「イースター島海戦で活躍した旧日本軍の潜水艦を知ってますかな」
山本の表情が急変する。
「サブマリン八〇八のことですか」
「ミスひろみがご存知とは驚いた」
スミスは例の笑い声を上げながら続ける。
「サブマリン八〇八のことを知ったのはいつですか」
スミスと山本のやり取りを見つめる鈴木の表情が引きしまる。
「榊艦長……」
と言いかけて山本が言葉を切ると、スミスが突っこむ。
「ひろみ!榊艦長とはどこで?」
「サブマリン八〇八で」
スミスではなく鈴木が驚く。
「えーっ!」
「ミスター鈴木。こんなことを尋ねるのは指令かも知れませんが、メルトダウンした関東電力の原子力発電所沖合にグレーデッドの潜水艦がいたことはご存知ですね」
[295]
「もちろんですとも!人質を取られていたので我々は海底でじっと潜伏していました」
「そうでしたか」
「場合によっては潜水服に身を包んだ屈強な海上自衛隊員を突入させるつもりでした」
「私はそのグレーデッドの潜水艦に乗り込みました」
鈴木は声を出さずに驚いて山本を見つめる。
「グレーデッド自体の取材はほとんどできませんでしたが、治療を受ける被曝した電力関係者の取材は自由でした」
「すごい!」
声をあげたのは鈴木だけではなかった。立派な服の大家もじっと山本を見つめる。そしてスミスが静かに口を開く。
「要はイースター島海戦でグレーデッドの潜水艦から脱出してサブマリン八〇八に救助された。そして榊艦長に出会った。そういうことだな?ミスひろみ」
スミスの結論的な説明に全員が納得する。しかし、鈴木だけは感心しながらも山本に短い問を投げかける。
「治療を受けた電力関係者のその後の足取りは?」
山本は少し間を置いてから応える。
「宗教的に言えばグレーデッドに『帰依』したという言葉が一番ピッタリです」
[296]
「彼らに対する治療はどういうものでしたか?」
「完璧でした。通常なら死んでもおかしくないぐらい被曝した人でも助かりました。ほかの人は誰ひとりガンの症状を発症することはありませんでした。被曝した患者に対するグレーデッドの治療技術は最高です」
「なぜ、そんな高度な技術を持っているんだろうか」
「想像ですが、彼らは全員被曝経験者でガンなどに対する治療法を自ら開発したんでしょう」
「信じられない」
「もちろん、彼らの治療現場を取材したわけではありません」
「だから想像と前置きしたのか」
「そうです。私が取材できたのは被曝した原発の作業員だけです。治療前は直に取材しました。年齢、家族構成、住所、関東電力との関係、担当部署、作業内容、その時間、作業開始月日、休憩時間、食事、給料……私の質問に即答する作業員は皆無で、貝のように口を閉ざす人ばかりでした。気長に治療待ちの作業員に世間話をして打ち解ける努力をしました。その甲斐があってか、それとも女の私に同情してくれたのか、ポツポツと話し出す人が増えました」
誰もが黙って山本の話を聞く。
「そう、一人二人と、あるいは複数で私に語りかける人が徐々に増えました。潜水艦内の医療設備は多数の患者を治療するには余りにも貧弱でしたが、被曝線量の多い順番に治療が施され
[297]
ました。私は特別な部屋を与えられて、と言っても畳二枚もないほどの狭い部屋でしたが、聞き取り資料をモバイルパソコンで処理しては取材するという日々を過ごしました。風呂に入れないことが最大の不満で快適な環境ではありませんでしたが、毎日が充実していました。しかし、グレーデッドの人間と治療を終えた作業員とは顔を合わすことがありませんでした。最後の作業員が治療を受けると取材できる作業員はいなくなりました。編集した取材資料を取りあげられてしばらくの間、私は狭い部屋に監禁されたままで外には出られませんでした。女としては屈辱的な生活を強制されましたが、数日後、大音響がするとドアが開いたので部屋の外へ出ました。煙だらけで浸水がひどく何とかタラップを上って気が付けば私は甲板に立っていました。目の前には大海原と遠くに島が見えました」
「そこは?」
「イースター島海域でした。もちろんそのときは分かりませんでした。サブマリン八〇八に救助されてから分かったのです」
「救助されるまでは?」
鈴木が尋問するような口調と視線を山本に向ける
「寝るときもライフジャケットを身につけていましたから、とにかく海に飛びこみました。グレーデッドの潜水艦の乗組員も一緒でした。しばらくして別のグレーデッド潜水艦が浮上してその乗組員を救助しました。私は離れるように飛びこむ前に見えた島を目指して泳ぎました」
[298]
*
サブマリン八〇八の診療室で防護服を着たドクターがガイガーカウンタを片手に山本を診察する。激戦でとても診療室とはいえない乱雑になった狭い部屋でドクターが声を出す。
「かなり被曝している。生きているのが不思議なぐらいだ。しかし、心配はいりません」
そのとき艦長の榊が入ってくると、ドクターに一瞥するだけで何もしゃべらない。ドクターは頷いて榊から軍服と油で汚れたような黒いタオルを受け取るとそれを山本に押しつける。
「男用の服しかない。それにシャワーが使えない。これで身体を拭きなさい」
ドクターは服と黒いタオルを手渡すと榊とともに部屋を出る。ドアが閉まるのを確認してから山本はタオルの臭いを嗅ぐが油臭さはなかった。しかし、とてもそのタオルで身体を拭く気にはならない。仕方なく腕をまくって恐る恐る拭いてみる。すると不思議なことに腕が黒くなることはなく汚れが取れる。逆にタオルの一部が白くなる。
「何かあるわ」
山本は意を決して裸になってそのタオルで用心深く全身を拭いていく。しばらくすると身体がまるで風呂に入ったようにさっぱりする。一方、タオルは真っ白になっている。鏡がないので体勢を変えながら自分の身体を確認する。そのときドアをノックする音がしてドクターの声がする。
「入ってもいいですか」
[299]
「少し待ってください」
山本は慌てて軍服を着る。
「どうぞ」
ドクターがガイガーカウンタを山本に向けて目を丸くする。
「放射線量が激減している」
「えー」
「その雑巾のようなタオルには不思議な物質を染みこませていた。分かっているのは黒いこと、放射線を吸収すると白くなること。それ以上の説明は勘弁してくれ」
ドクターが山本の肩をポンと叩く。
「ありがとうございました」
「なぜ、こんなところで海水浴をしていたんだ」
「グレーデッドの潜水艦から脱出したのです」
「なに!グレーデッドの潜水艦!すぐ艦長に報告してくれ」
「ここは?」
「サブマリン八〇八。今、イースター島海域にいる」
「イースター島……」
*
[300]
「もっと詳しく聞きたいが、私は国連の総会に出席しなければならない」
そのとき天井のスピーカーから声がする。
「鈴木一佐。アメリカ空軍機からの通信が入りました。今から本機を護衛するとのことです。機影確認中です」
「わかった。そっちへ行く」
鈴木はまずスミスに、そのあと山本に、そして大家たちに敬礼をして背中を向けると機首に向かう。その背中を見つめて山本が呟く。
「気持ちのいい方ですね」
スミスが大きく頷いてから山本を見つめる。
「だから一佐の地位でありながら、日本の臨時代表になったのだ」
「日本の代表?」
「選挙で選ばれていないから暫定代表だが、大したものだ。無名だったのにすでにかなりの国民に慕われている」
「スミスさんは何でもよくご存知ですね。鈴木一佐に特殊な能力でもあるのかしら」
「大ありだ。彼は超能力を持っておる」
「超能力?」
山本だけではなく全員がスミスに身を乗りだす。
[301]
「教えてください。スミスさん」
山本がスミスの腕を取る。
「『必ず責任を取る』という超能力」
「なるほど!今の日本には責任を取る人間なんて誰もいない。だから責任を取ることが出来る人間はウルトラマンなんだわ」
「ウルトラマンか。意外と山本さんは古いことを知っているんだな」
田中が妙に感心すると質素な服の大家が感動したような面持ちでスミスに話しかける。
「見落としていた。責任を取らないことが日常茶飯事だったから、責任をきちっと取る人間がいれば英雄扱いされることを」
立派な服の大家も同調する。
「情けないことじゃ。政治家や官僚で現役のときはもちろん、責任は取らない。ましてや、やばくなると雲隠れ同然に仮病で入院したりする。そしてほとぼりが冷めてから、当時の責任などそっちのけで偉そうなことばかり言う」
ところが、スミスは反応することなく黙ってしまう。
「スミスさん!」
山本は思い出したように声を上げるが次の言葉を飲み込む。鈴木がスミスたちの前から姿を消したので、鈴木に話題が移ったが、イースター海域でのグレーデッドや榊艦長やサブマリン
[302]
八〇八の話を披露した山本にスミスは反応しなかった。山本にしてみればスミスが根掘り葉掘り質問するものと覚悟していた。その件についてスミスはいまのところ一言も発言していない。
拍子抜けした表情で山本はスミスの唇のまわりに貯えられた白い髭を見つめる。そしてスミスが小瓶に入った例の薬をチビチビと口に含む姿を見つめ続ける。そして山本は小ひざを叩くと心の中で叫ぶ。
――スミスさんは知っているんだわ。イースター島海戦でサブマリン八〇八が遭遇した出来事を。だから、サブマリン八〇八を手に入れたんだわ。
スミスは小瓶に栓をすると眉間にシワを刻む山本に微笑みかける。
「ミスひろみ。悟りましたな」
「えっ。スミスさんには分かるんですか」
「ひろみの顔に書いてある。ほっほっほっ」
「教えてください。サブマリン八〇八はイースター島海戦で何をしていたのですか」
「国連軍の一員としてグレーデッドと戦った」
「それは承知しています」
「その戦闘中に何が起こったのか。それを知りたいのでしょ」
「そのとおりです。教えて下さい!スミスさん!」
「だから、日本政府からサブマリン八〇八を譲って貰ったのです」
[303]
「それでスミスさんの疑問は解決したのですか」
「今は勘弁してください」
「分かりました」
山本がスミスに頭を下げると立派な服の大家がスミスに語りかける。
「今回の日本訪問の目的は?」
「サブマリン八〇八の古い航海日誌を手に入れるためです」
「ちょっといいですか」
田中が口を挟む。
「黒いタオルっていったい何なのでしょうか。スミスさん」
田中の質問に山本が頷くとスミスが真顔で応える。
「私が知りたいのはまさしくそれです。榊艦長の記憶に曖昧な点があったので当時の航海日誌を閲覧させて貰ってそのころの状況を調べました」
「何か分かりましたか」
「今のところ、成果はありません。しかし、専門家が読めば何か分かるかもしれません」
*
スミスタワービルで日本の現状を理解した大家たちは折角アメリカまで来たのに日本に戻ることを決める。
[304]
「大変なことになっている」
「あんなに大臣の椅子にしがみついていたのに、なぜ、さっさとやめたんだろう」
「高級官僚までが同じように」
「こんな大事件が起きているのに何てことじゃ」
「だけど不思議だわ」
「何が」
「大震災や原発事故の時でもみんな大臣の椅子にいすわり続けたわ」
「今度の海水がなくなる事件で日本のように政治家や官僚が雲隠れした国はあるんだろうか」
「ありませんね」
スミスが応える。そして続ける。
「昔々、東京で二・二六事件というのがあったのはご存知かな」
アメリカ人のスミスからの意外な言葉がふたりの大家を刺激する。田中は何のことか分からずに首を横に振るが、山本が記憶を絞り出すように解説を始める。そしてその解説が終わるとふたりの大家が同時に感心して山本を見つめる。
「古い事件なのによく知っておる」
「しかし、じゃ。先の大戦の少し前に若い将校が起こしたクーデター未遂事件と今回の事件とどういう関係があるのじゃ」
[305]
山本も首を捻りながら大家たちからスミスに視線を移す。スミスの髭が動く。
「今回の事件は引き金です。財政は破綻して年金の財源は底を突く。健康保険制度が機能しなくなって、次々と事故を起こす原発の廃炉もままならないし、停電もひっきりなしに起こる。金持ちは海外に移住するし、治安は最悪だ。閉塞感の漂う社会に日本国民は右往左往するのみ。しかし、あの大震災と原発のメルトダウンの経験をした国民は自制心を持っている。二・二六事件と同じような事件が起こりかけたとき、待ったを掛けた自衛隊員がいました」
「鈴木一佐?」
「ミスひろみ。いい勘をしている!」
スミスがほっほっほっと笑う。
「どうやら、皆さんは時間に翻弄されている」
「時間に翻弄されている?」
「余りにもこの時代のことを知らなさすぎる。そうでしょ」
山本が小さく頷くと両手を広げる。
「鈴木一佐は何をしたのですか」
「何もしていない」
山本はおろか全員が拍子抜けしたようにスミスを見つめる。
「二・二六事件は未遂に終わりましたが、その後日本の軍部は先鋭化して結局、ブレーキがな
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くてアクセルしかない自動車のように大戦に突入しました」
全員スミスの日本に対する知識の豊富さと分析力に何も言えなくなる。
「鈴木一佐は本能的に過去の大きな過ちを避けようとしたのです。大した人物です。彼は日本のみならず地球の救世主になるかも知れません」
辛うじて声をあげたのは田中だった。
「これから僕たちは何をすればいいのでしょうか」
スミスはこれまで以上に例の笑い声を高々と発する。
「先ほど帰国すると決めましたね」
「はい」
返事をしたのは田中だが、スミスは山本に視線を変える。
「あなたが、いえ、あなたの放送局が得意としていた現政権や制度批判はもういいでしょう」
「え」
山本が短く反応する。
「散々いい加減なことをやってきた政治家や官僚は責任を回避するために職を辞しました」
「目的は達せられたと言うことですね」
「そうじゃない!ミスひろみ」
珍しく目頭をあげてスミスが山本を睨むと、とまどいながら山本は弱々しく首を横に振りな
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がらスミスを見つめる。
「目的はずっと先にある!今度は明るい未来のために頑張るのだ。ミスひろみ」
「分かりました。日本に戻って前向きに報道します」
「分かってくれましたか。まだまだ古い考えを持った公務員や官僚化した大会社が存在しています。地球環境の激変に立ち向かうためには批判的な報道は必要です…しかし、一方では世知辛いムードを一掃する必要があります。あなたの力を必要としています」
「私にはスミスさんが思われるほどの才能はありません。でも、やってみます」
山本はスミスに近寄ると握手する。その手は老人の手とは思えないほど張りがあってかつ柔らかくて、そして暖かかった。
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