「二元管理?」
「その前に背番号の説明します」
「背番号?」
ノンキャリアとして税務署の職員に採用されると次のいずれかの背番号がつく。
① 法人税
② 所得税
③ 相続税
④ 税金徴収
これらは採用された支局の「課」の名称だ。採用時に希望はできるが、希望どおりにはいかない。しかもその背番号は原則退職するまで変わらない。税務署に配属されると署長と国税支局(例えば法人税課長)の両方から管理される。つまり縦割りの呪いを入社時から味わうことになる。むしろ税務署長より支局の課長を意識する。かといって他の背番号の職員と切磋琢磨することはない。つまり納税者のためにどのようなサービスができるのかというようなことにしのぎを削ることはない。
[103]
サービスが悪くても納税者や税理士からクレームがかかることはほとんどないからだ。
「上司がふたりもいて管理されるなんて大変だなあ」
「でもその上司の顔が見えません」
「えっ?僕は非正規社員ですが、上司はもちろんのこと社長の名前や顔は知っています。なにしろ現場に来られたとき握手までしていますから」
「でも役所という組織は冷たいのです。まず不祥事が起これば上司は責任を取らなければなりません。だから監視を強化します。かといってそういうことが起こればトカゲの尻尾切りをして最高幹部に火の粉が届かないようにしますが」
大家さんが大声を上げる。
「そんなことばかりしたら国が滅びるぞ」
「そのとおりです。独裁国家や一党支配国家を見れば分かるでしょ」
「成程。徹底的に公務員や国民を監視しているのう」
「民主国家の日本はましだけれど、隠すことにかけては世界一かも知れないわ。それに隠す努力をした者を昇進させるわ」
「公表すべき文書がないとか、見つかっても今さら言えないとか言ってたけれど事実上更迭されたぞ」
[104]
「それは国防省の大臣や事務次官や将軍たちでしょ。私が言っているのは首相の友達に学校用地を払い下げた理財支局長のこと」
「管理文書自動消去システムを作った元大阪国税支局長のことですね。そう言えば国税庁長官に出世しましたね」
「首相の気持ちを忖度して学校法人に土地をバーゲンセールしたので褒美として大出世したのか。いいなあ」
「国民は黙っていないぞ。『資料は自動消去されて残っていませんが誠心誠意をもって正しい申告をしました』と税務署の調査に応じないそうじゃ」
「国防省の『今さら言えない事件』や『文書自動消去誠心誠意対応払下げ事件』もそうですが、現場で働く自衛隊員や税務署員はやる気をなくしています」
山本さんがテレビの画面をはみ出すぐらいに膨らむ。
「緊急ニュースが入りました。先ほど国税庁長官が辞任しました」
「そりゃ当然じゃ!現場の税務署員は我慢して仕事をこなそうとするが、民間企業の社長がこのような人だったら社員はやりきれんぞ」
「大家さんのおっしゃるとおりです。このような人が社長や役員ですから本当の意味で組織は改善活性化しません。その原因を各停組で最後は副署長で定年退職した税務署員に取材したことがあります」
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「守口市駅にたどり着けなかった署員ですね」
***
ネットタックスのない時代、税務署員はマンツーマンで確定申告の納税相談業務に当たっていた。もちろん税務署の庁舎内で。多い日は五〇人近い納税者の申告相談指導をした。少ない日でも三十人を下ることはない。
山本さんの取材に退職して税理士になった元副署長が応じる。
「だから署員は鍛えられました。今はそのような署員は退職してほとんどいません。この納税相談で納税者の気持ちや距離感を体得したのです。それが提出された申告書の裏を読み取り、そして調査すべきか判断し、不正発見に繋がったのです」
「成程」
山本さんが元副署長に頷きながら応答する。
「今のお話と似たようなことを老齢な銀行員から聞いたことがあります」
その行員の話はこうだ。昔の行員は帳簿を見ながら同時に社長を観察しながら事業への思い入れや意気込みをじっくりと聞いた。その上で帳簿上の数字と社長の心の中の数字に矛盾がないかチェックして融資を上申した。そして後日上役が同行して融資額、利率、返済期間、担保などのすり合わせをして融資を実行した。
しかし、バブル期から「担保ありき」という担保至上主義に傾いた途端バブルが弾けて地価暴落すると金融危機が広がって倒産する銀行が現れた。
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担保至上主義を改めて行員の判断で融資しようにも、行員教育を怠っていたので適切な融資や回収がうまくいかなかった。そこでATMなどコンピュータ化していた銀行は人工知能の活用を始める。銀行のコンピュータ武装が一気に進むが貸倒率は減少しなかった。超低金利時代に突入したことで貸し出しが減り、多額のコンピュータ投資でほとんどの銀行が赤字化した。この弊害の原因に気付いた何行かの頭取が昔のように対面で顧客に接する体制を取ろうとするが、帳簿を見たり相手の表情を読める行員はまったく存在しないことに愕然とした。
「成程」
山本さんの説明に今度は元副署長が頷く。
「会社や個人の財務内容は同業でもまったく異なります。それぞれ個性があるのです。許認可企業は政府の指示で帳簿の付け方や報告書の作成を縛るから同じ業種の許認可企業の帳簿組織はほぼ同じですが、例えば自動車業界の原価計算方法は各企業ごとにまったく異なります。企業の場合はともかくとして個人の確定申告書も個性があります。それはひとりとして同じ納税者がいないからです。ちょっと話が逸れましたな」
「要は税務署員は税務の技量を磨く宝の山の納税相談を捨てたと言うことですね」
「いえ。捨てさせられたのです」
「組織の長が自らの組織を弱体化させた?」
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「そうです。かといってコンピュータを駆使した調査をするのかと言えばそうではありません」
「先ほどの元行員の方も仰ってましたが、暗算で間違いに気付いて指摘してもコンピュータが処理しているので間違いないと笑われた……」
「その気持ち分かりますね。コンピュータが調査に行けと言うから行く。同じですね。元々の資料が間違っていたので変な指示をコンピュータがするのですが、調査してそのことが初めて分かる。つまり無駄な調査をするのです。納税者から抗議があって何度謝りに行ったことか。
まあ、それが副署長の仕事ではありますが」
「そんな時間を費やすのなら、脱税したい心理、その脱税額が微々たる者であっても見逃さないという毅然とした態度で調査すべきでは?」
「そのとおりです。一個人の脱税は少額であっても国のモラルを左右します。つまり蟻の一穴です」
「なぜ現職時代に国税支局長や国税庁長官に上申しなかったのですか」
「そう言う風通しのよい組織ではありません」
「二元管理が問題なのですか?」
急に元副署長が黙り込む。山本さんは黙って返事を待つ。
「署長になれませんでしたが副署長といえどもノンキャリアでは出世した方です。退職する者には関係がないこと。残念なことです」
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「採用の段階で将来が決まっている。しかもノンキャリアは二元管理でガチガチに縛られる。
安定した仕事と引き換えに自分を殺す。その結果組織が堕落する。ということでしょうか?」
元副署長は山本さんの質問に答えずに咳払いをしてから独り言のように漏らす。
「決して楽な職場じゃなかったなあ」
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