「先のことが分かっても無意味だな」
「もっと先のことなら?たとえば十年後にある彗星が地球にぶつかる映像がこのテレビに流れたとしたら?」
田中が自問自答する。
「やっぱり同じか。知らないまま、その日になって彗星がぶつかってくれた方がいいのかも」
「競馬で儲けて豪勢な暮らしをしていると、勘ぐった者に殺されるかも知れない。そんなニュースがこのテレビから流れたら、毎日怯えて殺される日を待つしかない」
「山本さんのように一回だけこのテレビの映像を見て、そのあとは競馬で儲けた金で悠々自適に生活するのが、このテレビの活用方法かもしれない」
「本当に山本さんがそのように考えて行動したのなら、大した人物だ」
「大家さん!」
急に田中が大声をあげる。
「山本さんが、このテレビを手に入れるために僕を殺すってなことは?そうだ!このテレビ、粗大ゴミに出しておさらばしよう!」
「なんということ!」
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「なんなら大家さんに差し上げます」
「このテレビは田中さんでなければ、スイッチが入らない。あんたを殺せば何も映らない。わしには無用のポンコツテレビだ」
田中はほっとして話題を変える。
「今気が付いたのですが、最近このテレビ、舞台裏の映像が多くなったと思いませんか」
田中の意見に大家が大きく頷いてから、顔を横に振る。
「初めのころ、男性アナウンサーが天気予報のことで文句を言っていた放送があったぞ」
「ありました。ありました」
「よく考えてみるとあの男性アナウンサーの言うことには一理ある」
「女子アナがいない方が集中して天気予報を見ることができる。確かそのような感想を漏らしたの、覚えています」
「そうだ。わしはむしろ、こう思う。毎回違う服を着て出演するのなら、あれがNHKの女子アナだったら、わしはその服に視聴料を払っているようなもんじゃないか」
「それはヒガミじゃないですか」
「悪かったな。ヒガミで」
「そういえば、僕の数少ない友達に税理士がいますが、その税理士のお客さんにFM放送のディスクジョッキーをしている女性がいるそうなんですが、税務署から調査を受けて、ドレスや
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指輪、ネックレスの、えーと何と言ったらいいのか、そういうモノを経費にして申告していたのはけしからんと、とがめられたという話を聞いたことがあります」
「税務署はきついからな」
大家が頭の中で自分が受けた税務調査のことを思い出すが、首を横に振る。
「そのケースでは税務署のいうとおりじゃないか。幾ら何でもラジオのアナウンサーにドレスはいらんだろ」
「アナウンサーじゃありません。ディスクジョッキーです」
「いずれにしても、声が勝負で姿形は関係ないじゃないか」
「ところが、生放送で司会もするんです。結婚式の司会の仕事もあるらしい」
「平服で結婚式の司会はできんな」
「そうなんです。でも余りにも衣装代が高いと最後は半分で話が付いたそうです」
「半分って言うのは結構多いな。わしの携帯電話代や車のガソリン代も半分に値切られた」
「大家さんはまだいい。僕なんか仕事で使った自分の携帯電話代は経費になりませんよ」
そのとき例のテレビの画面に討論会のような映像が流れる。
「子ども手当に所得制限を設けるべきだが、いくらにする?」
「手取りで八百万円って野党はおっしゃるが、手取りって言うのは?」
「そもそも、所得制限といいながら収入が云々というのはおかしいじゃないか」
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「国民は所得と収入の違いなんか分かっていない。とにかく庶民から見てこれぐらいの収入があれば子ども手当は渡さないと言うぐらいのアピールでいい」
「そんないい加減な」
田中と大家は画面を見ながら、それまでのもやもやとしていたことに終止符を打つ。
「田中さん」
大家が田中の顔をまじまじと見つめる。
「税金の話をしていたら、それに近い映像が出てきた。これまでもこれと同じようなことがあった感じがします」
「そのとおりだ」
「たとえば天気の話をしたら台風が発生する予報の映像が出るのかも」
「田中さん、そんな想像はやめるんだ」
テレビの画面が天気図の画面に変わる。
「大型で強い台風八号は勢力を保ったまま足摺岬の南南西二百キロメートルの海上を時速十キロの非常に遅い速度で北東に向かっています……」
「えーと、震災で避難している人がどこにいて何を必要としているんだろうか」
田中がテレビに向かって告げると画面が消える。
「スキャンダラスなことにしか反応しないのか」
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「田中さん、このテレビの行動パターンを研究する必要がある。録画出来ないし、画面を撮影することもできないから、手書きでノートにでも記録するほかない」
「それしかないようですね。こいつ、何だか人間みたいだな」
「その直感、あながち外れていないぞ!」
大家が興奮して田中の肩を叩く。
「こいつ、何を言いたいんだ」
田中がついにテレビのことを「こいつ」と愛着をこめて言い放つ。と同時に画面に映像が現れると質素な服を着た男女のアナウンサーが笑顔を田中と大家に向ける。
「大家さん!」
田中が絶叫する。
「山本さんだ!」
大家も叫ぶが、すぐに田中を直視する。田中は大家にではなく画面に向かって大きく頷きながら、さらに金切り声を上げる。
「逆田!この男が逆田です」
「!」
グレーのスーツにネズミ色のネクタイを締めて黒縁の眼鏡を掛けた逆田が薄ら笑い浮かべて立っている。しかし、急に時計の画面に変わると逆田の声が流れる。
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「視聴者の方から、『ラジオの時報と、地デジの時報と、ワンセグの時報がすべて違いますが、なぜ、ずれるのですか』とか『どの時報が正確な時報なのですか』というお問合せがよくあります」
今度は山本の声が流れる。
「ラジオ、地デジ、ワンセグの電波の速さは同じなのですが、皆さんの受信装置に到達する時間に差が生じます」
「そういえば、確かにずれているな」
時計の画像が消えると、画面が左右に分割される。
「そのズレがひどいとこのようなことが起こります」
逆田の声が流れる。左の画面に競馬の中継放送が流れる。
「これはX日十五時四分の競馬の中継放送です。ゴール前で接戦が繰り広げられて『ハヤテホンマカ』が一着になりました」
今度は右側に同じレースのスタート前の映像が現れると山本の声が流れる。
「こちらは同じくX日十五時ジャストの中継放送です」
田中も大家も真剣に画面を見つめる。しかし、右側の画面はほとんど動かない。左側の画面では騎手が拳の左手を高々と上げて笑顔を振りまいている。逆田の声が流れる。
「ゴールの映像が先に受像器に到着して、スタートの映像が遅れて到着すると、視聴者には因
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果が逆転しているように見えるでしょう。もちろん左側の映像に対してそんなに遅れて右側の映像が受信されることはあり得ないのですが、受像器にその異なった映像のうち、あとに発信された映像を優先して取りこむ機能があれば、その受像器で未来を見ることができるのです。電波は光と同じです。光の速さは一定です。その定められた速度以上に早くなることはありません。でもその定められた速度より遅くなることはあります。その速度の差はわずかで、普通、人間が感じることはありません。ただ、そのわずかな差、これを増幅して流すことができれば、そして受信する方へその差を誇張して画面に表現できれば、かなり先の未来を見ることができるのです」
右側の騎手の喜びの映像と左側のスタートしようとする瞬間の映像が同時に消えて、逆田と山本の姿が現れると、画面は真っ暗になる。
「どういうことだ」
大家は脂汗をかいている。
「なるほど」
田中がつぶやくとテレビから大家に視線を移す。
「なんとか理解できました」
「わしにはなんのことやら、さっぱり分からん」
「大家さん、眠くなりました」
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田中がそのまま床に座りこむと横になる。しばらくすると寝息が聞こえてくる。興奮に包まれていた大家もテーブルにアゴを載せたまま深い眠りに陥る。
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