「なんだかんだと言っても日本は戦後約七十年も大過なく歴史を刻んできた」
「最近大規模な戦争はないが、アラブの春とか、つまりクーデターや内線や紛争が多いぞ」
テレビの電源が入ると激しい空爆の映像が現れる。
「?……ベトナム戦争?」
「大家さんの言うとおりです」
テレビから逆田の声が返ってくると大家が真剣な眼差しで画面を眺める。
「アメリカは空母を展開して世界中で戦争を起こしてきた」
「これはどうです?」
逆田が大家に尋ねる。
「アフガン?」
「ロシア、いえ旧ソ連のアフガニスタンへの侵攻です。アメリカも同じことをしました」
「ソ連はハンガリーの首都プラハにも進行したな」
田中は大家と逆田の会話を聞くだけで視線をテレビに固定する。
「これはどうです」
砂漠を戦車が猛スピードで縦隊を組んで走っている。
[122]
「これは知っている。イラク戦争だ」
田中が声を上げる。
「アメリカを中心としたイギリス、フランス、ドイツなどの多国籍軍がイラクの首都バクダットを陥落させた」
画面が変わる。しかし、田中はもちろん大家も首を捻る。
「これは中国のベトナム侵攻です。そしてチベット併合……」
逆田のため息が漏れる。
「そして印パ紛争」
大家が逆田に代わって解説する。
「インドとパキスタンの紛争!お互い核兵器を盾に激しいつばぜり合いをした。核戦争が始まるのかと世界中が固唾を飲んで心配した紛争だ」
逆田が続ける。
「そして韓国は北朝鮮と休戦中です」
「休戦中?」
田中が首を傾げると大家が応じる。
「いつ戦闘が始まってもおかしくない状況にあるということだ」
田中が傾げた首をしゃきっとさせる。
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「北朝鮮は核兵器を持っている!」
映像が消えると逆田が現れる。
「六カ国プラス三の協議国のうち絶えず平和を維持してきた国は日本だけです。島国で単一民族だから自己完結型のシステムが形成されたのです」
「待ってください」
田中が横槍を入れる。
「イギリスもそうじゃないか」
画面にイギリス本国の地図が出てくる。
「イギリスは昔、大英帝国と呼ばれて、陽が沈むことがない国と言われました」
アルゼンチンに占領されたフォークランド島を奪回しようとするイギリス海軍の激しい攻撃の映像が流れる。
「皇太子も一兵卒として空母に乗り込んで戦いました。領土を守るという執念の戦争でもありました」
「僕はイギリスが日本と同じように島国だと言いたかっただけです」
再びイギリス本国の地図が現れる。
「大きい方の島はイギリスの領土ですが、小さい方はアイルランドと二分されています」
「イギリスとアイルランドとはよく揉めていたぞ」
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大家が思い出すと逆田が応じる。
「今は認めあっていますが、過去を引きずっています。いずれにしても日本ほど平穏な国はありません」
「そうだな。一致団結しているようには見えないけれど一応仲良く暮らしている」
震災時のボランティア活動画面に変わる。
「今回の東日本大震災では国民は粛々と対応した。政府の対応は後手後手に回ったが、全国民が東北地方のために一致団結した」
「すごいことなんだ!」
「国民は政府を信用せずに行動します。しかも秩序を維持しながら黙々と行動します」
「なんだか変な国だな。日本は」
「始めに『アラブの春』と申しあげましたが、独裁政治に終止符が打たれて民主国家になったという点でこの『春』という言葉は非常に適切な表現です」
「春ということはそれまでは劣悪な治世下に置かれていたということだ」
大家の言葉に促されたのか、画面はガンジーやマンデラといった著名な反政府勢力の指導者の迫害場面に変わると大家が呟く。
「冬の時代だ」
無抵抗な指導者を力一杯殴りつける場面に田中や大家が思わず目を背ける。
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「日本も戦前は平和を求める国民に同じようなことをした。ましてや戦争が始まると占領したアジア諸国民にも同じようなことをした」
目を背けるふたりに反応して画面は若者が軍隊に投石する映像が流れる。
「国を変えようと若者が燃えました」
逆田の声に目を開くとテレビには戦車の前で両手を大きく広げて立ちはだかる若者が映っている。戦車が速度を落とさずにその若者に近づく。若者は逃げない。それどころか逆に戦車に向かって歩きだす。思わず田中が目を閉じる。画面では戦車が若者の手前で急停車する。大家が田中の肩を軽く叩く。
「大丈夫だ」
ここで画面が変わる。若者が戦車や装甲車それに兵士に向かって火炎瓶や石を投げつける。炎に包まれた兵士が道路に転がりながら必死で火を消そうとする。それを見たほかの兵士が布のようなもので火だるまの仲間をたたきつける。
「どこの国なんだ」
田中の疑問に応えることなく画面では異変が起こる。忍耐の限界を超えた一部の兵士が若者に向けて自動小銃の引き金を引く。まさか銃撃されるとは思っていなかったのか何十人もの若者が頭や腹から大量の血を流して倒れる。恐れることなくすぐさま介抱に向かう若い女性を追い越して、同じく若い男がシャツを脱ぎすてて上半身裸の姿で両手を高々と上げて自動小銃を
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構える兵士に向かって走りだす。
びっしょりと汗をかいた田中が再び目を背ける。大家もビデオだとわかっていても興奮して叫ぶ。
「逃げろ!」
*
「抵抗の暑い夏!」
夢からさめたように田中が叫ぶ。
「田中さん」
大家が床に伏した田中の頬を軽く叩く。
「大家さん」
田中が起きあがると冷蔵庫に向かう。ペットボトルを取り出すとそのまま口をつけて飲む。
「ワシにも」
慌てて田中は直立に近かったペットボトルの角度を下げる。そしてゴボゴボと音をたてるペットボトルを大家に手渡す。
「厳しい冬。それを耐え忍んだサクラが咲く春。そして燃える真っ赤な夏」
元気を取り戻した田中が言葉をつなぐと大家が引き継ぐ。
「冬、春、夏と来たが、秋というのはどんなもんじゃ」
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「秋か……いい季節ですね。春もいいですが、秋は花粉症もないし……」
「田中さんの言うとおり春もいいけれど、秋は落ちついておるのう。確かに春は百花爛漫の美らんまん
しい季節で生に充ち満ちている。でも秋は勢いよく咲く花はないが、赤や黄色や緑の絨毯に包まれた山々に魅了される」
「冬ごもりですね」
ここで急に山本が登場する。
「秋という季節は冬ごもりして春を迎える準備期間よ」
「でも秋には春と違う渋い彩りがあるぞ」
大家が反論する。そのとき田中が今までの映像や議論を通じて自分なりの答えを出す。
「循環しない、止まった秋があるとすれば、今の日本がそうなのか」
すぐ山本が頷く。
「確かに動いていないわ。今の日本」
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