41 揺れる家


「これを見てくれ」


 大家が田中の部屋に入ると封書を手渡す。


「固定資産税の決定通知書?」


「土地や建物にかかる税金だ」


「わあ!一億円」


「去年の百倍になっているのだ」


「百倍!大増税ですね」


「そうじゃない」


「どういうことですか。僕には何のことやらさっぱり分かりません」


「わしが持っているのはボロボロのアパート十軒とその土地と自宅だけだ。毎年百万円の固定資産税を支払っておるが、この明細を見てくれ」


 しかし、固定資産税という税金にまったく無縁な田中には明細を見てもよく分からない。


「それより、今気が付いたのですが、大家さんの自宅はどこなんですか」


「!」


 大家が腰を抜かしてひっくり返る。

 

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「大家さん!大丈夫ですか」


 返事がない。


「大家さん!」


 田中が救急車を手配しようとスマホを手にする。そのとき大家が「うー」とうめく。


「大家さん」


 大家が握りしめる固定資産税決定通知書の先頭の文字が田中の目に飛びこむ。


「立派な服の大家殿?」


「うう、田中さん……」


「大丈夫ですか。救急車を呼びましょうか」


「大丈夫だ」


 大家は自力で身を起こして立ち上がろうとする。田中が背中に手を回すと、何とか大家が粗末な椅子に座る。


「確か自宅の庭から……ゴホゴホ」


 田中が慌てて冷蔵庫からペットボトルを取り出す。


「レアメタルが出て……」


 大家が口を閉じて咳を押さえる。


「そうです。大家さんはそこに住んでいるんですか」

 

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 ほっとしながら田中はペットボトルの水をコップに注ぐと大家が頷く。


「もうひとりの大家はマンションに住んでおる」


 田中が頷いてコップを手渡してから外に出るとさび付いた廊下の手すりに手を置いて周りを見渡す。駅前に林立する高層マンションを確認する。


「あのどれかのマンションにいる立派な服の大家さんは元々レアメタルが出た自宅に住んでいたはずだ。そうすると僕が付きあっている大家さんはどこに住んでいたんだ?」


「そのとおりだ」


 いつの間にか後ろに質素な服の大家が立っている。


「大丈夫ですか」


 その質問に応えることなく大家が語り出す。


「昨日、カメラの話が終わって山本さんがテレビの中に消えたあと、何の疑いもなく自宅に戻った。ところが、わしの自宅は堀に囲まれていた」


「えー。堀というと池のように水があるんですか?」


「ある。わしは金槌だ。どうしようかと思案しながら堀の周りを歩いていたら橋があった」


「すごい敷地ですね。まるでお城みたいだ」


「昔は町外れの一軒家で農家だった」


「今すぐ、行きましょう」

 

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有無を言わせず田中は鍵を掛けると大家の手を引く。そして慎重に階段を降りて道に出る。


「それでその橋を渡って家に入ったんですか」


「もちろん……」


 田中は大家の声をさえぎって尋ねる。


「家は大家さんが住んでいたそのものでしたか?」


「もちろん」


「鍵は掛かっていましたか?」


「もちろん。鍵を差し込んで中に入った」


「家の中は?」


「もちろん。中は以前と同じだ。ただ……」


「ただ?」


「家の中を歩くとひどく揺れるのだ」


「えー!」


「歳のせいか、目眩を起こしたのかと思った」


 田中の質問が続く。大家は記憶を確かめるように応える。やがて堀が見えてくる。


「あれですか」


「そうだ」

 

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 田中の想像を完全に無視した質素だが大きな家が見える。


「きれいな水だな」


 大家の家を囲む堀の水は周りの街並みから想像できないほどの透明度を持つ。


「金魚が泳いでいる」


 堀はフェンスで囲まれていて「魚釣り禁止」という看板が貼り付けられている。


「『魚釣り』じゃなくて『金魚掬い禁止』とすべきじゃ?」


 大家が思わず笑う。


「田中さんといると心が安まる」


 ふたりは鉄骨製の立派な橋を渡りながら欄干から下を覗く。大家の家はコンクリートの側壁で囲まれている。その側壁は池のかなり深いところまで施工されている。


「家の周りを掘ってレアメタルを取り尽くしたのかな。この堀、かなり深いですね」


「五百メートルはあると聞いた」


「五百メートルも!」


 田中が覗くのを止める。池の水がなかったら断崖絶壁の縁に立っているようなものだ。


「スカイツリーの天辺から真下を見るのと同じじゃないですか」


「!」

 

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 大家が腰を抜かす。やっと事の重大さに気付いたのだ。


「わしはスカイツリーの天辺に住んでいることになるのか」


「そういうことになりますね」


「しかし、眺めはよくない」


「だから立派な服の大家さんはマンションの最上階に引っ越したのか」


「それでアイツはわしがここに住むことに異議を唱えなかったのか。しかし、わしはここしか住むところがないし……」


「でも、揺れるんでしょ」


「……」


 大家が気落ちするが、すぐ手を叩く。


「前みたいにアパートに住めばいいんだ。なんなら田中さんと同居すればいい。毎日あのテレビが見られるし」


「同居!あのアパート、僕の部屋以外、全部開いてますよ。せめて隣の部屋にしてくれませんか」


「ははは、冗談、冗談」


「でも、あのアパートもよく揺れますよ」


「ボロ屋だからな」

 

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「大家さんに言われたんじゃどうしようもないな。でも冗談じゃなく倒壊するかも知れませんよ」


「確かに。地震が起これば……」


「個人的には地震が起こる前に潰れて欲しいな」


「なんだと」


「廊下も用心して歩かないと床が抜けそうです。それに階段も外れそうだ」


「どちらに住むのも考えものだ」


「家賃がタダだから我慢してますが、お金を払ってまで住もうとは思いませんよ。だから空き家だらけになったんです」


「どちらに住んでも揺れるのなら、やはり自宅に住むか」


 大家が田中に微笑むと田中が一歩下がる。


「まさか、僕に同居しろと言うんじゃ……」


 大家が背伸びして田中の肩を叩く。


「さすが田中さんだ。察しが早い」


 窓から顔を出すとまるで水がなく底の底まで見通しがきくほどの透明度の高い水に満たされた堀が見える。

 

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「高所恐怖症じゃないけど、足が震える」


「金魚が空中遊泳しているように見えるだろ」


「大家さんのおっしゃるとおりですね」


「テレビはどこに置こうか」


「僕の部屋でいいですか」


 さすが大家の自宅だ。部屋数は十ほどあってそのうちの比較的広い一室を田中が使うことになった。


「揺れはアパートの方がましですね」


「少し慣れたが、はじめは船酔いしたように何度も洗面所に行って吐いた」


「僕はあのアパートで慣れているから余り気にはなりませんね」


 と言いながら田中がトイレに走る。


「やっぱり、ここに住むのは無謀なのか」


 そのとき玄関のチャイムが鳴ると立派な服の大家とリングラングが入ってくる。


「おまえ、結構、太っ腹じゃな」


 立派な服の大家が靴を脱ぐと勝手に応接室に入る。リングラングも赤いハイヒールを脱ぐと続く。


「パパ~、揺れてるわ!地震だわ」

 

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「狼狽えるな。地震じゃない」


「なんの用だ?」


 勝手に立派な服の大家が応接室に入る。


「田中さんは?」


「洗面所だ」


「そうか」


 質素な服の大家も入室する。


「田中さんに何用だ」


「テレビのことで聞きたいことがあるのじゃ」


 立派な服の大家がレザー張りの黒いソファーにやんわり座るとリングラングも部屋に入ってくる。


「アパートに行ったけれど、いなかったの~。ここにいるんじゃないかと~」


 リングラングがドアを勢いよく閉めると部屋が揺れる。そのとき質素な服の大家がたまらず倒れる。その上にリングラングももんどり打って倒れる。


「おい!大丈夫か」


 やっと田中が応接室に姿を現す。


「大家さん!」

 

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 大家の上のリングラングを引きずり下ろしてひざまづく。


「こんなところにいると死んでしまうわ~」


 田中が頷くと質素な服の大家が目を開ける。何も言わずに立ち上がってトイレに向かう。


「リングラング。ここではそっと歩くのじゃ。それにドアも静かに開け閉めするのじゃ」


 そして立派な服の大家が田中に近づく。


「例のテレビにまったく電源がはいらんのじゃ。なんとかならんか」


「例のテレビ?」


「田中さんから譲り受けた……」


――あっそうか。大家がふたりいるから、あのテレビも二台あることになる


「……何も映らんのじゃ」


「僕は電気屋さんじゃありません。修理はメーカーに問い合わせて下さい」


「メーカー」


「オレンジ社です」


「パパ~。オレンジ社が中国でテレビを発売したけれど、その中国は大騒動だわ。今どうなっているのか早く確認しなければ~」


「ちょっと待て。田中さんのテレビが中国の騒動を報道しているかもしれん。それを確かめてからでも遅くはない」

 

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「私、待てな~い。中国に行くわ~」


「やむ得ん。中国はおまえの祖父の祖国じゃ。すぐ帰れ」


「ありがとう。パパ~」


「今度は静かにドアの開け閉めをしろ。それに静かに歩け」


 しかし、お構いなしにリングラングは乱暴にドアを開けるとそのまま玄関に走りだす。立ち上がろうとした立派な服の大家がそのままソファーに倒れこむ。思わず田中もしゃがみ込む。そのとき質素な服の大家の悲鳴が聞こえる。


「わあああ」


 田中が這うように応接室を出るとトイレに向かう。幸いドアはロックされていなかった。そこには便座にすっぽりと尻を突っこんで仰向けになって手足をバタバタさせる質素な服の大家がいた。


「心配いりません。バタバタすると家が揺れます。落ちついてください」

 

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