第九十二章 出産


【時】永久0297年5月

【空】ホワイトシャークアンドロイドの整備工場

【人】ノロ イリ ホーリー サーチ ミリン 住職 リンメイ

   MY28 MA60 Rv26

 

***

 

 ホーリーの絶叫に近い感激の声がホワイトシャークの中央コンピュータを通じてノロに届いたのか、艦橋の透過浮遊スクリーンに映像が現れる。

 

「元々燃焼し尽くして死ぬ人間などそんなにいない」

 

 ノロが画面に現れる。

 

「そうかしら。それなりにみんな努力しているわ」

 

 イリの声が流れる。

 

「『それなり』が大事なんだ」

 

 イリの背中が現れてノロに近づく映像に変わる。

 

[296]

 

 

「どういう意味」

 

「『それなり』は生物の特権なんだ」

 

「特権?」

 

「生まれてから絶えず燃焼し続けることができる生物とは、元々どうやって生まれたのかさえ摩訶不思議な存在なんだ」

 

「『変な話、やめて!』って言いたいけれど、少しだけ付き合ってあげる」

 

「それじゃ飽きないようにイリのレベルに落としてしゃべる」

 

「失礼だわ。私、やっぱり寝る!」

 

「ごめん、ごめん」

 

 イリがノロの真似をして小さな口を思い切り横に広げる。

 

「俺たち、人間だったのに永久に生きる身体を獲得したよな」

 

「ノロの赤ちゃんを産めなくなった。でも幸せよ」

 

「どういう意味」

 

「だってノロが一人二役してくれるもの」

 

「俺って赤ちゃんみたいに可愛いんだ」

 

「ひねた最悪の赤ん坊だわ」

 

「ひねない環境でまっすぐに生まれた赤ちゃんがいれば?」

 

[297]

 

 

 ノロのひねった質問に慣れっこのイリが即答する。

 

「アンドロイドのことね」

 

「元々自我も何もないロボットだった」

 

「そのロボットは部品からできているのにアンドロイドに進化していつの間にか意思を持ったわ」

 

「すべての生物で完全な意思を持っているのは人間だけ」

 

「いいえ、アンドロイドも持っているわ」

 

「半永久的な寿命を持つアンドロイドは生物じゃない。象やイルカやチンパンジーも賢いし表情も豊かだ。でも生命体じゃないアンドロイドほどの感情は持っていない」

 

「ノロの話、魅力的だけれど飽きたわ。そろそろ結論を言わないと、私、本当に寝るわよ」

 

「それは困った。イリしか聞き手がいないもんな」

 

「さっさと言って」

 

「俺も眠たくなった」

 

「この六次元の身体ってだるいわね」

 

「同感!しかも六次元の世界にいるとダラダラしてしまう」

 

「でも、ノロはダラダラするのが好きでしょ」

 

「もちろん、大好きだ」

 

[298]

 

 

「私も好きになっちゃった。眠たいわ」

 

「まるで最長や広大のようだな」

 

「あのふたり、三次元の世界では活発に活動していたけれど、この六次元の世界ではだらしないわ」

 

「だから、巨大土偶に翻弄されるんだ」

 

「なぜなの」

 

「次元が高くなるとその分コントロールがしにくくなるんだ」

 

「よく分からないわ」

 

「それじゃ、こういう例え話はどうだ」

 

 ノロが大きな口をニーッと広げる。

 

「昔、中学時代に方程式を習ったことがあるだろ」

 

「そんな話、止めて!」

 

「ふふふっ。Xだけの一次元の方程式を解くのは簡単だった。それが二次元、つまり、X、Yの二次元方程式になったとたん数学が嫌いになった。ましてやX,Y、Zの三次元の方程式になったとたん登校拒否する者が増えた」

 

 イリはノロを無視して話題を変える。

 

「ねえ、ノロ。あのふたりはどうしているのかしら」

 

[299]

 

 

「分からない。故郷に戻っているのかも」

 

「故郷?」

 

「そうだ!フォルダーは本当に死んだのか」

 

「横を見て」

 

「ブラックシャーク!」

 

***

 

「この映像は何!」

 

たまらずサーチが叫ぶ。その声で映像が消えてしまう。すぐさま大きなため息が流れる。

 

「ごめんなさい」

 

サーチは自分のせいだと思って素直に謝る。

 

「この続きは!」

 

ホーリーが天井に向かって叫ぶが、浮遊透過スクリーンはグレーの縞模様のままで実に愛想がない。

 

「ビデオは?」

 

ホーリーが中央コンピュータにかじりつくが返事は冷たい。

 

「録画できませんでした。原因は不明です」

 

[300]

 

 

 全員、落胆するが、ミリンがうれしそうな声を上げる。

 

「ノロもイリも生きている!」

 

 この言葉に励まされるように、まずリンメイが声を上げる。

 

「瞬示と真美も生きているわ」

 

 見る見るうちに期待が艦橋に広がってすぐノロやイリや瞬示や真美と会えるような雰囲気になる。しかし、浮遊透過スクリーンは反応しない。徐々に期待が過大だったことに気付く者が増えて視線が天井から床に落ちる。

 

「おい、みんな」

 

 こんな雰囲気になると必ずホーリーが声を出す。

 

「さっきの議論の続きをしよう」

 

「何を議論していたのかしら」

 

「船長!」

 

 ホーリーがサーチを叱る。

 

「アンドロイドは高性能化して、つまり進化して人間のように連綿と続く子孫を造ろうとしている」

 

「そうじゃった」

 

 ホーリーの意を汲んだ住職が空気を入れ替えようとする。

 

[301]

 

 

「ノロが言ってたのう。確か、酸素を活用してアンドロイドの寿命を調整すると」

 

 住職が周りをくるっと見渡す。ここでリンメイが住職の発言を盛り立てようと張りのある声を出す。

 

「アンドロイドが酸素にむしばまれてやがて寿命を全うするという理屈は分かるわ。でも生まれた子供の方が親より先に錆びて死ぬかもしれないわ」

 

「えっ!」

 

 まずMA60が驚く。MY28も驚きながらもキッとリンメイを見すえる。そのあとサーチがしどろもどろに応える。

 

「えっ!そう?そうだわ」

 

 そして暗い表情をホーリーからMA60に向ける。

 

「どういう方法で親のアンドロイドの寿命を全うさせて、子供のアンドロイドを成長させるのか、私にはまったく見当もつかないわ」

 

 取りあえずサーチが冷静さを取り戻したようなセリフを吐く。

 

「その答えを持っているノロはどこにいるんだ」

 

 そのとき、調子外れの言葉がする。

 

「ワタシがその答えを持っています」

 

 誰もがその声の主を捜す。ホーリーが天井のクリスタルスピーカーを見上げるとつられるように全員の視線が天井に向かう。

 

[302]

 

 

「ワタシではありません」

 

 即座に中央コンピュータが否定する。

 

「いつの間にか時空間移動装置が一基、時空間移動装置格納室に到着しました」

 

 格納室の映像が浮遊透過スクリーンに現れるとノロそのものの姿が映しだされる。

 

「あっ!Rv26です。いえ、地球連邦政府の大統領です」

 

「すぐ艦橋に案内しなさい」

 

「案内しなくてもそちらに向かっています」

 

***

 

 艦橋のドアが開くとRv26が一礼したあとすぐ発言する。

 

「今までの議論、MY28の通信回線を利用して大統領府で傍受した」

 

 直ちにMY28が床に座りこむと両手を着いてサーチに詫びる。

 

「申し訳ありません。ワタシが無断でRv26、いえ、地球連邦政府の大統領にアンドロイド固有の通信回線に接続しました」

 

 Rv26がMY28に立ち上がるような仕草をしてからサーチを直視する。

 

「MA60は本当に妊娠したのか、そして子供を産めるのか、これはアンドロイドだけの問題ではない……」

 

[303]

 

 

 ホーリーが叫ぶ。

 

「それでここへ来たのか」

 

「それだけじゃない」

 

 Rv26が言葉を続けようとするが、ホーリーは天井に向かって怒鳴る。

 

「中央コンピュータ!お前はこの艦橋の情報が漏れていたことを知っていただろう」

 

「ホーリー」

 

 サーチがホーリーに目を閉じて制する。そして天井に向かって静かに声を発する。

 

「艦橋の会話が外に漏れたのは大問題です。それは船長の私の責任。例外は許されない……今後、同様の事態が発生したときは、チューちゃん、あなたを解体します」

 

「わっ、分かりました」

 

「いえ、ワタシの責任です。中央コンピュータに責任はありません」

 

 MY28が床に両手を着いたまま謝るとにわかに緊張感が充満する。

 

「なぜ、漏らしたの」

 

 MY28は応えない。サーチが再度尋ねる。

 

「なぜ、Rv26に漏らしたの」

 

「それは……」

 

[304]

 

 

 緊張感が最高に達したときRv26がバタッと倒れて大の字になる。まるでノロが長考体勢に入ったような印象を誰もが受ける。

 

「ノロ……」

 

 ミリンが小さく叫ぶ。そのわずかな言葉に反応するかのようにRv26の唇が震える。

 

「……アンドロイドの……子供には……免疫が……ある……酸素に……耐える……免疫が……ある……」

 

 サーチとリンメイが大きな声をあげる。

 

「母胎から免疫を手に入れるとでも!」

 

 先にサーチが叫ぶ。続いてリンメイも叫ぶ。

 

「そんな!」「まさか!」

 

 ホーリーがサーチを住職がリンメイを制する。しばらく沈黙が続いたあとホーリーが声を出す。

 

「ずいぶん前に言っていたミリンの基本的な疑問はどこへ行った?『すでにアンドロイドの子供は生まれているの?』という疑問だ」

 

 再び沈黙が艦橋を包む。しばらくするとMA60があえぐ。

 

「生まれます!すぐです」

 

 MA60が腹を押さえながら倒れる。

 

[305]

 

 

「医務室、出産の準備。担架を艦橋へ」

 

 サーチが叫ぶ。リンメイがサーチに目配せすると艦橋のドアに向かう。

 

「アンドロイドの助産婦をしたことはないけれど元気な赤ちゃんの誕生を手伝うわ」

 

「リンメイ!」

 

「どうしたの!サーチ」

 

「手伝うって、何を手伝うの?」

 

「!」

 

 担架を担いだ海賊が現れる。MA60がそっと担架に載せられる。そのときMY28がサーチに進言する。

 

「すぐノロの惑星へ!」

 

「えっ?」

 

「アンドロイド整備工場へ!」

 

「整備工場?」

 

***

 

 整備工場長のアンドロイドがベッド上のMA60に声をかける。

 

「MA60。おめでとう。元気な赤ちゃんよ」

 

[306]

 

 

 顔面蒼白のサーチとリンメイはMA60と無数の管で繋がるガラス製の保育器とその中でフ

ォノグラフのように輝く球体を見つめる。

 

「これがアンドロイドの赤ちゃんなの?」

 

 ふたりが交互に首をひねる。しかし、同じくアンドロイドの出産を目の当たりにしたホーリー、住職、そしてRv26は一言も発しない。唯一MY28だけは黙ってMA60の手を握って涙を浮かべる。

 

「あなた、どうしたの」

 

「こんなとき男は意外とダメなんだな」

 

 その言葉にリンメイが驚く。

 

「人間の男と同じ!アンドロイドの父親の記念すべき言葉だわ」

 

「どういう意味じゃ」

 

「アンドロイドが自ら性別をはっきりと言ったのはMY28が初めてじゃないかしら」

 

 住職が、そしてホーリーがMY28を見つめる。そして大昔、つまりRv26が大きな身体を持っていたころ、Rv26に性別を尋ねたことを思い出す。その頃のアンドロイドには仮に自分が男と製造されていても、男という自覚はなかった。まさしく、「男か、女か」と尋ねられたときRv26は返答することができなかった。そのRv26がリンメイに近づく。

 

「MY28やMA60と製造過程や製造年代が違うから断言できないが、俺は男だ」

 

[307]

 

 

 Rv26が大きな口をニーッと横に開く。そのとき、奇妙な音がする。誰もがその音源を探す。

 

「保育器?」

 

 確かに保育器からギーギーという音が漏れている。

 

「この保育器にいれば酸素から隔離されているので大丈夫です。しばらくすれば抗酸素免疫を持つはずです」

 

 工場長がにこやかにMA60とMY28を見つめる。

 

「工場長が助産婦だったとは」

 

 ホーリーが感心して工場長を見つめる。サーチやリンメイには一杯質問したいことがあるが、工場長の仕事を邪魔する訳にはいかない。周りは消毒液ではなく、鉱油の臭いが充満している。モニターを見つめる工場長がMA60に説明する。

 

「すぐ、この音は消えます。出産直前にMA60から胎児に高純度の対酸素プラズマ鉱油が供給されています」

 

「対酸素プラズマ鉱油?」

 

 ホーリーが質問するとサーチが制する。

 

「工場長、いいえ、助産婦さんは忙しいから、質問は差しひかえるように」

 

「もう大丈夫です。対酸素プラズマ鉱油の役目は平たく言うと金メッキと同じです。ただし、プラズマですからその比重は金の六倍もあります。それにトリプル・テン……」

 

[308]

 

 

 ホーリーが興奮の余り工場長の言葉を遮ってしまう。

 

「強力なメッキで酸素から赤ん坊を守ろうというのか」

 

 ホーリーが納得して頷くとサーチは説明を続けようとする工場長に向かって鉄砲玉のように言葉を乱射する。思わずホーリーがサーチの口をふさぐが、間隙をぬってリンメイが尋ねる。

 

「まず、この体型を説明していただけませんか」

 

 この質問は誰もが真っ先に聞きたい疑問だった。しかし、ホーリーはサーチの腕を、住職がリンメイの手を取って引きよせる。

 

「今はこの赤ん坊がすくすくと育つことが大事じゃ」

 

 住職の言葉に反応してミリンがホーリーと一緒になってサーチを引っぱる。

 

「母さん。もう十分だわ。あとは工場長に任せて報告を受ければいいわ」

 

 しかし、サーチはもちろんリンメイも保育器から離れようとしない。おもむろにRv26が背伸びしてサーチの肩に手を掛ける。

 

「ここはミリンの言うとおりだ」

 

 サーチはノロに意見されたような錯覚を覚える。

 

「はい。分かりました」

 

 Rv26は工場長に頭を下げるとアンドロイド整備工場の出入口に向かう。

 

[309]

 

 

その背中を見て誰もがRv26をノロそのものじゃないかと思う。それほどRv26はアンドロイドでありながら人間のノロ以上にみんなの信頼を集めた。

 

[310]