国連でノロの講演時間が迫ってきたが、肝心のノロが現れない。そのときスマホを置いて鈴木がマイクを持って立ち上がると頭を下げる。
「誠に申し訳ありません!」
ざわめきが静粛に変わる。
「今、ノロから連絡がありました。講演をキャンセルすると」
静寂が強烈なざわめきに変わる。
「理由は……理由は、月で保養中だというのが……理由です」
アメリカの国連大使が挙手もせずに大声を上げる。
「無礼にもほどがある!」
他の国の大使も同調する。
「最初からおかしな話だと思っていたが、得体の知れない男に一杯食わされた」
「鈴木実務総長はノロと会ったことはあるのか!」
「ノロの国籍は?」
ここで演題に進み出た事務総長がマイクに向かうと頭を下げる。
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「鈴木。ノロを国連に招待するまでの経緯を説明しなさい」
「分かりました」
事務総長は議場を見渡すと一言だけ付け加える。
「静粛にお願いします」
やっと騒ぎが収まってざわめきも小さくなる。
「皆さん」
鈴木が事務総長の横で一歩踏み出す。
「メキシコ湾の底割れから始まった海面降下に至った事件を思い出してください」
鈴木は自分の呼吸を整えるために間を置く。
「様々な情報が錯綜しましたが、まず、あの事件の真相を公表します」
議場は水を打ったように静まりかえる。事務総長は議場が落ち着きを取り戻したことを確認すると自分の席に戻る。
「メキシコ湾は太古の時代、隕石の衝突によって形成されたすり鉢状の海域です。その中心の一番深いところに隕石が沈んでいました」
各国の大使は大きく頷くと鈴木を促す。
「メキシコ湾の底で栓の役目をしていた隕石、実は隕石ではなくトリプル・テンという物質でしたが、それを手に入れようとノロはサブマリン八〇八という超旧式の潜水艦を使ってメキシ
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コ湾の底に潜りました」
鈴木に余裕が出てくる。
「どのような方法でそのトリプル・テンを手に入れたのか分かりませんが、その結果メキシコ湾の底に穴が開いて大量の海水が吸い込まれました」
ここでアメリカの国連大使が行儀よく挙手する。しかし、許可を得ずに発言する。
「我が空軍、いや海軍だったか、戦闘機が空に浮かぶ潜水艦を発見して攻撃した」
「存じております」
そのとき、鈴木の後ろの事務総長に事務方が近づいて耳打ちする。そして強く頷くと立ち上がる。
「鈴木実務総長。いいかな」
鈴木が事務総長に演台を譲る。
「今、アメリカのある重要人物がノロに替わって講演をしたいとこの国連に来られました」
いい意味でのざわめきが広がる。
「その人はスミス財団のスミスさんです」
議場のドアが開くと恰幅のいいスミスが現れる。そして演台に上げると事務総長に握手を求める。事務総長はにこやかに握手すると大柄なスミスを抱きしめる。そしてスミスは鈴木にも握手を求める。鈴木が手を出すと握手もほどほどに鈴木を抱きしめる。そして少し離れたチェ
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ンには握手することなく抱きしめる。
「ほっほっほ」
独特の笑い声を上げるとスミスが演台に立つ。
「武器商人と揶揄された私にとってこの場所は不似合いだが……」
圧倒的な威圧感を持ってスミスが議場を見渡す。
「……この場を借りて誤解を解消したい。いや、言い訳かな?」
そう言いながら再びスミスは独特な笑い声を上げる。
「ここにいる皆さんの国に私は拳銃の一丁といえども輸出したこともない。私の趣味が古い武器や兵器の収集なのでよく誤解される。その集めた武器や兵器はいつでも使えるようにメンテナンスしているが、そんな武器や兵器で世界を征服できるはずがないのに、私を悪く見る人々が多い。まあ、私に頼めば最新の武器や兵器を調達できると勝手に誤解する各国の軍隊の要人が多いのも事実だ」
ここでスミスは振り返って鈴木を見つめる。
「あなたには色々とお世話になった。おっと皆さん!誤解しないで欲しい」
鈴木がどう返事していいのか、取り乱す。
「サブマリン八〇八という骨董品のことで鈴木さんにお世話になったのだ。もちろんそれはトリプル・テンに繋がることだが」
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議場全体が割れんばかりの拍手に変わる。サブマリン八〇八、トリプル・テン、メキシコ湾事件、大砂漠の湖化、海面低下、グレーデッド、そしてノロ。
「皆さんは実務総長の鈴木とチェンに助けられたのです。国連がグレーデッドに占拠されたこと、お忘れですか」
アメリカの大使が礼儀正しく手を上げて発言を求めると指名される。
「壮烈な戦いがニューヨークはもちろん五大湖でも繰り広げられました。ふたりがいなければどうなったことやら、想像できません」
スミスが大きく頷く。
「それまでのふたりの功績を無視して、何かと文句を言うのは少し失礼かと思います」
鈴木とチェンが同時に手を上げる。譲り合うがチェンが鈴木の肩を叩く。
「恐らく、チェンが言いたいことと私が言いたいことは同じだと思います。それは『過去の功績は過去の話』。過去の功績で今の失敗や不手際は許されるものではありません」
スミスが「分かった、分かった」というような笑顔と身振りを交えて「ほっほっほ」と笑う。
「本当に気持ちのいい方々だ」
鈴木が言葉を続けようとするがスミスが両手を高々と上げて制する。
「各国の大使の方々。今の鈴木実務総長の言葉を本国に伝えてください。特に政権の座に長く
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お座りになっている首長がおられる国の大使の方は」
議場が静まる。
「過去の功績を持って座に居座ろうとするのなら、その椅子は徐々に腐ってきます」
スミスはここで言葉を切ると目の前のペットボトルを持ち上げて栓をひねる。
「さて、ふたりの実務総長は最近チョンボが多いと聞く」
水を一気に飲むと「ふー」と息を吐く。
「うまい!」
誰もがスミスの一挙一動に注目する。
「しかし、それはチョンボではありません。簡潔に言えば各国がふたりに協力せずに自国の利益ばかりを主張するからです」
そのとき事務総長が立ち上がるとスミスの横に立つ。
「申し訳ありません。本来私が言うべきセリフを言っていただいてありがとうございます」
「あなたには立場がある。本音が言えないときもある。私にはしがらみがない。自由に発言できる」
ここでスミスは例の笑い声ではなく腹を抱えて大声で笑いだす。事務総長はもちろん鈴木もチェンも、各国大使も、呆気に取られてスミスを見つめる。
「ノロは始めからここに来る予定はなかった」
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「えーっ!」
議場に大きな驚きのざわめきが起こる。
「ノロは人見知りで口下手な男だ。こんなところで大演説なんかできない」
今度は例の笑い声を出す。
「このふたり……」
スミスが振り返ると鈴木とチェンを見つめる。
「地球を大事にしようとするこのふたり。いつでも首にすればいい」
ざわめきが完全に消える。
「そのときは、スミス財団の会長と副会長としてお招きするつもりです」
スミスはペットボトルを手にしてそのまま議場の出口に向かう。その途中感動した大使が握手を求めるが、スミスはペットボトルを高々と上げてもう一方の手を振る。
「待ってください!」
何とか鈴木が声を上げるが、議場からスミスの姿が消える。そのあと複雑なざわめきが議場を支配する。
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