「なぜ、関東電力は東北地方に原子力発電所を建設したんだろ?それに関東地方には一基の原子力発電所もない」
田中の疑問に大家が笑いながら答える。
「東京に建設できるわけないだろ」
「でも、原発は絶対安全だと言っていた。それなら誰も反対しないんじゃ?」
「甘いな。絶対反対する。政府や電力会社を信用していないのだ」
「住んでいるところから遠いところなら賛成だと言うことですか」
「火力発電所でも同じだった。原発ほどじゃないが、少しでも遠いところに、つまり海岸の埋立地に建設されたものが多い」
「ゴミ焼却場や下水処理場や墓地とかと同じですね。生活に必要な施設だけれど近くにあるのは困るということか。地域エゴだな。それでいて交通渋滞が激しくて役に立たない自動車を所有して自ら排気ガスを我が街に撒き散らすことには無頓着だ」
「田中さんの言うとおり。もし車の排ガスに放射性物質が含まれていたら絶対に持たないな」
「でも発がん性物質が含まれているけれどあまり気にしない。それに喘息になったりもするのに」
「そんなことはないぞ。高速道路や産業道路を建設しようとすると、自分の街を迂回しろと言
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って激しい反対運動が起こったこともあった。逆に過疎の地方では道路を造ってくれと国に陳情する」
「そうでしたね。でも放射性物質になると劇的にナーバスになるのはどういうことなんだろう」
「なるほど。その場その場の雰囲気の問題なのかも」
「ところで原子力発電所に限った話ではないのですが、もちろん火力発電所でもそうですが、発電所は電気を使うところに近い方が送電ロスが少ない。水力発電所は少し不利ですが……」
「水力発電所は都会から離れたところのダムで発電するから仕方がないな。街のど真ん中にダムを造るわけにはいかんぞ」
「いいえ。少しだけ水力発電は不利だと言おうとしたのです。実は当初の水力発電所は意外なことに都市密着型だったんですよ」
「そんなバカな」
「明治時代に造られた京都の平安神宮のすぐそばに蹴上発電所というのがありました」
「聞いたことがあるぞ。いや、京都に行ったときに……思い出せん」
「とにかく、その発電所で発電した電気で市電を走らせたんです」
「若いのによく知っているな」
「京都検定試験の二級を持っています。僕は京都が大好きなんです」
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「へえ、勉強家なんだな」
「市内に発電所を造ってその電気を市電に供給する。消費立地の発想です。送電ロスをできるだけ抑えるための方策だったんです」
「ところで送電ロスってなんだ」
このときテレビから逆田の声がする。そして蹴上発電所の映像が現れる。
「発電所から消費地に向かって電気を送るときに消滅する電気のことです。距離が長いほどロスは多くなります。そのために流れやすいように、つまりロスを少なくするために圧力を掛けます」
山本の声に変わる。
「水道で言えば水圧ですね」
「そうです。高い電圧で流せばロスが少なくなりますが、消費地では高圧のまま電力は使えませんから変電所で圧力を下げなければ、つまり降圧する必要があります。送電ロスだけでなく、変電所が必要になるし、電線はもちろん鉄柱の数もバカになりません。ところが、琵琶湖で発電して比叡山に鉄柱を建設して京都市内に送電するのではなく、琵琶湖から水を引いて京都市内の蹴上というところに発電所を造って発電したのです」
田中がテレビに向かって反論する。
「やっぱり。都心に原発を建設すればいいのに」
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「安全だといっても、安全じゃなかったし、やはり放射性物質の塊の原発を人口の多い都心に置くというのは簡単ではありません」
山本の説明に田中が納得する。
「やはり過疎地にということか。人口が少ないから万が一の場合も人的被害は小さい。それに過疎地にはこれといった産業もない。結局、命と引き替えかなのか?」
山本の声が続く。
「石油が枯渇するから、あるいは二酸化炭素の発生を抑えなければならないといって原発を建設して将来に備えるべきだという電力供給側に大義がありました。その前に電力需要をいかに抑えるかという議論もせずに、『オール電化でこんなに便利で豊かな生活が出来ます』と需要側に気持ちのよい未来像を示して、原発反対派を無視できるほどの少数派に封じこめることに成功したのです。しかし、現状は肝心の電力会社が原子力発電所を動かしているのではなく、原子力発電所に電力会社が動かされている。そんな気がします」
続いて逆田の声がする。
「これからは発展途上国も原発を建設するでしょう。特に原油がなく雨も降らない途上国では、自然エネルギーで加速度的に増える電力需要を賄うことは不可能です。先進国がこれまでのことを反省して原子力発電を止めると言っても発展途上国は納得するはずがありません。商業ベースではなく、地球全体でエネルギーをどうするのか話し合わなければなりません」
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