* 防衛省*
「鈴木、何か隠していることはないか」
「ない。いや……」
「どうした」
「会って話をしたい。北京へ行けばいいか」
「今、私はタクラマカン砂漠、いや、タクラマカン湖畔のイリという村にいる。まず上海まで来てくれ」
「分かった」
「本当に来るんだな」
「親友に会いに行くのに、なぜ執拗に確認を取るんだ」
「上海空港に空軍の複座の垂直離着陸戦闘機を手配する。それに乗ってタクラマカン湖まで来てくれ」
「ひとりで来いということか」
「身分は保証する。私の命と引き換えても」
「そこまで言ってくれなくても、信用している」
[97]
「楽しみに待っている」
「刺激的なデートになりそうだな」
* サブマリン八〇八*
「機関砲の玉が底をつきました」
「五インチ砲では応戦できない」
「溝掘り作業にあとどれぐらいかかる?」
「一時間はかかります」
「分かった。体当たりして、まず武装ヘリを片付けよう」
「暗号化された無線を傍受しました」
「フランスが追加の武装ヘリを、同じくドイツもこちらに向けて派遣したようです」
「艦長、本艦はどんな攻撃を受けても大丈夫だ。とにかく溝を掘ろう」
「余り派手な立ち回りはしたくないが、目障りな武装ヘリを始末しなければ」
「本艦の行動はいずれバレる。時間の問題だ。そのときのためにもこの実験を成就しておきたいが、やり方は艦長に任せる」
「分かった。上昇!武装ヘリに体当たりする!大空に舞い上がれば砂塵は発生しない。誰も本艦の影を見ることはできなくなる。全員、ショックに備えろ。体当たり作戦開始!」
「長老、イリ、椅子に座ってシートベルトで身体を固定しろ」
[98]
すぐに大きなショックが全乗務員を襲う。ノロと艦長は潜望鏡にしがみつく。大きな爆発音が遠慮なく艦内に届く。
「本当に大丈夫か」
「自信はあるが、不安がないと言えばウソになる」
「艦内の備品は固定されているが、この作戦が終わったら、『ここ掘れワンワン作戦』に戻る前に『整理整頓作戦』を実行しなければならないかも」
「武装ヘリを一掃しました!戦闘機はどうします」
「戦闘機も叩く」
「分かりました」
操舵士が腕をまくって、手にツバを吐くと操舵ハンドルを握り直す。
「大丈夫か」
「任せてください。こちらの姿を確認できない戦闘機など大したことはありません」
「戦闘機も一掃できれば、安心して『ワンワン作戦』に専念できる」
「前よりもショックが大きいはずだ。全員、歯を食い縛れ!」
* タクラマカン*
上海空港で航空自衛隊の戦闘機から中国空軍の垂直離着陸戦闘機に乗り換えた鈴木がタクラマカン湖に到着するのに二時間もかからなかった。鈴木を出迎えたチェンはすぐにそばのテン
[99]
トに案内する。
「早速、本題に入る。この写真を見てくれ」
湖を背景にうっすらと何かが写っている。
「よく見てくれ」
「これは……潜水艦だ」
「さすが、鈴木」
「この潜水艦に村人が食料や水を運び込んだ。近づくまで何も見えなかったのに、急に目の前に大きな真っ黒な船が現れたと証言している」
鈴木は固唾を呑んで写真とチェンを交互に見つめる。
「こっちの写真を見てくれ」
近すぎるためか、黒いペンキを塗ったようなセイルしか写っていない。
「これはサブマリン八〇八!間違いない」
「そうか。なぜこんなところに旧式の日本の潜水艦がいるんだ」
「ついこの間、元上司から聞いた話だが、サブマリン八〇八はアメリカのスミス財団に払い下げられた。その後の消息は不明だったが、つい最近メキシコ湾に向かったことが判明した。その目的はある物質を回収することだった」
「ある物質?」
[100]
「トリプル・テンだ」
「トリプル・テン?なんだ、それは」
「チェン、その答は待ってくれ。時間はたっぷりとある。まずは私の話を聞いてくれ」
チェンはこっくりと頷いてみせる。
「トリプル・テン回収作戦の立案者は先ほど述べたスミス財団のキンバリー・スミス。実行者はノロ。日本政府のごく限られた者がサブマリン八〇八を払い下げるときにスミスから聞き出した。トリプル・テンの詳細は私も知らない。レアアースなんか吹っ飛ぶぐらいの不思議な物質らしい」
チェンが焦れったそうに鈴木を促す。
「回収作戦が成功した暁にはトリプル・テンのサンプル提供を条件に無料で払い下げたようだ。しかし、払い下げたとはいえ、このような状況に至って世界中から責められることを嫌って首相や防衛大臣を含む自衛隊の最高指揮官が、つまり今回のサブマリン八〇八の任務を知っていると思われる者は責任を逃れるように辞任して表舞台から消え失せてしまった!」
鈴木の興奮に感染しまいとチェンがなんとか冷静さを保つ。
「いずれにしてもメキシコ湾に向かった潜水艦がなぜこんな内陸部の砂漠の、今は湖畔の村だが……」
熱くなった頭を冷やそうとふたりはテントから出て波が押しよせる湖畔に立つ。
[101]
「湖じゃない。まるで海じゃないか」
「まさか、サブマリン八〇八がメキシコ湾の海底からこのタクラマカン湖まで地底の海を潜航してたどり着いたとでも言いたいのか」
「即答しろと言うのなら、そうだとしか言えない。あれを見ろ!」
遙か彼方に突然現れた噴水に、チェンが慌ててデジカメのシャッターを押しまくる。
「鯨か!確かにここは海だ」
しかし、本当に驚いたのは鈴木の方で、チェンはすでにこの湖の情報を手に入れていた。
「この海にサブマリン八〇八がいるはずだ。チェン!中国軍の潜水艦をこの海に派遣することはできないのか」
「エンジン付きのゴムボートを出すのが関の山だ」
「日本の司令部に連絡を取ってもいいか」
鈴木が胸のポケットから携帯電話を取り出す。
「これを使え」
チェンが軍用携帯電話を差しだす。
「この番号でいいか」
チェンが鈴木と会話するときに使った番号を軍用携帯電話のモニターに表示させる。頷く鈴木の前でボタンを押すとその携帯電話を鈴木に手渡す。
[102]
「鈴木だ。今、中国軍の協力のもと、タクラマカン湖にいる。メキシコへ派遣する予定の特殊潜航艇をこちらに回すことは可能か」
「今まさに輸送機が若狭湾からメキシコに向かって離陸しようとしています」
チェンが別の携帯端末で鈴木と自衛隊司令部との会話を傍受しながら、鈴木に頷く。
「今後の方針は中国側の実務レベルの担当者から指示される。それに従ってくれ」
「何があったのですか」
「サブマリン八〇八がタクラマカン湖に現れた」
「えっ!?」
「探索するために潜航できる船舶が必要だが、中国軍に余裕がない」
「分かりました。なんとかします」
通話が切れる。チェンが鈴木に近寄って軍用携帯電話を受け取る。
「適切な指示だった。我々は大きな一歩を踏み出すことができる」
「チェン、できるだけのことをしよう。ただ、この海にサブマリン八〇八がいるかどうかは今のところ希望にしか過ぎないことを肝に銘じておこう」
「どういう意味だ」
「メキシコからタクラマカンに来たのなら、ここから南極に行くことだってできるのかもしれない」
[103]
「旧式の潜水艦が?」
「現にここに現れたあと、消息が分かっていないのだろ」
「そのとおりだ」
「今回の事件で先の大戦末期に就航したサブマリン八〇八の艦長を調べてみた」
「艦長の名前は」
「榊司郎。戦後アメリカ軍に接収されたとき、彼はサブマリン八〇八ともどもアメリカに渡った。その後朝鮮動乱で国連軍としてサブマリン八〇八は榊艦長のもと、かなりの戦果を上げたらしい。動乱が収束すると再びアメリカに戻った。その後の足取りは不明だったが、グレーデッドとのイースター島海戦で再び国連軍の一員として参戦したことがわかった」
「イースター島海戦のころ、潜水艦はすべて原子力潜水艦だったはずだ。そんな時代にディーゼル機関の旧式潜水艦が戦争に参加していたなんて!信じられない」
「更に年月が経って日本に返還することが決まったが、政府は返還を受けることなくスミス財団に払い下げた。そのとき、榊司郎もサブマリン八〇八ともどもスミス財団に就職したようだ」
「何を言っているんだ、鈴木。話によるとサブマリン八〇八の艦齢は八〇年以上だ。そうするといくら控えめに見ても榊は百歳以上じゃないか!」
しかし、鈴木は興奮することもなく話を続ける。
[104]
「親友だと思っているから、不思議だが本当の話をしている。黙って冷静に聞いてくれ。この話、誰かに伝えなければと思っていたが、チェンに告白することになろうとは」
「分かった。今の話、素直に受け入れる」
「お互い、心の国境を越えたな」
ふたりの目に感激の涙が溢れる。
* サブマリン八〇八*
「サハラ湖の水がドンドン流れて地中海に向かっている」
「緑溢れたオアシス!。わたしたちの村と同じだわ」
イリの明るい声にノロが艦長に進言する。
「アラビア湖の様子を見に行こう」
「上昇!」
「おい、あれを見ろ。まるでナイアガラの滝のようだ」
サハラ湖から流れ着いた大量の水が元地中海の海岸の数百メートル先で瀑布となって落ちていく。
「右の方を見ろ」
「イスラエルの方にも巨大な滝が見える」
「早くアラビア湖の水位を確認したい」
[105]
イスラエルからアラビア湖に向かって掘った溝は、今や荒れ狂う大河となり地中海に落差の大きな滝となって落ちていく。
「河の両岸が見る間にオアシスを形成しているぞ!。こんなに勢いよく植物が成長するなんて信じられない」
「取りあえず、河岸に着陸して植物と土を採取する」
「ノロ、いよいよ核心に近づいてきた」
艦長にノロが黙って頷く。
「トリプル・テンがモード①、モード②というように多様な形態を取ることは分かっている。その内容がどんなものなのか、これから徐々に解明されるはずだ。ワクワクする」
いつも冷静な艦長が興奮するとざわめきが広がる。
「トリプル・テンのモード?艦長、どういうことですか」
たまりかねて無線士が尋ねる。
「実は私が最初にトリプル・テンを発見した」
驚きの声がしたあと、ざわめきは消えてすべての視線が艦長に集まる。
「ノロを含め、全員を騙していたことを告白する。私は榊太郎と名乗っていたが、そうではなく榊司郎だ」
「やっぱり」
[106]
ノロが驚きもせずに艦長を見つめる。周囲の困惑を無視して艦長がノロを見つめる。
「あの先の大戦で世界中で最も恐れられた潜水艦の艦長、榊司郎」
「防衛大学時代、榊司郎のことを聞いたことがありますが、あなたが榊司郎とすれば、九十歳、いや、百歳以上じゃないですか」
「どう見ても五〇歳台だ」
「艦長がその榊司郎だという証拠は?榊太郎は司郎の子、いや、孫?」
「太郎は曾孫だ。ただし、生まれてすぐに死んだ。しかし、死んだことにせずに私はその戸籍を自分のものにした」
ノロは艦長が明かした秘密に興味を示すことなく艦長に問いただす。
「なぜ、俺にトリプル・テンの欠片を持ってきたのか、想像できるが、そのときどうして身分を明かさなかったのだ」
「秘密を持つ者同士、お互いに詮索せずに協力できるからだ」
「なるほど」
ノロも艦長もそれっきり言葉を発しなくなる。誰もが黙ってそんなふたりを見つめ続ける。
「わたしはふたりの秘密に興味はないわ。それよりトリプル・テンが取る様々なモードの意味を知りたいわ」
今度はこれまで少女だと思っていた全員がこのイリの言葉に驚く。
[107]
「イリの言うとおりだ」
ノロが艦長に言葉を促す。
「トリプル・テンについてはノロの方が詳しい」
「艦長、上手に逃げたな」
しかし、ノロは言葉を止める。ノロも沈黙することによってイリの質問から逃げる。
「トリプル・テンには重大な秘密があるのね。その秘密を薄々承知しているけれど、実際何を意味するのか理解できないと言うことでしょ」
全員、目を丸くしてイリを見つめると、長老がイリに向かって恭しく頭を下げてイリの手を握る。
「イリ様。たどり着きましたな」
長老は一歩身を引くとひれ伏す。その姿を見て今度はイリが驚く。
「どうしたの」
「弟が亡くなった今、あなたが我々イリ族を率いる巫女となられました」
「わたしが?ノロは弟の生き返りじゃないの?」
そのとき、場違いの報告が入る。
「植物と土壌の採取を完了しました」
「アラビア湖中心部の上空に移動しろ」
[108]
* タクラマカン*
「信じられない話だな」
「そうだろ。私だって信じることはできない」
「同級生だったノロとはどこで再会した?」
「自衛隊とトンガ軍の交流パーティの二次会で知り合った。そのときは同級生だったことなど全く思い出しもしなかった。私服だったのでノロが自衛隊員なのかトンガ軍人なのか、よく分からなかった。日本語を話していたから、てっきり自衛隊員なのだと思っていたが、自衛隊員名簿になかった。もし載っていたなら奇妙な名前だからすぐ気付いたはずだ」
「そうすると私の方がノロに関する最新の情報を持っていることになるな」
「アイツが北京大学で複数の学部を優秀な成績で卒業するなんて想像できない」
「卒業後の足取りは全く不明だ」
「なぜ、そんな優秀な学生をマークしていなかったんだ?」
「官庁というところは縦割りを好むから、各学部では他学部の学位を取ったことすら気が付かなかったようだ」
「したたかな中国にしては珍しく無策なことだな」
「外から見るとしたたかかもしれないが、内実は大したことはない。穴だらけだ」
「そんなことを公言したら、チェン、身に危険が及ぶぞ」
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「大丈夫だ。しっかりとした見識を持った指導者も結構いる」
「榊司郎、それにノロ。そしてサブマリン八〇八。このタクラマカンからどこへ行ったんだ」
「分からない。しかし、アラビア半島、もちろん今は半島ではないが、それにサハラ。イスラエルやフランス、イタリアから信じられない奇妙な外信が入っている」
「それは承知している。チェン、国境を超えるんじゃなく、国境を無視して行動しなければならない」
そのときチェンに緊急通信が入る。軍用携帯電話を持つチェンの手がしばらくすると震える。
「鈴木、産油国の原油に海水が混ざっているらしい」
「原油を輸送するだけでも大変なのに、原油に海水が混ざっているなんて」
「産油国も、消費国も共倒れになる」
「いや、人類は生存できないぞ!」
「大変なことになった」
「もう、一国の力ではいかんともしがたい」
「国連は何をしている」
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