「私はいったん死んだ」
加藤がイリ村の公民館で榊、イリ、ノロ、長老そしてイリの村民の歓迎会の席で通り一遍の挨拶とタクラマカン湖に来た経緯を説明したあと、福島原発の話をする。
「あの福島原子発電所の所長として陣頭指揮を取っているうちに私の部下は取り返しのつかないほど被曝しました」
加藤はいったん口を閉じると涙を流す。ノロが立ち上がって加藤の肩、もちろん加藤は座っている。だからノロは加藤の肩に手を置いた。
「ここだから言えることがあるはず。貴重な体験を披露してくれないか」
乱雑な言葉使いをするノロにしては丁寧な言葉だった。
「そうだ。感傷に浸っている場合じゃない」
加藤が立ち上がると肩に手を置いていたノロが倒れる。だが誰もそんなノロに気付くことなく加藤の次の言葉を待つ。
「髪の毛は抜け、立つこともできなくなったが、気力で指示を出し続けた。そのうち自分の言葉がエコーのように自分の脳裏に響くようになった。そしてそのエコーも聞こえなくなった」
[25]
声を上げるどころか息をする音も消えた静寂のなかで目を閉じた加藤が続ける。
「ところが私を呼ぶ新鮮な声が聞こえてきた」
*
「ここは?」
「グレーデッドの救助船内の手術室です」
「グレーデッド?」
加藤が上半身を起こそうとする。
「そのまま。動かないで」
若い女性の声がする。
「心配いりません」
「私は福島原子力発電所に閉じこもっていたからグレーデッドのことは存じあげないが、少なくとも原子力発電所に反対する組織であることぐらいは知っている」
ここで加藤が咳きこむ。しかし、周りの制止を無視して言葉を続ける。
「部下は?私と行動を共にした部下は?」
「所長!村内です」
「村内!無事だったか!」
「所長!安心してください。全員とは言えませんが、ほとんどの所員がここで治療を受けてい
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ます。幸い私が一番に治療を受けました。とにかく体力をつけてください。ここは安全でしかも安心できる場所です」
「そうか……それはよかった」
「そうです。だから治療に専念してください。これは元部下、いえ、今も所長の部下でその全員の願いでもあります」
加藤は目を閉じるとそのまま心地よい眠りにつく。
*
治療を終えた加藤のベッドに集まった元所員に頭を下げながら口を開く。
「騙されまいと疑いを抱き続けたが、私の薄っぺらい経験や教養ではそれまでの関東電力の重役連中より、グレーデッドの主張と実践力の方が説得力があった」
加藤はいったん目を閉じるが、次に開いた瞳はランランと輝いていた。
「何よりも彼らは命を大事にした。被爆した人に何のためらいもなく、理屈を付けることもなく、すぐ手を差し延べた」
加藤が急に涙ぐむ。
「それに引き替え、福島原子力発電所の最高責任者であった私がしたことは後退を余儀なくされた敗将の行動そのものだった」
思わず村内が否定する。
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「所長のお陰で我々は助かった」
「すまん」
加藤がうなだれる。
「私が守らなければならない人々は原発付近の住民だ。そしてその住民を守る現場にいる我が部下だ。これはどのような事態が起こっても死守しなければならない義務だ」
加藤を囲む治療を終えた元部下たちも涙ぐむ。
「私は妻や子供に自分の仕事の重大さを伝えたことはなかった。妻や子供は私の宝だ。しかし、原子力発電所の所長としては安定した電力供給、そして事故を起こさない、起こしても一切誰にも迷惑をかけないというのが私の使命だった」
そのとき感極まったのか、誰かが声を上げる。
「それは社長が言うべきセリフです。でも社長は報道機関には体裁よく応えますが、社員には何の説明もありませんでした。原発事故当時の社長は福島県庁まで来ましたが、被害を受けた住民はもちろん我々のところにも来ませんでした」
「確かにそうだった。県庁から電話で様々な報告を求めるだけ。それも一度きりでさっさと東京に帰った」
加藤が目を閉じる。いずれにしてもまな板の鯉だ。
「ここで私は死ぬ。蘇るのなら、妻や子供には申し訳ないが、この事故で苦労をかけた人々の
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ために働く。強い意志を持って人間として最善の努力をする。それで与えられた命を粗末に使ったと非難されようと私は構わない」
元社員やいつの間にか一緒に話を聞いていたグレーデッドの人間も迫力ある加藤の言葉にひれ伏す。もし、ひとりの人間を信じて崇拝するようなことがあれば、今まさしく加藤は神様のように崇拝されてグレーデッドや関東電力の福島原子力発電所の勤務者の宗主になっただろう。しかし、彼の脳裏にはそんなつまらない構想はなかった。彼が持つ人間としての大きな器がそれを許さなかったのだろう。
*
ノロは加藤の話が一段落ついた時点で加藤に強い信頼感を持つ。
「でも深刻になることには反対だ。それは死んでからでもいいんじゃないかな。生きている間は真面目に考えるだけでいいんじゃないかなあ」
茶化している訳ではないが、ノロの何とも言えない表情と言葉が加藤を前向きにさせる。
「確かに。深刻というより自棄になっていたことは否定できない」
やけ
正直に心の中をさらけ出した加藤の表情から硬さが消える。
「正直だなあ、加藤さんは。いい歳こいてそんなセリフが言えるなんてうらやましい」
加藤がノロに近づく。
「総統が死んだ今、グレーデッドは漂流している。ノロ、頼めないか?」
[29]
「何を」
「漂流するグレーデッドを」
「俺が総統を殺したんだぞ。そんな俺にグレーデッドがひざまずくなんて考えられない」
「それは希有だ」
きう
「難しい言葉を使うな。というより何を言いたいんだ?」
「要するに」
ここで加藤が大きく手を広げる。
「グレーデッドはノロ、あなたにすべてを捧げるということです」
「俺に!」
「引き受けてください」
加藤は額を床にこすりつける。
*
「どうしたの。ノロ?」
「感動的な提案だけど、俺には組織をまとめる力はない」
イリがノロの手を握る。
「そんなことないわ。人格があるから人が集まってくるのよ」
「そうかな。どっちにしても俺は気ままな人間だ。自由に生きたいのだ」
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「何を」
「漂流するグレーデッドを」
「俺が総統を殺したんだぞ。そんな俺にグレーデッドがひざまずくなんて考えられない」
「それは希有だ」
「難しい言葉を使うな。というより何を言いたいんだ?」
「要するに」
ここで加藤が大きく手を広げる。
「グレーデッドはノロ、あなたにすべてを捧げるということです」
「俺に!」
「引き受けてください」
加藤は額を床にこすりつける。
*
「どうしたの。ノロ?」
「感動的な提案だけど、俺には組織をまとめる力はない」
イリがノロの手を握る。
「そんなことないわ。人格があるから人が集まってくるのよ」
「そうかな。どっちにしても俺は気ままな人間だ。自由に生きたいのだ」
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「だったら簡単だわ」
「?」
「誰かに任せればいいのよ」
「誰に」
「『誰に』って言っても、今までどおりよ」
「よく分からない」
「よく考えて」
ノロが素直にイリを見つめる。
「あなたの夢を叶えるためにファンが駆けつけたのよ」
「えー」
榊、加藤、長老、そしてイリ村の住民、サブマリン八八八とグレーデッドの乗組員の代表者、誰もがノロにエールを送る。
「俺って結構人気者なんだ」
「そうよ!」
イリがノロを抱きしめようとしたとき、長老が割って入る。
「バンザ~イ!」
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