37 発売


「本日、このテレビと同じテレビが中国で発売されます」


 田中や山本や大家たちが見つめる画面に長蛇の列が映る。


「電源コードは付いているのかな」


 田中を無視して山本が目を丸くする。


「すごい行列だわ」


 警察官が列からはみ出した者を押し戻す。


「わしも中国に行って手に入れたいな」


 立派な服の大家が膝を乗りだすと田中が呟く。


「このテレビとまったく同じものなんだろうか」


 淡々とした逆田の声が流れる。


「オレンジ社の設計による画期的なテレビだという情報が流れただけでご覧のとおりの行列ができました。中国の製造工場ではかん口令が敷かれて製品の内容は不明です。政府ですら分からないようです。ウワサですがjフォン・オレーやjタッパ・オレーと連携できるらしい」


「やっぱり!」


 田中が手を打つ。

 

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「オレンジ社は製品の秘密を条件に中国での製造に踏み切りました。当初中国政府はどんなテレビを造るのか内容を明らかにしない限り製造を認めませんでした。スミス財団のスミス氏の紹介したサムシング社のキム・イーチ会長のアドバイスを受けたオレンジ社のスティーブ・ゲイツが『原爆や兵器を製造するのではない。単なるテレビだ。それならコストは高くなるが、秘密をキチンと守り技術力の高い日本で製造する』と突っぱねました。すると中国の総書記が直接スティーブ・ゲイツを招いて無条件で認可したようです」


 画面にはまだ元気だったころのスティーブ・ゲイツと中国の総書記がにこやかに握手する映像に変わる。


「やっぱりこの交渉の裏にはスミスさんとキム・イーチがいたんだわ」


「詳しい経緯は不明です。しかし、中国はしたたかな国です。諜報員をオレンジ社の工場に潜り込ませようとしました。ところがことごとく発覚したようです」


 逆田は間を置くように言葉を止める。


「スティーブ・ゲイツはどんな手を使ったんだ?」


 田中の疑問を待っていたかのように逆田が応える。


「スティーブ・ゲイツは信頼関係の構築を何よりも優先しました。きっちりと信頼関係が構築された組織は、信頼関係が曖昧な組織の人間が侵入してもごく自然に排除します。バイ菌が入ってきたらすぐに白血球が排除するように」

 

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「スティーブ・ゲイツ!すごいな。生きているのなら会いたい」


 即座に山本が反応する。


「逆田さん。今の田中さんの希望、叶えられますか」
「いくらこのテレビを通じて突拍子もない報道ができると言っても、それは無理ですね」


「発売されるテレビがこのテレビと同じなら大変なことになる」


 田中の心配に山本が急に興奮する。


「そうだわ!まったく気付かなかったわ」


「このテレビは一台だけしかないから、地震が起きると分かっていても、わしらは何もできなかった」


 質素な服の大家が東日本大震災と津波と原子力発電所の事故を思い出して目頭を押さえる。


「そのとおりじゃ!このテレビが普及するとどうなるんじゃ」


 急に立派な服の大家も興奮の仲間に入ると田中が低い声を出す。


「だから大変なことになる」


「真実が中国の国内中に報道されるぞ!」


 質素な服の大家の目がかっと開くと画面にテレビを購入した若い夫婦が登場する。なんと逆田がその夫婦にインタビューしているではないか。周りでは野次馬が逆田と夫婦を見つめる。

 

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「このパッケージはかなり重たそうですね。中身を確かめて購入したのですか」


 大きな白い箱には橙色の蛍光色のオレンジマークがひとつだけ印刷されている。その下には黒い文字で「TV」としか書かれていない。夫が短く応える。


「いいえ」


「そうですね。発売するまでどんなテレビか明らかにしないという大変不思議な製品でした。それなのによく思い切りましたね」


「オレンジ社の製品で今まで期待を裏切られたこと、ありましたっけ?」


「ありませんよね」


 妻が追従すると夫が一気にまくしたてる。


「jフォンにしてもjタッパにしても持ってないとバカにされた。俺たちはjフォンとjタッパで結婚したんだ」


 夫がパッケージを地面に置くと妻を抱きしめる。


「ところで、そのパッケージ、ここで開けてみませんか」


「いいですよ。俺も妻にそう言おうとしていたんだ」


「早く開いて!ダーリン!」


 夫が乱暴にパッケージを開く。周りから大きな歓声が上がると逆田を押しのける不届き者も現れる。すぐ白い液晶テレビが現れる。

 

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「なんだ!これは?」
 第一声は落胆の声だった。出始めの液晶テレビのように画面周りの縁がやたら広い。パッケージの中に入っているのは液晶テレビだけで電源コードもアンテナもリモコンもない。もちろん取扱説明書も保証書も見当たらない。これまでのオレンジ社の製品も素っ気なかったが、それでも薄い説明書や取扱についての注意事項が簡素に書かれたリーフレットが添付されていた。


 沈黙が周りを包む。やっと夫が妻に告げる。


「店に戻るぞ」


 夫はテレビを肩に載せると人混みを押しのけて店に向かう。妻も元の形を留めないパッケージを引きづって夫に続く。そのとき誰かが大声を出す。


「何か映っているぞ!」


 いつの間にかそのテレビが輝いている。


「ほんとだ!」


「これはいったい……」


その声に夫が担いでいた白いテレビを地面に置く。


「映画?……じゃない」


画面には高速列車が高架軌道から真っ逆さまに落ちると地面に突きさる映像が流れる。

 

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「これは中国高速鉄道だ!」


「事故!」


「ニュース番組?」


「脱線して車両が落下したんだ」


「どこで起きた!」


 落ちた高速列車がアップされる。窓が割れて血まみれになった人々が生々しく映しだされる。しかし、白煙か舞い上がって映像が不鮮明になる。


「大変だ!」


「警察は?」


 テレビを見て興奮する人々の映像に田中や山本たちは生唾を飲む。あの夫婦とかなりの数の人が白いテレビを取り囲むが悲惨な画面に圧倒されて言葉を失う。


「これから起きる事故をあのテレビが流しているんだ」


 そう言うと田中が全身を震わせて口から泡を吹いて倒れる。


「田中さん!」


 質素な服の大家がひざまずくのと山本が田中の額に手を当てるのが同時だった。


「大変なことが起こる」


 田中は起きあがって口元を拭う。

 

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「どうしようもない」


 質素な服の大家が落胆する。


「今から起きる事件のことじゃない」


 田中が力強く否定的に応える。山本が半分ほっとした表情で頷く。


「そう!いずれこの事故に対する中国政府の対応が赤裸々にあのテレビを通じて報道されることになるわ」


 そのとき画面から逆田の大きな声がする。


「この列車は北京と上海の間を走る高速鉄道です!」


「試運転中の事故か」


「それなら、あんなに乗客が乗っているはずないぞ」


 再び逆田の声がする。


「試運転は今日まで。明日から営業運転が始まります」


 逆田の周りが騒がしくなる。


「どうしてこんな映像がテレビに!」


「おかしいじゃないか。パッケージから取り出しただけなのに映像が!」


 彼方此方から大きなざわめきが起こる。


「このテレビは未来を映すことができるんじゃ?」

 

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「明日起こる事故を映しているとでも」


「まさか」


「私の両親が予約している。明日この高速鉄道に乗って上海にやって来る!止めなければ」


 これだけの人間がいれば冷静に分析する者もいる。


「映画のビデオじゃないか。これが放送ならおかしい。まずアンテナがないじゃないか」


「そうだ!内蔵のSSDかメモリーに書きこまれたおまけビデオを再生しているんだろう」


「でも電源は?」


「バッテリーが内蔵されているに違いない」


「そうか」


「なるほど」


「かなり質の悪い冗談だな」


 先ほどまでの興奮が急に収まってオレンジ社を非難する声が上がる。


「オレンジ社のファンだが、この製品は問題だ」


「購入できないヒガミか」


「なに!もう一度言って見ろ」


 中年の男がテレビを買った夫の頭を小突くと妻が男に噛みつく。


「散々ただ見して、なによ、その態度は」

 

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「うるさい!」


 中年の男が女の手を払うと髪の毛を掴む。


「痛い!」


「やめろ!」


 警備に当たっていた警察官が割って入るが、すぐに乱闘が始まる。なぜかまるで伝染するようにいたるところで同じことが起きる。

 

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