逆田が少し緊張した面持ちで切りだす。
「重大なニュースをお伝えします」
すぐあるテレビ工場の映像が現れる。
「ここは韓国のサムシング社のテレビ組立工場です。今や全世界のテレビの半数がサムシングで製造されています。しかし、今異変が起こりつつあります。もう皆さんもご存知のとおり大量の不良品が市場に出回ったのです。しかも、国内はもとより全世界からクレームが起こったのにもかかわらず、対策は後手後手に回り不買運動が怒濤のごとく広がりました」
サムシングの創業者キム・イーチの肖像写真が映しだされたあと、まだ中年のキム・イーチがテレビの製造工場で陣頭指揮を取る古い映像に変わる。そのキム・イーチが握ったドライバーで液晶テレビの裏カバーをネジ止めする工員の頭を殴る。振り返ったその工員にキム・イーチが罵声を浴びせる。
「手を抜くな!気持ちを込めてキチンとネジを締めろ!」
「オヤジ、ちゃんと締めてますよ」
若い工員が反論する。キムはおもむろにドライバーを持ち直すとネジを締める。鮮やかな手さばきでまたたく間に別のテレビの裏カバーのネジを締める。
[351]
「比べて見ろ」
いつの間にか集まった工員たちがふたつのテレビの裏カバーを見比べる。
「違う」「違う」
誰もが同じ言葉をもらす。
「オヤジさんのはネジ山が均一に埋めこまれている」
「電動ドライバーを使えば均一になるのに」
頭を殴られた先ほどの工員が口を尖らせる。
「バカヤロー!精密機器に電動ドライバーは邪道だ!気を抜かずに愛着心を持ってきっちり絞めろ」
キムはそう怒鳴ると他の作業場に向かう。
「オヤジの言うとおりだ。電動ドライバーの震動は電子部品に悪影響を与える」
キム・イーチは不意に工場に現れては怒鳴り散らす。すべてを自分の手で造りあげた経験が現場に向かわせる。そして乱暴な言葉とともに若い工員に手本を見せる。決して褒めはしないが、工員たちはキムの指導や指示を通じて育つ。そして現場で何かが起こればすぐに解決策を模索して指示する。そんなキムを現場の工員は「オヤジ」と呼んで敬愛する。そのような説明をしたあと逆田が解説を続ける。画面にはキム・イーチの長男キム・ニーツウの顔写真が映しだされる。
[352]
「やがてサムシング社は上場して有力企業となったとき、キム・イーチは会長に退き、長男のキム・ニーツウが社長に就任しました。父キム・イーチの背中を見て育った彼は同じように現場を大事にしましたが、父のように工場に行くことはほとんどありませんでした」
キム・ニーツウの様々な映像が流れる。それに重なるように逆田の声がする。
「すでに大企業になったので社長としての激務をこなすのが精一杯でした。それでも父親の指導で成長した現場の幹部や若い工員をねぎらうことにできるだけの時間を割きました」
工場を視察するキム・ニーツウが若い男女の工員に花束を贈る映像が流れている。
「これは社内結婚した工員を祝福するキム・ニーツウです。気さくな彼の雰囲気が遺憾なく表現されています」
画面は一転してキム・ニーツウの長男、キム・イーチからすれば孫のキム・サンスンのテレビ会見の映像に変わる。父であり会長となったキム・ニーツウの横で社長のキム・サンスンは苦虫を噛み潰したような表情で天を仰いでいる。
「キム・サンスンが現場の工場に赴くことはありませんでした。すでに祖父が育てた幹部工員は退職していました。キム・サンスン社長が現場に行ったのは不良品を製造した工場長を叱責するためでした」
画面ではキム・ニーツウ会長、キム・サンスン社長、副社長が立ち上がって頭を下げている。
「『日本に追いつき追い越せ』というスローガンのもと、彼らはその夢を実現しました。しか
[353]
し、今回の失態は日本の製造業が過去に侵した失敗そのものです。皆さんはどう考えますか」
プツンという音とともに画面が真っ暗になる。
*
「久しぶりだな。こんな切れ方は」
田中が苦笑いすると山本がクスクスと笑う。
「何がおかしいのじゃ」
立派な服の大家が山本を睨む。
「このテレビの前で今の映像のことを議論して、何らかの結論に達したら勝手に電源が入るわ」
田中が大きく頷く。少し遅れて質素な服の大家も同調する。
「それでは逆田さんのリクエストに応えて議論しましょう」
「ちょっと待て!」
立派な服の大家がクレームを入れる。
「始めに重大なニュースと言っていた割には大したニュースというのか、驚くようなニュースでもないし、少しおかしい」
全員が立派な大家のクレームに納得する。
「確かに」
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「それに議論しろと言っているけれど、『日本に追いつけ追い越せ』と頑張りながら、その日本の製造業が犯した過ちまで追いつけ追い越したなんておかしいわ」
「その『日本の製造業が犯した過ち』というのはなんじゃ」
「平たく言えば、こうじゃないかな」
田中は想像したことに自信を加えて言葉を続ける。
「現場を忘れた企業は大きな過ちを犯す」
「なるほど」
質素な服の大家の納得に田中は続けようとした言葉を中断する。
「組織が大きくなると現場との距離が遠くなって現場が見えなくなるということじゃ。なるほど、なるほど」
立派な服の大家がさらに強い納得の言葉をもらす。
「もう結論が出たから、そろそろ電源が入ってもいいんじゃないかな」
*
画面に日本の製造業の業績の一覧表が表示される。
「自動車メーカーは全滅じゃ」
「電器メーカーの方がひどい。もう赤字が五年も続いている」
両大家の声に田中がため息をつく。
[355]
「いつの間に日本のメーカーは駄目になったんだ?」
画面は海外の製造業の業績に変わる。
「中国や韓国はすごい。それに東南アジアの勢いもすごいぞ」
「結構、北欧やEUの小国が頑張っている」
「アメリカは日本と同じだ」
「でも、jフォン・オレーやjパッド・オレーのオレンジ社は時価総額で世界一だし、アメリカの企業は時価総額ベストテンに五社も入っているわ」
山本に反発するようにテレビを見ながら田中が高い声を出す。
「オレンジ社はアメリカ国内で製造していない。韓国と中国で製造している」
「アメリカの大統領が是非国内で製造してくれと頼んだけれど断られたらしいのう」
質素な服の大家が割りこむ。
「人件費が高いからだわ」
テレビから逆田の声が流れる。
「問題点が絞られたようです。さて皆さん」
各国の工員の時給の一覧表が画面に表示される。
「ボーナス、有給制度、社会保険料、それに税金も加味した各国の製造業の平均賃金です」
「意外と日本の賃金は高くない!」
[356]
田中が驚く。
「オレンジ社は国内賃金が高いのではなく、他の理由で自国での生産を見送ったのです」
そう言う逆田に一覧表を確認しながら山本が尋ねる。
「でも、アメリカの賃金は中国と比べて一桁高いわ」
「もちろん、賃金格差は大きな原因です」
田中は腕組みをしながら考え込む。両大家も首を傾げながら口をもごもごさせる。
「少し横道に入りますが、言う間でもなく日本の製造業は衰退しています。先ほどのキム・イーチの話ではありませんが、あの孫のように現場を知らない経営者が財テクに走ってメーカーの技術力で勝負しなくなった。そしてそのツケが回ってきたのです」
田中がその横道に誘われる。
「同感です。ぼくも同じようなことを考えています。その考えを披露していいでしょうか」
逆田の促す声がすると田中が続ける。
「成功したときの体験が邪魔になるのではなく、成功したときの技術が継承されずに現場から蒸発してしまった。それはこういうものを造れば便利で生活が楽しくなるという物作りの原点と言うべき発想を、現場の経験がないトップが持っていないのと、一方で価格競争や後発企業の追い上げでなおざりになった」
立派な服の大家が大袈裟に頷いてから発言する。
[357]
「トップになった一社のみが味わう追われる立場。追いつけ追い越せというそれまでと違った立場になると、つまり攻撃から守りになったときの弱さが露呈するのじゃ」
さらに質素な服の大家が付け加える。
「そうすると韓国や中国の企業も衰退する可能性が高い。そのなかでかなり以前に日本に追い越された経験を経たアメリカは活路を見出したし、北欧やEUの小国はもともと大きな企業がないから競争という海で溺れずに泳ぐ方法を熟知している。いずれ日本もそうなるだろうが、それを妨害する者がいる。それは政府であり、既得権であり、古い法律だ。待てよ。これは誰かが言っていたセリフだったぞ」
「以前、このテレビを通じて申しあげたことがあります」
逆田の声とともに画面は若きキム・イーチが油まみれになって工場で働く姿の映像が現れる。
「日本にもこのような経営者が数多くいました。それらの企業のうち夢を持った商品を数多く製造したところは大企業となりました。しかし、そのうち経営者が変わって創業社長の遺産を食いつぶしてしまうと、その企業はいつの間にか衰退しました」
ここで立派な服の大家が小膝を叩いてテレビに向かって叫ぶ。
「昔は経営者自身が商品を手にして、アメリカやヨーロッパに売り込みに行ったもんじゃ」
「なかには商品のバイクに乗ってアメリカ中を走り回って売り込んだ創業者もいたのう」
質素な服の大家が大きな相づちを打つ。
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「今、そんな経営者はいないなあ」
田中が両大家に水をさす。しかし、すぐに首を横に振って手を上げる。
「スティーブ・ゲイツだ!」
「そのとおりです」
逆田の声がする。
「話がだいぶん横道に逸れましたが、話題を戻します」
「そうだ。重大な発表があると言ってたぞ」
逆田の咳払いが聞こえる。画面はタイの製造工場で水浸しになった白いテレビの映像に変わる。
「この結果、我が社は一旦潰れました」
全員がその映像を見て頷く。
「このタイでのテレビの製造にオレンジ社のスティーブ・ゲイツの助言や協力があったのですが、今度は彼自身が韓国と中国のメーカーにこのテレビの試作品の製造を発注しました」
「なぜ日本の企業に発注しなかったんだ?」
田中が突っこむ。
「今、皆さんがご覧のこのテレビは非常に特殊です。後で分かったことですが、水害がなくても、日系のタイ工場で製造されたテレビのほとんどが、このテレビと同じ性能を持っていない
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ことが分かりました」
「どういうことなの」
山本もヒザを乗りだす。
「今までにない画期的な製品を造る力は日本企業にはなかったのです」
「……」
「現状は韓国や中国の方が未知の技術に挑戦する意欲が高いのです。jフォンが中国で製造される理由がここにあります」
「情けないな」
このとき画面が真っ暗になる。
「急に電源が切れた」
「いえ、切れていないわ」
山本がリモコンを持つとボタンを操作する。しかし、画面は黒いままだ。山本の額に汗がにじむ。
「これは……」
「山本さん!」
田中が心配そうにテレビの画面と山本の横顔を見る。
「訃報が入ったんだわ。とても悲しい訃報が……」
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画面が黒からグレーに変わる。そして逆田が現れる。色はなくモノトーンの画面のなかで逆田がうなだれている。
「悲報が入りました。スティーブ・ゲイツが死亡しました」
画面はスティーブ・ゲイツが最新型のjフォーン・オレーを手にして華々しく宣伝する映像に変わる。そして顔の前にjフォーン・オレーを持っていくとそれを高々と頭上に上げたとき、口から赤い液体が噴きだす。喀血したのだ。jフォン・オレーが落下して床に落ちるのと、スティーブ・ゲイツが床に倒れこむのが同時だった。
「何という光景じゃ」
*
テレビには生前のスティーブ・ゲイツの数々の映像が流れる。
「このテレビの製造が不可能になりました。残念なことです。いえ、このテレビのことより、それ以上に悲しむべきことは、物づくりへの真摯な探究心、挑戦心を持った唯一の偉大な体現者を失ったと言うことです」
両大家は冷静に画面を見つめる。山本が目頭をハンカチで押さえると涙声を出す。
「おっさんなのに、なぜか気迫がある。何回も新製品のプロモートを取材しましたが、感激しないことはなかったわ」
「若い女性を新車の横に並べて写真を撮らすのとは格段の差があるのう」
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質素な服の大家が慰めの気持ちを込めて漏らす。
「もちろん、スティーブ・ゲイツが油にまみれてjフォーン・オレーを造ったのではないけれど、彼のアイディアのすべてがあの小さなスマートフォンに詰め込まれていた。あの自信に満ちた新製品発表会は伝説になるかも」
田中の声にテレビが反応する。
「とにかく惜しい人をなくしたものです。人類の歴史上、もっとも偉大な人物になるかも知れません」
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