。原子力発電所は停止してマイクロウエーブを受ける基地、すなわち極超短波受信基地の建設が加速的に推進された。


 初めは従来の送電網が役に立ったが、受信基地の数が増えると送電ロスが多い送電線は徐々に利用されなくなった。それまで電力会社も政府も公表していなかったが、送電ロスがいかに大きく、またそれによって発生する熱量が地域の気候に大きな影響力を持っていたことが明らかになった。つまり、それまでのエネルギー政策がいい加減だったことが露呈したが、これに関わった電力会社の社長や政府高官、それに大統領や首相が責任を取ることはなかった。


 いずれにしてもこの便利で枯渇することがない電力をすべての人々が利用できるようになった。かなり先になるが、たとえば個人住宅が直接マイクロウエーブを利用する生活は当たり前になるだろう。


「節電、節電」と喧伝された時代は過去のものとなり、空気や水と同じように電力を使用できる時代が訪れた。空気と水と違って電気は汚染されない。しかも電力を使って空気や水を浄化することができた。

 

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  さらにメキシコ湾に吸い込まれた海水も大陸内部の巨大な砂漠を湖化して、そこから溢れ出した海水は大河となって海に戻ることによって浄化された。

 ノロとイリはグレーデッドの地下秘密工場からさらにその下にある総統府に向かって階段を降りる。


「ひょっとして死にかけていた地球がリフレッシュしたのかも」


 イリが明るくノロを見つめる。


「元々、地球は太陽の恵みで生命が誕生して成長して進化した。その数々の生命体が自らの死をもって長い年月をかけて蓄積したエネルギー資源を、生物の歴史上最後に現れた新参者の人類がエゴをむきだして食いつぶした」


 ノロが顔を歪ませる。


「そんなに苦々しく言わなくても分かるわ」


 長い階段が切れて平坦な廊下に出る。


「ノロの発想で再び太陽の恵みをフルに活用して地球に活気が戻ったわ」


 ノロは黙ってまっすぐ前方を観察する。


「長い廊下だな」


「そうね」

 

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  イリがノロの手を取ると寄りそって歩く。


「ちょっと教えて欲しいことがあるの」


 ノロは無言でイリの手を握り返す。


「なぜ月にマイクロウエーブ基地を造らずに宇宙ステーションにしたの」


「建設資材を月まで運ぶにはサブマリン八八八でも結構時間がかかる。それにもっと決定的な理由がある」


「どんな?」


「あっ!行き止まりみたいだ」


 視力の弱いノロには長い廊下が行き止まりに見えるのだ。


「右に曲がるようだわ」


「それにしても殺風景な廊下だな。標識も案内も何もない」


 イリがノロの手を強く握る。


「ノロ!」


「どうした?」


「気が付かない?」


「何を?」


「この廊下、明るいけれど、照明がないわ」

 

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  イリの言うとおりだ。廊下全体が明るくて天井どころか壁にも、もちろん床にも照明はない。


「それに足音もしない」


 急にイリがノロの頭に抱きつく。イリはノロの身体に抱きついたつもりだったが身長の差が影響した。ノロはもがいてイリから離れる。その目の前に壁と右に続く廊下が見える。


「曲がれということか」


 再び長い廊下が現れる。


「本当にこの先に総統府があるの?」


「加藤の招待だ。間違いないだろう」


 ノロはまったく気にしない。そして急に飛びあがる。


「床がフワッとしている」


 それを見たイリが壁を押す。


「少しへこむわ」


「要はここで転んだり壁にぶつかっても怪我をしないということだ」


「なぜ、そんな廊下が必要なの」


「イリの言うとおりだ」


 ノロがトコトコと足早に歩きだす。慌ててイリが追いかけるとすぐ追いつく。


「この廊下も長いな」

 

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 「やっぱり突きあたりで右に曲がるようだわ」


「ひょっとしてその次も右だったりして」


「それじゃ元に戻るわ」


「おもしろい廊下だな」


「おもしろくないわ」


 イリが不愉快な表情でノロを睨む。


「俺って、こういうの大好きなんだ」


「悪い趣味ね」


 ノロはそのまま歩きだす。


「何か、しゃべって」


「リクエストは?」


「そうそう。なぜ、月にマイクロウエーブの基地を造らずに宇宙ステーションにしたのか。教えて」


「それは単純な理由さ」


 イリはノロを覗き込むことなくまっすぐ前を向いて声を出す。


「教えて」


「宇宙ステーションなら、数十造れば地球上のどこにでも二十四時間、マイクロウエーブを送

 

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 れるからだ。でも月だとそうはいかない」


「どうして?」


「イリは医者の卵だから、天文学は苦手なんだな」


 イリは特に不満な表情もしないで素直に尋ねる。


「どういう意味?」


「月には規則正しい満ち欠けがある」


「ええ」


「しかも同じ顔を地球に向けている。ところが地球は自転している」


 イリが頷くとその頷きを声にする。


「あっ!そうか」


「そうだ」


「意地悪!説明させて」


「うん」


「月にマイクロウエーブ基地を造っても、月が見えるところはマイクロウエーブを受けることができるけれど、反対側はできないわね。宇宙ステーションは数十基もあるから、地球全体にマイクロウエーブを送ることができる」


「でも、夜側の宇宙ステーションは太陽エネルギーを受けることはできない」

 

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 「うーん。やっぱり分からないわ」


「太陽エネルギーはたらふくあるから、それに夜は余り電力を使わないから、夕方のポジションにいる宇宙ステーションから夜のポジションにいる宇宙ステーションにマイクロウエーブを送信してやるんだ」


「なるほどね。さすがノロだわ」


「それだけじゃない」


「?」


「月は宇宙ステーションに比べて遙かにでかい」


「?」


「隕石の衝突の確率は宇宙ステーションの方が小さい」


「そうなんだ!それに宇宙ステーションは分散しているわ。つまりリスク分散ね」


「正解!」


「ノロはそこまで考えてるんだ。すごい!」


 イリがノロを持ち上げる。


「苦しい。降ろしてくれ」


 ノロを降ろすとイリの攻撃はキスに変わる。その直前にノロが叫ぶ。


「行き止まりだ」

 

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  ふたりはまたもや右に曲がる。

「この次も右よ」


 イリが遠くを見つめる。


「もしそうだとすれば……」


「元に戻るということね」


「そうではないような気がする」


「でも直角に三回曲がれば、元に戻るわ」


 ノロがポケットからビー玉を取り出すと床に落とす。ビー玉はゆっくりと前方に転がり始める。


「思ったとおりだ」


「この廊下、少しだけど下っているのね」


「うん」


「ローラースケートを履いて来ればよかった」


 イリの願いが聞き届けられたのか、壁に筋が入ると線が走る。その線が一メートルほどになると両端が上に向かう。そして一メートルほど延びたところで止まる。そしてノロとイリの方に一メートル四方の壁の一部がせり出すとその上にスケートボードがふたつ置いてある。

 

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 「これを使えということか」


 ノロがスケートボードを床に置くと片足を置いてもう一方の足で床を蹴る。


「待って!ノロ」


 イリも慌ててスケートボードを床に置く。すでにノロは次の壁の手前まで進んでいる。


「ノロ!」


 イリが叫ぶ前にノロは壁にぶつかって泡を吹いて転がる。イリは壁の手前でブレーキをかけて止まる。


「うーん……」


イリがノロを起こす。


「大丈夫?」


「……なんとか」


 壁が柔らかいのでノロは気絶せずに済んだ。もし壁がコンクリートだったら即死だったかもしれない。


「でも、凝っているわね。この廊下」


 ノロは立ち上がると叫ぶ。


「今度は失敗せずに曲がってやる!」


 再びスケートボードに足を載せるとズルズルと進む。イリがすぐさま追いかけるとノロを追

 

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 い越して次の角を器用に曲がる。


「うまい!」


 しかし、またもやノロは壁にぶち当たる。


「下手ね」


「なに!」


「じゃあねー」


 イリがノロを無視してどんどん進む。しかし、置いてきぼりにするのではなく曲がったところでノロを待つ。このようにしてノロはやがてスケートボードをうまく操るようになった。


 そして最後の壁が目の前に迫ったとき、ふたりにスケートボードが提供されたときと同じように壁に線が走ると今度は大きなドアとなってその扉が左右にスライドする。その向こうは目映いばかりの光に包まれた広い部屋だった。

「ようこそ」


 平服の加藤と軍服姿が似合わない数人の人間が丁重にノロとイリを出迎える。


「海の臭いがする」


 ノロの鼻の穴が大きく開く。明るさに慣れてきて周りの状況をはっきりと認識する。


「ここは!」

 

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 「グレーデッドの本部兼潜水艦基地です」


 巨大なプールに数十隻の潜水艦が係留されている。すぐに巨大な潜水艦に気付くとノロが呟く。


「サブマリン八〇八で戦った巨大潜水艦だ」


 その向こう側にはもっと大きな潜水艦もある。


「すごい!」


 ノロが叫ぶと加藤が静かに言葉を吐く。


「もう不要品です」


「解体するのか」


「いいえ。改造します」


「?」


「さあ、こちらへ」


「どこに行くんだ?」


 加藤は一礼するとノロの質問に応えずに歩きだす。周りの軍服姿の人間に促されてノロとイリは加藤のあとに続く。加藤が振り返るとさっきの一礼とは異なってにこやかに頭を少し下げる。


「この者たちはかつて私が原子力発電所に勤務していたころの部下です。このような服を着て

 

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 いますが、ご安心ください」


 全員がノロに敬礼する。珍しく加藤が笑い声を上げる。


「総統に洗脳されて立派な軍人になったようだ」


 ノロやイリも加藤の冗談に感染して笑うが、その加藤は再び背中を向けて歩きだす。そしてその背中がしゃべる。


「ノロの活躍で原子力発電所はすべて廃炉になりました」


 すぐさまノロは真顔に戻すとその背中に向かって反応する。


「でも核兵器は破棄されていない。地球連邦政府が誕生しても旧安全保障理事国はもちろんのこと核兵器を所有する国々は手放そうとはしない」


「それは我がグレーデッドがまだ核兵器を所持しているからです」


 ノロと加藤の背中の対話が続く。


「そうだろうか」


「そこでお願いしたいことがあるのです」


「潜水艦の改造のことか」


「核兵器と原子力潜水艦を含めた艦船の具体的な処分方法を、これらを所有する国々に提示したいのです」


 ふたりは加藤がここへ招待した理由の核心に近づいたことを確信する。前方のドアが開く。

 

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 「この中に我がグレーデッドの中枢本部があります」


 加藤は振り向くと深く頭を下げる。


「こちらへ」

「これは!」


 ノロは巨大な部屋の中心に立って見上げる。


「量子コンピュータ!」


「さすがノロですね」


 加藤が親しみを込めてノロを敬う。


「いつか俺も量子コンピュータを造ってみたかった。それがもうできているなんて」


「これがグレーデッドの実力です」


 しかし、加藤は胸を張るどころかうなだれる。


「グレーデッドは本来、闇の世界でこの地球を平和で戦争のない世界にするために有能な人々が国籍を超えて集まった秘密結社でした」


 加藤は歩きだすと量子コンピュータ室から出口に向かう。


「百年以上も頑張りましたが、戦争はなくなるどころか、数々の大戦争や局地的な紛争が続きました」

 

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 再び背中を向けた加藤にノロの頷きが伝わったのか、言葉を続ける。


「そのうち、グレーデッドの構成員の中からヒットラーのような人間が現れて、グレーデッドの理想を実現するに強力な兵器や武器を開発して、全人類にお灸を据える必要があるという啓蒙活動が起こりました」


「あの総統のことか」


 加藤が背中で頷く。


「抵抗する者が多いなか、現実の地球上で起こる戦争に平和的な解決策などないと押し切られ、グレーデッドは軍備を増強しました」


 ドアが開く。そこは立派な調度品に囲まれた豪華な部屋だ。


「総統室です」


 部屋中央の大テーブルに加藤はノロとイリを招くと、ふたりは立派な椅子に腰かける。そこからは肖像画のような十数枚の大きな写真が掲げられているのがいやでも目に飛びこんでくる。


「グレーデッドの歴代の最高責任者の写真です。右端が総統です。総統と自ら名乗った最高責任者は彼だけです」


 加藤がふたりの向かいに座るとたまらずノロが質問する。


「今の最高責任者は誰なんだ」

 

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 「一応、私です。もっとも臨時なので私の写真は飾るなと命令しています」


 ノロは総統のひとつ前の写真に注目する。若いが威厳のある表情をしている。


「イリ、あれは……」


 イリが頷くとノロが断定する。


「あれはスミスの若いころの写真だ」


 さらに強くイリが頷くと加藤が解説する。


「そうです。彼の最高責任者としての地位は短命でした。彼が権力闘争に巻きこまれなかったら総統は最高責任者にはなれなかったでしょう」


「スミスがグレーデッドに籍を置いていたなんて」


 イリが驚きを隠さずにじっと写真を見つめる。


「私が聞いたところによれば、スミスは抵抗を試みましたが、意外とあっさりとグレーデッドを去ったようです。そしてあのスミス財団を立ち上げたのです」


「そうだったのか」


 ノロは感傷に浸る手前で立ち止まると走りだす。


「さて、本論に入ろう」


「そうですね」


 ノロは確信するが、敢えて確認する。

 

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 「あなたはグレーデッドを完全に掌握しているのか」


「それは分かりません」


 加藤の謙虚な答が返ってくる。


「しかし、信頼されているようです。本論に入ってもいいですか」


――この男は大きい。事故を起こした原子力発電所の所長だっただけのことはある。しかもそのときの部下全員が加藤を支えている。


「なんなりと言ってくれ。俺は受けて立つぞ!」


 ノロは勢いよく立ち上がるが、足を床に着いていなかったので椅子からずり落ちる。加藤が思わずかがみこむ。


「大丈夫ですか!」


 ほぼ同時にテーブルの下にもぐりこんだイリが加藤に笑顔を向ける。


「心配いりません」


 イリがノロの手を取ると引っ張り上げる。


「格好つけるのもいいけれど、少し冷静になったら」


「俺はいつでも冷静だ!」


 仕方なくノロがイリの手を離す。ノロが立ち上がろうとすると今度は頭をテーブルにしたたか打ちつけて気絶する。

 

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 「今度は大丈夫じゃないみたい!」


「医者を呼べ!」

 頭を包帯でぐるぐる巻きにされたノロがおとなしく加藤の説明を聞く。


「私はグレーデッドの根本的な考え方には賛成でしたが、心の中では総統以下右派の行動には大反対でした。しかし、そんな私に気付くことなく、総統は私を重用しました。被曝していつ死んでもおかしくない私や部下を助けて生体放射能除染手術を施してくれた総統に、表向き従順さを装いましたが、いずれクーデターを起こさなければならないと感じるようになりました」


 加藤の表情が暗くなる。


「ところが、あのハワイ海戦で私はクーデターを起こさずに済んだ」


 ノロは視線で頷くだけで言葉を出さない。なぜなら口元を動かすと頭に激痛が走るからだ。


「ノロが総統を倒した。そしてごく自然に私が総統代行に就任しました」


 しゃべらないノロの代わりにイリが笑顔で応える。


「無血クーデターね」


「そうです。グレーデッドは生まれ変わりました。しかし、あれだけ全世界を恐怖に陥れたグレーデッドに信用力はありません。ノロの協力で宇宙ステーションを建設しましたが、信用回復にはほど遠いのが現実です」

 

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  ノロが強く頷いて顔をしかめると加藤が元部下に指示する。


「痛み止めは?」


 イリが首を横に振る。


「静かにしているのはいいことです。痛みを感じなくなると鉄砲玉のように質問して話が前に進みませんから」


 ノロがさみしそうにイリを見つめる。そんなノロを無視してイリが加藤を促す。戸惑うが加藤が話を続ける。


「すでに申し上げたように、核兵器と原子力潜水艦を含めた艦船の具体的な処分方法を、これらを所有する国々に提示したいのです」


 加藤はしゃべりながらも気の毒そうにメガネの奥の小さな瞳を見つめる。


「まず、グレーデッドが所有するすべての核ミサイルを地球連邦政府の監視下、太陽にそれが叶わないなら金星に廃棄したいのです。できればグレーデッドの原子力潜水艦もろとも金星に突入させたいのです」


 ノロの視線が激しく動く。


「それまでの情報でサブマリン八〇八が月まで航行したことは分かっていました。そして今回の宇宙ステーションの建設。すべての資材をサブマリン八〇八が宇宙空間まで運んで建設まで行ったことは誰でもしています。そしてトリプル・テンが深く関わっていることも」

 

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  ノロは指を一本立てる。


「痛み止めを手配しろ」


 加藤が命令するがイリが制する。


「痛み止めなら持っています」


 いつの間にかイリが小さな包みを手にしている。


「強力な痛み止めです。でも副作用はありません。敢えて言うなら、しゃべりだしたら止まらないという副作用がありますが」


 ノロがイリを見つめて口を開ける。その口にイリは包みを剥がして黄土色の四角いものを放りこむ。


「変わった形の薬ですね」


 その質問に応えることなくイリが真剣にノロに助言する。


「呑みこまないで舐めるのよ」


 ノロはうれしそうに口の中でロレロレする。加藤以下軍服を着た元部下が心配そうにノロを見つめる。途中で誤って呑みこんだらしくメガネ奥のノロの小さな目が点滅している。


「大丈夫ですか」


 加藤が水が入ったコップを持ち上げてノロとイリを交互に見つめる。イリがポンとノロの背中を叩くと加藤の差しだしたコップを受け取ってノロに飲ませる。ノロは大きなゲップをして

 

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 から大きな口を横に広げる。


「俺、加藤に全面的に協力する!」


「あ、ありがとうございます」


「任せてくれ」


「よかったわね」


 イリが余分に持っていた痛み止めの紙を剥がして口に含む。


「美味しいわ」


 ノロも含め加藤以下全員がイリをじっと見つめる。イリは口をもぐもぐしながら爆笑する。


「キャラメルよ。あま~い、あま~い、痛み止め。美味しいわ」


「えー!!」


「皆さんも、どう?」


 イリは手にしていた赤い袋を逆さまにするとキャラメルをテーブルに撒き散らす。

 

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