翌日、オレンジ社のテレビの映像どおり高速鉄道の脱線事故が起こる。中国政府はあのテレビの発売日に起こった大乱闘の報告をまったく受けていなかった。だから、この脱線事故の処理は初動からボタン掛け違えたままで進行する。つまり事故処理自体が脱線することになる。
まず、事故を隠そうとする。マスコミを統制しているといっても、取材を止めることは不可能だ。それでも高架軌道から列車が落下した付近を封鎖して取材を規制した。当然上空からヘリコプターで現場に近づくことができるのは中国軍と警察、救助隊それに鉄道院の幹部と鉄道事故処理隊だけだ。したがって地上でマスコミが取材する情報量は知れている。しかし、オレンジ社のテレビでは通常の報道とはまったく異なった詳細な映像を見ることができる。逆田が田中たちに告げる。
「その映像をこのテレビで紹介しましょう」
「テレビでテレビの映像を見るのか」
逆田が頷くとテレビの中にテレビが現れる。
*
高い塀の中では鉄道院の幹部を中心に鉄道事故処理隊が緊急救助隊に立ちはだかる。
「救助が先だ」
[410]
鉄道院の幹部が緊急救助隊の隊長の胸を突く。
「救助?生存者などいるはずがない。無駄なことをするな」
「!」
別の幹部がそびえるような高架軌道を指差す。
「あんな高いところから落ちたら全員死亡したに決まっている」
「なんと乱暴な見解だ!何のために我々はここに来たんだ!」
「そうか。そんなに仕事が欲しいのなら、ここで大きな穴を掘れ」
「!」
再び救援隊長が絶句する。静まったのを見て鉄道事故処理隊長が部下に尋ねる。
「重機はまだか」
「こちらに向かっているはずです」
「仕方ないな」
この緩慢なやりとりに先ほどの幹部が怒り出す。
「急げ!何をぐずぐずしている。早急に営業運転再開できなければ全員首だ」
「分かりました。しかし、重機が到着したらどうするんですか」
「何を聞いていたんだ。さっきから言ってるだろ!事故車両をすべて埋めろ」
「!」
[411]
さすがに事故処理隊長も驚いて幹部を見つめる。
「命令を復唱しろ!」
「分かりました」
ここで急にテレビを見つめるあの夫婦の映像に変わる。
「なぜ埋めるの」
「分からん。この事件をなかったものにしようとしてるんじゃ?」
「そんな!こんな大事故が起ったのに列車を埋めたって何にもならないわ」
夫は頷くだけでテレビから視線を離さない。現場で指示する事故処理隊長の厳しい命令口調の音声が漏れると再び映像は現場に戻る。
「すべての車両をシートで覆え!」
「救助作業は?」
もう一度救助隊長が詰めよるが無視される。
「命令を実行せよ!」
このやりとりに先ほどの夫婦の妻の声が割りこんでくる。
「救助が優先でしょ!」
夫の叫び声が響く。
「何ということだ!政府は同胞を見殺しにするのか!」
[412]
どこからどのように撮影しているのか分からないが、画面に血みどろの乗客が映っている。そして弱々しい声が聞こえる。
「た、助けて……」
「痛い、い、た、い…」
「く、くるしー」
*
オレンジ社の中国工場長が秘密高等検察庁に連行されると、いきなり秘密検察官の尋問を受ける。
「いったいこのテレビはどういうテレビだ」
大柄な検察官が押収したテレビを指差す。
「知りません」
そう答えたとたん大きな音がして工場長が床に倒れる。検察官に張り倒されたのだ。
「いきなり高速鉄道の脱線事故が映しだされたという情報がある。でたらめなニュースを流して世間を混乱させるつもりだな」
「ほ、本当に、知らない、の、です」
口から出血した血を拭うこともしない真っ青な工場長を検察官が見降ろす。
「このテレビに何が映っていたのか、知らないはずがない」
[413]
倒れたまま工場長が弁明する。
「しっ、知りません。せっ、設計図どおり、せ、製造した、だ、だけです」
検察官が力一杯工場長の脇腹を蹴りあげる。
「うっ!」
そのとき、ひとりの男がドアから入ってくる。
「シュー、やめろ!」
同時に工場長の横まで走りこむとひざまずいてから「シュー」と呼ばれた検察官を見上げる。
「我が国の検察官は質問するとき、相手を床に寝かせるのか」
「お前は誰だ。誰の許可を得てこの部屋に来た?」
「総書記の指示だ。私は中国海軍大佐、チェン」
「大佐ごときの軍人に総書記が指示するはずがない」
ドア付近で咳払いがするとシューが狼狽える。
「長官……」
ただならぬ秘密高等検察庁長官の気配とその周りにいる数人の幹部の鋭い視線にシューが一歩引く。
「うせろ」
しかし、シューは抵抗する。
[414]
「長官!ちょうどよかった。このオレンジ社の……」
「うせろと言ったのが聞こえないのか」
「どういうことですか」
「鉄道院の事故処理隊長を先ほど総書記が更迭した。さらに秘密高等検察庁の関与も否定された」
「総書記が人民解放軍直属の秘密高検を無視したとでも」
「そうだ。総書記が人民解放軍の最高司令官であることを忘れたのか」
「それは形式上のことだ。このことは長官が一番ご存知のはず」
「シュー、おまえはなぜこんなところで尋問しているのだ。鉄道院に借りがあるのか」
「!」
黙ってシューが足早に部屋から出て行く。すぐさまチェンは工場長の固まりかけた鼻の下の血をハンカチで丁寧に拭き取りながら進言する。
「長官。我が国はあのテレビで世界一正直な国になることができます」
「大佐。どういうことだ。教えてくれ」
「このテレビは真実を伝えるテレビです」
長官が首を傾げる。チェンは立ち上がるとシューが持ち込んだ例のテレビに長官の腕を取って連れて行く。すると画面にシューが工場長の脇腹を蹴りあげる映像が流れる。長官はテレビ
[415]
から視線を部屋の隅々に移す。そして首を傾げる。
「盗撮されている訳ではありません」
落ち着きを取り戻した工場長にチェンが尋ねる。
「このテレビが完成したとき、製品チェックをしましたか」
「いいえ。生まれてこの方、こんな経験は初めてです。組み立てが終わると、そのまま梱包して出荷倉庫に山積みしました」
「要は中国政府がこのテレビを製造させて欲しいとオレンジ社に頼んだから中国で製造しただけなのか」
チェンの言葉に頷いたのは工場長ではなく長官だった。
「ときのアメリカ大統領がオレンジ社のスティーブ・ゲイツにアメリカでこのテレビを製造してくれと頼みこんだのを中国が横取りしたというたぐいの話を聞いたことがあるが。チェン、詳しく説明してくれ」
「このテレビによると鉄道院はこの事故を隠蔽しようとした」
「そんなことするはずが……」
「いいえ。だから鉄道院事故処理隊長を直接総書記が更迭した」
「わかった」
そのとき職員が入ってきて大声で報告する。
[416]
「シューが事故現場に向かったようです。それに……」
「やはりそうか。権益の塊の鉄道院に身を寄せているのかもしれない。しばらく泳がせよう」
チェンが長官に耳打ちする。
「シューだけではありません」
「どういう意味だ」
そのときドアが開くと大きな声がする。
「長官を拘束しろ!チェンもだ」
先ほどの職員を突きとばして秘密高等検察庁の次長と武装した数人の兵士が銃を構えて部屋に乱入する。
「次長!何のマネだ」
しかし、チェンは狼狽えることなく次長と長官を見つめる。
「人民解放軍の幹部の一部に総書記をよく思わない者がいる。彼はその幹部の信任が厚い人間だ」
「チェン。海軍の大佐にしておくのがもったいないぐらいに優秀な軍人だ。おまえの手で長官を逮捕しろ」
「その前に後ろを見ろ」
次長の後ろで銃を構えていた兵士が銃を床に放り投げると手を上げる。
[417]
「こんなこともあろうかと、海軍の上陸精鋭隊をこの近くに待機させていました」
やれやれといった表情をしながら手を上げる次長に向かって笑みを浮かべる。
「おまえが言うとおり、チェンは大した男だ」
そして部下に命令する。
「すぐ尋問室に連れて行け。しかし、高検の建物内で次長を逮捕して即尋問することになるとは情けない話だ」
今度は苦笑する。
*
「さて事故現場が心配だ」
長官がドアに向かう。
「同行します」
チェンが総長の背中に声をかける。
「もちろんだ」
「ありがとうございます」
「ヘリコプターを回せ。それから工場長をオレンジ社にお送りしなさい」
工場長が大きく首を横に振る。
「長官!私もご一緒させて頂きたい」
[418]
「それは無理だ」
「この事故は我が社のテレビを買った人すべてが知っています」
「そのようだな」
「長官。工場長にも来てもらいましょう。話はヘリコプターの中で」
チェンが促すと長官が改めて部下に指示する。
「ヘリの準備は?」
「あと二、三分は掛かります。屋上にご案内します」
長官がチェンと並んでエレベーターホールに向かう。
「チェン大佐。私の機嫌など取ることなく忌憚のない意見をお願いしたい」
長官がチェンに深々と頭を下げる。
「今回の事件で鉄道院は穴を掘って事故車両を埋めようとしているが、自ら墓穴を掘ったようなものです」
「鉄道院が高速鉄道の利権に関わっているのは分かっていたが、なかなかしっぽを掴めなかった」
「身内に鉄道院と癒着する者がいれば無理です」
「図らずしもこの大事故で露呈された。私の監督不行届だ」
「はじめに申しあげましたが、中国はこのテレビで世界一、正直で透明な国になるでしょう」
[419]
「ついでに北京のスモッグで汚れた空も透明にして欲しいものだ」
チェンが初めて微笑むと長官がチェンの手を固く握る。
*
重機が轟音を立てて大きな穴を掘っている。
「何をするつもりだ!」
現場に到着した長官が高架軌道付近で作業をする鉄道院事故処理隊に向かって怒鳴る。
「隊長がいなくなって作業を中断しましたが、再び穴に列車を埋めろと命令されました」
「誰に!」
「シュー秘密検察官です。それに陸軍からも要請がありました」
「シューをこの事件の担当からはずして私が直接指揮する。私は秘密検察庁長官だ」
「待ってください。私たちはいったい誰の命令に従えばいいのですか?現場は大混乱です」
「間もなく総書記が来られる。とにかく私の命令に従え」
「わ、分かりました」
「救助優先だ。鉄道事故処理隊は緊急救援隊を手伝え。息が切れていても病院へ搬送しろ。それに証拠は隠すな。何かあったら些細なことでもすぐ報告せよ」
「長官!我々はこの命令を待っていました」
事故処理隊員の表情が明るくなると全隊員から歓声が上がる。
[420]
「もう、どんな妨害があっても我々は救助を優先する」
すぐさま救援隊長が反応する。
「みんな!ひとりでも多くの乗客を助けるんだ。そのために死を恐れるな」
救助隊、そして事故処理隊が活発に動き始める。長官が頷くと感激でうっすらと涙を流しながらチェンは軍用携帯電話を手にして長官に告げる。
「陸軍の方は私に任せてください」
チェンは管轄外の陸軍の幹部に連絡を取ると強く救助活動を迫る。そんなチェンに長官が驚く。
「海軍の大佐が陸軍を動かすとは」
チェンが電話を切ると工場長に向き合う。
「工場長!あなたがあのテレビで見たこの現場はどうだった」
「言ってもいいんですか」
「心配しなくていい。あなたが何を発言しようと私がすべてカバーする」
「分かりました。自ら同行させて欲しいといった以上、私も逃げるつもりはありません」
長官も工場長を促す。
「救助作業に役立つはずだ。是非昨日見たことを教えて頂きたい」
工場長は意を固める。
[421]
「まず、あの大きな穴。あそこに落下した事故車両を埋めました」
「なんだと!」
チェンと長官が同時に叫ぶ。
「事故車両を隠そうとしたんだ」
「なんとか、それを防いだということか」
「それから……」
工場長の話が続く。チェンと長官はそのつど驚きながらも黙って聞く。チェンは工場長に背を向けると特別携帯電話で総書記を呼びだす。
「秘密検察庁長官が善後策を講じていますが、警察、陸軍が事実を隠そうとするかも知れません。そのぶん乗客の救助作業が遅れます。救助を最優先するよう、大号令を掛けて頂きたい。この事故の対応次第で中国の信頼性が天と地ほどに変わります」
「もうすぐそちらに到着する。チェン、もうしばらく苦労を掛ける」
チェンは再び工場長の話の続きを聞く。
*
「政府の対応はオレンジ社のテレビで放映されたようなむごいものではなかった」
「オレンジ社のテレビはいい加減だ」
「そんなことはない。事故が起こったことは事実だ。すごいテレビじゃないか。未来を映すす
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ごいテレビだ」
テレビから流れる議論に田中と質素な服の大家が深いため息をつく。
「僕らは地震や津波や原発の事故を事前に知っても何もできなかった」
「そうだ。わしらは何もできなかった」
「未来を知っても何もできない」
立派な服の大家が割って入る。
「じゃが、中国政府というか、チェンや秘密検察庁の長官が手を打ったぞ」
「どこが違うのか」
田中がそう言ってから小膝を叩く。
「このテレビが一杯あって、一日先に起こる鉄道事故の映像を多くの人が見た」
「それを知った政府がテレビの映像と同じ状況にならないように踏ん張った!」
「僕らとはまったく違う!」
田中と質素な服の大家が手を握る。
「わしらの無念さを中国政府が晴らしてくれた」
「アホか」
立派な服の大家が水をさす。
「アホとは何だ」
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質素な服の大家が立派な服の大家の襟口を掴む。
「兄弟ゲンカは止めて!」
山本が仲裁する。
「兄弟ゲンカ?」
両大家が声をそろえて山本を見つめる。
「いい歳をして見苦しいわ」
山本がプイッと視線をずらす。そのとき山本の身体がブルブルと震える。同時に田中の身体も同じように、いや、それ以上に震える。両大家が腰を抜かしてふたりを見つめる。
「パパ~」
「リングラング!」
山本の身体の輪郭が消えるほど真っ赤に輝くと狭い田中の部屋がまるで火事場のように燃え上がる。炎の中からふたつの身体が現れる。そして輝きが弱くなると赤いワンピースを着たリングラングと質素なグレーのスーツの山本が立っている。両大家も分離した山本もリングラングも太陽を直視して網膜が焼けたように周りをキョロキョロと見渡す。やがて視力が正常に戻ると、まずリングラングが声を上げる。
「佐々木」
いつの間にか田中の横に目をうっすらと開けた大柄な佐々木が立っている。
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「ここは?」
「ニューヨーク空港じゃないことだけは確かよ」
狭い田中の部屋に六人もいる。
「パパ~どうしてこんなところにいるの」
「お前こそ、どこへ行ってたんだ」
そのときテレビから逆田の声がする。
「どうやら、オレンジ社のテレビが大量に供給されたので封印が解かれたようです」
山本が画面の逆田を指差して叫ぶ。
「逆田さん!どういうこと?」
山本の指先の画面に穴が開くとそこから波紋が広がる。その波紋の中心に指先から吸い込まれて山本がテレビの中に移動する。
「こういうことです。山本さん」
逆田に山本が大きく頷く。
「要は見る人がいないとこのテレビはただの箱だということ、ですね」
今度は逆田が頷く。
「そうです。このテレビは……」
ここでプツンと電源が切れる。
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