第七十六章 PC9821(承前)


【時】永久0297年3月31日
【空】ノロの惑星
【人】フォルダー イリ Rv26 MA60


***


 第三編第七二章「次元移動」の承前。すなわちノロの惑星でRv26の大手術が終わったあとの出来事。


***


「あとは工場長とMA60にすべてを任せる」


「分かったわ」


 イリはフォルダーに微笑み返すとそのままの笑顔でMA60を見つめる。


「あなたは優秀な医者だわ。Rv26のことは工場長じゃなくあなたに任せます」


「ワタシにはイリやフォルダーの考えが理解できません。手術は終了しましたが、Rv26の体型に大きな変化が起こっています。マザーボードを入れ替えたということは、何を意味するのですか」

 

[28]

 

 

 イリはただふーと息を吐いてからMA60の肩を軽く叩く。


「あなたは立派な人間だわ。姿はもちろんのこと言葉、いえ、思考そのものも人間、いえ、人間以上だわ」


「そんなことはありません。今、イリが言おうとしていること、フォルダーの考えていること、そのニュアンスが理解できません」


「イリ。行くぞ」


 フォルダーの催促にイリは意を決したように背筋を伸ばして背中をMA60に向けるとフォルダーと並んでアンドロイド整備工場の出口に向かう。


「あなたはいずれアンドロイドの、そして人間の名医になるわ」


「教えてください。ワタシはいったい何をすればいいのですか」


「フォルダーと私はノロを捜しにゆきます。そのノロがあなた方アンドロイドに希望を託しました」


「ノロ……。アンドロイドにとって、神様……」


 MA60の目から涙があふれる。


「ノロの教えがあったから、ワタシたちは自分の存在を意識できるようになりました。それにMY28とワタシはノロに特別な身体をいただいて新たな一歩を踏みだそうとしています」

 

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 MA60が目頭を押さえて顔をあげたその視界にイリとフォルダーの後ろ姿はなかった。


「イリ!」


 切ない呼び声を発したあとMA60は輝いたトーンに変える。


「分かりました。ノロが戻るまで頑張ります」


 MA60の決意に応えるように大きな震動が伝わってくる。ブラックシャークがノロの惑星から未知の世界に向かったのだ。


MA60は手術室に向かう。ドアをくぐり抜けるとイリがよくしたように背筋をまっすぐに伸ばしてアンドロイド専用の手術台に向かう。白衣に身を包んだアンドロイドのスタッフに向かって毅然とした声をあげる。


「術後の確認をします。あれ……Rv26は?」


「それが……」


「どこへ行ったの」


 目の前の手術台にはとても小柄な、しかしそれなりに太めのアンドロイドが仰向けに寝ている。


「ノロ?」


 まるでノロが眠っているように横たわっている。


「冗談はやめなさい。誰がノロの人形をこんなところに……」

 

[30]

 

 

 スタッフのひとりがMA60の言葉を遮る。


「ノロではありません。Rv26です」


 真剣な視線にMA60は身を引くとスタッフとRv26を交互に見つめる。やがて視線は手術台に固定される。丸い光の輪がRv26の頭部で輝いている。かなり縮小したRv26の身体がピクッとケイレンするとあちこちから白い蒸気があがる。


「これは?」


 MA60の表情がキッと引き締まったあと、何ともいえない笑顔に変わる。


「消毒液の準備を」


 そばにいたアンドロイドが高い純度の鉱油を入れた容器を用意すると、MA60が両手をつける。


***


 スタッフに支えられてRv26は手術台から降りながら自分の身体がずいぶん軽くなったような感覚に首をひねる。慎重に歩き出すと歩幅に違和感を覚える。微笑むMA60との距離がドンドン離れていく。それなのにMA60の目線を高く感じる。


「ワタシの身体はいったいどうなった!」


 MA60がくるりと振り返るとRv26が追いつくのを待つ。腕を挙げたり首を傾げてはため息をつくRv26を黙って見下げる。再びRv26が大声を出す。

 

[31]

 

 

「誰がワタシの身体を変えたのだ!」


「ワタシです」


 Rv26はすぐ横にいるMA60に気付かないというより背の高いMA60の顔が視界に入っていない。


「ワタシです」


 声の主を捜しながら、更に大きな声を出す。


「MA60!身長も体重も三分の一になっている!」


「ダイエットに成功しました」


「ダイエット?でもメタボ体型になっているぞ。いったい……」


 Rv26がMA60に連れられて手術室の姿見の鏡の前に立つとがく然とする。


「それはその身体の設計者に尋ねるべき質問です」


「設計者?……それはひょっとして……」


 Rv26の言葉を遮ってMA60が頷く。


「恐らく、そうでしょう。でも素晴らしいわ」


 たじろいだもののさすがRv26だ。すぐに適切な言葉を探しだす。


「難しい言葉だが、この姿は『不遜』ではないかと思う」

 

[32]

 

 

 一方、MA60はたじろくことなくさっぱりと返答する。


「いいえ『名誉』だと思います。ご不満なら元のボロボロの器に戻しましょうか?でも今の身体は大変お似合いだわ」


 やっとRv26が鏡の中にMA60を見つけて反問する。


「その意図は?」


 MA60が首を横に振る。仕方なくRv26は言葉を閉じる。アンドロイド同士の会話の継続にこれ以上の必要性を見出せなかったからだ。年齢を重ねたRv26の思考はまるで老獪な人間に近かった。


「ワタシの身体に改造命令を出したのは誰だ」


 冷静さを取り戻したRv26がていねいにMA60に尋ねる。


「フォルダーです。そしてワタシがあなたを改造しました。でもその身体はフォルダーの設計ではありません」


「それはすでに承知している」


「そうでしたね。原因はノロが造ったPC9821というチップセットです」


「PC9821?」


 Rv26はMA60に告げることなく自らの記憶メモリーから最後の記録を取り出して地球から脱出したときの状況を確認する。その記録映像が手術室天井下の浮遊透過スクリーンに映しだされるがMA60は無視する。

 

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「Rv26、もう一度ベッドに戻って安静にしてください」


 Rv26はベッドに上ろうとするが高すぎて上れない。足をバタバタさせる姿を見てMA60が思わず声をあげて笑ってしまう。周りのスタッフもつられて笑い出す。


「手伝ってあげて」


 スタッフがRv26の両足を持ち上げるとベッドに寝かせる。


「Rv26、情報を転送します。準備は?」


「OK」


「すべてのプログラムを停止してCPUを一旦リセットしてください」


「なぜ?」


 仰向きになったRv26は首だけを安静のポジションにせずにMA60を睨む。


「データの量はしれていますが、その内容が重いのです。なんならワタシがリセットしましょうか」


 諦めたRv26は大の字になる。自らリセットしたらしくRv26の全身がだらんとする。


やがて力の抜けた指先がまっすぐに伸びると手首、次に腕そして肩に力が入る。そして全身がシャキッとする。Rv26が完全に再起動したことを確かめるとMA60の両耳が赤く輝く。


MA60自らRv26にデータを直送する。Rv26の身体が電気ショックを受けたように激しくケイレンする。

 

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「ウウッ、ウウ!」


「ここはなんとか堪えて。Rv26」


 ベッドのきしむ音が続いたあとRv26は再び動かなくなる。MA60はRv26の右手首を軽く掴む。その姿は人間の脈を測る医師のようにも見える。しばらくするとRv26の左手が逆にMA60の手首を握る。


「よく理解できた。安心してくれ」


 Rv26は両耳を赤く輝かしながら、初めてMA60に微笑む。


「ダイエットの程度に不満は残るが、この新しい身体をなんとか受け入れるよう努力する」


 MA60は頷いた後、スタッフに命令する。


「時空間移動装置格納庫室に連絡して地球に移動する準備をするよう伝えなさい」


「地球へ?」


 ベッドから飛び下りたRv26がMA60を見上げる。


「ホーリーたちがホワイトシャークで地球に向かっています。ワタシと一緒にホワイトシャークへ行きましょう」


「地球!そうだった。今、地球は大変なことになっている」


「フォルダーはホーリーをホワイトシャークの船長に任命して地球に向かわせました」

 

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「ブラックシャークは?」


「ノロを捜すために六次元の世界に出発しました」


 Rv26が素直に驚く。


「ワタシが改造されている間に起こったことを詳しく教えてくれ」


 急にMA60の両耳が赤く輝いて激しく点滅するとそれに呼応するようにRv26の両耳も赤く点滅する。MA60からデータを分析するとRv26が大きく頷く。


「これ以上のデータはないのか?」


「ありません」


「もう少し早くワタシの改造が終わっていたら、ブラックシャークでワタシも六次元の世界に向かっていたのか」


 頷くMA60にRv26が無念そうな表情を浮かべる。


「フォルダーも残念がっていました」


「とにかく、ホワイトシャークへ行かなければならない」


 MA60がRv26に相づちを打つ。


「船長がホーリーなら、なおさらでしょ?」


 Rv26が背伸びをしてなんとかMA60の手を握る。


「ワタシを復活させていただいてありがとう。でも、なぜワタシの身体をあの……」

 

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 MA60がRv26の言葉を制して、逆にRv26の手首を強く握ると半ば引きずるように時空間移動装置に向かう。


「急がなければ」

 

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