「公務員と言えば、最近税務署員は税務署を退職しても再就職するらしい」
質素な服の大家の発言に田中が反論する。
「税理士にならないのですか」
「このテレビでもそんなことを放送していたな(「31 キャリア」参照)」
「昔は退職したら国税局が顧問先を斡旋していたが、世間の批判に耐えきれなくなって、この斡旋制度を廃止したのだ」
立派な服の大家が合流する。
「自分で客を探すのはむずかしいから、それに定年延長を推進している政府としては自らも定年延長をせざるを得なくなったのじゃ」
「ふーん」
と言いながら田中がテレビを見つめる。
「大概、ここで電源が入るんだが……」
プツンと電源が入ると画面に山本が現れる。
「ご要望にお応えしました。ところで立派な服の大家さんの定年延長説は間違いです」
「わしも自信があっての発言ではない」
[174]
「定年延長ではなく再雇用です」
「うーん。定年延長と再雇用というのは違うんですか」
田中が代表して質問する。
「もちろん違います。定年延長はその組織の全員に適用されます。定年を六十歳から六十五歳に変更すれば全員六十五歳まで働くことができます」
質素な服の大家が質問しようとするが山本に遮られる。
「あくまでも一言で説明すればと言うことで細かいことは説明しません。と言うより知らないのです」
山本が会釈すると続ける。
「一方、再雇用には何歳までという保証はありません。要は一年ごとの更新契約です」
「一年間の働きぶりを見て次の再雇用を拒否できるのか」
質素な服の大家が切り込む。
「公務員の場合、悪いことをしないかぎり首になることはありません」
「『こいつ、働きが悪いから首を切ってやろう』ということはできないのか」
「そうです。公務員には民間企業のような失業保険制度はありません。もちろん、公務員はなぜ失業保険がないのかなんて疑問に思うこともなく給与明細書を見ているでしょうが……」
「そういえば、給料をもらっていた頃、失業保険料が天引きされていた。金額はわずかだった
[175]
けれど。でも公務員はいいなあ」
「じゃあ、再雇用になれば失業保険はどうなる?」
「うーん。分かりません。想定外の質問には応えられません」
「マスコミ本来の義務を放棄したな」
質素な服の大家が抗議すると山本の横に逆田が現れる。
「私の監督不行届。誠に申し訳ありません」
逆田が頭を下げると山本も頭を下げる。
*
「もちろん、税理士にもならず、再雇用も申請しないという道があります」
「えー。どうやって食っていくんだ」
自分のことを忘れて田中が驚くと質素な服の大家が続く。
「公務員の場合、退職金や年金が優遇されているからな」
「上場企業はともかく中小企業と比べればうらやむほどの退職金や年金を受け取れます。ボーナスや給料がカットされたといっても、就職してから退職するまでの生涯賃金はかなり多いのです。要は蓄えがあればあくせく働かなくても済みます」
ここで田中が伏線を込めた質問めいた言葉を山本に向ける。
「退職した税務職員は通常再雇用されるか、頑張って税理士事務所を開くかの、どちらかなの
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でしょうが、そして働かないという道があるのも分かりました。その他に道はあるのですか。あるのなら……」
「あります。というより、すごい事をしようと数人の元税務職員が決起しました」
田中が待ってましたと発言する。
「やっぱり!ひょっとしてブログを通じての税制改正提案のことですか」
「そうです」
山本が消えてあるホームページの画面に変わる。
*
「税務署退職者連合会」
ゴシック体のしかもモノクロの画面が現れる。
「世界一、ダサいホームページです。今まで納税者の方々をいじめてごめんなさい」
ただこれだけ書かれたホームページだった。
「なんだこれは?」
「工事中のようです」
「山本さん!これを見せるために画面から消えたのですか」
画面から声だけが聞こえてくる。
「これは、以前、知り合いの記者が取材したある税務署の副署長が中心となって立ち上げたホームページです。今度は私が取材しました」
[177]
*
「私は心ある退職者で将来の日本を憂う旧職員を集めて政府はもちろんマスコミに向けて現場から見た税制改正の提言を行うことにしたのです」
「税務署を退官した人は税理士になるケースが多いから、税理士として提言を行うことはなかったのですか」
「ご質問の意味は、今さらなぜ退職者が、しかも税理士事務所を開業しない者が集まって何をしようというのかと言うことでしょ」
「そうです」
「今、時代はデフレです」
「?」
「『いきなり、何をいうんだ!』でしょ?」
山本は頷くだけだ。
「給料やボーナスは減額され、退職金も思っていた額の七割程度。もちろん大企業と比べれば少ないといっても中小企業と比べれば高額です。贅沢しなければデフレの時代ですから何とか生活できます」
淡々としゃべる元副署長に山本はなぜか圧倒される。数々の取材の修羅場を経験したはずなのに何も言えない。
[178]
「国家公務員の人事構成は歪です。まるでインドのカースト制度よりひどいかもしれません」
やっと山本が口を開く。
「そんなにひどいのですか」
「はい」
「キャリア制度のことですね」
「そうです。採用試験で将来うまく行けば省庁のトップの事務次官に出世するコースと、出世しても小さな出先機関の長にしかなれないコースに分けられています。つまり採用時にキャリア組とノン・キャリア組に区別されるのです。そのまま退職まで変わりません」
「民間では考えられないことですね」
「私が言っているのは財務省の人事のことですが、ほかの省庁も似たり寄ったりです」
「ここで確認しておきますが、キャリア組というのは高級官僚のことです。ノン・キャリア組というのは『下級官僚』……」
ここで元副署長は首を横に振る。
「今思えば、自分たちのこと『下級官僚』と思ったことはないなあ」
「すいません。言葉が悪いですが、世間では『木っ葉役人』と呼ぶ人もいる。特に年配者に多いですね」
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「そうですか。残念です。でも、その庶民感覚、素直に受け取らなければならない」
「そのように揶揄されるのは公務員の宿命だと思います」
山本がかばう。
「いいえ。真摯に受け止めてそんな気持ちを抱く国民の誤解を解消すべきです」
「最近、官庁の窓口はどこも親切だという話をよく聞きます。その中でも税務署は断トツだとも」
「ありがとうございます。しかし、これも問題があるのです」
「親切に納税者に接するのが?」
「そうです」
「なぜですか」
「それは国税局長が納税者とのトラブルを嫌うからです」
「!」
想定外の答えに山本が戸惑う。
「最近はインターネットの発達で誰でもネットに投稿して、場合によってはホームページを炎上させます。そうすると民間企業なら非難を浴びて売上に影響します」
「でも各省庁のホームページが炎上したなんて聞いたことはありません」
「それは国家として大恥ですから公表しないからです」
[180]
「国税局長というのはキャリア組ですね」
「もちろん」
「税務署長は?」
「ほとんどがノン・キャリア組です」
「ほとんどというのは?」
「ほんの一握りの税務署に二十歳代後半のキャリア組が署長として中央から赴任してくるのです」
「待ってください。ノン・キャリア組の職員は出世してもなかなか署長にはなれないんでしょ」
「そうです。私も副署長で退職しました。どちらかというと出世した方です」
「そんなポストを二十歳代後半で就任するんですか?」
「あまりにも若すぎて現場が混乱するということで最近は三〇歳前半で署長になることに変更されました」
「いずれにしても副署長から見れば子供じゃないですか!」
「それが公務員の人事です」
「同族会社を除いて民間ではあり得ないわ!国家を運営する組織が同族会社と同じなんて信じられない!」
[181]
*
興奮する山本の横に逆田が現れる。
「大変失礼しました。取材する者が興奮して、肝心の質問を忘れてしまったようです」
「いえ、そうでもありません」
元副署長の言葉に逆田が驚く。
「キャリア組は現場を知らない、あるいは現場に赴いても子供ですし、無事に本庁に戻ってもらわなければなりませんから、大事に扱います。もちろん彼らは税法自体を知りません。彼らはチヤホヤされて本当の現場を知らずに本庁に帰っていきます」
「そんな!それじゃ貴重な現場を体験する機会が生かされないばかりか、若いキャリア組にとってマイナス経験になる!」
「税務署長の仕事は激務そのものです。ノン・、キャリア組の我々でさえも、できれば署長にはなりたくない。副署長で退職した私はある意味幸せ者です」
元副署長がフーッとため息をもらす。
「ところがやがて国税局長として、たとえば関西であれば近畿国税局長、東北大震災の地域なら東北国税局長として、そのエリアの税務署を管轄する局長になって赴任します。局長の責任は税務署長の比ではありません。そうなると今度は自分に責任が及ばないように保身する。そんな局長ですからノン・キャリア組の税務職員はバカ殿に仕える哀れな公務員です。逆説的に
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言えば局長は裸の王様です」
迫力ある言葉に逆田も、もちろん山本も狼狽える。
「さて、そろそろ、本題に入りましょうか」
「本題?」
「そうです。我々元税務職員の共同提案です」
「あっ!そうでした」
「政府はデフレ脱却のために第一の矢、第二の矢、第三の矢とか言っていますが、その第三の矢について提言があります」
「分かりました」
やっと逆田が落ち着きを取り戻す。
「まず、第三の矢の意味を復習しましょう」
同じく平常心に戻った山本が説明を始める。
「金利政策や円安政策で輸出関連の大企業と一部の中小企業では大幅に収益が改善されました。その利益を従業員のベースアップにというのが第三の矢です。給料を増やして本格的なデフレ脱却を計って景気を浮揚させようという作戦です」
ここで元副署長が発言する。
「そうです。しかし、グローバル化した世界でそう簡単に企業は給料を増やすことはしません。
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利益はできるだけ留保したいはずです。政府がいくらお願いしても、利益をどう使うかは企業の自由です。もし強制すれば日本は社会主義国家になります」
これ以上発言されると自分の立場がないと言わんばかりに逆田が待ったを掛ける。
「政府は前年以上に給料を増額すれば税金をまけるという方針を打ち出しましたね」
「この方策で大きなインセンティブを企業に与えることはできません。まずハードルが高い。それにすでにかなり法人税率は低いし、その低い法人税率さえもっと下げるとまで言っています」
「そうだとすれば、給料を上げずに多少法人税を払ってでも資金を貯め込むでしょうね」
「そのとおりです。特に借金地獄を味わった企業は必要以上に資金を留保するはずです」
「さらに税金をまけるという消極的なやり方はあまり効果がありません」
「と言いますと?」
「税務調査をしていますと、企業は税金をまけるという特例より、逆にある利益に対して税金を加算するという特例に敏感だと感じます」
「ご褒美をもらおうとウソをつくより、ペナルティーを避けようと誤魔化すことの方が多いと言うことですか?」
「国際的に高いというより、経営者は過去の法人税率と比べて十分低くなっていることを実感しています。そうであればなおいっそう低くするという餌より、政府の意向に従わなければその分に特別高い税率を適用するといった方が強いインセンティブを与えます」
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「なるほど。ところで企業に給料を上げる妙案があるのですか」
「あります」
「えー!それは?」
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