第六十七章 酒


【時・空】西暦2048年・摩周湖
     永久0289年・鍵穴星
     永久0246年・月
【人】ノロ フォルダー イリ ホーリー サーチ


西暦2048年


***


 永久の世界の摩周クレーターと比べれば、湖というよりは極端に水が少なくなっているので沼と呼ぶ方がふさわしい西暦2048年の摩周湖上空にブラックシャークが擬装モードで浮かんでいる。中央コンピュータはミトやホーリーたちが緑の時間島によって強制的に時空間移動させられた西暦の世界への移動経路を探し当てた。夕闇が迫っているがメイン浮遊透過スクリーンには摩周湖が鮮明に映されている。


「にごっていて、高感度透視カメラでも沼の底までは見えないぞ」


「フォルダー、時空間移動装置で探索しよう」


 艦橋から出ようとするノロをフォルダーが止める。


「ちょっと待て。なんでも自分でしようとするな」

 

[384]

 

 

「性分だ」


「海賊に探索させる」


「わかった。そのあいだに事故を起こした時空間移動装置を分析する方法を考えよう」


「どこへ行くんだ?」


「中央コンピュータ室」


 ノロがイリのところに戻って催促する。


「例のものは」


「えっ?」


「酒だ。ほうびを約束したじゃないか」


「あっ、忘れていたわ」


 イリが船長席のうしろの収納スペースから唐草模様の風呂敷包みを取りだすとノロに近づく。


「私も行くわ。チューちゃんとお酒を飲むの。いいでしょ」


「うーん」


 ノロが風呂敷をじっと見つめて考えこむ。顔をあげるとフォルダーを見つめる。


「中央コンピュータと飲むのなら、ノロと飲んでいた方がましだ」


「どういうこと」


「うーん」

 

[385]

 

 

 ホーリーはニヤニヤしながら傍観者の立場を取る。その横でサーチがホーリーにたずねる。


「あなたも中央コンピュータとお酒を飲んだことがあるんでしょ」


「ああ」


「なぜ、ノロやフォルダーはイリと中央コンピュータがお酒を飲むのをとがめるの?」


 ホーリーがサーチの質問にとまどう。


「いや、まあ、なんと言ったらいいのか……」


「私も一度中央コンピュータとお酒を飲みたいわ」


「うーん」


 サーチはノロとフォルダーと同じ答え方をするホーリーに失望する。


「なあ、イリ」


 ノロが艦橋の窓に近寄ってイリを呼ぶ。


「人間の心ってどこにあると思う?」


 外が真っ暗でこうこうと明るい艦橋の窓はまるで鏡のようだ。その窓の前でノロが自分の顔を見つめる。


「急に何を言い出すの」


 イリもノロのうしろに立って窓に映るノロの顔を見つめる。


「どう思う?」

 

[386]

 

 

「男前だわ」


 ノロは大きく口を開けて喜ぶが、すぐ口元を引きしめて窓に映るイリを見つめ返す。イリはなぞなぞ遊びに引きこまれると鏡面の窓に映るノロの頭を指さす。


「そこは電気信号が煩雑に行き来する場所で、そこに心はない」


「じゃあ、ここなの?」


 イリが胸に手を当てる。


「そこはポンプ室だ」


「何が言いたいの」


「身体に心が宿っていることは確かだけれど、どこを捜しても心は見つからない。でも改めてどこにあるのかを意識しなくても完璧に自分の心をとらえることはできる」


 イリが首を横に振る。


「よくわからないけれど。今の話とチューちゃんとお酒を飲むのと関係あるの?」


「うん」


 ノロが軽くうなずく。


「大昔、人魂が心だと考えていた時代があった」


「火の玉が空中をゆらゆらと移動する話ね」


「そうだ。人が死ぬと『魂』が肉体から抜けだしてさまようと言う話だ。その魂とは心の

 

[387]

 

 

ことなんだ。もちろん肉体が亡びれば心も消えてしまう。さまようようなことはない。でも身体のどこを探しても心は見つからない」


 イリはノロの話に引きこまれる。人の話を聞き流しているかと思うと、急に好奇心を示して突っこんでくる。かといってお仕着せがましさや自慢する態度をするわけでもない。そこがノロの魅力的なところだが、そんなノロにいつも簡単にだまされたりもするとイリは用心する。


「アンドロイドも心を持っている」


「そうね。いつの間にかアンドロイドも心を持つようになったわ」


 イリが素直に肯定する。


「アンドロイドの身体のどこに心があると思う?」


「あっ、そうか。元々アンドロイドには心がなかったんだわ」


「そう」


「アンドロイドの心はいつ、どこで生まれたのかしら」


「イリ、いい線を突いている」


「アンドロイドのCPU(中央演算処理装置)は胸に組み込まれている。そこで生まれたような気がするけれど、違うのね」


「そのとおり。CPUがお尻に組み込まれていれば、お尻に心が生まれるなんて考えられない。人間と同じように頭にCPUを組み込むんじゃなくて、頭は無防備だから、頭より安全な胸にたまたまCPUを組み込むように設計しただけだ」

 

[388]

 

 

「アンドロイドの心ってどんな風にして生まれてきたのかしら」


 イリはもう一度同じ疑問を繰り返す。


「電気信号が無限にフィードフォワードして煩雑にフィードバックしながら、発生したり消えたりすると心が生まれるけれど、どこで生まれたかはわからない」


「そうね」


 イリがなんとかノロについていく。


「心はどこにあるのかというより、身体全体が心だという方が正しいのかもしれない」


「よくわからないわ」


 イリはさじを投げるが、いつの間にかホーリーがノロの横に立って一気にまくしたてる。


「どのようにして機械に過ぎなかったアンドロイドが意思を持つようになったんだ?」


「ホーリーはどう思う?」


 反対にノロがホーリーにたずねる。


「言語処理プログラムが原因じゃ?」


「もちろん、そうだ。しかし、もっと根本的な原因があるような気がするんだ」


 ホーリーの好奇心が燃えあがるように頭をもたげる。


「ホーリー、『創発』という現象を知っているか?」

 

[389]

 

 

「えーと、確か宇宙大学で習ったような……教えてくれ」


 ホーリーはすぐにあきらめてノロに頭を下げる。


「単細胞の生物、たとえばゾウリムシを想像してくれ」


 ホーリーだけでなく、イリも、そして誰もがノロの言葉に引きこまれるように自分の足を見てからゾウリムシをイメージする。


「この生物ではたったひとつの細胞がゾウリムシそのものの行動を決定する」


 無言の返事がノロに戻ってくる。


「今度はもう少し複雑な、そうだな大腸菌でも想像してくれ」


「大腸菌なんか、想像できないわ」


 すぐにイリがクレームを付ける。


「じゃあ、ミミズにしよう」


「もっと、ましなものはないの」


 再びイリが文句を言うがノロは無視する。全員、準備が整ったような表情をノロに向ける。


「ミミズそのものが意志を持って動いているように見えるが、そうではなく、ひとつひとつの細胞が全体の動きを決定している」


 ノロが念を押すと、誰もがノロの言葉に従うようにうなずく。


「次は犬だ。犬がクーンと鳴いてすり寄ってくる姿を想像して欲しい。ミミズやゾウリムシの

 

[390]

 

 

場合は擬人的にその行動を観察することはないけれど、犬ぐらいのレベルになると、人間はどうしても擬人的に物事を見てしまうからまともな観察力が鈍ってしまう。そう、犬が、全体としての犬が悲しそうに食べ物をねだっているように見えてしまう。犬はただ腹が減っていることを伝えているだけなのに、つまり『悲しい』という意思を持っていないのに人間はそう思いこんでしまう。単に犬の肉体の一部を構成している鼻の細胞が『クーン』という音を発しているだけなんだ」


「なるほど」


 ホーリーが相づちを打つ。


「人間の場合はどうだろう。人間は確かに意思を持っている。犬よりどんどん進化した途中で、ある限界を超えると一部のほ乳類が意思、つまり心を持つようになった。そう、創発とは… …」


 全員がノロの次の言葉に期待する。しかし、ノロはその期待を裏切って天井に向かって声を出す。


「中央コンピュータ、創発の意味をみんなに説明してやってくれ」


 急に矛先を向けられた中央コンピュータは一息入れてから答える。


「かなりむずかしい概念です」


「だから、説明してやれと言ってるんだ」

 

[391]

 

 

 ノロはあえてコンピュータに説明を引き継ぐ。


「わかりました。よく聞いてください」


 中央コンピュータがもう一度一息入れる。


「生物に限ったことではないのですが、生物はミクロなものが集合してマクロな全体を造りあげています。人間でいうと小さな細胞が集まって人体を形成しています。その細胞ひとつひとつの動きがフィードフォワードして全体としての人間の行動を決定します。逆に全体としての人間の行動が細胞ひとつひとつにフィードバックして、細胞の動きを決めます。このフィードフォワードとフィードバックを複雑に繰り返すのです。つまり、細胞と人体は互いに密接な関係にあるのです。このような人体と細胞の相互作用が、ときとして突発的な大きな変化を発生させて、普通起こりえない因果を超えた現象となることがあります。人間が超能力と呼ぶこの現象を『創発』と言います」


 ホーリーが中央コンピュータのすっきりした解説に感心する。


「今、中央コンピュータが説明したのは生命体の場合のことだ」


 ノロが軽く首を横に振るとホーリーがノロに迫る。


「生命体でない場合にも、創発という現象が起こるとでも……」


「そうだ。すごい創発が発生するんだ!」


 ノロが急に興奮する。ホーリーもノロの言葉に興奮する。サーチも感染したように目を輝かせる。

 

[392]

 

 

フォルダーはついていけないと言わんばかりに船長席で腰をずらせて寝るような体勢を取る。そしてイリがぼやーとノロを見つめる。


――チューちゃんとお酒を飲む話がこんなむずかしい話になるなんて


「それは意外と単純なことだ。たとえば、宇宙のすべての原子が同じ方向に並んだとしよう。そのとき宇宙全体が同じ方向に動いたとする。宇宙全体もその方向に動くためにすべての原子を連れてその方向に移動しようとする。そこには、その方向に向かうという意思、つまり心を持つことになったと言えないこともない」


 ホーリーは遠い昔、宇宙大学で習ったことを思い出す。


「そう言えば、膨大な数の原子が集まると何か新しいことが起こると教わったことがあった」


「そう。俺が勝手に言っているのではない。生命体ではない物質もまるで意思を持ったように行動する、そのような現象も『創発』といって昔から科学者も肯定している。俺はビッグバンも創発だと考えているんだ」


「創発……。宇宙にも心が存在する」


 ホーリーだけが困惑する。サーチは理解する努力を放棄してノロとホーリーの会話を聞く。


「ところが、宇宙のどこを捜しても心は存在しない」


 困惑するホーリーにノロが静かに言葉をつなぐ。意外にも声をあげたのはイリだった。


「宇宙全体が心だとノロは言いたいの」

 

[393]

 

 

「そうだ。それを人間は神と呼んでいるんだ」


「神様って宇宙そのものなのね」


「宇宙が消滅すると神も消滅する。宇宙が生まれると神も生まれる。しかし、その神は人間が創造した神とは異なるもので……」


「すごい発想だ!」


 ホーリーが感服して大きな声を出す。ノロは説明を中断して手を横に振る。


「受け売りだ」


 イリがすぐに反応する。


「誰の?」


「住職」


 ホーリーが住職のC・OS・M・OSの説教を思い出す。


「確かに住職の考え方が基本のような気がする」


 サーチも思い出す。


「よくわからないけれど、住職ってすごいのね。あれは確か前線第四コロニーの中央コンピュータ室で聞いた話だったわ」


 ノロがホーリーとサーチに視線を移す。


「前線第四コロニーの中央コンピュータ、正確には量子コンピュータなんだが、自らを『神』だと名乗ったそうだな」

 

[394]

 

 

「ええ、それはもう大変な神様だったわ」
「今考えれば十分予測できることだった。そう、ウソをつくとまではいかないが、取りつくろう思考を展開できるようになった前線第四コロニーの量子コンピュータがいずれ心を持つのは必然的なことだった。しかし、その意識を神という概念まで昇華したとは……」


 ノロは後悔するような表情をしてイリを見つめる。イリがゆっくりと近づく。


「チューちゃんも量子コンピュータなんでしょ」


「そうだ」


 イリがノロの手を取って顔を近づける。


「イリ!」


 ノロが腰を引く。


「話はよくわかったわ。私、チューちゃんという神様とお酒を飲む!」


 イリが唇をとがらせる。


「いや、そのことなんだが……その、つまり」


 ノロはイリから離れるとホーリーとサーチの横をすり抜けて、船長席でだらしなく座っているフォルダーのうしろに隠れる。


「どうしたの!」

 

[395]

 

 

 イリが追いかける。


「中央コンピュータは心を持っているんだ」


「だから?」


「その心の姿が問題なんだ」


「チューちゃんの心の姿?」


 イリの足が止まる。


「俺、心というものを形にすればどういう形がいいのか考えたんだが、なかなかむずかしくって」


「心を形にしたの?」


「ああ、でも、できが悪くてぶさいくなんだ」


 そのとき、中央コンピュータの声がする。


「できが悪いって、造ったのはノロじゃないですか」


 フォルダーがついに大声をあげて笑いだす。ホーリーも腹を抱えて笑いだす。サーチは当惑して、フォルダー、ホーリー、ノロ、イリを順番に見つめる。そのとき中央コンピュータがやさしい声を出す。


「イリ、ワタシといっしょにお酒を飲みましょう」


 天井のクリスタル・スピーカーが虹のように輝く。

 

[396]

 

 

「ええ、すぐに行くわ」


 イリがクリスタル・スピーカーに向かってにこやかに応える。


「お待ちしています」


 フォルダーはイリを止めるでもなく、まだ笑い続けている。そのとき時空間移動装置の格納室から報告が入る。


「例の七基の時空間移動装置すべてを回収しました」


 ノロがすぐさま反応する。


「中央コンピュータ!酒を飲んでいる場合じゃない!至急、分析方法を考えろ」


「わ、わかりました」


 中央コンピュータがしぶしぶ同意する。


***


「どついても、煮ても、焼いてもだめだ」


 時空間移動装置の格納室でため息をつくが、まだノロには冗談を言える余裕がある。


「フォルダー、鍵穴星へ時空間移動だ」


「また鍵穴星か。どうするんだ」


 ノロがサッカーボールを蹴り上げるような仕草をする。


「巨大土偶に蹴ってもらって、中身を取りだす」

 

[397]

 

 

「そんなバカな。巨大土偶にとって時空間移動装置はピンポン球ぐらいの大きさだろう」


「だったら、ラケットを貸してピンポンしてもらおう」


 フォルダーが両手を広げて格納室の天井に向かって大声をあげる。


「鍵穴星へ時空間移動準備。鍵穴星が存在していた時空間座標をここのモニターに映せ」


 格納室の壁のモニターにデータが映しだされる。フォルダーがそのデータを見て驚く。ノロはフォルダーが何を見て驚いているのか確かめようと横からのぞきこむ。


「俺は恐竜時代の鍵穴星でいいと思っていたんだが」


 中央コンピュータが即答する。


「『鍵穴星が存在していたころ』というのが抽象的すぎるので現実時間(ノロやフォルダーたちが今いる時間のこと)上の鍵穴星の時空間座標を探索しました」


「なんだって!鍵穴星が俺たちの現実時間の時空間座標上に存在しているのか?」


「そうです。時空間移動先からシグナルが帰ってきたから、間違いなく鍵穴星は今、存在しています」


 ノロは困惑したフォルダーを見つめる。


「鍵穴星は粉々になったはずだ!復活したとでも!」


「復活とは神が好んで使う言葉だ」


 ノロがフォルダーにそう告げたあと、中央コンピュータに確認する。

 

[398]

 

 

「鍵穴星が巨大ニューロコンピュータに破壊されたのはいつのことだ?」


「永久0288年です」


「今は西暦2048年に時空間移動しているが、俺たちの永久の世界での現実時間は?」


「永久0289年です。おっしゃるとおり永久0288年の世界から西暦2048年の世界にやって来ています」


「わかった。一年(289-288)前のことか。復活ではなく復元したんだ」


 ノロは鍵穴星が復元したと確信する。理解を深めることができないままのフォルダーがもう一度、中央コンピュータに確認する。


「時空間移動先のデータを再確認しろ」


「確認済みです。さっき報告したようにシグナルは青です」


 ノロがニヤッと笑って言葉を続ける。


「フォルダー、別にどの時代の鍵穴星でもいいんだ」


「わかった。この西暦2048年の世界から永久0289年の鍵穴星へ時空間移動しろ」


 七基の時空間移動装置が固定され、ノロ、イリ、フォルダー、ホーリー、サーチが最寄りの座席に座るとシートベルトをする。


「準備はいいか」


「完了」

 

[399]

 

 

「移動開始!」


 一瞬、格納室の照明が落ちる。すぐに元どおりに明るくなると中央コンピュータの声がする。


「時空間移動終了」


 フォルダーがシートベルトを外して一番近いモニターで鍵穴星を確認すると艦橋に向かって走りだす。


「おーい。待ってくれ」


 ノロも短い足の回転を上げてフォルダーのあとを追いかける。しかし、ノロはホーリーやサーチにも追いこされてしまう。そして、声もかけずにイリもノロを追いこして艦橋に向かう。


「冷たいヤツばかりだ」


永久0289年


***


「ニューロコンピュータは?」


「あれを見てください」


「ヒモのようなものがいっぱい絡まるようにして固まっている」


「ニューロコンピュータの残骸か」


 全員がメイン浮遊透過スクリーンを見つめる。

 

[400]

 

 

「ノロはどうした?」


「すぐ、ここに来るはずだわ」


 イリが冷めた声を出す。しかし、ノロは途中で気が変わって中央コンピュータ室で全神経を集中してモニターを眺めている。


「壮烈な戦いだったんだ。フォルダーはよく耐えしのいだものだ」


 忙しそうに透過キーボードに触れながら、ノロは画像や映像を、そしてときおり現れる文字データを眺める。


「一見して事象の端には見えないが、ここは宇宙の果てだ。いや、宇宙の地平線だ。向こう側は因果のないそして神もいない世界だ。そこに六次元の物体の一部が俺たちの三次元の世界にはみ出すように存在している」


 ノロはふきでる汗をぬぐうこともせずに思考を進める。


「次元の違う世界はお互い干渉できないはずなのに、なぜかここでは六次元の物体の一部を目の当たりにできる」


 ノロが短い首を少しだけ横に振る。


「いや、ここだけではない。事例は少ないが地球にも六次元の生命体が現れた。何が原因で六次元の生命体が三次元の世界に干渉するようになったんだろう」


「ノロ」

 

[401]

 

 

 モニターの横のスピーカーからフォルダーの声がする。


「何をしている?艦橋へこい」


「わかった」


 ノロは素直に返事をすると中央コンピュータ室をあとにする。


***


「あのヒモのようなもの、何かわかるか」


 メイン浮遊透過スクリーンの中央に、球体を抱えた突起を持つ六角形に見えるものから、先端が何本かに枝分かれした長いヒモのようなものが伸びている奇妙な映像が現れる。


「巨大なニューロンだ」


「さすが、ノロ!ここは『神』と名乗った前線第四コロニーの中央コンピュータがニューロコンピュータにまで進化して、そして多次元エコーの攻撃で息絶えたところだ」


「多次元エコーは有機物に作用しないはずなのに」


「だから、ニューロコンピュータの残骸がこのように残っている」


「ニューロコンピュータのエネルギー源を破壊したのか」


 ノロは直感的に火炎土器を頭の中で描く。


「結果的にそうなったようだ」


 ノロはさすがフォルダーだと思いながら、火炎土器のことを口にせずに質問する。

 

[402]

 

 

「そのエネルギー源とは?」


「それはわからない」


 ノロは今度は期待を持って同じ質問を中央コンピュータに向ける。


「不明です」


 少し落胆するが質問を続ける。


「このヒモの長さはどのくらいあるんだ?」


「太陽の直径ぐらいはあります」


「!」


 ノロが声を出さずに驚く。しばらくしてフォルダーに向かって口を開く


「ニューロン自体は何万倍にも伸びることがある。そうするとこのニューロンから構成されたニューロコンピュータは銀河ひとつ分の大きさを持っていてもふしぎじゃない」


「まさしくそのとおりの大きさだった」


「多次元エコーにとって不足のない相手だったわけだ」


「おまえはたいした武器を開発したもんだ」


「まさか俺が造った量子コンピュータとフォルダーが戦うなんて思ってもいなかった。しかし、よくもフォルダーは勝利したもんだ」


「まぐれだ」

 

[403]

 

 

 感慨深げにノロは動かなくなった巨大なニューロンをまじまじと見つめる。


「ニューロコンピュータは死んだが、鍵穴星は復活した。というより破壊されてチリになって、そのチリが集まって復元した……」


 ノロがツバをごくりとのみこむ。


「……ひょっとして……」


 ノロは近くの席に着くと透過キーボードをスタンバイして激しくたたく。しばらくするとメイン浮遊透過スクリーンのヒモは消え、その代わり青い板が現れてその向こう側からこちらに向かって黄色い球体が通過してくる。


「あの青い板の向こう側は六次元の世界だと思ってくれ」


 ノロが透過キーボードをさわりながら説明を続ける。


「黄色い球体が六次元の物体だとする。青い板のこちら側を俺たちの三次元の世界だとしよう。なんらかの事情があって三次元の世界に六次元の物体の一部が現れた」


 黄色い球体が半分青い板からはみ出たところで停止すると赤い光が現れる。


「赤い光線が黄色い半球目がけて突進する。これはブラックシャークの攻撃を意味する」


 すぐにフォルダーがノロの言葉に反応する。


「多次元エコーのことだな」


 もちろん、メイン浮遊透過スクリーン上ではゆっくりと赤い光が移動する。黄色い半球は青い板の向こう側に後退する。元の場所には黄色い無数の点が残る。

 

[404]

 

 

「画面上では、赤い光線が黄色い半球を破壊したように見えるだろ」


 ノロがフォルダーに強く同意を求める。赤い光線が消えると青い板の向こう側に後退した黄色の半球が再びこちら側に移動してくる。黄色い点は消えて元の黄色い半球が青い板のこちら側に現れる。


「鍵穴星は巨大コンピュータに破壊されたあと、追い討ちをかけられたように多次元エコーで完全に破壊されてチリになったが、そのチリが再び集まって復元したんじゃない。俺たちにはそう見えるがそうじゃないんだ」


「攻撃を受けて黄色い点が無数に残ったのは、どういう意味なんだ?」


 フォルダーがノロに疑問をぶつける。


「六次元の物体は三次元の世界を通過するときには、俺たちには六次元の物体のうちの一部分、つまり三次元分しか見えない。急に危険が迫ったとき、三次元の世界から脱出しきれずに六次元のうち一次元分の姿がまだ三次元に残っているだけなんだ」


「それがチリに見えると言うのか」


「そうだ」


 ノロは鍵穴星も六次元の物体であることと、その復元を通じて、チリとなった同じく六次元の生命体の巨大土偶が復元する現象を三次元的に説明した。

 

[405]

 

 

「理解を超えている」


 ホーリーが額の汗をぬぐう。


「ひとつの解釈だ。すべてがそうだとは断言できない。なにしろ相手は六次元の物体だ。ましてや六次元の生命体ならもっと複雑な現象として俺たちの目の前に現れているに違いない。三次元的なふかしぎな現象としか見えないのは三次元の生命体の限界なんだ」


「そうだとすると、ミトは『大人と子供の戦争』で巨大土偶の攻撃をよくもしのいだものだ」


 ホーリーがへなへなと床に座りこんでしまう。フォルダーとホーリー以外は完全にノロの説明を理解できない。


「巨大土偶は人間を亡ぼそうとして攻撃したのではない。巨大土偶の行動を攻撃だと思うのは三次元の人間の想像か勝手な解釈だ。それは未知に対する恐怖心から生まれたものだ」


 サーチがたまらず声をあげる。


「何度、瞬示と真美が六次元の生命体だと言われても、とても信じられないわ」


「あまりにも人間に近すぎる。いや人間と同じ感情を持っていると言いたいのだろ」


 ノロがうなずくサーチを見つめる。


「そうよ。それも人間の勝手な解釈なの?」


「そこがわからないんだ、俺にも」

 

[406]

 

 

永久0289年から永久0246年へ


***


「まず、事故を起こした時空間移動装置一基を宇宙の地平線の向こう側に投げこんでみよう」


 ノロがフォルダーに提案する。


「やってみるしかないな。しかし、どうやって宇宙の地平線の向こう側に持っていくんだ?」


「簡単じゃないか」


 フォルダーは用心しながらノロの言葉を待つ。


「確か、フォルダーは玉突きがうまかったな」


「ビリヤードと言え」


 フォルダーは機嫌をそこねるが、すぐにノロの意図するところを読みとる。


 ブラックシャークの前方の空間に時空間移動に失敗した時空間移動装置が一基、ポツンと浮かんでいる。その向こうは宇宙の地平線だ。


「主砲で時空間移動装置をはじき飛ばすんだ。準備はいいな」


「任せておけ」


 フォルダーが自信たっぷりに笑いかける。


「破壊エネルギー除去。射程距離無限。標的の座標を確認せよ!」


「確認終了」

 

[407]

 

 

 フォルダーのよくとおる声が艦橋に響く。


「発射!」


 主砲から発射された白い光線に時空間移動装置がはじかれて宇宙の地平線に向かう。


「緊急事態発生!宇宙の地平線から膨大なエネルギーが押しよせてきます」


 中央コンピュータの緊急警告に全員メイン浮遊透過スクリーンを見つめる。泡立った白い綿のような輝きが押しよせてくる。

 

「まるで津波だ。時空間移動!」


 フォルダーが叫ぶ。


「間に合いません」


「バリアーを張れ!全員ショックに備えろ!」


「ノロ!」


 イリがメイン浮遊透過スクリーンを見つめたままのノロの手を引いて席に着くとノロもろともシートベルトで固定する。


「苦しい……」


 メイン浮遊透過スクリーンだけではなく艦橋の外が真っ白に輝く。


 ノロ以外の全員がつま先に力を入れて両手で座席のヒジ当てを握る。真っ白なメイン浮遊透過スクリーンは一瞬のうちに真っ黒になり、ブラックシャークは再び暗黒の空間に漂う。

 

[408]

 

 

「エネルギー消滅」


「人騒がせな」


 フォルダーがシートベルトを外して立ちあがる。


「ノロ、降りてちょうだい」


 イリがシートベルトを解除する。


「もう少しこのままでいたい」


「苦しいって言ってたじゃないの」


「苦しくない」


「私が苦しいのよ」


「わかった、わかった」


 ノロがイリから離れると中央コンピュータの混乱した音声が流れる。


「本船は強制的に時空間移動させられました。時間座標は永久0246年。空間座標は……」


「あれは!」


 中央コンピュータの報告をさえぎってホーリーが艦橋の正面に現れた大きな白黄色の星を太い腕ごと指さす。


「月だ!ぶつかるぞ!」


 フォルダーが目の前の月に向かって大声をあげる。

 

[409]

 

 

「回避!」


 メイン浮遊透過スクリーンに眼下の月が映る。生命永遠保持機構の三階建の黒い建物の横には豊臣時空間移動工業の建物も見える。ブラックシャークはそれらの建物をおおうシェルターに衝突する寸前で回避する。


「あれは!生命永遠保持機構の本部よ」


 サーチが電気ショックを受けたように身体を硬直させる。


「さっき、永久何年って言ったの?」


 サーチは誰に聞くともなく大きな声を出す。メイン浮遊透過スクリーンの右上に「永久0246年」と表示されているのに、取り乱したサーチは気付くこともなく生命永遠保持機構の建物から視線を離さない。


「永久0246年です」


 中央コンピュータがサーチに告げる。やっとサーチは目を閉じて思い出したことを何度も繰り返して確認する。そして首を大きく振るとさっきよりさらに大きな声を出す。


「本当に永久0246年なの?あの月はその時代の月に違いないの?」


 ホーリーがサーチに近づいて心配そうに見つめる。ノロもサーチから視線を外さない。


「そうです」


 中央コンピュータの声だけが響く。

 

[410]

 

 

「もし永久0246年なら、リンメイがあそこで生体内生命永遠保持手術をしているはずだわ」


「生体内生命永遠保持手術?」


 ノロがサーチにたずねる。


「リンメイが考案した胎児を出産する方法で、生まれてくる赤ん坊に母胎内で生命永遠保持手術を施すの」


「そんな無茶な!」


「ところが、その赤ん坊はすべて遮光器土偶に変態してしまったの」


「すべて?」


「リンメイは八回、手術したわ。そのうち一体はすぐに死んだ」


「残りの七体の赤ん坊はどうなった?」


 ノロがサーチに詰めよる。ホーリーがケイレンして動けないサーチに近づく。


「地球に空間移動して人間を次々と殺して巨大土偶に成長した。それをミトが防衛したんだ!『大人と子供の戦争』、前に話したことがあるだろう」


 ノロがうなずくとそばにあるマイクを取りだす。


「時空間移動装置格納室。ノロだ」


「こちら時空間移動装置の格納室」

 

[411]

 

 

「例のこわれた時空間移動装置に変化はないか」


「ありません」


「数を確認しろ」


「七基、すべてあります」


「なに!六基だろ。もう一度確認しろ」


「七基です」


 ノロはもちろん誰もが信じられないという表情をするだけで声も出ない。


「イリ、格納室をメイン浮遊透過スクリーンに映してくれ」


 全員、メイン浮遊透過スクリーンをじっと見つめる。


「なぜだ!なぜ七基あるんだ」


 ノロは泡を吹いて倒れて大の字になる。イリがあわててノロの横にヒザを着く。しかし、ノロは口をぬぐうと不気味な表情をして起きあがる。さすがのイリもそんなノロから身を引く。


――宇宙の地平線に投げだしたはずの一基が舞い戻っている。七基、七体の赤ん坊……


 ノロがメイン浮遊透過スクリーンに向かって叫ぶ。


「格納室!何か、変化があったらすぐに知らせろ!」


「わかりました」


 ノロはしっかりと足を床に着けて満足げな表情をする。

 

[412]

 

 

「リンメイが生体内生命永遠保持手術をしたデータはないか」


「ありません」


 中央コンピュータが即答する。続いて混乱がおさまったノロを見てホーリーが答える。


「データは地球の中央コンピュータが持っているはずだ。しかし、なぜ七基……」


 ノロがホーリーの言葉を遮断する。


「俺のカンが当たっているかどうか、確認するためにそのデータが必要だ」


「それにリンメイにも聞きたいことがあるんでしょ」


 サーチがしっかりとノロの前に立つ。


「そうだ。リンメイには聞きたいことが山ほどある。今回はリンメイに直接聞かなければならない。かといってここを離れるわけにはいかない」


 サーチを見つめるノロの言葉に気迫がこもる。


「頼みがある。時空間移動装置で俺たちの現実時間の地球に行って、生体内生命永遠保持手術のデータとリンメイをここへ連れてきてくれないか」


「ノロは何に気付いたの?教えて!」


 サーチが全員の疑問を代表してノロの口元まで詰めよって哀願するとノロは背中を向ける。


「今は言えない。しかし、巨大土偶の謎を解き明かすことになると思う。そして瞬示と真美の謎にも迫ることができるかもしれない」

 

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 小さなノロがこんなにも大きく見えることはない。


「頼めるか」


 フォルダーがホーリーとサーチにたずねる。


「もちろんだ」


 背中を向けていたノロが振り返って両手を高くあげるとホーリーに抱きつく。


「やっぱり、俺たちは同期の桜だ」


「おまえ、古い言葉をよく覚えているな」


「貴様とおーれとは同期の桜……」


 ノロは機嫌良く、しっかりと音程を無視して歌いだす。誰もが耳をふさぐ。


「ブラックシャークにもノイズ室を造る必要があるわ」


 イリがノロの口をふさぐ。極限まで達していた緊張感がノロの歌でウソのように消えてしまう。

 

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