大家と田中との連絡用の携帯電話と一緒に買った少し小さめの液晶テレビが例の不思議なテレビの横に置かれる。そして前にビデオカメラ、これも大家が山田電気で買ったものだが、三脚の上に鎮座していつでも不思議なテレビの映像を録画できるようにしてある。さらにふたつのテレビの間には大きめの液晶の時計が置いてある。
「このテレビの映像はどこの放送局が流してるんだろう」
「わしもずーっと気になっていた」
「NHKの映像とは明らかに違う」
リモコンどころか電源コードもないのに、何かの拍子に映像が現れる。スピーカーもないのに音声が流れる。テレビに耳を近づけてもどこから音が出ているか分からない。画面も中央部にしか映らないときもあれば、フルに映ることもある。中央部だけのときは約三十インチでフル画面の場合は約五十インチ相当の画面になる。それだけではなく右に寄った画面になったり、左寄りに、あるいは上寄り、下寄りに映る場合もある。とにかく自由奔放に映像が現れる。さらに急に映像が現れたかと思うと、プツンと消えることもある。
「ドラマやバラエティー番組はありませんね」
「ニュースというか報道番組だけしか放送していない」
[41]
「それにアナウンサーや解説者も誰ひとり知っている人はいない。さっきも言いましたが放送局の名前すら出てこない。大家さん、どう思います?」
「携帯電話や液晶テレビを買うとき『逆田』という店員のことを尋ねたけれど、誰も知らなかったな」
「でも、僕は間違いなく逆田という男に勧められてこのテレビを買ったんだ」
そのとき「ドーン」という音と共に例のテレビに映像が現れる。関東電力福島第一原子力発電所の一号機の母屋が吹っ飛ぶ瞬間の映像だ。
「なんだ」
白い煙と共に粉々になった母屋の破片が飛び散る。
「これは大変なことになる!」
田中は何とか冷静さを保ってテレビ横の時計と映像の右下の日時を見る。
「二時間後に起こることが映されているんだ!」
「なんとか、誰かにこの……」
しかし、津波のときと同じ焦燥感がふたりに沈黙を強制する。黙って映像を見続けているとアナウンサーと論説委員と東大の教授が並んで座っている画面に変わる。
「爆発前の映像とこの映像から判断すると建屋が完全に吹き飛んでいます。原子力安全委員会のメンバーでもある東京大学の東教授に伺います。教授、これは一号炉ですね」
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「建屋が爆発したという報告は受けていません。この映像だけで一号炉が爆発したと断定はできません」
大家がテレビに向かって怒鳴る。
「誰が見たって明らかじゃないか」
論説委員が正す。
「上側は昨日の画像です。少し撮影方向が違いますが、現在の画像です。鉄塔の位置や二号炉、三号炉、四号炉の位置から見て建屋の上半分が消失したのは一号炉に間違いないのでは」
「一見そう見えますが、もし水素爆発を起こしたのなら関東電力から報告があるはずで、今はなんともいえません」
「こいつ、惚けやがって」
ますます大家が興奮する。田中は黙って論説委員と教授を見つめる。
「水素爆発が起こったのに報告がないとしたら、これは大問題です。これについて教授のお考えは?」
「報告を受けてからお答えします」
冷静だった論説委員が教授を睨む。
「全国民が原子力発電所の事態を息を呑んで心配しています。原子力安全委員会は迅速に詳しく説明する責任があるのでは」
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「説明を拒否しているのではありません。報告がない以上説明できないのです」
「もし水素爆発して天井が吹っ飛んだとしていたら、放射能は……」
アナウンサーも身を乗りだして教授に問いかける。
「仮定の話はできません。過剰に不安を……」
ついに論説委員が大声をあげる。
「何も知らさなければ、それこそ不安になるじゃないですか!原子力保安院からの報告もないのですか。関東電力への問い合わせは?」
田中が横に顔を振ると真っ赤な大家の顔を見つめ直して言葉を続ける。
「原子力安全委員会ってなんなんですか。原子力保安院とは違うんですか」
「わしもよく知らんのだが、原発の安全性を検査したり、運用のアドバイスをするところらしい」
「なぜ、そんな組織がふたつもあるんですか」
「よく分からん」
「分からない組織の人を呼んで尋ねても何も分かりませんよね」
「田中さんの言い分は非常に分かりやすいなあ」
「でも、屋根が吹っ飛んでいるのに暢気なこと言ってますね。目の前で交通事故が起こっているのに警察や救急車が来るまで確認が取れないから、怪我人をほったらかしにするようなもん
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じゃないですか」
「どうも合点がいかんな」
テレビがプツンと切れる。
「あの教授、二時間後の本番でも同じことを言うんでしょうか」
「本番か。今見た映像は予告編なのか」
「本番を見る気、しないな」
「こんな大事件の予告編を見たのに本番を見る気にならなくなるほどしらけた。なんということだ」
*
しばらくの間、例の不思議なテレビにスイッチが入ることはなかった。かといって、ふたりはその横のテレビで通常の番組を見る気にもならなかった(とは言ってもNHKのニュースだけは見ていたが)。無為に過ごした数日後、突然あのテレビの右半分の画面が輝く。どこの部屋か分からないが、官房長官と誰かが睨み合っている。
「これは発表すべきではありません」
誰かがそういうと立ち上がって、官房長官の前に置いてある少し大きめのシステム手帳の開いているページに太いショッキングピンクの付箋を貼り付ける。
「なぜだ。こんなこと隠し続けることは不可能だ」
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田中が慌てて携帯で家賃の集金に出かけている大家を呼ぶとビデオカメラの撮影ボタンを押す。
「隠すのではありません。表現方法を変えるのです」
原子力保安院の担当者から別の原稿が手渡される。官房長官が神経を集中して読むと、見る見る内に顔を真っ赤にする。
「国民を愚弄するにも程がある」
「長官。すでにメルトダウンしているんですよ。そこからの説明が要求されますし、今さら地震直後にメルトダウンしていましたなんて、発表できません」
「いずれ、わかることだ」
「いえ、大丈夫です。経済産業省、原子力保安院、関東電力は三位一体です」
「現場にいる関東電力の関連会社や協力会社の社員の待遇は最悪だ。現場にいる人たちがいずれ真実を語ることになる」
「大丈夫です。口外すれば彼らは生きていけません」
「それじゃ、まるで奴隷じゃないか」
「長官、言葉を慎んでください」
「おれに命令するのか。公害にしても薬害にしても結局被害者が真実を掘り起こした。現場にいる者と協力して被災者は必ず真実に向かって突き進む」
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「現場ではなく、現実を直視してください。こちらの原稿でお願いします」
長官は唇を噛むとその原稿をシステム手帳に挟みこむ。
そのとき田中の部屋のドアを激しく叩く音がする。ドアを開けると大家が咳きこんで入ってくる。その大家に田中が告げる。
「原発はすでにメルトダウンしているらしい。これまでもこれからも政府の報告はウソです」
「テレビが消えているぞ」
「本当だ。さっきのさっきまで映っていたのに。でも大丈夫です。画面を撮影していますから」
田中がビデオカメラを操作して再生する。しかし、ビデオカメラにくっついている小さなモニターは真っ黒なままで何も映っていない。
「故障か」
田中はビデオカメラを三脚から外して手にすると大家や部屋の中を撮影してすぐさま再生してみる。
「ちゃんと映っている」
映像も音声も記録できない不思議なテレビにふたりは驚きよりも恐ろしさを共有する。
「ところで何を放送していたんだ」
「記者会見前の官房長官と原子力保安院の担当者との会話です。これから記者会見で発表する
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内容についてふたりが激しくやりとりしていました」
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