10 年金


 無残な原子力発電所の外観が例のテレビに映っている。驚くほど鮮明な映像だ。


「この原子力発電所は国民の合意のもとに建設されました。もちろん反対した人もいます。民主主義国家ですから多数決で法律が作られて建設されました。だから国民全員で原発事故で被曝した人や被害を受けた人に賠償しなければなりません。理屈ではこのようになります。ガラス張りにしたデータに基づいて公正に議論し尽くして原発を建設したのであれば、この理屈に大義はあります」


 逆田の声が流れる。


「この映像はアメリカの衛星が撮影したものです。次の映像は私たちの放送局がある組織に依頼して被災した原発内部を撮影したものです。今はその組織の名前は明らかにはできませんが、いずれ公表する時期が来るでしょう」


 撮影者の解説とともに生々しい映像が流れる。田中と大家は息を呑んで見つめる。その映像は意外と長いものだった。


「私たちはこの映像を政府や関東電力に提供しました。しかし、まったく反応はありませんでした。つまり無視されたのです。さらに原発の専門家にも提供しました。まず原発反対の立場の専門家からは様々な意見が寄せられましたが、原発推進派の専門家の大半は黙ったままでし

 

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た。しかし、推進派だった一部の専門家からは懺悔の言葉と共に貴重な意見が寄せられました。ただし公開をしないという約束を前提に」


 画面は原発推進派の専門家の過去の言動を編集した映像に変わる。推進派の意見は総じてデータを示すことなく、ただ安全で日本の為になるというものがほとんどで、中には原発反対派は国賊だと言わんばかりのものも散見された。田中も大家もマユをひそめてテレビを見つめる。これに対して、そのあとに流された反対派の言動を編集した映像を見たふたりは、首を縦に振りながら、なるほど顔で見つめる。しかし、しばらくすると何かを思い出したように大家は首を固定して目を閉じる。


「データや過去の大地震の記録をもとに説明する反対派の方が説得力があるなあ」


 田中の声が届いたのか、映像が切れて逆田と山本が現れる。


「原発事故のあとにこのような映像を流せば、結論は明かです」


 山本がまるで田中に問いかけるような眼差しで言葉を続ける。


「今、見ていただいたのは昭和四〇年代、本格的に原発を建設するころに記録された映像です」


「その当時、この映像を見た大半の国民は推進派の意見に賛成したのです」


「まさか!」


 思わず田中が叫ぶ。その声にやっと大家は目を開けて田中に静かに言葉を向ける。

 

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「若かったころ、同じような映像を見たことがあった」


 田中はテレビから大家の頭に視線を移す。


「わしは推進派の方の説明が現実的だと納得した。反対派の説明はただ反対するための反論のような印象をもった。それに当時は原発建設に反対するのが許されないような雰囲気もあった」


「雰囲気ですか。雰囲気で物事が決まってしまうと言うことは、まともな議論よりそのようなムードを造った方が勝ちだと言うことですね」


 大家が立ち上がって田中の肩を叩く。


「するどい!。田中さんらしくないというと怒られるな。いや、田中さん、あんたは素晴らしい」


 田中は大家の褒め言葉に気を止めることなく呟く。


「ムードで物事が決まってしまうなんて、むなしいなあ」


 大家は再び座り直して考えを展開する。


「日本人は『和』を大切にするというが、『和の中』つまり『輪の中』にいることを心地よしとする国民なのだ。その輪が人々を囲い込む柵だったとしたら、そこから出ることができない」


「柵の中にいることさえ知らない牛のようなもんですか」

 

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「ある意味、檻の中にいることが分かっている虎の方が自分の立場を理解している。どちらも不幸なことに違いはないが」


「怪しげな曖昧な意見に騙されて自ら墓穴を掘る。人心をムードで誘導してきた政府や関東電力や原子力保安院はまるで振り込め詐欺の犯人と変わらないな」


「振り込め詐欺犯など可愛いもんだ」


「えー!、もっと大物の詐欺師がいるんですか」


「それは旧社会保険庁です」


 大家ではなくテレビの中の逆田が応える。


「以前、社会保険料のうち健康保険料のことを説明しましたが、今日は、年金の根幹的な問題について皆さんと一緒に考えてみましょう」


「おかしなテレビだ」


 二階建ての家の絵が左側に映される。右半分は黒いままで何も映されていない。


「年金は一階の基礎部分と二階の付加部分とに区分されます。ここからは税金には弱いが、年金にはめっぽう強い山本が説明します」


「お褒めいただきました山本です。さて皆さん、実は私も詳しくは知らないのですが、そのぶん、わかりやすく解説しますの。ただし枝葉の部分の説明は省略します。それでは解説を始めます」

 

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 逆田が画面の建物の絵にポインターを合わせる。


「この建物の横に築四十年と書いてありますが、かなり古い家ですね。これはどういう意味なんですか」


「四十年間、年金保険料を支払い続けたということです。四十年間も住み続けると雨漏りがしたり、壁が黒ずんだりして傷みも相当なものです。修理しなければ住み続けることができません」


 右半分にも家が映される。


「こちらは築二十四年の家です。先ほどの言い方をすれば二十四年間、年金保険料を支払っていますが、年金は二十五年以上支払わないと貰えません。あと一年です」


「とにかく二十五年以上年金保険料を支払わないと年金を受け取る権利がないのですね」


「そうです。年数が足らない人に様々な救済措置はあります。この救済措置については説明を省略します。正直言って、年金は非常に複雑な制度で私の薄っぺらな教養ではうまく説明できないかも知れません。我慢して聞いて下さい」


 右画面の家の築年数が三十年に変わる。


「年金保険料を四十年掛けた人と三十年掛けた人と比較するのですか?」


「そのとおりです。一階の基礎部分というのは年間約八十万円ほど頂ける基礎年金と言われているものです。あとで説明しますが、すべての人が同じ額の年金保険料を支払っているのでは

 

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ありません。年金問題を複雑にしている根本原因は様々な年金の掛金システムがあるからです。まずサラリーマン。多数のサラリーマンが務める上場会社から、わずか数名しかいない個人企業まで様々です。そして公務員。これも国家公務員から都道府県の公務員、市町村の公務員。その数だけシステムが存在します。国会議員や地方議員も同じだけのシステムが存在します。それに自営業者。つまり星の数ほどの年金掛金システムが存在するのです」


「要するに様々な職業の方がそれぞれの属する組織や立場を通じて年金保険料を支払っているわけですね」


「年金掛金システム、つまり年金を天引き、あるいは徴収したり運用する組織もその数だけあるということです。話が少し横道に逸れましたが、その年金保険料の支払いルートや金額にかかわらず四十年間、年金保険料を支払った人は、一階部分の基礎年金については満額の約八十万円を受け取ることができます」


「そうすると三十年掛けた人は、四十年掛けた人の四分の三、ということは八十万円の七十五パーセントの六十万円の年金を貰えると言うことになるのですか」


「正解です。逆田さんは計算が速いですね」


「満額の八十万円が年金として十分ではないという不満はこの際、問わないとして、この家の二階部分の年金というのは?」


「先ほどの説明で、様々な人が様々な年金保険料を支払っていますから、言葉は悪いかもしれ

 

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ませんが、たくさん支払った人には、ご褒美をあげようとするのが二階部分です。なかには豪華な三階建ての家もあります。この場合、さらに年金が上積みされます。そんな家に住めるのは上場企業のサラリーマンと公務員です。上場会社のサラリーマンはともかく、これを説明すると公務員への優遇に怒り狂うでしょう。ですから、あとの楽しみに取っておきます」


「ご褒美ですか。遊ぶキリギリスではなく、働き者のアリさんには報いてあげなければ。でも、いつから、年金は頂けるのですか」


「もともと、一階部分も二階部分も六十の誕生日から頂けるものでした」


「色々な年金不正事件や景気の低迷、もちろん景気の動向を読めずに、いえ無視して年金問題を先送りした政府、これまで報道してきましたが、結局年金支給の先送りですね」


「まず、一階部分の年金は生まれた年を二年ごとに区切って六十歳から、六十一、六十二、六十三、六十四と延長して今は六十五歳からの支給になりました」


「支給日を段階的に遅らせたのですね。それでは今は六十歳から頂ける二階部分の年金は?」


「今は六十歳からですが、これも一階部分の年金と同じように二年ごとに支給開始年齢を引き上げて最終的には六十五歳まで二階部分の年金支給時期を遅らせます」


「山本さん、ちょっと待ってください」


 家の一階部分がハイライトする。


「逆じゃないですか。基礎年金はキチンと六十歳から支払うべきで、つまり基礎という名前か

 

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らみて、二階部分を先送りしてでも一階基礎年金はしっかりと六十歳から支給すべきでしょ」


「残念ながら、逆なのです。一階部分の年金は全員に支給しなければなりませんが、二階部分の年金はそうではありません。だから一階部分の年金の支給開始時期を延長する方が財政的には都合がいいのです」


「そんなバカな。一階より二階優先で、一階建ての家に住んでいる人の方が貧乏人が多いのに。まるで弱い者いじめじゃないですか」


「逆田さん。この程度で興奮していただいては、話が先に進みません」


「もっとひどい仕打ちが待っているのですか」


「そうです」


 山本の冷たい声がする。


「一階部分だけではなく二階部分の年金もいただける人はサラリーマンや公務員といった職業の方です。しかし、一階部分の年金が六十五歳にならなければ貰えないのであれば、逆田さんならどうします」


「最近は希望すれば定年延長が認められますので、地位や給料が減っても再雇用してもらうか、もしそのような制度がない会社に勤めていたなら、ハローワークに行ってパートでも何でもします」


「最近の景気では退職金がたくさん貰える人はあまりいません。それどころか会社の業績が悪

 

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くて退職金を貰えない人もいます。当然六十歳で定年退職だといっても働き続けなければならないでしょう」


「でも二階部分の年金があるから、あくせく働かなくても、パートでもなんとか生活できるかもしれない」


「それが、そうはいかないのです」


「えーっ!」


 逆田の大きな声が響く。もちろん田中も驚く。


「給料を貰うと、二階部分の年金が受け取れなくなるか、減額されるのです」


「そんな、むごい。山本さんが鬼に見える」


 もちろん画面には山本も逆田も映っていない。前にも説明したが、この放送局はアナウンサーがチャラチャラと画面に登場することはほとんどない。


 さて、画面にはどの程度の給料を受け取ると二階部分の年金が貰えなくなったり、減額されるのかという分かりやすい一覧表が表示される。しかも、視聴者がじっくり見られるように何分間も表示される。


「一言で言えば、働き続けた方が若干収入が多いように設定されています」


「働いた方が少しだけ得だということか。ずるいな、国は」


「ところが、このケースはサラリーマンが再就職した場合のケースです」

 

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「と言いますと」


「たとえば裁判官。退職すると弁護士事務所を開業します。上場企業を監査する監査法人に勤めていた方や税務署に勤めていた方は税理士事務所を、そのほか司法書士、不動産鑑定士、社会保険労務士、行政書士といった事務所を開設される方など様々な事務所を開業します。また大企業に勤めていた方はコンサルティング事務所を開業される方もいます」


「そうですね。普通の人は試験を受けないと弁護士や税理士になれないのに公務員の場合、特典がありますね」


「今はこの特典が良い悪いの話はしません。彼らのように勤めるのではなくて、いわゆる自営業者として再出発する人たちについては、驚かないでくださいね、逆田さん」


「はい」


「彼らはいくら稼ごうと二階部分の年金はカットされないばかりか、減額されることもありません」


「なぜなんですか!」


 逆田が大声をあげるというよりは怒鳴る。そして繰り返す。


「サラリーマンの視聴者を代表して質問します。なぜですか!」


「世間では次のように考えている人がいます。あとで正しい説明をしますが、取りあえず庶民感覚を披露します」

 

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 山本が一息置いてから説明を続ける。


「サラリーマンの場合、勤務先のほとんどが社会保険に加入していますので、補足される可能性が高いんじゃないかという考えです。つまり社会保険の加入手続も年金の支給も日本年金機構の仕事ですから」


「サラリーマンは税金も税務署に百パーセント把握されていますから、その考えは正しいんじゃ?」


 逆田が情けなそうにうつむく。そして小膝を叩いて強い口調で続ける。


「そうだ!社会保険に加入していない会社や個人企業に就職すればいいんだ!」


「そのとおり。カットも減額もありません」


「補足できないから?」


「それは大きな要因であることは間違いありません。同じようなことが、先ほどの弁護士や税理士の資格業でも言えます」


「何ということだ」


 画面には、弁護士法人という文字と弁護士という文字の下に、それぞれ、法人、個人という文字が現れる。


「弁護士法人になれば、オーナー弁護士であっても、社長という名の月給取りですから、しかも社会保険に加入しないというようなズルはしないはずですから、それに社長である弁護士の

 

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給料が少ないということはないでしょうから年金の減額というのではなく全額カットされます」


「確かに、社長弁護士の給料はパートのように安くはないでしょうね」


「個人経営の弁護士事務所に年金受給者が就職したとすれば、その方はもちろん、同じく年金受給年齢に達した弁護士さん自身も、年金をカットされるということはありません。当然小規模な事務所は社会保険の加入事業者ではありませんから」


「要は社会保険加入事業者の会社なり個人企業に就職すると、日本年金機構に補足されて年金はカット、もしくは減額されるがそうでない場合は満額貰えると、こういうことですね」


「そこで日本年金機構を取材しました。ところが、私たちの日頃の取材が厳しいと言うことで断られました」


「ノコノコと引き下がったのですか」


「いいえ。職業柄、ほかの民放に友人がいますので、事情を説明すると代わりに取材してやると意気込んで協力してくれました」


「それで、その結果は?」


「そういう制度だという一言でかたづけられました」


「どういうことですか」


「『在職老齢年金』といって二階部分の年金を再就職のサラリーマンについては減額又はカッ

 

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トするという制度なのです。この二階部分の年金制度はサラリーマン固有の制度ですから、当たり前といえば当たり前なんです。六十歳になったら自営業をするしかありません」


「しかし、六十歳以降を老後とすると、老後をサラリーマンとして働くのか自営業を営むのかによって貰える年金の額に差が生じるなんて、なんだか腹が立ってきました。元サラリーマン諸君は知っているのでしょうか」


「クーデターが起こっていないということは、知らないのでしょう」


「こんな不公平は許されません。私は今から中東へ行ってクーデターの起こし方を教えて貰います」


「逆田さん、待ってください。もっと矛盾したことがあります」


「えー、この年金カット問題だけでも煮えくりかえるのに、もっとひどい話があるのですか」


「根本的な問題があります。それは政府が国民に対して詐欺まがいのことをしていることです」


「詐欺!」

 

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