39 ミラーあり一眼デジタルカメラ


「元に戻っちゃいましたね」


「わしはこの方がいい」

 

 田中の部屋には質素な服の大家と田中しかいない。立派な服の大家はリングラングと佐々木を連れてあの高層マンションの最上階の部屋に戻った。


「今回の出来事、田中さんはどう思う?」


「よく分かりません」


 そういうと田中はドアを開けて外に出る。


「どうした。どこへ?」


 すぐ田中が戻って来る。


「隣に山本さんがいるかどうか確かめました。でも表札はないし電気も付いていませんでした」


「そうか」


「ニューヨーク空港で僕が佐々木と合体して、山本さんがリングラングと合体したように見えたんでしょう?」


「確かに」

 

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「僕の空想を聞いてくれますか」


「田中さん。わしはいつも言ってるだろ。田中さんだけが頼りだと」


「わかっています。でも、今から言うことは突拍子もない話です」


「これまでの数々の事件のことを思えば、わしは驚かんぞ」


「今までテレビの画面のことばかり気にしていました」


「確かに」


「でも、このテレビの画像や動画はどんな道具で撮影しているのか、気にもしなかったし、考えようともしなかった」


「動画?」


「映像のことです」


「どうも立派な機材ではなくデジカメで撮った画像や動画、いえ映像ではないかと」


「画像はともかく映像はカメラでは撮れないぞ」


「そんなことはありません。デジカメで映像も撮影できます」


「へー!わしが若いときは写真はカメラで映像は8ミリという撮影機を使っておった」


「歴史で学びました」


「歴史!わしは過去の遺物か!」


「そんなに興奮されては話が進みません」

 

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「すまん」


 田中が大家を無視して棚からカメラを出す。


「これ、一眼デジタルカメラです」


「これが?」


 大家が田中からカメラを引ったくるとしげしげと見つめる。


「ペンタプリズムがない」


「ペンタプリズム?」


「こう見えてもわしは写真愛好家だ。一眼レフカメラと交換レンズ数本を持って景色や花や祭りなどをよく撮ったものだ」


「へー」


 田中が大家を見直す。


「ところでペンタプリズムってなんですか」


「ほー、田中さんでも知らないことがあるんだ」


「僕は博士じゃないし、貧乏だからカメラなんか買えなかった。ところが大家さんのお陰で生活費に困ることがなくなったので、このカメラを買ったんです」


「一眼レフはその天辺に五角形のプリズムが入っておる」


「五角形……ペンタゴン……ペンタプリズムか」

 

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「しかし、このカメラの上辺は平らだ」


「なにか不都合でもあるんですか」


「たとえば花を撮るとしよう。花を確認しながら撮影できるという画期的なカメラが一眼レフなのだ」


「一眼レフという名のカメラがあるということは二眼レフというカメラがあるんですか」


「三眼レフというのもあったらしい。わしの若い頃はカメラと言えば二眼レフだった」


「カメラ屋さんにレンズが縦にふたつ並んだ箱のような中古カメラが置いてあったのを覚えています」


「まさしく二眼レフ、メガネを縦にしたようなデザインだったろ」


「うまいこと言いますね。横に置けば箱にメガネが付いているような感じでした」


「二眼レフというのは人間用と撮影用にレンズがふたつあるカメラのことだ」


「そういえばコンデジは二眼レフだと誰かが言ってたな」


「なんだ?そのコンデジというのは」


「コンパクトデジタルカメラ。略してコンデジです」


「バカ売れしているカメラだな。ファインダーがなくて液晶を見ながら撮る奇妙なカメラのことか」


「いえ、ファインダーがあるものもあります」

 

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「まあ、コンデジのことはこっちへ置いてメガネの話に戻ろうか」


「昔の二眼レフの話ですね」


「撮影者が撮りたいものをフィルムの前のレンズとは別にもうひとつのレンズで確認する。つまりふたつのレンズを使ってできるだけ撮影者の意図に沿った写真を撮るために生み出されたアイディア、それを二眼レフカメラが実現したのだ」


 胸を張る大家に田中が合いの手を入れると大家にスイッチが入る。


「しかし、フィルム前のレンズにできるだけ近い場所に別のレンズを取りつけても撮影者の見たものとフィルムに映るものとはまったく同じものではない。ましてやレンズを交換して望遠レンズや広角レンズに付け替えると撮影者が見たものとフィルムに届くものはまったく違う。つまり撮影者が覗くファインダー側も望遠や広角レンズに取り替える必要が生じるのだ!」


 大家の得意気な話が続く。


「一眼レフの場合、レンズを望遠レンズに変えようと、広角レンズに変えようと、魚眼レンズに変えようと、レンズを通った光がそのままファインダーに届く。つまり見たまま撮影できる。この仕組みをTTL(Through The Lens)と呼ぶのだ」


「その仕組み、もう少しやさしく説明してもらえませんか。そこに重大なヒントがあるような気がします」


「レンズを通過した光を四十五度傾いた鏡で反射させて進路を上部に替える。このままでは上

 

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下が反対なのでペンタプリズムで逆転させて人間の目に光を届ける。だから撮影される光そのものをファインダーで確認できるのだ」


「なるほど」


「だが、まだ問題が残っておる」


「えー?」


「この仕組みでは本当に見たままの被写体、つまり花を写すことができないのだ」


「でもひとつのレンズを通して人間の目に、そしてフィルムにも写したい対象物が届くんでしょ」


「一瞬のタイムラグが生じるのだ」


「大家さん。すいませんがこういう類いの精密な話の役割分担は僕なんですが、なぜここまで大家さんがセリフを続けるんですか」


「黙って聞け」


 田中が身を引く。


「一眼レフではシャッターボタンを押した瞬間、ミラーが跳ねあがって目に届く光の経路をフィルムに届く経路に変更してから、フィルム前のシャッター幕が横にスライドしてフィルムが感光するのだ。このタイムラグが見たままの光景が撮影できない理由だ!」。


「ほんの一瞬のタイムラグが生じるのか!」

 

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 田中が大家の説明を別の言葉に変換する。


「光の経路を分けるのが鏡。英語で言うとミラー。ファインダーを覗いているときはレンズからの光をフィルムの前に立ちはだかるシャッター幕に直進させるのではなく、その前に置いた四十五度に傾いたミラーで上に反射させる。その反射光は上下逆さまなのでペンタプリズムで百八十度ひっくり返してファインダーを覗く目に届ける。そしてピントを合わせてシャッターを切るとミラーが跳ね上がって幕が横に走る。ミラーに邪魔されなくなった光がフィルムに向かう。そうするとほんの少し前に撮影者が見つめていた被写体が撮影される」


 大家が満足そうに微笑む。


「ミラーがファインダーとフィルムへの経路を振り分けるんですね。今はデジタルの時代ですからフィルムの代わりに撮像素子というセンサーを使いますが、原理は同じなんだ」


「だが、ミラーレスというのは光をファインダーとセンサーに振り分けるミラーがないのか」


 今度は大家が質問に回る。


「そうです」


「そんな一眼レフカメラはあり得ない」


「でも何種類ものミラーレス一眼レフが販売されています」


「信じられん。いったいどんなカラクリを使っているんだ」


「最近知ったんです。僕は素人ですから乱暴な説明になるかも知れません。簡単に言うとこう

 

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です」


 田中と大家の立場が完全に入れ替わる。


「乱暴でかまわん。詳しく説明されてもわしにはわからん」


「分かりました。間違いを恐れずに説明します。レンズから入ってきた光は撮像素子、つまりセンサーに捉えられますが、そのセンサーの情報がファインダー、正確には電子ファインダーと言いますが、そこに送られたり、カメラ背面の液晶モニターに送られます。すなわちセンサーで映像がデジタル化されて直接ファインダーやモニターに送られるようです」


「デジタル化されてミラーが不要になったのか」


「もちろん、ペンタプリズムも不要になりました」


「そうすると随分小型化されるな」


 大家は手にしたカメラを確認する。そしてあるボタンを押してレンズを外す。


「このカメラ、確かにレンズ交換式カメラだ。しかも小さくて軽いな」


 そして再びレンズを装着すると背面の液晶モニターを見ながら頷く。


「フィルムは入っているのか。一枚映していいか」


「フィルムじゃなく代わりにメモリーが入っています」


「メモリー?記録装置だな」


 そう言いながら大家が田中を写す。モニターにその画像が表示される。

 

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「今写した写真が!」


 大家が興奮しながら続ける。


「ピントを合わすのを忘れた……それに部屋の中なのに鮮明に写っておる」


「オートフォーカスといってカメラがピントを合わせてくれるし、暗いところでも自動的に感度を上げてストロボを使わずに写せます」


「驚きだ!」


 大家は感激して部屋中のあちこちを写す。そのたびに子供のような歓声を上げる。


「大家さんはデジタルビデオカメラを使いこなしているのに、デジカメを知らないなんて不思議だな」


「わしは未だペンタックスSPという一眼レフカメラを使っておる。しかし、最近現像してもらう店が少なくなって、いや、それよりフィルムが手に入りにくくなった」


「この際、デジカメの一眼レフ、ミラーレスじゃなくてミラーアリの一眼レフに買い換えては?」


「ミラーアリのデジタル一眼レフもあるのか」


「あります」


「でも重いんじゃ?」


「軽いモノもありますが、当然ミラーレスの方が小さくて軽いです」

 

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「歳をとったから軽い方がいいな」


 ふたりはフーッとため息をつく。


「ところでカメラの話題で盛り上がっているが、もともと何の話をしようとしてたんだ……」


「あっ!思い出した。このテレビはいったいどんな撮影機で取材した動画を流しているのか。


それに僕と佐々木、それに山本さんとリングラングがなぜ合体して、また分離したのか。その原因はカメラじゃないかと言おうとしたら脱線してしまった」


「すまん、すまん」


 大家が頭を下げる。


「大家さんのせいじゃありませんよ」


「ミラーレスカメラじゃなくて、ミラーアリカメラなんです」


「ミラーアリが鍵を持っているというのだな」


「そうです」


 大家がカメラをテーブルにおいて田中を促す。


「特殊なミラーを組み込んだカメラではないかと思うんです」


「特殊なカメラか」


「いえ。ミラーだけが非常に特殊なカメラじゃないかと」

 

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 田中が目を閉じる。大家が膝を乗りだして田中を見つめる。


「ミラーがふたつの世界を振り分けるんです」


「!」


 大家が言葉を呑みこむ。


「ふたつの世界。ひとつは僕らのいる世界。ファインダーやモニターで見ている世界です」


「もうひとつは?」


 我慢できなくなって大家が質問する。しかし、田中は目を閉じたまま言葉を続ける。


「ミラーが跳ねあがって撮像素子を介してメモリーに記録します。そう、もうひとつはメモリーの世界」


 大家は再びカメラを手にするとあらゆる方向から観察する。そしてあるキャップをこじ開ける。


「山本さんが持っていた撮影機も同じ原理で僕や佐々木やリングラングを撮影していたんじゃないかと思うんです」


 大家が器用にカメラからメモリーカードを取り出す。


「この中に別の世界が存在するのか」


 田中が目を開けると軽く首を横に振る。


「僕のカメラのメモリーにそんな世界は入っていません」

 

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「あのとき、確かに山本が撮影機を回していた」


「回していた?」


「要は撮影していたということだ。昔は撮影機の取っ手をぐるぐる回して長い長いフィルムに記録したのだ」


「なるほど。それはさておき、あの撮影機がふたつの世界を振り分けていたと思うんです」


 大家はカメラをテーブルに戻すと腕を組む。


「しかし、わしは撮影されたという記憶はない。なのに分離しておる。田中さんや佐々木、山本さんやリングラングのように合体して分離していないぞ」


「前半の疑問にお答えします」


 田中の軽い言葉に大家は身構える。


「大家さんは気付かなかったのかも知れませんが、山本さんがしょっちゅう撮影していましたよ」


「知らなかった」


「大家さん。このテレビから始まったふしぎな事件の数々、もう後に引くことはできません」


 大家が真剣に頷いてみせる。すると突然テレビの電源が入る。


「この物語、ここで転機を迎えそうですね」


 目の前のテレビにいつものグレーのスーツを着た逆田と山本が現れて頭を下げる。

 

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