第百十五章から前章( 第百十八章) までのあらすじ
六次元の世界で待機するフォルダーに限界が訪れる。広大の勧めでファイルとペアを組んで六次元化したフォルダーは正六面立方体移動装置でノロと再会する。巨大土偶封じ込めに成功したノロは褒美の宇宙海賊船オルカで三次元の世界に戻る途中、ホーリー達の宇宙海賊船パンダと出会う。オルカで六次元化の手術を受けたホーリーたちとともに地球を目指す事になる。
【次元】三次元
【空】オルカ
【人】ノロ イリ ホーリー サーチ ミリン ケンタ 住職 リンメイ フォルダー
四貫目 瞬示 真美 最長
* * *
「ノロの惑星の、あの居酒屋で飲みたかったな」
ホーリーが誰彼なしに同意を求めるとサーチが応じる。
「そう言えばマスターは最長だったわ」
オルカの作戦室でどこからかき集めたのか、酒や肴が用意されて祝宴会が催された。感激が先行してすぐ心地よい酔いに包まれる。
[136]
「ここに最長がいないのが残念だわ」
ミリンが酒を口に含むとどこからか聞き慣れた声がする。
「お代わりはいかがかな」
驚いて全員がその声の方向に顔を向ける。
「最長! 」
すぐそばで最長が数本の酒瓶を持って立っている。
「それにマグロもあるぞ。はっはっは」
「まさか! 本物の最長か? 」
「酒も本物だ」
「ありがたい」
ホーリーが最長から一升瓶を受け取ると栓を抜いてコップに酒を並々と注ぐ。海賊たちも手伝って準備が調ったところで最長がコップを高々と上げる。
「乾杯しましょう。皆さんの六次元化を祝してカンパーイ! 」
グラス音がして唱和が始まる。そして拍手が渦巻く。落ち着いたところでホーリーが叫ぶ。
「これからは自由に時空間移動できる。ノロと再会もできた。もう一度乾杯だ! 」
再び酒が注がれると大歓声が上がる。ところがひとりだけ乾杯もせずに黙り込んでいる者がいる。
[137]
「どうしたの? ノロ。最長に挨拶したら」
最長が現れたとき、全く反応しなかったノロにイリは違和感を持っていた。再会の感激の中で住職とリンメイもノロを気にしていた。そんな周りの雰囲気に気付いたノロが急に大声で笑い出す。
「オレ、元々酒を飲めなかったのに、いつから飲めるようになったのか、考えていたのだ」
誰もが重大な発言をすると思っていたので、肩すかしを受けて転げ回る。するとノロが急に怒り出す。
「最長からもらった貴重な酒をこぼすな! 」
最長がノロに近づく。
「酒ならいくらでもある。心配するな」
「そうか! じゃあ乾杯! 」
「もう乾杯は済んだぞ」
しらけるフォルダーを制してイリが声を上げる。
「カンパーイ! 」
再び盛り上がる。ノロがはしゃぎ出したからだ。しかし、いつものような調子には戻らない。
「飲酒の歴史なんかどうでもいいわ。それとも深刻な悩みでも? 」
[138]
イリが優しく尋ねる。
「悩みなんか持ったことはない」
「でも変よ。今日のノロは? 」
「今日の? だったら昨日のオレは? 明日のオレは? 」
イリの表情がこわばる。
「いったいオレは何人いるんだ」
手に負えないと感じたイリはフォルダーに助けを求める。幸いフォルダーはテーブルを挟んで正面にいる。
「ホーリーと再会できたし、最長も駆けつけてくれた。パーッと行こうぜ」
フォルダーがノロのコップに酒を注ぐ。
「うん」
ノロは頷くがコップに口を付けない。
「オレ、色々な時空間でパーッとやってきたから、いろんな時空間にオレ自身を置き忘れた気がする」
いつの間にか歓迎ムードが消滅する。発言しようとするホーリーをサーチが抑える。住職とリンメイは目を閉じてノロの発言を脳裏に焼き付ける準備をする。
「これからのことを考えているんだな」
[139]
さすが長年の友情に結ばれているフォルダーのセリフにノロを刺激するような文字はない。
「もちろん」
「だったら席を外したらどうだ。いや床に大の字になったっていい。場所を移して宴会をするから心配は要らない」
イリがフォルダーの言葉に感心する。女と男が一緒になっても男同士の友情にかなわないと脱帽する。イリは初めて愛情と友情を分離して理解する。
「そんなに大げさなことじゃないんだ。この宴会が済んだら、地球に行ってR v 2 6 に会おうと思う… … あっ思い出した… … 」( 第三編第七十四章「アンドロイドの地球」参照)
珍しくノロの言葉に歯切れがない。
「… … 確かイリと瞬示と真美と一緒に、ブラックシャークで地球に行ってR v 2 6 に会った」
「えー? 記憶にないわ」
イリを否定する真美の声がする。
「確かに行ったわ」
瞬示が頷くとノロはイリを無視して真美と瞬示を見つめる。
「瞬示、真美。教えてくれ。オレは何のためにR v 2 6 に会いに行ったんだ? 」
真美が明確に応える。
「だから私たち、時間整理のために同行しているのです」
[140]
ホーリーが「そう言えば」と大きな声を上げて続ける。
「地球を去るとき、すれ違いのようにノロが地球を訪れたという噂を聞いた」
「ウワサ? 」
サーチが驚く。
「時空間を移動すると時間軸が複雑に絡み合うんだ」
ノロがホーリーを見つめるとフォルダーが大きく頷く。
「前から思っていたが、まさしくそうだ」
フォルダーの言葉のニュアンスを確認するためにホーリーが突っ込もうとしたとき住職が低い声を出す。
「数珠はひとつの輪じゃが、回り出すとひとつひとつの玉の位置が分からなくなってしまうのじゃ」
すかさずミリンが介入する。
「住職の話はいつもよく分からないわ」
ノロも介入する。
「アンドロイドは時間軸が複雑になっても混乱することはない」
話を逸らされたと不満そうなミリンにノロが視線を変える。
「時間が複雑に絡み合うとあらゆる次元の生命体が混乱するが、その原因や対処方法を模索するのは非常に困難だ。でも今や地球の住民となったアンドロイドは混乱していないのでは? 」
[141]
ミリンではなくサーチが応じる。
「よく分からないけれどR v 2 6 は私たちと同じように時空間を幾度ともなく移動したわ。でもR v 2 6 の混乱した表情を見たことはなかった」
「生命体というのは、次元が高いほど時間のコントロールに長けているが、逆に多数の時間次元が存在する世界に住んでいるから、時間対処がどうしても緩慢になる。いずれにしても生命体の時間対応能力には限界がある。たとえ永遠の命を持ったとしてもこの根本的な制約から逃れることはできない」
「つまり元々生命体というのは有限の身であるからしてじゃ、時間から逃れることはできんということじゃな」
「今の住職の説明、分かりやすい… … 」
ケンタがミリンの口を塞ぐ。
「さてアンドロイドはどうだ? 彼らはオレたちの頼りない体内時計と違って正確な時計を内蔵している。巨大土偶なんか四個も体内時計を持っている」
「ノロがそんなことを言うもんだから腕時計を四つも五つも腕に巻き付けたことがあったわ」
ノロがイリに笑顔を向ける。
「でも腕時計を何個腕に巻き付けようともアンドロイドの体内時計にはかなわない」
[142]
* * *
「アンドロイドは正確な体内時計のお陰で時空間移動に対して強力な免疫力を持っている。どれだけ過酷な時空間移動しても、いわゆる乗り物酔いというのか… … 」
「船酔いしないということね」
「しかもその体内時計の刻みは、子孫に一秒の狂いもなく受け継がれる」
「人間の場合は? 」
「精子と卵子の間には時間の引き継ぎという任務はない」
「どうして」
「有限の身が故のサガだ」
「今やアンドロイドも子供を生んで親は死んでいくわ。それでもアンドロイドの体内時計は子孫に引き継がれるの? 」
「当然じゃないか。元々クオーツの振動を頼りに規則的に行動してきた機械だったから」
「それってアンドロイドに対する差別発言じゃないの? 」
「一緒に生活していればそうだろうが… … 」
「ここにはアンドロイドの宇宙海賊もいるのよ」
そのとき女性アンドロイドの宇宙海賊が挙手する。
[143]
「ノロの言葉に差別な要素はありません。むしろ私たちアンドロイドの長所を指摘しています」
「どういうこと? 」
「時間は広場のようなもので生命体が存在するのに絶対必要な場所です」
イリの反応を伺いながらその女性アンドロイドが続ける。
「生命体は子孫を残すため、時間に支配されます」
急にノロが興奮する。
「お前、いいこと、言うな! 」
「あのう、続けていいでしょうか」
「ドンドン、続けろ! 」
「本当にいいのですか? 」
「当たり前じゃないか。オレ達に上下関係はないし、言論の自由は完全に保証されている。オレ達は自由気ままな宇宙海賊なのだ! 」
「でもノロは私たちアンドロイドの宇宙海賊が言いたいこと、お見通しなのでは? 」
「それは分からん」
「時間についての私たちの認識は… … 」
ノロはアンドロイドの海賊たちの話に耳を傾ける。
[144]
* * *
「というわけで、時間を支配した生命体はたとえ永遠の命を手に入れなくても永遠にその種族を永らえることができます」
「まったく、そのとおりだ」
珍しく最後まで黙って発言を聞いていたノロが感心する。
「やっぱりお見通しだったんですね」
「そんなことはない。すごく勉強になった」
「ありがとうございます。でも褒めすぎだわ」
「オレは人間だ。アンドロイドに子孫を残す能力を与えたが、実際のところ、どのようなルールで子孫を残して生命体として引き継いでいくのかは当事者でなければ分からない」
アンドロイドの海賊のチーフが首を傾げる。
「我々の創造主であるノロでも分からないと言うことですか」
「たとえば大腸菌… … 」
イリが横やりを入れる。
「また大腸菌! やめて! 」
「ごめん。それじゃ犬にしよう」
「許可します」
[145]
「今、可愛い子犬が生まれた。母犬はすぐに母乳を与える。見知らぬ者が近づいてきたら父犬が警戒して吠える」
ノロの言葉に人間の、そしてアンドロイドの海賊も、それにホーリーや瞬示たちも微笑む。
「やがて子犬は成長して恋人を見つける」
「かなり端折るのね」
「お互い気に入ったようだ。早速子作りに励む。そして子犬が生まれる」
「これじゃ犬ではなくてネズミみたい。ねずみ算的に増えていくわ」
「イリ。黙って聞くんだ」
フォルダーがいさめる。
「いや、イリの言うとおりだ」
イリが首を傾げる。
「通常、あらゆる生命体は子孫を必要以上に増やそうとする。なぜだか分かるか? 」
「それは天敵や不慮の事故で無事に成長できないからだわ」
「そう。まず天敵を考えてみよう。犬の天敵は? 」
「犬の? もしかして人間… … 」
「人間はあらゆる動植物の天敵だ。すぐに思いつかないなら蛇だったらどうだ」
「なぜノロは大腸菌や蛇みたいに気持ち悪そうな動物を選ぶの? 」
[146]
「案外可愛いぞ」
「もう! 蛇だったら天敵はマングースや鷲かしら」
「その蛇を天敵と恐れている生物は? 」
「カエルね」
「そのカエルの大好物は? 」
「ナメクジ」
「イリも結構ヌルヌルした生物が好きなんだなあ」
「誘導尋問だわ! 」
「ナメクジを天敵と思っている動物は」
「うーん。分からないわ」
「蛇だ」
「ウソー」
「昔から三竦みと言われているが、イリの言うとおりウソだ」
イリがノロを睨む。
「何を言いたいの」
「生命体には必ず天敵がいるのだ」
「百獣の王ライオンにも天敵は… … 人間以外に天敵はいるの? 」
[147]
「ライオンを襲う動物はいない。天敵がいなくてもいずれ死ぬ」
「でも子孫を残すわ」
「その子孫には大人の雄ライオンという天敵がいる」
* * *
「食ったり、食われたり。生命体は子孫を残そうとするが、その環境は過酷だ。つまり捕食ネットワークの中で生きているんだ」
「ある種の生命体が絶滅したらネットワークに穴が開くわね」
「そのネットワークの穴をバンバン空けたのが人間だ」
「大昔様々な動物愛護団体が、たとえば捕鯨禁止を訴えたけれど、その団体が所属する国民はミンクを乱獲していたわ」
「自然を無視して清潔な生活を目指したが免疫力が低下して、感染症、つまり細菌やウイルスが人間の強敵になった」
イリがフーッと息を吐くとあることに気付く。
「ウイルスのような原始的な生命体が初めて現れたとき、天敵はいたの? 」
「鋭い質問だ! 何でもそうだが、初めが大事だ」
当を得たイリの鼻がひくひく動く。
[148]
「苦労に苦労を重ねた原始生命体には極悪な環境そのものが天敵だった」
ノロの口が大きく広がる。
「その大自然の環境という天敵に打ち勝つためには自分の身体を強靱化しなければならない。進化だ。進化が至上命令となった。ウイルスから細菌へ、単細胞から多細胞へ、運動能力を獲得して安定した場所に移動する能力を得た生命体が現れる。しかし、進化できない生命体… …決して敗北ではない。単純な方が子孫を残すのに有利な場合もある」
「分かるわ。ウイルスや細菌のことね」
「そうだ。彼らは誕生したときのままほとんど進化せずに命を永らえた」
「生命体は生まれたときから一団となって進化して、お互い無視できない超生命体集団として進化してきたのね」
イリがノロの結論を横取りする。
「生命体は単独では存在できない。ほころびが生じるとその生命体集団は消滅する」
「でも地球は消滅していないわ」
「部分消滅した」
「部分消滅? 」
「頂点にいた人間が消えた」
「そうね。アンドロイドの地球になったわ」
[149]
「そのアンドロイドが生命体の頂点にいるのではない。彼らはある時間点で急に意識を持って、しばらくしてから子孫をもうける能力を獲得した」
「私、少し休憩してもいい? 」
イリに同調する者も多いが、アンドロイドの宇宙海賊はじっとノロを見つめて次の言葉を催促する。
「アンドロイドは生命体集団を構成する一員ではない。全く独立した集団だ。人為的に機械から生命体に進化したが、さらに進化するかは不明な生命集団だ」
生唾を呑み込んでからホーリーがやっと言葉を発する。
「情けないことに俺たち人間はいい生活をしたいと勝手気ままな生き方をする単なる利己主義者だった。その人間もレッドブックに記載された」
サーチが応じる。
「絶滅危惧種ね」
「問題は自ら絶滅危惧種になったことじゃ」
住職に続いてリンメイが感想を述べる。
「科学という武器を持たなかったころの人間は自然を大事にしたし共生していたわ」
「人間は永久元年に至る百年余りのほんの短い期間に生物の半数以上の種を絶滅させたか、あるいは絶滅危惧種にしてしまったのじゃ」
[150]
リンメイが住職にやりきれない暗い微笑みを向ける。
「ノロの言う生命体集団がその体をなさなくなったことにおぼろげながら気付いた人間は、このままでは存続が危ういと感じたのか、こともあろうか生命永遠保持手術を開発したわ」
「命を繋ぐ義務を放棄して、自らの命だけを大事にするわがままな欲望を手に入れたのじゃ」
「生命集団から離脱することは生命体としての自分を否定することになってしまう。それを無視して永遠の命を手に入れたわね」
ここでノロが軽く首を横に振る。
「オレ達は徳川の生命永遠保持手術で永遠の命を手に入れたのではない」
瞬示が手を叩く。
「そう言えばノロは巨大土偶の黄色い光線を浴びても永遠の命を失うことはなかった」
「全く気付かないうちにオレは永遠の命を手に入れた。原因はトリプル・テンだ。トリプル・テンがオレ達や宇宙海賊に永遠の命を強要したんだ。これには選択の余地がなかった」
ホーリーが確認する。
「俺たちは生命永遠保持手術で永遠の命を手に入れた。それは完璧なものではなく定期検査が必要だったし、巨大土偶の黄色い光線を浴びれば簡単に保持手術の効果を失ってしまう」
サーチが頷くとミリンが冷ややかにノロとホーリーを見つめる。
「ところで何を議論しようとしていたのか、覚えている人はいるのかしら? 」
[151]
誰もが我に返るが思い出せる者はいない。ノロがポツンと吐く。
「忘れ物を探しに地球へ行くんだ」
* * *
「オレは余りにも次元移動を繰り返したから、様々な時空で様々な人間や他次元の生命体に様々な印象を与えてしまった。それは瞬示や真美も同じだ。ただR v 2 6 たちアンドロイドの時空間の立ち位置ははっきりしている。しかし、子孫を残せるようになると事情は少し変わる」
ノロが一気にしゃべり出す。
「一言で言えばこの宇宙では意識を持つ生命体は自覚することなく様々な時空に存在することができる。だがそこに落とし物を残す。それは忘れ物でもある」
このことはノロが語ったようにブラックシャークでイリと瞬示と真美の四人で地球に戻ったことを説明すると分かりやすいだろう。( 再び第三編第七十四章「アンドロイドの地球」参照)
アンドロイドの地球になったことを知らずにノロは地球に戻ったが、R v 2 6 を筆頭にアンドロイドから思いもよらないほどの熱烈な歓迎を受けた。そして感激の余り涙を流したが、結局地球をあとにした。そのときのノロとイリは今いるオルカのノロとイリと、もちろん同一人物だ。今、ノロは地球に戻ろうとしている。R v 2 6 の反応を楽しみにしているのだ。
一方、ホーリーやサーチたちも五次元の生命体との熾烈な戦いのあとアンドロイドの支配下となった地球の現状を確かめたいという至極当然な興味があった。
[152]
要は今オルカにいるすべての者の気持ちは地球を目指すことだった。
「輪廻じゃ! 輪廻という言葉を知っておるか? 」
住職がまずミリンに視線を向けたあとクルッと身体を回転させる。丸坊主の住職の頭に天井のクリスタルスピーカーからの虹色の照明が反射して奇妙な雰囲気が広がる。
「輪廻とは、生ある者が迷妄に満ちた生死を絶え間なく繰り返すことじゃ」
住職はいつになく興奮して数珠を強く揉み始める。リンメイが心配そうに住職を見つめるが、お構いなしに続ける。
「今、ノロの言葉を聞いてわしは大きな悟りの境地に達したのじゃ」
余りにも数珠を強く揉みすぎたせいか、玉が弾け飛ぶが住職は意味不明な呪文を長々と続ける。誰もがあ然として住職を見つめる。リンメイですら住職に近寄るのをためらう。
「繰り返すが輪廻とは、後先を考えずに時空間を自由に移動することによって生ずる現象で、死んで生まれ変わるというような単純なことを示唆しているのではない。むしろ、そのようなことは生命体の本質から言ってあり得ない。しかし、時空を旅する者は、そうでない者から見るとまるであちらこちらに存在するように見える。まるで忍者の分身の術のように」
そのとき四貫目の身体が一瞬硬直する。分身の術とは想像を超えた忍者の移動方法で、あたかも何人かの忍者がここあそこにいるように見える卓越した術である。決してひとりの忍者が何体にも分離して存在するのではない。
[153]
「輪廻、というより宇宙輪廻というのは本人が自覚することなく、その身を異なった時空に姿を現すことで、それぞれがそれぞれの時空間座標に存在することじゃ。もちろんそのような時空間移動や次元移動が可能なのはひとえに永遠の命を持っていることに他ならない。そうすると永遠の命を持つ者は繰り返し生まれては死ぬという意味での輪廻とはいえない。つまり宇宙輪廻とはこの宇宙を自由に次元移動したり時空間移動したりすることなのじゃ! 」
余りにもの迫力に圧倒されるなかでノロだけがフンフンと相づちを打つ。そんなノロに気付くと住職が音量を下げる。
「その昔、バチカンという都市で宗教サミットが開催されたことがある。わしも参加した。そのとき神について様々な意見があった。自分の信ずる神を押しつける聖職者もいれば、その意見を黙って耳を傾ける聖職者もいた。要するに神は多様で無限に存在するかに見えた。つまり人の数だけ神が存在すると、少なくともわしはそう悟った」
この住職の言葉には説得力があった。誰もが大きく頷いたからだ。
「神ではなく神々なのじゃ。つまり神々は神でなくて預言者なのじゃ。預言者だから何人もいる。万が一、自分は預言者ではなく神だと言うのなら、いい加減なことはできないし、気まぐれも禁じ手のはずじゃ。さらに意思を持った生命体に接するのであれば高度な配慮が必要なはずなのに簡単に殺人を行う。やっかいなことに人間以外の生命体、つまり動植物に残酷極まる態度で接する。
[154]
彼らは子孫を産むことさえ奪われる。しかしじゃ、生命体集団は脈々とした相互依存によって、もちろん淘汰されることもあったが、進化することで淘汰を回避しながら、自らの集団を維持してきた。それなのに生命体集団の頂点に立つ人間には裾野に広がる数々の生命体の営みを理解するどころか略奪し破壊し絶滅させたのじゃ」
住職の言葉が迫力を増す。
「富士山の頂上で来迎に酔いしれながらゴミだらけにする。やがて大噴火が起こり魔の山と化すのに誰も気が付かないのじゃ」
やっと住職の言葉が終了するとホーリーが発言する。
「なんとか地球は滅びずに済んだけれど、その地球を維持しているのはアンドロイドだ」
「アンドロイドにとって頂点に立った人間のいない生命体集団は全く必要ない」
ノロの冷静な声がホーリーに向かう。
「確かに。しかし、人間がいたころの生命体集団は酸素の供給能力が落ちて二酸化炭素が激増した。酸素によって寿命を制御しようとしたアンドロイドにとっては死活問題になったはずだ」
イリが感心と落胆を感じる。
「五次元の生命体がアンドロイドの弱点だと勘違いして酸素攻撃したが、R v 2 6 が率いるアンドロイドにとっては恵みの攻撃だったのか」
ホーリーの言葉にノロがニッーと口を広げる。
[155]
「子孫を残す能力を持ったとすればアンドロイドにも住職が言う輪廻が存在するはずだ」
「なんと! 」
住職が腰を抜かす。
「酸素の適切な量がアンドロイドの寿命を決める」
ノロがホーリーから住職に視線を移す。
「適切な酸素の量を確保するには人間がいない生命体集団が必要なんだ。R v 2 6 たちは人間の暴挙を観察して生命体集団の重要性に気付いたのだ」
唾を呑み込む音があちこちでする。一番大きな音を発したホーリーが咳き込みながら尋ねる。
「よく分かった。それで… … 」
「地球に行く。始めからそう言っただろ? ちっとも分かっていないな」
「人間がいなくなって、子孫を残す能力を持ったアンドロイドが地球を支配するようになったけれど、以前のような人間の振る舞いを改めて生活しているのか。つまり地球上の生命体に対してどのように対処しているのか。それを確かめに行くのね」
イリがノロを見つめながら続ける。
「人間のようなエゴを持たないアンドロイドが地球復活に向けてどうしたか楽しみね。でも自分たちの寿命を制御するためだけに行動しているのなら、やるせないわ」
ここで住職はノロの顔色を窺う。ノロは大きな口を横に広げて珍しく言葉を発しない。
[156]
「極論すれば、こうじゃ」
住職が修復した数珠をほぐしながら続ける。
「彼らは子孫を造って種としての自らの命を継続するためにこの地球をどのようにしたいのか。地球の生命体集団を正常な姿に戻そうとしているのか。もし戻せば… … 」
「ぜんぜん極論じゃないわね」
リンメイが茶々を入れる。
「少し前置きが必要なんじゃ。我慢してくれ」
「あなたは結構回りくどいところがあるわ」
「そうかなあ」
「『そうかなあ』じゃなく『そうじゃなあ』でしょ」
イリがリンメイに目配せする。
「まあいいじゃないの。ノロと比べれば住職の方が分かりやすいわ」
「そうかしら。結構難しい人なのよ」
住職の頭が急に真っ赤になる。
「夫婦とはいえ、今の発言は問題じゃ」
するとノロが横に広げていた口から大きな笑い声を出す。
「そうムキにならなくてもいいんじゃ。黙って聞くから考えを披露してくれ」
[157]
「ノロもイリにバカにされているのに怒らないのか? 」
「馬でも鹿でも猿でも大腸菌でも何でもいい。さあ」
赤くなっていた住職の頭の色が真っ青になる。
「そうか。確かに修行が足りんな。ワシは」
住職が目を閉じて数珠を激しく揉みまくる。
「アンドロイドの世代が何代にも渡ると『先祖代々』という伝統を持つはず。つまり『輪廻』という概念を手に入れたかもしれないのじゃ」
住職は大きく息を吸うとかっと目を開く。
「人間がいない地球でやがて猿が進化して再び人間が誕生するかもしれない。その人間の再来にアンドロイドたちはどう対処するのか。放置すれば人間は再軍備して地球を痛めつけることになりはしまいか」
リンメイが反論する。
「そうなる前にアンドロイドがその芽を摘むはずよ」
「そうだろう。この地球はアンドロイドのものだからな」
「当然でしょ」
「輪廻の概念を持つと言うことは宗教、つまり神を創造するということじゃ」
「そうじゃないわ」
[158]
住職とリンメイの論戦を傍観していたイリがノロに囁く。
「有限の身だから宗教に頼らざるを得ないのね」
ノロも囁く。
「死は恐怖そのものだから当然だ。でも他に頼る方法もある」
「どんな? 」
「しーっ」
ノロが唇の前で人差し指を立てる。するとホーリーが会話に参入する。
「住職はアンドロイドが人間のように何代も続くと『輪廻』を自覚していずれ宗教が必要になると言ったが、京都の寺でまだ生殖機能を持っていなかったアンドロイドが最長の布教を熱心に聞いていたことと矛盾するんじゃ? ( 第三編七十章「誘惑の布教」参照)」
「アンドロイドも子供を持つことができるという布教じゃったな」
反応したのは最長自身だった。
「覚えている。だが布教にはほど遠く宣伝のようなものだった」
ホーリーが続く。
「そう言えば最長を教祖扱いしてはいなかったな」
「預言者という雰囲気でもなかったわね」
サーチも納得する。住職がホーリーの矛盾論に応えようと意気込む。
[159]
「輪廻。この言葉を理解する者は高度な意思を持つ生命体だけじゃ… … はて、わしは何を言おうとしてたのじゃ… … ? 」
話を逸らされて言葉を失った住職にリンメイが突っ込む。
「永遠の命を持っているのになぜ惚けたの? 」
「いや、その、あれじゃ」
「こういうこと? 有限の身であるから永遠の命に憧れる」
リンメイのこの一言で住職の回りくどい輪廻理論が吹っ飛ぶ。
「リンメイの勝ち! 」
ノロが判定する。すぐ理解できなかったが、イリも立ち上がってリンメイに拍手を送る。
「永遠の命は欲しいけれど子孫も欲しい! 私たちって滅茶苦茶わがままね」
[160]