「どこもおかしなところはありませんね」
立派な服の大家のマンションの応接間にある例のテレビを田中が眺める。
「そうか。仕方がないな」
立派な服の大家が諦めると質素な服の大家が思い出したように手に持っていた色あせた革の手提げ鞄から固定資産税の書類を取り出す。
「自宅とボロアパート分の固定資産税は払うが、ほかの固定資産税はおまえが払え」
「そうはいかん。おまえが払え」
「なぜだ」
「わしの預金通帳を持っ取るじゃろ」
質素な服の大家がハッとすると手提げ鞄の中を覗いて通帳を取り出す。
「そう言えば、バカに桁数が多い通帳を支店長から手渡されたのう」
「その通帳はわしのものじゃ。返してくれるのなら、わしが払う」
「もう銀行とは付き合わんから通帳なんかいらん」
「おまえも金に不自由しておらんのか」
「金の出し入れに不自由しておる。返すぞ」
[27]
通帳を受け取ると立派な服の大家がめくる。
「ほー。一銭も出金していないな」
「当たり前だ。わしの金じゃない。奇妙な経緯があって支店長から預かっただけだ」
「わしに似て正直者じゃ」
「何!そんなこと、おまえに言われたくないわい」
質素な服の大家が立派な服の大家に突っかかる。
「待ってください」
田中が仲裁に入る。
「立派な服の大家さん。残高が一〇兆円もの預金通帳を質素な服の大家さんが持っていても驚かないのはなぜなんですか」
「わしゃ金に困っとらん」
「そりゃそうですけど」
「これだけの大金になると通帳など関係ないのじゃ」
そのときあのテレビが輝き出す。
「わあ!電源が入った!今までまったく反応しなかったのに」
画面に山本が現れる
「通帳だけではお金を出せないわ」
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「あっそうか。印鑑が要る」
「それに身分証明書もじゃ」
山本から立派な服の大家に田中が視線を移す。
「でもカードがあれば自由に引き出せるんじゃ?」
「カードでは一日五十万円しか出金できないわ。残高が一〇兆円もあるから、ゼロが多すぎて計算できないけれど一生かかっても降ろせないはず」
「五十万円といえば僕なら一回降ろすだけで十分すぎるお金だ」
ここで両大家が同時に発言する。
「わしはカードを作っていない。すべて窓口で用をこなす」
ふたりが顔を見合わす。そして再び合掌する。
「しつこい本人確認には参るが」
両大家が苦笑いする。ここで先ほどまで緊張していた両大家の関係が緩む。
「しかし、ややこしいことになったもんじゃ」
「そのとおり」
「取りあえず、この固定資産税と償却資産税はわしが払う」
「償却資産税?固定資産税のことなら多少知っていますが、償却資産税っていうのは?」
テレビの中から山本が突っこむ。田中には何のことか分からない。したがって沈黙する。
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「固定資産税とは……」
またもや両大家が同時に声を上げる。再び顔を見合わすと質素な服の大家が譲る。
「お前さんの方が資産家だ。わしは辞退する」
「固定資産税というのは土地や建物にかかる税金じゃ」
山本がそして少し遅れて田中が頷く。
「償却資産税というのはわしの場合、仕事に使う備品に掛かるものじゃ」
「仕事に使う備品?」
「自動車は自動車税とか色々な税金がかかっているから償却資産税の対象から外れるが……えーっと」
ここで質素な服の大家が助け船を出す。
「山本さんの会社では放送機材やコピー機や通信機器やパソコンなど様々な備品があるはずだ」
「ええ。それで?」
「そうそう、そういうものにかかる税金が償却資産税じゃ。わしも数年前まで知らなかった」
ここで質素な大家が一息つく。
「ところが、高層マンションを建設して事務所を自宅からマンションに移すとたちまちコピー、椅子、机、応接セット、金庫とか、とにかく備品が増えたのじゃ。そのころ橋本市長と知り合
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ったんじゃが、市役所の税務課の職員からわしが償却資産税の申告をしていないという指摘があった」
ここで再び山本の突っ込みが入る。
「大家さんほどの資産家なら税理士を雇っているのでは」
「その税理士は『こまごまとした備品なんか市役所に分かるはずないから、償却資産税の申告を敢えてする必要はない』とぬかしたのじゃ」
「しかし、確定申告でコピーや応接セットなんかは減価償却して申告しておるぞ。税務署に確定申告すれば住民税の申告はしなくても税務署から市役所に通知される。だから住民税の納税通知書が市役所から届く。償却資産税も同じでは」
質素な服の大家に立派な服の大家が応じる。
「確かにそうじゃ。会社なら税務署や県や市にそれぞれ申告書を出すらしいが、個人は税務署だけでオーケーじゃ。確かに住民税は来るが償却資産税は来んぞ。おまえのところには来てるのか」
「いや、来ない。だから自主的に申告しておる」
両大家の会話が落ちついたのを見計らって田中が尋ねる。
「ところでゲンカショウキャクってなんですか」
「安モンの椅子や机は経費にすればいいが、高い椅子や机はすぐに経費扱いできんのじゃ」
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立派な服の大家が座る椅子を田中が見つめる。
「その立派な椅子はいくらで買ったんですか」
「椅子と机のセットで五百万円じゃ」
「ご、ご、五百万円!僕が買ったテーブル机と椅子は合わせて九八〇〇円でした」
「そんな安物はすぐ経費にできる。じゃが高級なものはすぐ経費にはならんのじゃ」
田中がキョトンとする。
「たとえば十億円儲けたとする。そのとき十億円の貸しマンションを買えば差引ゼロになるという訳にはいかん」
「おまえ、毎年十億円も儲けているのか」
質素な服の大家が咬みつく。
「うん?まあな。利息を除けばそんなもんだ」
質素な服の大家が腰を抜かすが、田中は立派な服の大家の話が大きすぎて再び黙る。
「そのマンションが五十年持つとすれば大ざっぱにいうと十億÷50で二千万円ずつ毎年経費にするのじゃ」
田中が口をもごもごするだけなので山本が補足する。
「五十年間家賃が入ってくるから、それに対応するように十億円のマンションも五十年に分けて経費にする。その計算を減価償却というのですね」
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「さすが山本さん。そのとおりじゃ」
何とか会話を整理して田中が口を開く。
「税務署も賢いですね。税金がゼロになるのを減価償却で防いでいる」
「そうじゃない。山本さんの話を理解してないな」
再び田中がキョトンとする。
「マンションを買った年に全部経費で落とすとその年は大赤字だ。赤字の繰り越しはこの際無視するが、それに経費がないとしたら翌年から家賃収入全部に税金が掛かることになる」
何とか田中が質問する。
「またマンションを買えば?」
「そんなこと永遠にできないわ」
「あっ、そうか。次の年からはお金が出ていかないのにこの減価償却費が経費で落とせる」
「そうじゃ。田中さん!よく気が付いたな」
褒められた田中の顔が少し赤くなると立派な服の大家が続ける。
「最初の一年は十億円の資金が消えるが、残り49年はお金は出ないが経費にできる」
ここで質素な服の大家が口を挟む。
「最初の一年の資金が苦しいのなら50年のローンを組んで五〇年掛けて返せばなんとかなる」
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「普通の人間はそのようにする。つまり銀行が借金を勧めるのじゃ。そして借金地獄に陥るのじゃ」
「普通の人間で悪かったのう」
「わしは金持ちじゃ。借金はせん。全部キャッシュで払う」
「同じ大家さんなのに考え方がまるで違う」
この田中の言葉に質素な服の大家が怒鳴る。
「どうせわしは貧乏大家だ」
田中が驚いて質素な服の大家を見つめる。
「僕の方がずーと貧乏です」
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