「日本海溝深海からミサイルが発射されました」
「なに!」
防衛省中央コントロールルームからの緊急通報で仮眠していた鈴木一佐が起きあがると特殊携帯電話に耳を付けたまま廊下に飛びだす。
「ミサイルの到達地点は?」
「北陸もしくは近畿北部と推定されます。詳しい着弾点確定まで少し時間がかかります」
「迎撃の手はずは?」
「検討中です」
「すぐさま手当てしろ!」
鈴木は走りながら現状を想像する。海が後退していないときは、まず海上に展開するイージス艦がミサイル迎撃に当たる。いわゆる第一次防衛ラインだ。この防衛ラインを突破されたら旧日本列島各地に配備されたポトリオットミサイル防衛隊、すなわち第二次防衛ラインが迎撃に当たる。しかし、イージス艦は日本から遙か遠い海上でなすすべもなく停船している。
中央コントロールルームのドアが音もなく横にスライドすると鈴木は壁一杯に広がる巨大なモニターパネルを見上げる。
[385]
「着弾地の絞り込みは?核ミサイルか?」
「……」
「どうした!応えろ」
パネルの中央上部に福井県の航空写真が現れると、ある地点がズームアップされる。
「福井原子力発電所です」
「迎撃可能なミサイルは?」
「大阪城のポトリオットだけです」
「迎撃態勢は」
「それが」
「どうした!」
「大阪城ミサイル防衛隊は花見で休暇中です。数名を残してほとんどの隊員は西の丸庭園でどんちゃん騒ぎしているようです」
「夜桜か」
鈴木が肩を落とす。未確認のミサイルがまもなく大阪城の真上を通過する。花見で盛り上がる防衛隊員や大衆には流れ星にしか見えないだろう。
「福井県庁と福井原発にミサイル到達時間を知らせろ。それとミサイルは核弾頭を積んでいないとも」
[386]
「えー!もしグレーデッドのミサイルなら核ミサイルのはずです」
「間違いなくグレーデッドのミサイルだ。しかし、原発を攻撃するのなら核は不要だ」
「県庁と原子力発電所に回線が繋がりました」
「すぐ伝えろ」
「混乱するだけです」
鈴木はそう発言した通信士の背中を強く押す。
「その時期が早いか遅いかだけだ。ぐずぐずするな」
鈴木は萎縮しそうになる気持ちを奮い立たせて次々と命令と指示を続ける。
「韓国軍や中国軍への通報は?」
「韓国軍には通知済みです」
胸のポケットから別の携帯電話を取り出すとボタンを押して鈴木はイライラしながらパネルに表示されたミサイル到達時間を示す表示を見つめる。
「チェン!」
流暢な中国語で現状を伝える。すぐチェンの緊張に満ちた声がする。
「幸いなことに中国海軍の、そちらでいうイージス艦が日本海、いまや湖となった日本海湖に閉じ込められているが、とにかく迎撃命令を出した」
「ありがたい。しかし……」
[387]
「海面後退が起こった今は偏西風が弱まり気まぐれな風が吹く。日本海湖側の原子力発電所に万が一の事故が起きると中国も何らかの影響を受けるか可能性が高い」
「なるほど。確かにそうだ。頼むぞ!チェン」
「任せてくれ」
鈴木の近くにいた隊員が叫ぶ。
「ミサイルが高野山上空を通過!」
「大阪城上空まで何分で到着する?」
「約三分」
「大阪城ミサイル防衛隊に命令!全ポトリオットを発射!迎撃に失敗したら自爆させろ」
「えー」
「命令を伝えろ!」
――チェン、頼むぞ。お前だけが頼りだ
「大阪城ミサイル防衛隊から二分後にポトリオットを発射するとの入電あり」
「命令の確認を」
*
「昼間はいい陽気だったのに」
「やっぱり夜は冷えるな」
[388]
「酒は?」
ライトアップされた大阪城と夜桜を見上げてにぎやかな歓声が彼方此方で上がるが、徐々に冷たく重い空気が地面を覆う。そのときその地面がかすかに揺れて、少し離れたところから低い機械音がする。一般の花見客には分からないが、ミサイル防衛隊員がすぐ反応する。酔っていても日頃の厳しい訓練経験で何が起きるのかすぐ理解する。
「ポトリオットが発射準備に入った!」
全隊員が立ち上がると上空を見つめる。
「あれは?」
南の空に流れ星のような光跡を確認する。西の丸庭園からは見えないが大阪城の東側にある水がない堀、いわゆる空堀が裂けて迎撃ミサイルが姿を見せる。
「全員、避難しろ」
一番階級の高い隊員が大声をあげる。すると部下が口々に大声を発する。
「ミサイルがこっちに向かってくる」
「何が起こったんだ」
「詳しいことは分からない。ポトリオットが迎撃態勢に入った」
酒に酔った周りの花見客が騒ぎ出す。
「えっ!大阪城にポトリオットミサイルが配備されていたのか」
[389]
「知らなかった」
「危険だ!」
何人かの隊員が警告を繰り返す。
「避難して下さい」
花見客の中には隊員を冷ややかに見つめる者がいる。
「悪い冗談はよせ」
すると同じ声が彼方此方で上がる。
「我々は大阪城ミサイル防衛隊の隊員です。非番で花見をしていますが……」
「避難しろと言ったって、大阪城公園全体が避難指定地域じゃないか。ここより安全な場所があるのか」
誠しかりの声に隊員が絶句する。
「そうだった……」
その声を打ち消すように空堀からポトリオットが発射される。轟音と閃光に誰もが上空に視線を移す。一挙に周辺が明るくなって白煙が西の丸庭園に侵入する。何ともいえない異臭が鼻を突く。しばらくすると上空が昼のようにパッと明るくなってから大音響が地表に到達する。女性の悲鳴がするが、ほとんど聞き取れない。
「花火じゃない」
[390]
「何が起こったんだ!」
夜空は見えるが、すべての酒が蒸発したかのようにモヤが広がって隣近所がよく分からない。
*
「時間的に照準作業が無理だったのは分かりますが、迎撃不能なのに、なぜポトリオットを発射させたんですか」
「とにかく緊急事態を知らせるためだ。危険が迫っていることを知らしめなければならない」
「中国海軍の艦船からミサイルが発射されました」
「チェン……」
「迎撃地点は?」
「計測不能」
「ミサイルの高度、急速に低下」
「間に合うか」
最大の緊張感が防衛省中央コントロールルームに充満する。スクリーンにふたつの航跡の接近が表示される。しかし、それぞれの航跡は接触することなく離れる。
「外れました」
鈴木は一瞬うなだれるが大声をあげる。
「放射線対策特殊部隊を福井原発に派遣しろ」
[391]
「今し方、特殊部隊のヘリが福井空港を離陸しました」
ミサイルの航跡がスクリーン上の福井原発付近で消滅する。
「福井原発を呼びだせ」
「こちら福井原子力発電所、緊急対策本部」
いつの間にか鈴木がマイクを握っている。
「ミサイルは?」
「旧敦賀湾に落下しました」
「爆発は?」
「ありません」
「原発は?」
「まもなく停止します」
「完全停止したらすぐ知らせてくれ」
鈴木はマイクを机に置くと誰に言うともなく命令する。
「陸上自衛隊にミサイル到達地点に向かうよう指示しろ」
「分かりました」
「航空自衛隊は現場にいつ到着できる?」
「え!」
[392]
「航空自衛隊に命令を下していなかったのか?」
鈴木は航空自衛隊の幹部に歩み寄ると拳を振り上げるが、何とか自制する。間違いなく航空自衛隊の指揮官は一佐ごときの海上自衛隊の鈴木に嫉妬を抱いていた。
「すぐ手配しろ!」
鈴木が怒鳴る。
「申し訳ありません」
鈴木の声が航空自衛隊の指揮官の肩を叩く。
「心配するな。私が全責任を持つ。命令がなくても最善を尽くしてくれ。それぞれの部署で思う存分活躍してくれ」
「分かりました。ミサイル到達地点の調査に入ります」
そのときチェンからの電話が入る。鈴木は携帯を耳にすると部屋の隅に移動する。
「鈴木、申し訳ない。迎撃に……」
「チェン、ありがとう。結果はともかくミサイルは福井原発を直撃しなかったばかりか、爆発しなかった」
「それは知っている」
「悪ふざけではないことだけは確かだ」
「グレーデッド……力の誇示?何が狙いだ」
[393]
「いずれにしても原発が我々のアキレス腱だということが、地震、津波そしてグレーデッドのミサイル攻撃でいやというほど知った」
「そのとおりだ……で、どうする?」
「すべての原発を止める」
「そんなことをすれば日本は停電で大混乱するぞ」
「中国人のチェンに心配して貰えるとは思ってもいなかった」
「国籍など関係ない。ぼくらは親友じゃないか」
「停電しようが、工場が止まろうが関係ない。もちろん病院や通信関連施設には配慮する。私はいつでも切腹する」
「時代遅れだ。そんなことを言っても国民は納得せんぞ」
「納得して貰おうなど毛頭考えていない」
「鈴木、自棄になるな」
「僕は冷静だ」
「何を考えている?」
「チェン。顔を見たい。こちらに来てくれないか」
「喜んで」
「ありがとう!」
[394]
*
田中や山本や両大家が見つめるテレビでは、国民に向けて鈴木が汗をかきながら今回のミサイル事件の記者会見に応じる。誠実さがにじみでた分かりやすい報告だった。続いて中国海軍がミサイル迎撃に力を貸してくれたことを付け加えてから、すぐ後ろに座るチェンに謝意を示す。そしてグレーデッドの犯行声明を披露する。
「それは短いメッセージでした。『原発を造るな。原発はすべて廃炉にしろ。それができないのなら、グレーデッドが代行しよう』と」
鈴木に促されてチェンが起立すると深々と礼をしてから鈴木の横に歩み寄る。そしてマイクを手渡されると流暢な日本語で話し出す。
「まずグレーデッドのミサイルを迎撃できなかったことを深くお詫びします。言い訳でも敗北宣言でもありませんが、グレーデッドのミサイルを迎撃できる可能性は極めて低い。中国政府は、この私の見解を個人的なものだと否定するかも知れませんが、中国軍のうち少なくとも中国海軍は私の指揮下にあって今のところ私は国賊にはなっていません。だからここにいます。なぜ、ここにいるのか。それは日本を引っぱる鈴木、あえて呼び捨てにします。なぜなら親友だからです。鈴木は今や中国より広い国土を持つ日本の現実的な指導者です。だからその鈴木がこの日本をどのようにして立て直していくのか興味があります。そしてその方策を教えてもらうために来ました」
再度カメラに向かって、そして鈴木に向かって深々と頭を下げる。これまでのどの中国人がしたこ36 グレーデッドの真意
[395]
ともなかった人間味あふれるチェンに盛大な拍手が送られる。その拍手を破るような大声を鈴木があげる。
「逆だ!」
拍手が急停止する。鈴木がチェンを直視してからチェンよりもっと深く頭を下げると毅然とした表情で問う。
「平和惚けした国民に停電を強要しようと考えている。どう思う?」
「原発を止めるのか」
「そうだ。でもグレーデッドの脅しに屈服したのではない」
「詳しく聞きたい。それは私だけではないはずだ。すべての日本国民、いや世界中の人間が聞きたがっているはずだ」
鈴木とチェンの視線が固まったまま動かない。先に視線を外したのは鈴木だった。
「わかった」
鈴木はチェンから正面に顔を向ける。
「私はあくまでも暫定的に日本の指導者になっているだけで、クーデターで政権を手に入れたわけでも選挙で選ばれた訳でもない。全世界から集まっていただいた記者や来賓のチェンはもちろん広く国民から助言をいただくために、ここは言いたい放題言わせて頂く」
後を気にすることがない立場だからと言えばそうかも知れないが、鈴木はここが最大の山場だと判
[396]
断したようだ。
「東日本大震災と大津波によって関東電力の福島原子力発電所がメルトダウンした後、日本のすべての原子力発電所がいったん停止した。しかし、その後再稼働を懸念する多数の意見より停電を恐れる企業を中心とした圧力に、いつもは亀のようにゆっくりとしか行動しない政府が、驚くべき速さでいい加減な基準を作って次々と原子力発電所を再稼働させた。そしてご存知のとおりあの海面後退という大事件が起こった」
ここで鈴木が一息入れる。目の前の水が入ったコップを見つめるが手はつけない。
「メキシコ湾に穴が開き海水が吸いこまれて海岸線が後退した。地球規模の大異変。再び想定外の事件。東日本大震災でメルトダウンした原子力発電所に対する緩慢な対応に輪を掛けたように『温暖化でいずれ海面は上昇に転じる』という楽観的な予測のもと、すぐに原子力発電所の運転を止めなかった。大量の冷却水が必要だから海辺に建設された原子力発電所は空焚き状態になる寸前に運転停止すると総理大臣以下すべての大臣や事務次官などの高級官僚が姿を消した。ついこの前の出来事です。今度ばかりは逃げられないと政権を投げだした」
立派な服の大家が大きく頷く。質素な服の大家と田中が小さく頷く。
「そんな大事件があったのか」
田中が呟くと山本も頷きながら画面奥に、そう、鈴木の後ろに控えるチェンを見つける。山本にはチェンが鈴木と痛々しいほどの緊張感を共有していることに気付く。
[397]
「ところで先の大戦で国土を破壊されて失う物さえない日本人はゼロという平等なスタート地点から前向きに歩き始めた。工夫して何とか生き延びようと誰もが努力した。しかし、ともすれば挫折しそうになるが国民全員で励まし合って頑張った。そのうち顔をあげると遠くに小さな光が見えるようになった。その小さな光がドンドン明るくなって眩しくて正視できなくなったころ、改めてまわりを見ると物が溢れるようになった。励まし合っていた人々の姿が消えていつの間にか目の前には見えない黒い雲が浮かぶ……放射能です」
鈴木は正面を見すえて語る。目の前のスピーチ机には水が入ったペットボトルと紙コップが置いてあるだけで原稿はない。
「このような光景はあの戦争中のように負けがひたひたと訪れ、やがて敗戦に追いつめられるという恐怖感とはまったく違う。ある意味、今の方が恵まれているし、逆にひどい!」
鈴木が断定的に結論めいた言葉を口にする。
「豊かさから一気に困難な環境になれば誰もが絶望的になる。先の大戦では戦争に突入したときは『勝った、勝った』と景気が良かったが二年も経たないうちに暗くなった。同じように原子力発電所が再稼働すると元の便利な生活に戻ったので再稼働に対する批判は消滅した。そして時の政府は原子力発電のお陰で化石燃料の消費が抑えられるから温暖化で海面が上がるという事態も避けられると大宣伝した。しかし、海面は急降下した。この想定外の出来事に政府は政権を投げだすという想定外の行動に出た」
[398]
ここで初めて鈴木はペットボトルの栓をひねると紙コップに水を注ぐ。
「いつしか、このような紙コップで水を飲むようになった。昔は立派なガラス製の水入れにお揃いのデザインのガラスのコップに水を注いで喉を潤して講演していた。それは高価な物だったが何度も使えた。でも今はこのペットボトルも紙コップも使い捨てだ。過去に戻ろうというのではない。むしろ昔の方が贅沢で今の方が質素かも知れない。トータルでどちらが無駄のない、つまり資源を無駄にしない方法かということだ。ペットボトルの水を紙コップで飲む方がいかにも質素に見える。しかし、本当にそうなのか。水道水が汚染されたから安全な水を遠方から船やトラックで運んで原油で造ったペットボトルに詰めた高い水を飲む。一方、ガラスの水入れに注がれた水道水をガラスのコップで飲む。洗って何度もその水入れやコップで水を飲む。皆さん、私の言いたいこと、分かりますか?」
「鈴木」
いつの間にかチェンが鈴木の後ろに立っている。
「私には鈴木の心が読めた。しかし、今は目の前の事件の解決を優先すべきだ」
鈴木が振り返る。
「先送りか」
「そうではない」
チェンが否定する。
「わかった。それで」
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「グレーデッドの今回の行動は警告だ。全世界の原子力発電所を停止させろと言うことだ」
「そうではない」
今度は鈴木が否定するとチェンが真剣な眼差しで見つめる。
「原子力関連施設の完全封鎖と被曝者の治療体勢の構築。これがグレーデッドの要求だ。グレーデッドを庇っているのではない。原子力に関しては我々のレベルをはるかに越えているのだ」
「同感だ.だから権力者は原爆を欲しがる。人知を越える恐怖の塊を手にしようとする。それは国民のためではない」
鈴木とチェンががっちりと握手する。
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