あの元警部が逆田と山本と一緒に例のテレビの中にいる。まず逆田が口を開く。
「今からお見せする映像は、映画やアニメやドラマの暴力シーンです。まず映画のワンシーンから、ご覧ください」
それまでかたぐるしい内容の番組が多かったので、今回のテーマに田中と大家は気軽に画面を眺める。しかし、すぐに暴力的な映像に眉を顰める。
「結構、エゲツないな」
「ここまでリアルにしなくても……」
ふたりの声が途切れたとき、山本の声が流れる。
「次はアニメです」
派手な音と音声が流れる。
「死ねい!」
画面中に血がドッと広がり「ドサッ」という音と共にひれ伏す女の姿が映ると哀願する声が流れる。
「許して」
「脱げ!」
[162]
女は慌てて服を脱ごうとする。男はニヤニヤと笑いながら「早くしろ!」と怒鳴る。
「!」
田中と大家が目を背ける。
「これは成人向けのアニメではありません。小学生も見ています。次にドラマです。だいたい一時から二時。誤解しないでください。夜ではなく、昼過ぎに放映されているドラマです」
「そんな時間帯にこんなエロっぽいドラマを放送しているのか」
「わあ、殺しちゃった」
「浮気がばれて逆ギレした?ワケがわからん」
「部分的に見ているからでしょ」
「どちらにしても少しやり過ぎなような気がする」
がらりと画面が変わって暴力シーンのテレビ放送の回数と未成年者の殺人事件の件数の相関図が表示される。
「過去三十年間の統計です。暴力シーンの多い映像がドンドン増えています。一方そのような暴力シーンの放映の増加に少し遅れる感じで、未成年者が加害者になる殺人事件が増加しています」
「なるほど、確かに」
「退職前に未成年者の殺人事件を担当していた元警部にお聞きします」
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堂々たるメタボ体系の元警部が禿げ頭を深々と下げながらカメラの前の席に座る。
「この元警部は出世しませんでしたが……」
逆田が元警部に一礼してから紹介を続ける。
「……様々な事件に関わり解決してきたプロ中のプロなのに警察庁では余り評価されませんでしたが、欧米、特にFBIではこの方を警察官の神様と呼んでいるぐらい惚れ込んでいます。今回のテーマ『未成年者の殺人事件』に関しても第一人者の見識と経験をお持ちです。現職のときから暴力シーンの多い映像の放送規制を警察本部長に直訴したり、それがかなわぬと思えば、上司に無断で放送局に直談判した方です」
「いえ。私の努力が足りなかったのか、やり方が悪かったのか、暴力シーンのテレビ放送を止めることができませんでした。そのために数多くの方が犠牲になりました。すべて私の不徳とするところで……」
逆田が元警部に近づくと言葉を制する。
「それは通り一遍の釈明でしょう。あっ、失礼しました。お名前の紹介を忘れていました。福島県警の元警部、刑部さんです」
刑部がニヤッと笑いながら逆田に近づく。何かふたりには旧友のような雰囲気が漂う。
逆田は誘導して意見を引きだすというようなことはしない。もちろん、このテレビ放送はやらせや誘導はしない。
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「しかし、今や、テレビの放送が未成年者に与える影響はしれています。むしろインターネットが大問題です」
刑部の言葉に反応した逆田がスタッフに目配せする。それに反応した刑部が低い声で応える。
「それでは先ほど渡したUSBメモリーにナンバー5というファイルがあります。それを開いてください」
「分かりました。ところで、この番組は録画ではありません。ぶっつけ本番なのでお見苦しい場面が多発するかも知れませんが、ご承知ください」
画面が変わる。
「これです。この表とグラフをアップしてください」
刑部の満足そうな声がする。
「この表やグラフはここ十年ほどの未成年者のインターネットのアクセス件数とその閲覧サイトを私が独自に調べたものです。警察庁のホームページに掲載を要望しましたが、数字の根拠が検証されていないという理由で却下されました。乱暴かも知れませんが、危険な兆候があれば、検証より警告を優先すべきです。警察の捜査は現場です。理論や分析よりもまず現場です。残された現場そのものが重要でそこが事件解決のスタート地点なのです。東大卒の本部長にそんなことが理解できるわけがありません。口先では現場が大事だとは言いますが、実際の現場を見た経験など皆無に等しい人間には本当の意味での現場の重要性など分かるはずもありませ
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ん」
逆田は黙って刑部の話に聞き入る。
「本部長は幹部要員として採用されています。いわゆるキャリア組です。通常採用の警察官と違ってほとんど現場の経験なしにすぐに警察署長として赴任して通り一遍の経験しかありません」
「下積み経験がないと言うことですか」
「下積み?そんなもの、まったくありません」
「そんな人が本部長として指揮を執っているのですか」
「そうです。何十年来、こういうルールで警察という組織は運営されています。他の官庁も似たり寄ったりです」
「ということは本部長に庶民感覚を期待できないということですか」
「逆田さん、伺いますが、取材を通して高級官僚に人間らしさを感じた経験はありますか」
「はて……ないですね」
「いずれにしても本部長は本店の個室の人で通常、支店に出向くことも我々と顔を合わすこともありません」
「本店?支店?」
逆田はこの言葉の意味を知っているが、あえて質問する。
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「失礼しました。つい日頃のクセが出てしまいました。これは警察関係だけではなく、公務員がよく使う隠語です。警察の場合、本店というのは県警本部、支店というのは警察署のことです」
「そうなんですか。ところでインターネットと未成年者の犯罪の関連性についてのご意見を」
「失礼しました」
「このグラフによりますと、インターネットにのめり込む時間が多いほど犯罪に走る確率が高くなります。物事の一面だけで万事を述べることはできませんが、他の指標と合わせて分析するとよく分かります。次の表を見てください」
過去五十年間の未成年者の犯罪の統計が示される。
「人は統計を見せられると妙に納得しますが、統計というのは非常に曲者です。都合のいい統計を使って何パーセント増えたとか、減ったとか、と政府が自らの仕事をいいように見せるのによく使われるのが統計というものです。統計で人を納得させるには複数の統計を使用しなければなりません」
「といいますと」
「まず統計というのは、信用できる機関が一貫したルールに基づいて調査した数値を、長期間収集する必要があります」
「この統計は警察庁の統計ではありません。過去五十年の全国紙の新聞の記事から二十歳未満
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の未成年者が起こした殺人事件と殺人未遂事件を拾い集めたものです。警察庁の統計と見比べてください」
「この件に関してはほぼ一致してますね」
「そうするとこの統計の信憑性は非常に高いということになります。統計とはそういうもので、信用されやすい道具です。たとえば、こういうのはどうですか」
刑部が逆田を伺う。
「この番組に時間制限はありません。時々質問しますが、ご自由に進めてください」
「ありがとうございます。逆田さんは宝くじを買いますか」
「ジャンボ宝くじを十枚購入する程度です」
「宝くじに当たる確率と、その宝くじを買いに行くときに交通事故にあって死亡する確率のどちらが高いかご存知ですか」
「えーっと……ひょっとして交通事故に合う確率の方が高かったりして」
「正解です」
「宝くじを買うのも命がけだと言うことですか」
「ここに統計のトリックがあります」
「説明してください」
「確かに宝くじを買うときに遭遇する交通事故は高額懸賞に当選する確率より桁違いに大きい。
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でも、両者の確率は顕微鏡で見なければならないほど小さい。ウイルスも細菌も肉眼では見えません。でも、その大きさはサッカーボールと月ぐらいの差があると言われれば、思わず空を見上げ、ボールを蹴ることを躊躇するでしょう」
刑部が先ほどの統計に手を当てる。
「未成年者で殺人事件を起こした者の人数はこの五十年で三倍ですから、かなりの増加です。しかもその間少子化してます」
違う図表が映しだされる。
「このように未成年者の人口が減っていますので、実質五倍になったと言えます」
「やはり、残酷な場面が多い映画やアニメ、それにロールプレーイングゲームが原因なのでしょうか」
「こういう言い方は未成年者に身内を殺された家族の方を傷つけるかも知れませんが、昨年、この犯罪でなくなった方は五十人です。五十年前は年間十人でした。交通事故で亡くなる方は約五千人です。なんと百倍です。ただし、死亡交通事故の加害者である未成年者は殺人事件の件数には含まれていません」
「交通事故死の百分の一だと言われても未成年者の殺人事件はやはりショックです」
「これを見てください」
画面は成人の殺人事件で死亡した人数の過去五十年間の統計に変わる。
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「未成年者の比じゃない!」
「しかも、未成年者の殺人事件より著しく増加率が高い」
「詳しく説明してください」
「未成年者は十九歳と三百六十四日間生きてきた人のことを言います。二十歳の誕生日に殺人事件を起こすと成人の殺人事件で、未成年者の殺人事件の件数には入りません」
「未成年、成人という区分で殺人事件の傾向や原因をとやかく言うのは無意味だと言うことですね」
「そのとおりです」
「たとえば、五年で区切るとか」
「いいえ。それは分かり易い区切り方かも知れませんが、国境を緯度で区切るようなものです」
「いわゆる三十八度線というような国境ですね」
「そうです。島国の日本ではピンと来ませんが、国境といものは通常河の真ん中や山の尾根で線引きしますね」
「そうすると?」
「年齢で区分するよりは、小学生、中学生というような区分が考えられます。さて義務教育を終えると進路が多様化しますので、高校生と社会人に区別する。大学生については後で説明し
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ます。さて社会人の場合は喫煙や飲酒が認められる……」
刑部の説明が続くが、話がこんがらがって逆田には理解できない。
「……次に、大学生と十八歳以上の社会人はいずれも二十歳で区分します」
「ということは選挙権の有無で区分するのですか」
「そうです。まさしく未成年者と成年者の分水嶺です」
「これまでの話をまとめると、こうでしょうか」
手書きの表が現れる。もちろんスタッフが作成したもので逆田が作成したのではない。
「当番組は事前の取材に基づいて脚色してから放送するといった手法は使いません。いつも本番です。そのため、見苦しい面が多々あります。ご了承いただきますようお願いします」
その表によると、大学生までの区分は、小学生、中学生、高校生、二十歳未満の大学生、二十歳以上の大学生の五区分になっている。浪人は、たとえば大学受験に失敗した浪人は高校生に区分するという注書きがある。一方、義務教育を終了して社会人になった者は、中学卒業後十八歳未満のグループ、十八歳以上二十歳未満のグループに、それ以降は大学生を含めて五年で区切られている。しばらく間を置いたあと、画面に刑部と逆田が並んで映る。
「別途、大学院生という区分も設けます。昔は無視できるほど……」
「刑部さん、そろそろ本題に入って頂けないものでしょうか」
「少し細部に拘りすぎました。先を進めます」
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「この表を映せばいいのですか」
逆田と刑部の姿が消えて、ある表が大写しされる。
「はい。殺人事件を起こした年齢別の構成と各グループごとの一万人当たりの犯罪者数を示したのがこの表1です。あとでこの五十年間の増加率を示す表2をご紹介します」
「小学生が起こした殺人事件もあるんですね」
逆田が反応すると刑部が解説する。
「小学生だから、驚かれるのも無理はありません。不謹慎な言い方ですが、大人の場合、乱射事件でもない限り、マスコミは大々的に報道しません。しかし、たとえ殺人未遂に終わっても小学生が侵した事件は衝撃的です」
「確かにそうですね」
「しかし、本当は小学生のように未熟な精神状態の人間の方が殺人を犯す可能性が高いはずです。人を殺せば法律はその人間をどのように裁き、どんな罰があるなど小学生は知る由もない。でも大人は理解しています。そういう現実を知っている大人に犯罪数が多いのはどうしてなのか、わかりますか」
「なんとなく、おっしゃりたいことが分かりかけてきました」
「逆にこの表を見ての印象をお聞かせください」
刑部の質問に逆田は一瞬間を置くが流暢にしゃべり出す。
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「六十歳以上の殺人犯罪者は絶対数においても一万人当たりの人数も少ない。小学生や中学生ほどではないにしろ、いい歳をした人生の大先輩である六〇歳以上の人が殺人事件を起こすと結構大々的に報道されます。しかし、実際は少ない」
「六〇歳になったからといって悟りの境地に入るものではありません」
「今の小学生や中学生の環境と六十代の人の小学生や中学生だったころの環境とはまったく異なるということですね」
「さすが、報道のプロですね。六十代の人も子供のころテレビがありましたが、家族で見ることが多かった。単純なテレビゲームが出始めたころで、パーソナルコンピュータはなかった」
「実にノンビリとした時代でしたね」
刑部が真剣に驚いて逆田を見つめる。
「逆田さんはその時代の人ですか」
逆田が慌てて言い訳をする。
「親父から聞いた話です」
「そうですか。逆田家は円満な家なんですね」
「どういうことですか」
逆田はまるで尋問を受ける被疑者のように背中を丸める。
「逆田さんは三十代後半だと思いますが、親の昔話など聞くような子供時代を送ったことはな
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いでしょう。もう何十年も前から、親と子の会話は途切れたままの家庭環境が当たり前のような世界になっています。だから、逆田さんがおっしゃるような会話が弾む家庭はとても円満な明るい家庭だということになります。そんな家庭からは犯罪者は生まれません」
「なにか、気恥ずかしいです」
「ところで、逆田家では朝食は家族そろって食べていましたか」
「はい」
「早起きして家族全員で食事をする家庭の子供は学校の成績がよく、非行に走ることが少ないという統計があって、文部科学省が農林水産省と組んで『早起き、朝メシを食べる国民運動』というキャンペーンをしたことがありました」
「知りませんでした。いいことですね」
「朝食をキチンと取るのが、成績向上の必要条件のようなことをいって推進したのです。キャンペーン自体はいいとしても、この理屈は本末転倒だと思いませんか」
「そうですね。朝飯さえ食べれば成績が上がるなんておかしな話ですね」
「そうなんです。良好な親子関係が維持された家庭環境が作り出す規則正しい生活態度が大切なのです。たとえば早起きして朝食を食べるという良い生活習慣が身についた結果として成績が上がったり、非行に走らないという状況を作り上げるのです」
「そうですね」
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逆田が頷くと刑部が両腕を軽く広げる。
「脱線しました。話を元に戻しましょう」
「それは私のセリフです」
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