第六十六章 長考


【時】永久0288年
【空】ノロの惑星、摩周クレーター
【人】ノロ フォルダー イリ ホーリー サーチ 住職 リンメイ
   ミリン ケンタ 五郎 一太郎 花子 四貫目 お松


***


 ノロの家でノロとイリとフォルダーが食事をしている。


「本当にカーン・ツーや地球の人間はまじめに働くのかなあ」


 ノロが恐竜の骨を派手な音をたててしゃぶるのを一時停止する。


「今のところ食べ物につられて働いているが、いつまで続くか、わからん」


「よくも毎日毎日、恐竜の肉が食べられるな」


 ノロが次の肉片を取りあげて口に運ぶ。


「俺にあっているみたいだ」


「野菜も食べなきゃだめよ」


 イリがたしなめる。


「好きなものを食って満腹になったら好きなだけ寝る。充実した人生だ」


「地球にいる人間より、おまえの方が堕落しているなあ」

 

[344]

 

 

 ノロがブスッとした表情をフォルダーに向ける。


「ところで、一太郎のプログラム開発の進捗状況はどうなんだあ」


 大きく開いたノロの口にイリが野菜を押しこむ。


「一太郎も花子ももうかなりの年齢だ。がんばってはいるのだが」


 ノロが目を白黒させて涙を流しながら野菜をのみこむとかすれた声を出す。


「一太郎と花子はなぜ生命永遠保持手術を受けていないんだ?」


「あのふたりは俺たちの世界の人間じゃない」


「そうだった。しかし、六次元の生命体には見えないなあ」


 ノロは瞬示と真美を六次元の生命体と思っているから一太郎と花子も同じ六次元の生命体だと誤解すると、急に何かを思い出して肉が付いている骨を持ったまま立ちあがる。


「ブラックシャークを借りるぞ」


「待て、ノロ!」


 フォルダーが立ちあがって大股で歩きだすと、ノロを追いこして玄関で立ちはだかる。


「今度は俺たちもいっしょだ」


 テーブルに座ったままノロとフォルダーを見つめるイリに同意を求める。イリがゆっくりと立ちあがって細い腕をまくる。


「そうよ、今度単独行動を取ったらぶっ殺すわよ」

 

[345]

 

 

「ハイ、わかりました。いっしょに行動します」


 フォルダーが拍子抜けして、とおせんぼしていた腕を降ろす。


「案外、素直だな」


 ノロはそんなフォルダーを気にすることもなくテーブルに戻る。


「本を忘れるところだった」


 そしてテーブルの下からズタ袋を引きずりだして本を手にする。


「なんなの、その本?」


 イリがまくったままの細い腕の先のやはり細い指をノロが手にした本に向ける。


「まだ話してなかったけ」


「ええ」


 ノロが適当なページを開いてイリとフォルダーに見せる。


「何も書かれていないわ」


 フォルダーとイリが同時にノロをにらむ。


「そうなんだ。でも何かの弾みで文字が浮かびあがるふしぎな本だ」


 フォルダーとイリが口をぽかーんと開けてノロと本を交互に見つめる。ノロは本を閉じると小脇に抱えてズタ袋を引きづりながらドアを開けて外へ出る。遠くに見える造船所にブラックシャークの勇姿が見える。

 

[346]

 

 

「ブラックシャークとなら、どんなことが起こっても必ず謎が解けるはずだ」


 ノロは造船所に向かってゆっくりと歩きはじめる。イリはナプキンで口元を拭きながら、フォルダーはつまようじを前歯にはさんでノロを追いかける。


***


 ブラックシャークの船底の出入口でノロとフォルダーを囲んで今後のことを話しあう。


「私も行く」


 ミリンが哀願するようにサーチを見つめる。


「もう、立派な夫婦なのよ。いつまでも親といっしょじゃだめよ」


「母さんの言うとおりだ。さびしいがケンタと地球の将来のために働いてくれ」


 ホーリーが五郎に視線を向けると、五郎がホーリーの気持ちをくんでケンタをさとす。


「父さんは地球に残って人間が自ら生きていけるように援助する。手伝ってくれないか」


 ケンタが黙ったままうなずいてミリンの手を握る。


「わがまま言ってごめんなさい」


 ミリンが素直に引きさがる。ミリンとケンタのうしろでは住職とリンメイが話しあっている。


「わしは地球に残って仏の心を説きたい。リンメイはノロといっしょに行けばいい。」


 リンメイが少し間を置いてから首を横に振る。


「あなたが地球に残るのなら私も残ります」

 

[347]

 

 

「心残りはないか」


 リンメイが住職にほほえみかける。


「地球にも研究すべき材料はいくらでもあるわ。それに私たち、若いわ」


 住職が苦笑すると軽くうなずく。そんな住職といっしょにリンメイがノロに声をかける。


「色々お世話になりました。地球に戻りますが、いつでも連絡ください。何か役に立つことがあるかもしれませんから」


 ノロはリンメイに同行して欲しかったが、そんなことはおくびにも出さずににこやかに応える。


「そのときは是非相談に乗ってください。専門家の見解を楽しみにしています」


「わかりました」


「すまんの、リンメイ」


 住職がリンメイに軽く頭を下げてからノロには深く下げる。それを見てミリンが自分のわがままを反省すると四貫目とお松にたずねる。


「四貫目やお松はどうするの?」


 四貫目が低い声を出す。


「地球の治安に不安がある。キャミ殿の警護に当たる」


「そうか」

 

[348]

 

 

 ホーリーがサーチから住職のうしろに控える四貫目とお松を見つめる。お松がうなずくとノロとイリが一太郎と花子に近づく。


「僕はサーチの言ってた人間が真摯に生きることの大切さを悟らせるプログラムを完成させたいのだが」


 花子が目をしばたたかせると一太郎に向けて顔のシワを全部集めてにっこりと笑う。一太郎が花子の肩に手を回す。


「出会ってそんなに時間がたっていないが、ノロは何もかも楽観的に見つめているようだ。神ですら悲観的にこの世の中を見ることがあるのに、ノロはどうも悲観的という概念を持ち合わせていないようだ」


「そのとおりだわ!一太郎」


 イリが何か言おうとするノロの口を押さえこんで一太郎に言葉を続ける。


「ノロにとって不可能なことなんか、この世の中には存在しないわ。ひたすら夢を追いかけるの。希望を持つというようなレベルじゃなくて、まっすぐに大きな夢を追いかけるの」


 一太郎が気持ちよくイリを見つめる。


「やっぱりそうか。その夢を追い続ける気持ちをプログラムにして無言通信チップにインストールする」


 花子も興奮する。ノロがイリの手をかいくぐってにこやかに一太郎と花子に声をかける。

 

[349]

 

 

「そこまでほめてもらったんじゃ協力しないわけにはいかないな。四貫目の言うとおり地球の治安は不安定だから、俺の家でプログラムの開発に専念すればいい」


「ありがたい!感謝する」


 一太郎がまるで少年のように笑って長身の身体を折りたたんでノロに頭を下げると、フォルダーがホーリーにたずねる。


「キャミとミトは?」


「すでに時空間移動装置で地球に向かった」


「そうか。じゃあ」


 ノロは住職たちに手を振ってブラックシャークに乗りこむ。そのあとをフォルダーとイリがついていく。


「お父さん、お母さん、元気でね」


「ミリンもな」


「ケンタ、ミリンのこと、よろしくね」


 サーチがケンタに声をかけて、ホーリーといっしょにフォルダーとイリのあとに続くとブラックシャークに乗りこむ。


***


 ノロはブラックシャークの船長室でまる一日ホーリーとサーチの話を興味深く聞いた。

 

[350]

 

 

「リンメイに色々聞きたかったけれど、ホーリーとサーチの話でだいたい理解できた」


「どうやら、この前読んだのはキャミ将軍とカーン将軍が和解したころの話だったのか。やっぱり予想通り和解が成立したんだ」


 ノロが本を開くが活字は現れない。


「色々なことがあったんだなあ。一冊の本になってもいいような話だ」


 フォルダーが本を閉じたノロにたずねる。


「ところで一番大事なことを聞かずにここにいるが、これからどうするんだ」


「そう言えばそうだわ。私たちいい加減なものね。今後の予定も聞かないで人選までしていたわ」


 イリがケタケタと笑う。


「なんだ?」


「そんな」


 ホーリーとサーチがあきれてぽかーんとノロを見つめる。


「もちろん、瞬示と真美の謎を解く旅に出る」


「しかし、あのふたり、今どこにいるのかしら」


「地球がおかしくなっているのに現れないなあ」


 サーチとホーリーが交互に疑問をノロにぶつける。

 

[351]

 

 

「この世界に危機が訪れたからといって、あのふたりが現れるものではない」


 ノロがぶっきらぼうに応えるとサーチが軽くいなす。


「でも、たいがいここぞというときに現れたような印象が強いわ」


「ノロはあのふたりが六次元の世界の生命体だと言っていたけれど、どういうことなんだ」


 ホーリーが今まで一番我慢してきたことを口にする。そのとき船長室の浮遊透過スクリーンに巨大な湖が現れる。サーチの声がホーリーの質問を中断する。


「摩周クレーターだわ」


 ブラックシャークは摩周クレーター上空に移動していた。ノロは浮遊透過スクリーンの下に表示された空間座標を確認する。


「ここでの出来事はふしぎなことばかりだった」


 摩周クレーターの崖の洞窟から外に向かって水が勢いよく流れ落ちている。その滝の先には杉並木の小径に沿って川が流れている。


「中央コンピュータ、このデータからこの付近の時空間に異常がないか調べてくれ」


 ノロがスティック・メモリーを端末に差しこむと中央コンピュータに指示する。


「瞬示や真美の世界……いや」


 ノロが言い直す。


「宇宙戦艦といっしょに埴輪の鳥に導かれて西暦の世界に時空間移動したとき、七基の時空間移動装置が時空間移動に失敗したと言っていたな」

 

[352]

 


「ええ。瞬示と真美から摩周湖の湖底でその七基の時空間移動装置を発見したと聞いたわ」


 ホーリーがサーチに相づちを打つ。ふたりはノロがなぜこんなことまで知っているのかと疑問を共有するが、連続するノロの質問にその疑問を口にすることができない。


「時空間移動装置が時空間移動に失敗すると大変なことになるのを知っているか」


「詳しくは知らないが、中にいる者は永遠に時空間移動装置から出ることはできないらしい」


「時空間移動装置が時空間移動に失敗して爆発すると、宇宙は消滅する……」


「えー」


 ホーリーだけではなく、フォルダーもイリもサーチも驚く。


「……と思っていたが、どうもそうではないようだ」


「悪い冗談はよせ!」


 フォルダーが怒鳴る。


「いや……」


 ノロがフォルダーの感情むきだしの言葉を無視する。


「……もっと具合の悪いことになるかもしれない」


「そう言えば、瞬示と真美は時空間移動に失敗した時空間移動装置の中には別の宇宙が広がっていると言ってたわ。ほとんど理解できなかったけれど」

 

[353]

 

 

 即座にノロがサーチの言葉に反応する。


「瞬示と真美はその時空間移動装置の中に入ったのか?」


「そうらしい。七基の時空間移動装置のそれぞれの内部にはまったく異なる宇宙が存在していると言っていた。ふたりが何を言おうとしていたのか、俺にもよくわからなかった」


 ホーリーの返答にノロはうなって両手を組む。


「それは六次元の宇宙なのか」


「そこまでたずねるほどの知識など俺たちは持っていない」


 ホーリーとサーチはあの民宿での瞬示と真美の会話を思い出す。ふたりがさっきまで共有していた疑問など吹っとんでしまう。そして記憶を絞り出すように助け合いながら、当時瞬示と真美の言っていたことをできるだけ正確にノロに伝える。


「それに、瞬示と真美の身体がまたふしぎなの」


 ノロがホーリーとサーチに身を乗りだす。


「頭以外にも各関節に脳が存在していて、内蔵らしい内蔵はなく、はっきりとした骨格もないし、血管もない」


「そんなバカな」


 フォルダーがサーチの説明に割りこむ。


「サーチは医師よ。フォルダー、失礼だわ」

 

[354]

 

 

 イリにいさめられたフォルダーがサーチに頭を下げる。


「失礼なことを言ってすまなかった」


「フォルダー、気にしないで。私だって信じられなかったわ。今もよくわからないの」


「それなのに、美味しそうにお茶を飲んでいたな」


 ホーリーが付け加える。突然、ノロが床に倒れて仰向けになる。別に泡を吹いて倒れたわけではない。


「ノロ!」


 ホーリーとサーチが驚いてノロの横でひざまずく。


「大丈夫。ノロが真剣に考えるときのクセなの」


 イリがほほえみながらホーリーとサーチに告げる。しかし、ふたりにはとてもそのようには見えない。ぽかーんと口をだらしなく開けてよだれを垂らして視点も定まっていない。


「しばらく放っておいたら、『わかったぞ』と大声出して起きあがるわ」


 ホーリーとサーチがふしぎそうにノロを見つめる。


「演算終了」


 中央コンピュータもノロが深い思考の世界に入っていることがわかっているらしく、ボリュームを落とす。


「報告はあとにします」

 

[355]

 

 

 フォルダーが「やれやれ」といった表情をしてから、浮遊透過スクリーンを眺める。


「それにしてもきれいな丸い形をした湖だなあ。人工湖か?」


「いや、元の湖を巨大な球形の時間島が押さえつけて変形させたんだ」


 ホーリーもノロの思考の邪魔にならないようにささやき声でフォルダーに説明する。


「時間島か。ふしぎなものが存在するんだな」


 フォルダーが浮遊透過スクリーンからノロに視線を移す。


「あれー」


 あきれたような声を出してフォルダーがノロに近づくと大声を出す。


「こいつ!本当に眠っているぞ。とんでもないヤツだ」


 フォルダーの大きな声にノロはまったく反応しない。


***


「俺は信じないぞ」


「でも、こう考えればすべてが説明できる」


「おまえ、最近おかしい」


 フォルダーはノロの言葉に納得しない。


「とにかく、本人たちを探してたずねるしかないわね」


 イリが仲裁に入る。

 

[356]

 

 

「どうやって探す?」


「それが問題だ」


「彼らが現れた時空間に時空間移動すれば」


 ホーリーが提案するが、ノロは首を横に振る。


「たとえば、キャミ将軍とカーン将軍が和解した前線第四コロニーの会議室に時空間移動したとしよう」


 ノロが説明を始める。


「そこにはホーリーもいればサーチもいる。住職やリンメイもいる」


 ホーリーが大きくうなずき、ノロの次の言葉を待つ。


「しかし、そこに瞬示と真美の姿はない」


「どうして?あのふたりはあの会議に同席していたわ」


 サーチが首を傾げてノロを見つめる。


「おそらく、今ここにいるホーリーやサーチはもちろんのこと、俺にも停戦会議にいるはずの瞬示と真美の姿は見えない」


「なぜだ」


 フォルダーがじれったそうにノロを見つめる。


「説明しにくいなあ。特にフォルダーには」

 

[357]

 

 

 フォルダーがムッとした表情をする。


「眠っていたおまえを蹴ったのを根に持っているのか」


「なに!俺を蹴っただと!」


 ノロが立ちあがってフォルダーに身体を寄せると拳を握る。イリがあわててふたりの間に割りこむ。


「もー!まるで子供なんだから、イヤになっちゃうわ」


 サーチがイリの情けなさそうな表情を見て笑う。


「俺が六次元の人間だったらフォルダーなんてすぐにあの世……」


 ノロの言葉が途切れる。そして自分の顔を二、三回たたく。


「まさか」


「ノロ、どうしたの」


 イリは急に血の気が引いたノロの腕を取る。


「どうした、ノロ」


 フォルダーもノロを真上から見つめる。


「あのふたり、いったん死んだんじゃないのか」


 ノロが首を左右に振る。


「どうやら重大なことを見逃していた」

 

[358]

 

 

 ノロは冷静さを保とうとするが、床に音をたてて倒れこむ。


「今度は眠らずに考えるから、蹴るなよ」


 ノロが再び大の字になって長考の体制を取る。


***


「イリ、俺にも無言通信ができるように手術してくれ。一太郎と直接話がしたい」


 イリはすぐ首を横に振ってサーチを見つめる。


「それはサーチに頼んでちょうだい」


「ちょっと待って。長らくしたことがないから。それに手術道具はブラックシャークにあるの?」


 イリが少し考えてからサーチに返事をする。


「あるはずよ。探してくる」


 イリは艦橋を出ると医務室に向かう。


 しばらくして、錆てどどめ色になったライフルレーザーのようなものを抱えて戻ってくる。


「試してみるわ」


 サーチがイリから器具を受けとると、絡まったクモの糸を払ってまるで射撃するように構える。


「大丈夫。十分使えるわ」

 

[359]

 

 

 ノロはライフルレーザーのような器具を見て不安になる。


「まさか、それを頭にぶち込むんじゃないだろうな」


 イリが笑って答える。


「さすが、察しが早いわ。瞬間麻酔するから痛くはないし、手術はすぐ済むわ」


「わかった。覚悟を決めた」


 ノロが艦橋の出入口に向かう。


「どこへ行くの」


「医務室」


「ここでも手術はできるわ」


「えー、でも麻酔するんだろ」


「そうよ」


「じゃあ、医務室でなきゃ」


 サーチが笑う。


「手術は一瞬で終わるわ」


 サーチは器具に装填されたチップナンバーを確認する。


「かなり古いバージョンだわ」


 イリがいやがるノロの手を引っ張ってサーチのところに連れていく。

 

[360]

 

 

「あとでバージョンアップすれば」


「そうね」


「ちょっと待ってくれ。今からしようとすること、すごーくいい加減な感じがするんだけど」


 ノロがイリを見上げる。そのときイリがサーチにサインを送る。サーチの構えた装置がノロの頭に照準を合わせると、イリがノロをはがいじめにする。


「フォルダー!助けてくれ!」


 イリの両手に信じられないぐらいの強い力が入る。


「男でしょ!」


***


{あー、もしもし、聞こえますか?こちらはノロと申す者です。ちょっと聞きたいことがあります。もしもし、いいかなあ}


 船長室の立派な椅子に座ってノロが緊張しながらノロの家でプログラム開発に没頭する一太郎に無言通信を送る。


{どうぞ}
{わっ!聞こえる。あのー、一太郎は瞬示や真美が摩周湖で死んだと思ってるんですか}
{初めはそう思っていました}
{初めの次は?}

 

[361]

 

 

{突然現れた瞬示を見てそうではなかったと思うようになりました}
{今はどう思いますか?摩周湖であのふたりはいったん死んだんじゃないかと思いませんか}
{わかりません。ただ……}
{ただ?}
{あのふたりの身体の構造、DNA鑑定の結果からすると、元々の瞬示や真美だったのか、異なる人間、いや人間ではない可能性も含めて僕にはよくわからない}


 ノロが目からウロコ状態になる。そのとき机の上で例の本がにわかに黄色く輝きだす。もちろん、いっしょにいるイリもフォルダーもホーリーもサーチも視線をその本に向ける。


{ありがとう、一太郎}


 ノロは一太郎との無言通信を切るとぱらぱらとページをめくる。


「おかしいな。こんなときには活字が浮かびあがってくるのに」


 ノロは最後までページをくると最初のページに戻る。


「あっ、一ページ目じゃないか」


 ノロの目に「一太郎」という文字が飛びこんでくる。ノロはすぐさま無言通信を再開する。

 

{一太郎!}


 ノロが床に座りこむと顔を本に近づけて現れた文字をむしり取って一太郎の了解も得ずに一方的に無言通信を送る。

 

[362]

 

 

{決断と実行のその日暮らし。北海道は秋を卒業して冬の門をたたこうとしている。今どき摩周湖を訪れる者はいない。白いハッチバックの小型車が霧の摩周湖の駐車場に近づく。空っぽの駐車場にすべりこむと展望台に一番近いところで停車する。黒い長袖のシャツに紺色のジーンズのズボンをはいた瞬示がジーンズの上着を持って運転席から降りる。助手席からは、白いセーターに薄いグレーのスラックスをはいた背の高い学生が降りる。一太郎という名前で……}


 ノロはひたすら無言通信を送り続ける。一太郎がノロの無言通信を受信してくれているのかどうか、ノロにはわからない。それでも必死に無言通信を送り続ける。


 イリとフォルダーが中腰でノロの両脇を固めるが、大きな頭が邪魔になって本を見ることができない。それでも白紙ではなく、確かに文字が埋め尽くされていることだけはわかる。


 先ほどからノロの頭髪の毛根の一本一本から汗がふきだしている。ノロが一字一句、全神経を集中させて読んでいるのがよくわかる。イリはのぞきこむのをあきらめて、ハンカチを取りだすとできるだけやさしくノロの額を拭く。ふきだす汗が目に入らないようにやさしくハンカチに汗を吸いこませる。かなり時間がたったあとノロの枯れた声がする。


「ああ、消える、消える……」


 ノロは薄くなった文字をかじるように拾う。


「ここまでか」

 

[363]

 

 

 ノロの手から本が滑り落ちてもじーっとして動かない。ノロに声をかける者はいない。イリにもフォルダーにも、ノロが活字が消える直前に暗記した文章を無言通信にして一太郎に送り続けていることなどわかるはずもない。


{……ふたりの身体は透きとおったピンク色に変わる。なおも落ちていく。等速なのか加速しているのかはわからないが、確実に湖の底を目指して落ちていく。ふたりはもがくこともなく、どちらかというと気持ちよさそうに落ちていく。お互いの身体がひとつになって落ちていく。身体の色がピンクから湖の薄い黄色に同化して見えなくなってしまう}


 ノロがフーッと息を吐く。


「頼むぞ、一太郎」


 ノロは座ったままの姿勢で眠りこんでしまう。全エネルギーを使い切って空っぽになったように青白い顔をかくんと下げる。イリはなすすべもなくノロに身を寄せて支えると中央コンピュータの声が船長室に響く。


「一太郎からデータが送られてきました」


 船長室の天井に浮遊透過スクリーンが現れると文書が映しだされる。イリもフォルダーもホーリーもサーチも文字を追う。途中でフォルダーがあきらめたような声をあげる。


「紙にしてくれ」


***

 

[364]

 

 

{先ほどデータを送信しました。内容は、以前瞬示と真美から聞いた話とほぼ同じです。ノロ、ノロ?どうした?}


 一太郎の無言通信が空振りに終わる。ノロは床の上で大の字になってくたばっている。


「イリ、かなり体力を消耗しているぞ」


 フォルダーの心配そうな声がする。


「ええ、でもそっとしておくほかないわ」


「こんなノロを見るのは久しぶりだ。ごちそうの準備をしてやれ」


 フォルダーがイリにやさしく声をかける。イリはフォルダーとノロを交互に見てほほえむ。


「そうね。いつも急に『腹減った!食べるぞ』ってわめきちらすものね。大好物の恐竜のステーキを用意するわ」


「とてつもないことを発見したんだろう。楽しみだ」


 イリといっしょに船長室から出ていこうとするフォルダーにホーリーが声をかける。


「このまま放っておいても大丈夫か」


「今のノロに付きあっていたら、こっちが先に参ってしまう。先に腹ごしらえをする」


 フォルダーがホーリーとサーチを手招きする。


「何かをつかんだのよ。ノロは」


 イリが人差し指に口を当てて船長室のドアに「静かに」というサインを送る。

 

[365]

 

 

***


 やっとノロの食事が終わる。


「『今度は寝る』なんて言うんじゃないだろうな」


 フォルダーがノロの機嫌を損なわないように慎重な言葉を選ぶ。


「エネルギー充填完了!俺は満腹になると頭が活発になるんだ」


 ノロが機嫌良くナプキンで口のまわりを乱暴に拭きながら笑う。


「あのふたり、前にも言ったとおり一太郎の世界の西暦の人間でもなければ、もちろん俺たちの世界の永久の人間でもない。いや、人間ではない。俺が思っていたとおり六次元の生命体だ」


 誰もが声を出さずにノロを見つめる。そのノロがワインボトルを持つ。


「珍しいな。ワインを飲むのか」


 フォルダーがさらに慎重に言葉を刻む。ノロがワインボトルを上下に激しく振ってから、逆さまにして皿の上に注ごうとする。


「何をしてるの」


 イリが興味深くノロの言葉を待つ。


「ワインはビンからもれないだろ」


「当たり前じゃないか。コルク栓をしたままではもれるわけがない」

 

[366]

 

 

 フォルダーが慎重に話すことを忘れてあきれた表情をする。


「でも、ほんの少しだけれどビンの中の空気が外へもれたはずだ」


「そんなに激しく振れば、空気が膨張して少しはもれるだろうな」


 ホーリーが同意するとノロがニヤッと笑う。


「そうなんだ。まさしくそうなんだ。よく見てくれ。皿の上に赤い気体が広がっている」


「えー、どこに?私には何も見えないわ」


 いつものことだが、中断期間があるものの何百年も付きあっているのにイリはノロの言葉をすぐ素直に信じてしまう。今も皿の上をそれこそ目を皿にして見つめる。


「イリ、いつもの冗談だ」


 フォルダーが笑うとイリはノロをにらみつける。しかし、ノロはふてくされるイリには目もくれずにまだ皿の上を見つめている。


「冗談ではない。赤い気体かどうかは別として、精密な測定器をもってすればこのビンから気体がもれているのは確実に確認できる」


 ノロがワインボトルをテーブルに置いて言葉を続ける。


「このビンの中が六次元の世界で、この皿が俺たちの三次元の世界だとしよう。六次元の物体の一部、つまり赤い気体が俺たちの目に見えたことになる。ワインの液体そのものを見ることはできないけれど、赤い気体を目撃できる」

 

[367]

 

 

 ノロがテーブルにあごを載せて続ける。


「六次元の瞬示と真美の本当の姿を見ることはできないが、その一部の姿、つまり人間に見えるふたりを俺たちは見ているんだ」


「まさか、そんなこと!」


 まず、サーチが叫び声をあげる。


「俺の結論を改めて言おう。巨大土偶も埴輪の鳥も時間島も、六次元の生命体や時空間移動装置なんだ」


 続いてホーリーが言葉を投げつける。


「巨大土偶や埴輪の鳥が六次元の生命体で、その一部を俺たち三次元の世界でかいま見ている姿だと言われても受けいれがたいのに、あのふたりが六次元の生命体で、その一部分を見ているとすれば、その姿はあまりにも人間に近すぎる」


「でも、あのふたりの身体は人間じゃなかったんだろ?」


 ノロは根本的に瞬示と真美を人間とは思っていない。


「俺にはよくわからない」


 ホーリーに替わってサーチがノロに言葉を向ける。


「確かに人間じゃなかったわ。でも、あのふたりは私たちのもうひとつの世界、西暦の世界の地球で生まれたのよ。これは事実だわ」

 

[368]

 

 

「それは事実ではなく疑問だ」


 ノロはまずサーチに向かって否定してから、誰に答えるというのでもなくしゃべりだす。


「細かいことはいずれ説明するとして、最大の問題は六次元の生命体がどんな感情を持っているかだ。俺たちと同じような感情を持っているのか、それともまったく異なる感情を持っているのかだ」


「何を言いたいんだ」


 今度はホーリーがサーチと交代して質問する。


「俺たちは今のところ人類のように複雑な感情を持っている生命体とは遭遇していない。仮に宇宙人が存在していて、その宇宙人が俺たちと同じ感情を持っているという保証はない。ましてや他次元の生命体なら、まったく異なる感情を持っていてもふしぎではない」


「愛情というものを持たずに憎しみだけを持っている宇宙人とか……」


 割りこむサーチの言葉をノロが途中で切りすてる。


「そんな単純なものではなく、つまり表面的には同じように見えるかもしれないが、人類とはまったく異なる感情を持っているのかもしれない」


 ノロの言葉にサーチが切り返す。


「想像できない!あのふたりは他次元の生命体なんでしょ。だったら、まともな感情を持っているということになるわ」

 

[369]

 

 

 一瞬ひるむノロにホーリーも追従する。


「ノロは、三次元の宇宙人に遭遇する前に六次元の宇宙人と遭遇したとでも言いたいのか」


「まあ……そう、そういうことだ」


 ノロが少しうろたえるがあっさりと応える。そんなノロをイリが見つめる。


「憎しみを持たないで愛情だけしか持っていないことに期待するわ」


***


「その本の最初のページに書かれていることについてノロが分析したことを聞きたい」


 ホーリーが議論のスタート地点を指定する。ノロはホーリーにうなずくことなく発言する。


「その前に、あのふたりの誕生のことを話しておこう」


 ノロのすごみのある言葉が響きわたる。


「いったい、いつの間にそんなことを調べあげたんだ」


 フォルダーが代表して驚く。


「理屈抜きで話を聞いてくれ」


 ノロの力強い声が沈黙を強要するとホーリーがなんとか言葉にする。


「質問しないでくれと言うことか」


「いや、俺の考えが正しいとか間違っているとかという気持ちを捨ててくれと言うことだ。要は六次元の生命体はもちろんのこと六次元の世界自体を想像することができないから、判定しようがないんだ」

 

[370]

 

 

「俺は黙って聞く。さあ、始めてくれ」


 フォルダーが少し投げやり的な言葉をノロの前に置く。ノロがフォルダーの顔をのぞきこんでから一気にしゃべりだす。


「あのふたりが生を受けたとき、六次元の生命体からなんらかの影響を受けた。俺はその現場を直接見たわけではないが、あのふたりの両親が住んでいた家を六次元の……それは生命体なのか物体なのかわからないが、いずれにしても六次元の何かがあのふたりの生みの親になんらかの影響を与えた。そして俺の想像をはるかに超えた作用を受けてあのふたりの卵子の分割が始まったんだ」


 全員がノロの想像を共有しようと神経を集中する。


「おそらく想像を絶する六次元の世界の時間があのふたりに組み込まれた」


「まったく同じ時間に生まれたということね」


 サーチの反応にノロはうなずくことなく話を続ける。


「そこで俺はあることに気が付いた」


 誰もがノロの次の言葉を待つ。


「三次元の世界でも数学的に六次元の世界を理解することは可能だ。つまり、あのふたりの空間座標はこの世界では当然三次元の座標で表現されるが、ふたりを一組とみなすと三次元の空間座標がふたつ必要となる。つまり、一度にふたりの座標を表示しようとすると六次元として表示される」

 

[371]

 

 

 誰もが理解できないと首をひねる。


「瞬示の座標が『たて1』『よこ1』『たかさ1』とすると、真美の座標は『たて2』『よこ2』『たかさ2』と表現することができる。この座標をすべて足すと六で六次元を意味する」


「それだったら、俺とサーチも六次元的に表示することができるじゃないか」


 思わずホーリーが声をあげる。


「六次元の世界の時間に管理されている一組の人間の場合にという前提条件がある。三次元の世界の時間に管理されている者は、何人集まろうと個々の座標が独立していて、すべて三次元の座標しか持たない。『ホーリーのたて』『ホーリーのよこ』『ホーリーのたかさ』そして『サーチのたて』『サーチのよこ』『サーチのたかさ』、このように独立している」


 ノロは鼻の穴を大きく広げると空気を吸い直す。


「いいか」


 ノロはみんなが本当に理解しているのか確かめながら次へ進む。


「あのふたりは一心同体だと考えてくれ。別々の身体を持ちながら、重なってひとつの身体になるんだ。そう、俺たちにはふたりに見えるがひとつだと考えて欲しい。名前も瞬示と真美ではなく、『瞬示真美』という人物とするんだ。そしてその『瞬示真美』は『たて1』『たて2』『よこ1』『よこ2』『たかさ1』『たかさ2』の六方向の座標を持つ人間だと想像してくれ」

 

[372]

 

 

 フォルダーは首を傾げたままだが、フォルダー以外はなんとかノロの言葉の意味をつかむ。


「二十二年という歳月は長いが、六次元の世界ではどのくらいの時間になるのかわからない。


俺にはあのふたりにはなんの変化もなかったように見えた。少なくとも生まれてから小学四年生の十年間は」


「ノロはあのふたりを十年も観察していたのか」


 ホーリーの驚きながらの質問にノロが軽くうなずく。


 イリはノロが単なるわがままでブラックシャークの試運転に出かけたのではないと勝手に解釈すると、ノロに心から頭を下げる。


「ふたりが生まれて二十二年たったとき、御陵の時空間に大きな時震が生じた。そして俺の目の前で瞬示、真美と巨大土偶との戦闘が始まった」


「同じ六次元の生命体同士が三次元の世界で戦闘をしたとでも?」


 サーチの質問にノロがすぐに答える。


「いや、六次元の生命体同士ではない。六次元の生命体と六次元のアンドロイドだ。六次元の世界にアンドロイドがいるかどうかは別として」


「巨大土偶が六次元のアンドロイド?」

 

[373]

 

 

「遮光器土偶から成長して巨大土偶になる……三次元の世界ではそのように見える六次元のまかふしぎなアンドロイドだ」


 ホーリーの顔が見る見るうちに青ざめる。追い打ちをかけるようにノロの言葉が続く。


「いずれにしても、六次元の生命体やアンドロイドが戦闘をしてもふしぎじゃない。俺たちだって戦争ばかりしていたじゃないか」


 すぐさまサーチがノロの意見に納得する。


「六次元の生命体にも戦うという概念が存在することは確かだ。言えるのはそれだけだ」


 ノロはあの壮絶な戦いを思い出すが、すぐに話を戻す。


「あのふたりが劇的な変化をとげたのは摩周湖での出来事だった。一太郎にしたためてもらったこの文章の出だしをじっくりと読んでみてくれ。結論より重大な始まりだ」


 五人は先ほどのペーパーに視線を戻す。


***


 一太郎と花子がノロを見つめる。ノロの家でプログラミングしていた一太郎のたっての頼みにノロが時空間移動装置を差し向けて呼び寄せた。


「ここは摩周クレーターの上空じゃないか」


 ノロの長い話が終わると一太郎がメイン浮遊透過スクリーンを見ながら質問する。メイン浮遊透過スクリーンの右上に永久0255年と表示されている。

 

[374]

 

「ここから、西暦2048年に時空間移動するが、その前に一太郎にしたためてもらった物語の分析をする。一太郎に立ち会って欲しいと思ってたから助かるよ」


 ノロが一太郎にほほえみかけて、そのまま視線を花子に向ける。


「協力して欲しい」


「もちろん」


 一太郎は顔中のシワを伸ばしてこっくりとうなずく花子といっしょにほほえむ。


「その前に聞きたいことがある。例のプログラムは完成したのか」


「ああ、夢を失わず、前向きに生き抜く心をはぐくむプログラムだ。先ほどRv26に渡したところだ」


「すごい!」


 ノロが飛びあがって一太郎の手を握る。


「それで無言通信システムをアップデートするんだな」


 一太郎がノロをまっすぐ見つめてうれしそうに応える。


「効果があるかどうかは、やはり一人ひとりの感性によるのだろうが、少なくともきっかけにはなるはずだ」


「たいしたもんだ。あとでソースリストを見せて欲しい」


しかし、一太郎と花子の返事を待つことなく、ノロは表情を引きしめる。

 

[375]

 

 

「あのふたりは摩周湖で死んだと思うんだが、死体は発見されなかったのか」


「僕が知る限りでは、ノロの言うとおりだ」


「そうか。あのふたりから見ると一太郎と花子の方が摩周湖で死んだようになっているが、結果として瞬示、真美、一太郎、花子の四人とも生きているということは、想像もできない異変が摩周湖で起こったということだ」


 ノロは本を手にしてぱらぱらとページをめくる。ホーリーがその本を見て飛びあがる。


「ぎっしりと活字が埋まっているじゃないか!」


 サーチが何もしようとしないノロに近づいて文字を読もうと腰をかがめて本に手をかける。


「これは俺が作った本だ」


「えー!」


 ノロがサーチに本を手渡す。


「どういうことだ?」


 ホーリーがムッとした表情をする。


「ホーリーやサーチから聞いた話を本にしただけだ」


「いつの間に……」


 サーチがページをめくりながら、内容を確認する。


「ホーリーやサーチ、それにフォルダーやイリ、そして一太郎と花子から聞いた話を、中央コンピュータに編集させて本にしたんだ」

 

[376]

 

 

 ノロはいつの間にか手品のように取りだした数冊の本を配る。


「ノロの分は?」


 最後に本を受けとったイリがたずねるとノロは自分の頭を指さして笑う。


「勉強は嫌いだが、興味あることは丸暗記することにしている」


「えーと、確か第三十九章『ふしぎな民宿』の後半を読んでくれ」


 本をめくる音がするなか、ノロが中央コンピュータに問いかける。


「時空間移動に失敗した時空間移動装置を分析することは可能か?」


「わかりません。そんなことをしたことがありません」


「ぶっつけ本番しかないな。よし、西暦2048年の摩周湖付近に時空間移動して、瞬示と真美が発見したという時空間移動装置を探しに行くぞ」


「摩周湖の底に沈んでいる時空間移動装置だな」


 ホーリーが本から目を離すとサーチが一太郎と花子に確認する。


「私たちは無事に摩周村の診療所に時空間移動したけれど、残りの七基の時空間移動装置が時空間移動に失敗したという話を瞬示と真美から花子の民宿で聞いたわ」


 一太郎と花子がサーチにうなずく。


「さっきも言ったが、瞬示は時空間移動に失敗した時空間移動装置の中はそれぞれ異なった宇宙が存在していると言っていた」

 

[377]

 

 

 一太郎が瞬示の言葉を思い出す。ノロが一太郎に軽くうなずいてみせる。そのとき、それまで沈黙していたフォルダーがノロに近づく。


「ノロ、その時空間移動装置が存在する摩周湖の時間座標はわかっているのか」


「ぜんぜん」


 フォルダーがつまずきそうになりながら大声を出す。


「それじゃ、どうやってその時空間移動装置を探すんだ!」


「誰か、知っているんじゃないのか」


 ノロがホーリーとサーチを見つめる。


「私は知らないわ」


 サーチに続いてホーリーが説明を始める。


「瞬示や一太郎の西暦の世界から、俺たちの世界に戻ってきたときの時空間移動データは前線第四コロニーの中央コンピュータにあったはずだ。確かRv26がそんなことを言っていた」


「でも、前線第四コロニーの中央コンピュータは鍵穴星付近で息絶えたわ」


 ノロが気落ちしてうつむく。


「Rv26の宇宙戦艦の中央コンピュータは?」


 サーチがホーリーに問いかける。

 

[378]

 

 

「そうだ。Rv26の宇宙戦艦は俺たちを置いてきぼりにして、西暦の世界から前線第四コロニーに戻ったんだ……」


 ホーリーはそう言いながら首を横に振る。


「あの宇宙戦艦も鍵穴星で大破した」


「そうだったわ」


「俺たちの世界に戻ったときに使った時空間移動装置は?」


 ホーリーは可能性を追い続けるが、すぐにトーンを落とす。


「これもだめだ。今さら、あのときの時空間移動装置を見つけるなんて不可能だ」


 ノロが一太郎と花子に向かって頭を下げる。


「そうすると俺たちは一太郎や花子を正確に元の世界に帰すことができない」


「そんなことはいい。戻るつもりはない」


 ノロはふと自分が乗っていた黒い時空間移動装置のことを思い出す。しかし、すぐに首を横に振ってあきらめる。


「俺の乗っていた時空間移動装置は巨大土偶の眉間にめり込んでしまった」


 ノロの表情が激しく変化する。


「おまえなら知っているはずだ」


 ノロは天井のクリスタルスピーカーに向かって大声を出す。

 

[379]

 

 

「知っているのなら、すぐ報告します。私も知りません」


「それらしきデータをすべて検索しろ!」


「大昔のデータは残っていません。キャパが小さいのです」


「許容範囲外のデータはバックアップしてあるな」


「もちろんです」


「それなら、俺たちの星の中央データバンクの中から探しだせ!場合によっては地球のデータライブラリーからデータを盗め」


「時空間移動の痕跡データは通常のデータとは違います。簡単に探しだすことはできません」


「だから、おまえに頼んでいるんじゃないか」


 ノロが食い下がるとフォルダーがノロを制してイリに近づく。


「俺に任せろ。イリ、あれを」


「えっ、あれって?」


「あれだ」


 イリがやっとフォルダーの言葉を理解する。


「あれをここへ持ってくるの?」


 イリが右手の親指と人差し指で輪を作って口元へ持っていく。


「そうだ」

 

[380]

 

 

 フォルダーが自信たっぷりにほほえむと、イリは楽しそうに艦橋を出ていく。


「どうするんだ」


 ノロはキョトンとしてフォルダーを見つめる。


「なーに、すぐわかる」


 しばらくするとイリは唐草模様の風呂敷に包んだ長いものを持って艦橋に姿を現す。フォルダーがイリからそれを受けとると風呂敷を解いて高々と一升ビンを持ちあげる。


「一所懸命やります」


 即座に中央コンピュータからの返事がする。


「中央コンピュータはいつから酒を飲むようになったんだ?」


 ノロがフォルダーと一升ビンを交互に見る。


「ああ見えて、結構ストレスがたまるらしい」


「そうか、仕方ないな」


 ノロがあっさりと言葉を引っこめる。イリやサーチはふしぎそうに天井を眺める。


「いつになったら、チューちゃんといっしょにお酒が飲めるの」


 イリがふくれる。ノロがそんなイリに首を振ってみせる。


「酒は男同士で飲むもんだ」


「チューちゃんって、男なの?なぜコンピュータに性別があるの」

 

[381]

 

 

 ノロが大きな声で笑うがすぐ真顔に戻す。


「次は女のコンピュータを造るから、いっしょにいちご大福でも食べればいい」


 イリはバカにされたと思ってプイと顔を横にする。ノロにはなぜイリが怒っているのか理解できない。


――アンドロイドにも性別があるのに


 ノロは心の中で言い訳する。そしてイリの横をすり抜けて一太郎と花子に近づく。


「忘れていたけれど、一太郎のたっての頼みというのは?」


「いや、聞きたいことがあったが、もう十分に聞かせていただいた」


 一太郎が改めてノロに握手を求める。ノロは口を大きく開けて満面の笑みで応える。

 

[382]