第五十四章 ブラックシャーク誕生


【時】永久0070年(フォルダーの回想)

【空】ノロの惑星

【人】ノロ フォルダー イリ MY28

 

***

 

「想像していたよりすごい海賊船だな」

 

「当たり前だ。俺の最高傑作だぞ」

 

 フォルダーがブラックシャークを見上げる。黒い船体がふしぎなぐらいにまぶしい。宇宙戦艦は銀色でその色から想像できるように機能的な姿をしている。後部が少し絞られた細長い砲弾のような形をしていて前方にシンプルな艦橋が飛びだすように鎮座している。

 

 時空間移動船も銀色だが大量の人間や物資を運ぶことを目的としているため、ずんぐりとしていて上下を強調したデザインを採用している。

 

 それに引きかえ、ブラックシャークは鮫をイメージしていて、太く強調された背びれが艦橋で、背中に当たる部分に十数本の主砲を持つ。あえて言えば古い時代の戦艦に似て、とても宇宙を自由自在に航行するようなイメージからほど遠い。

 

「さっそく、試運転だ」

 

 ノロがはしゃぎだすとフォルダーも同調する。

 

[44]

 

 

「楽しみだ」

 

 しかし、ノロは意外な言葉をフォルダーに向ける。

 

「試運転は俺ひとりでやる」

 

 フォルダーが驚いて視線をブラックシャークからノロに向ける。ノロは満足そうな表情を浮かべてメガネの奥で笑う。

 

「ひとりで操船できるのか」

 

「当たり前だ。俺の身体の一部のようなものだ」

 

 そんなふたりの会話も知らずにイリがにこやかに声をかける。

 

「完成祝いはどう?」

 

「賛成、賛成、大賛成!」

 

 ノロがおおげさに喜んでイリの手を握る。

 

「と言っても、例の居酒屋で祝宴をあげるだけなの」

 

「十分だ、十分だ。飲むぞ!」

 

 ノロはまわりの人間やアンドロイドに大声を出す。

 

「おまえ、酒は飲めないだろ」

 

「そんなことはない。ブラックシャークが完成するまで禁酒していただけだ。行くぞ」

 

 ノロはこれ以上うれしいことはないという表情をしてイリといっしょにエアカーに向かう。

 

[45]

 

 

そして振り返ると造船所にいる全員に向かって大声をあげる。

 

「みんな、いっしょだ。俺のおごりだ!」

 

「わーっ」という歓声があがる。得意気なノロが笑顔のままイリにたずねる。

 

「あのちっぽけな居酒屋には、とてもじゃないけれど、全員入れない。どうしよう」

 

 耳元でイリの声がする。

 

「大丈夫よ。店の前に振舞の樽酒を山積みしておくようにマスターに頼んでおいたわ」

 

「気がきくなあ。フォルダー何をぐずぐずしているんだ。おまえ、いつの間にのろまなフォルダーになったんだ」

 

 フォルダーが運転席のイリに苦笑いしてからノロとともにエアカーに乗りこむ。

 

***

 

「大丈夫か?おまえ、もう十杯は飲んでいるぞ」

 

「だーじょーぶ、だーじょーぶ。じぇんじぇん問題なし」

 

 フォルダーは一口飲んだだけでグデングデンになるノロしか知らなかった。人間はもちろんのことアンドロイドまでが酔いつぶれている。

 

「フォルダー、もう一度人生をふりだしからやり直せるとしたら……」

 

 ノロがカウンターに顔をくっつけてフォルダーを見すえる。その言葉は先ほどまでと違ってふしぎなほど明瞭だ。

 

[46]

 

 

「そのとき……そのとき、それまでの記憶を消さずにやり直せるとしたら、そーするか」

 

 一滴の酒で酔っぱらって泥のように眠るいつものノロではない。それだけでも驚きなのに、フォルダーはノロの哲学じみた質問をなんとか酒とともにのみこむ。

 

「俺が言ってること、わかるか」

 

「ああ、俺なら記憶を消さずにやり直す方を選ぶ」

 

「そうか、そうなんだ。そうしないと同じ失敗をするもんな」

 

「ノロは?」

 

「俺はじぇったい反対!経験も記憶もじぇーんぶ消して生まれ変わる方を選ぶ」

 

「なぜ?」

 

 ノロはコップに残った酒をチビチビと飲みはじめる。

 

「感動できなくなるからだー」

 

 ノロほどではないにしろ、かなり酔ったフォルダーには理解できない。

 

「ファーストキスしたときの感激は二度と味わえない。記憶が邪魔するんだ。二回目のキスも三回目のキスもファーストキスほどの感激はない」

 

「だけど、今までの経験……出会ったこと、別れたこと、成功したこと、失敗したこと、すべてムダとはいえないだろう。逆にすべて貴重な経験だ」

 

 

「それはそれ。まったく新しい体験をするんだ」

 

[47]

 

 

「そうか」

 

 フォルダーは一応納得するが、すぐにノロを見つめなおす。

 

「ところで、おまえ、キスしたことあるのか」

 

 ノロはメガネの奥から小さな目を精一杯見開いて怒るような口調で大きな声をあげる。

 

「あるもんか!」

 

「だったら、記憶を消さずに生まれ変わってもいっしょじゃないか」

 

 ノロが飲みかけの酒をぷわーと吐きだす。

 

「そういうたぐいの問題ではない!」

 

 手足をバタバタさせてノロがわめきだす。

 

「俺は断固、記憶をじぇーんぶ消して生まれ変わるのだ」

 

 ノロはそう言うとカウンターに顔をぶつけるようにうつぶせになる。

 

「ノロ!大丈夫か」

 

 フォルダーは自分の言葉に若干、後悔の念を覚える。

 

「俺はじぇったい、じぇんぶ消して……」

 

 この言葉のあとをノロのいびきが引き継ぐ。隣で黙って話を聞いていたイリは自分が羽織っていたカーディガンをノロの背中にかける。

 

 

「酔ってるからって、キスの話は少し言い過ぎね」

 

[48]

 

 

 イリがフォルダーに視線を向けずにたしなめる。

 

「気にするようなノロじゃない」

 

 フォルダーもイリも最後の力をふりしぼって冷静さを呼びもどす。

 

「男同士の話はときどきわからないことがあるわ」

 

「イリ」

 

 フォルダーが言葉を切る。

 

「なに?」

 

 イリがだるそうにフォルダーにうつろな目を向ける。

 

「イリはノロの恋人じゃないのか」

 

 イリが顔をほんの少しだけ傾けてほほえむ。

 

「恋人にしてくれないの。かといってほかの女性と付きあってはないみたい」

 

 しばらくすると酒の頂上を征服したと誤解した者すべてが経験する事態が訪れる。酸欠状態となった登山家のように山の頂上から深い眠りの谷に落ちていく。

 

***

 

「イリ!」

 

 フォルダーがカウンターにうずくまったイリの肩をゆさぶる。イリは顔をあげてぼんやりとフォルダーを見つめる。

 

[49]

 

 

「ノロがいない!」

 

「えー」

 

 居酒屋をあとにしたフォルダーをイリがふらつきながら追いかける。フォルダーが店先ではるか彼方をぼう然と見つめている。イリは視線をフォルダーの視線に合わせる。その先には造船所がある。そこにあるはずのブラックシャークの勇姿が見えない。ふたりは黙ったままいっしょにエアカーに乗りこむ。フォルダーが力いっぱいアクセルを踏みこむ。

 

「アイツ、あんなに酔っぱらっていたのに」

 

「試運転に出かけたんだわ」

 

 フォルダーはそう思いたくなかったが強くうなずいてみせる。すぐ造船所に到着する。

 

「おい」

 

 フォルダーが造船所の入口のだれかれ、お構いなしに声をかける。

 

「ノロを見なかったか!」

 

 フォルダーは押し倒しそうな勢いでひとりの男の胸ぐらをつかむ。

 

「ほんの一時間ぐらい前にふらふらしながらやって来てブラックシャークの試運転に出発しました」

 

「なぜ、止めなかった。酒気帯び運転じゃないか」

 

 

「止めたのですが、命令だと言われたので」

 

[50]

 

 

 複数の答えが返ってくる。最後に答えたのはMY28だった。

 

「酒気帯びなんて軽い状態ではありません。最悪の泥酔操縦です」

 

 フォルダーが頭から湯気を出して今度は大柄のMY28の胸ぐらをつかむ。一方、イリは取り乱さない。

 

「大丈夫。ノロが造った船よ」

 

 イリは乱れた長い髪の毛を指ですくと束ねる。

 

「しばらくすれば『完璧だ』と叫びながら戻ってくるわ」

 

 フォルダーは二日酔いで焦点の定まらない視線をイリに向けて激しく首を振る。

 

「何かが起こる」

 

 フォルダーはイリから視線を外すとどこまでも青い早朝の空を眺める。イリとフォルダーの頭の中ではガンガンガンガンという二日酔いの音がいつまでも響く。

 

***

 

 フォルダーはノロの家の図書室の床に仰向けになって天井を眺める。カンカンカンカンという規則正しい靴の音に上体を起こす。女の足音だ。

 

「ブラックシャークが戻ってきたわ」

 

 イリの声がフォルダーの頭に突きささる。ブラックシャークが消えてまる一日以上たった。

 

 

「造船所か!」

 

[51]

 

 

「いいえ、砂漠に着陸しているわ」

 

 イリが背中で返事をして再び規則正しい靴の音を残して外へ走りだす。

 

「また、砂漠か」

 

 フォルダーが飛び起きるとその音を全速力で追いかける。イリがエアカーの運転席に座るのとフォルダーが助手席に座るのがほぼ同時になる。

 

「いつ戻ってきた?」

 

 エアカーが浮くと、すぐフルスピードに達する。

 

「数分前よ」

 

 事態が重大なことを示すようにまわりに数台のエアカーが見える。運転席のスピーカーから緊張した声が流れる。

 

「ブラックシャークの船底のドアが開きません。内側からロックされています」

 

「もう四、五分でそちらに到着します。それまでになんとか開けて!」

 

 イリの横顔に不安のケイレンが走る。

 

「ブラックシャークに直接通信することはできないのか」

 

「もう何度も試みているわ」

 

「返事がないのか」

 

 

 イリが一回だけうなずく。

 

[52]

 

 

「ノロ、何があったんだ」

 

 フォルダーが弱々しくつぶやく。ノロの惑星を照らす太陽が赤く染まりながら砂漠に落ちようとする。その太陽を背にして小高いところに細長い黒いものが見えはじめる。

 

「ブラックシャーク」

 

 イリが少しだけハンドルを修正する。エアカーは砂じんを巻きあげながらブラックシャークを目指して一直線に進む。普段は風が強くて砂嵐が吹き荒れるこの付近一帯が今は妙に静かだ。

 

「ノロ、悪い冗談はやめて」

 

 イリはこらえきれなくなったのか鼻声になる。フォルダーはだんだんと大きく見えてくるブラックシャークに目をこらす。どうやら損傷はないようだ。

 

「『やあ』なんて言って降りてきたら、ぶっとばしてやる」

 

***

 

 フォルダーがイリの手を引いて砂に足を取られながらブラックシャークの船底に近づく。

 

「ここが出入口です」

 

 外からはドアがどこにあるのか検討もつかない。どこを見ても一様に黒光りしている。

 

「ノロ!」

 

 イリとフォルダーがあらん限りの声をあげる。その声に反応するかのように船底に一筋の線が浮かびあがる。その線の両端から新しい線が垂直に進むと最終的に正方形となる。そしてその部分が音もなく押しだされて船外にはみ出す。誰もが「おお!」と声にする。

 

[53]

 

 

 フォルダーが無言でイリの手を引いて中に入る。真っ暗だった船内が一瞬にしてまぶしいぐらい明るくなる。同時に乾いた声がする。

 

「そのまま、まっすぐ進んでください」

 

「ノロ!ノロなの?」

 

「ノロの声じゃない」

 

「イリとフォルダー以外の者は乗船しないように」

 

 再び乾いた声が船内に響く。フォルダーが振り返って自分たちを追って乗船しようとする者を制止する。不満の声が充満するが、フォルダーは無視して船内をイリとともに歩きはじめる。

 

しかし、ふたりのうしろのドアは閉まる気配がなく開いたままだ。

 

「みんな、ここで待機して」

 

 イリが背中で伝えると先ほどまでの不満の声がさっと消える。誰もがイリとフォルダーの後ろ姿を心配そうに見守る。やがてふたりの姿が外から見えなくなる。

 

「この方向には中央コンピュータ室があるわ」

 

 ふたりは誘導されるように通路を進む。その都度隔壁が音もなく横にスライドしては閉じる。

 

「寒いわ」

 

 

 フォルダーも同感だと言わんばかりに少し肩をあげて相づちを打つ。

 

[54]

 

 

「腐敗を防ぐために艦内の温度を下げています」

 

「腐敗?」

 

 フォルダーがいやな予感を持つ。

 

「ノロはどこにいる?」

 

 返事はない。再び目の前の隔壁がスライドする。そこはかなり広い部屋で黒い円筒形の物体が様々な光を出している。イリとフォルダーが隔壁を通過する。

 

「ここは中央コンピュータ室よ……あっ!」

 

 視線を落としたイリが絶叫する。

 

「ノロ!」

 

 床に両手両足を広げてノロが仰向けに倒れている。イリがかけよるとフォルダーも追従する。医師としてのイリの直感が死を確信する。

 

「ノロー」

 

 いったん泣きくずれるが、すぐにヒザを立てるとノロの手首を握る。

 

「冷たい!」

 

 イリが身を引く。

 

「どうしたの?どうしたの!」

 

 

 イリがノロの開いた目をまじまじと見つめる。笑っているようにも見える。フォルダーもヒザを落として間近でノロを見つめる。

 

[55]

 

 

――死んでいる!

 

 声を出さずフォルダーも確信するが、すぐさま中央コンピュータに向かって叫ぶ。

 

「どういうことだ?何があった!」

 

 フォルダーはこみ上げる涙がこぼれないように中央コンピュータを見上げる。

 

「遺体を引き渡すように命令されています」

 

「遺体……ノロが死んだ?」

 

 医師であることを完全に放棄したイリはかろうじて床に両腕を立てて身体を支える。

 

「誰に?誰が命令したんだ!」

 

「ノロです」

 

 中央コンピュータがフォルダーの後半の質問にだけ答える。

 

「なぜ、ノロは死んだ!」

 

「死んだ……ノロが死んだ……」

 

 イリはフォルダーの声の一部を意識せずになぞる。

 

「言えません」

 

 中央コンピュータの冷たい声にイリの唇は震えるだけで言葉を出せない。

 

 

 フォルダーが天井に向かって叫ぶ。

 

[56]

 

 

「なぜ!なぜ言えない!」

 

「言えません」

 

「言えないということは知っているということじゃないか!言え!」

 

 強い調子のフォルダーの言葉に中央コンピュータは同じ言葉を繰り返す。

 

「言えません」

 

「人間の命令だぞ。答えろ!」

 

「男同士の約束です。言えません」

 

 フォルダーとイリはあ然として天井の黒い円筒形の中央コンピュータを見つめる。

 

「おまえは……男のコンピュータなのか」

 

「いえ、それは、いえ、コンピュータに性別はありませんよね。とにかく約束したのです。ノロと」

 

 ふたりがまじまじと中央コンピュータを見上げる。

 

「もういい!蘇生するわ」

 

 再び医師の本能を取りもどしたイリが立ちあがって叫ぶ。

 

「外傷はない!なんとかなるかもしれないわ!」

 

「だめ、いや無理です」

 

 

 中央コンピュータの言葉が揺れる。

 

[57]

 

 

「死後どれぐらい経過したの?」

 

「えー、あの……」

 

「早く答えなさい!」

 

 イリの声が天井をつらぬく。

 

「二十時間……」

 

 やっと中央コンピュータが返事をする。イリはがく然として目をおおう。

 

「二十時間も……生命永遠保持手術の効果は完全に消滅している。とても蘇生は無理だわ」

 

 イリは両目を解放して自由に涙を流す。しかし、電気に打たれたように立ちあがって中央コンピュータに激しく迫る。

 

「どうして二十時間も放置したの!なぜ介抱しなかったの!」

 

「それは……」

 

 中央コンピュータのうろたえる声が途中で消える。

 

「イリ!離れろ。ノロから」

 

 驚いてイリは視線をフォルダーに移すが、涙でフォルダーの顔がゆがんで見える。

 

「ノロを瞬間冷凍するんだ。中央コンピュータ!この部屋の温度をもっと下げろ」

 

「フォルダーの命令を実行します」

 

 

 これまでと違って中央コンピュータの反応が素早くなる。すぐに中央コンピュータ室の壁から白い冷気が吐きだされる。フォルダーがイリの手を引っ張って中央コンピュータ室を出ると

隔壁が閉まる。

 

[58]

 

 

「どうするつもりなの」

 

 涙を止めてイリがつんのめりながらフォルダーについていく。

 

「通信機を持っているか」

 

「ええ」

 

「すぐに瞬間冷凍できる装置を手配するんだ」

 

「ノロを凍らせてどうするの」

 

「わからない。とにかくノロの肉体を保存するんだ。確信はないが、蘇生技術が発達すればなんとかなるかもしれない」

 

「瞬間凍結装置ならブラックシャークの医療設備室にあるわ」

 

 イリがスタートを切るランナーのような姿勢をする。

 

「なぜ、そんな装置がブラックシャークにあるんだ?」

 

「戦闘で海賊が重傷を負ったときに瞬間凍結して治療するためよ。でも二十時間も心臓が停止していてはどうにもならない」

 

「わかった。とにかくそこへノロを運ぼう」

 

 

 イリはフォルダーのかすかな希望を心の中で増幅させて、フォルダーの言うとおりにするのが使命だと決心する。フォルダーの手をふりほどいて左肩の赤いボタンを押すとマイクが口元に伸びる。

 

[59]

 

 

 

「医療設備室に四、五人、人をよこして」

 

 イリがそう指示すると走りだす。

 

 イリの後ろ姿を眺めながらフォルダーの脳裏に疑問が生まれる。イリは迷うことなく隔壁を通過しながらまっしぐらに目的の部屋に向かう。医療設備室と書かれたドアが横に音もなくスライドする。

 

「あれが瞬間凍結装置よ」

 

 イリは装置に近づくと、すぐさま電源を入れてコントロールパネルのスイッチやボタンを忙しそうに押したり回したりする。同時に口元のマイクで指示を出す。

 

「G13の隔壁を通過して!その次はK02よ。そこまで来たら連絡して!」

 

 フォルダーがイリの的確な指示を目の当たりにして驚く。

 

「フォルダー、そのカバーをあげて。そこにノロを収納するの」

 

「わかった」

 

 フォルダーは人間ひとりが入れるほどの透明なカプセルの横にあるボタンを押す。ウイーンという音とともにカバーがあがる。

 

 

「オーケー。準備が整ったわ。

 

[60]

 

 

「イリ、質問があるんだ。今、いいかい?」

 

「待って、フォルダー」

 

 イリに通信が入る。

 

「K02に到着しました」

 

「そこを右に曲がってY22まで進みなさい。その左側の隔壁は開いています。そこに私がいます」

 

 フォルダーはイリの指示が終わったことを確認すると質問を再開する。

 

「まるでイリはブラックシャークに何度も乗ったように船内のことがわかるんだな」

 

「ノロが書いたブラックシャークの設計図は私が手直ししたのよ。医療関係の部屋は私が直接設計したし、積みこむ設備や機材も私が選定したわ。いっしょにブラックシャークで宇宙を航海することを楽しみにしていたのに……」

 

 再びイリの目から一気に涙がこぼれる。

 

「すごいじゃないか。イリは」

 

 フォルダーにとって精一杯のなぐさめの言葉だ。

 

***

 

 担架に乗せられたノロの死体が運ばれてくる。

 

 

「そのカプセルへ。いえ、待って。その前にノロを裸にして」

 

[61]

 

 

 すぐにノロは丸裸にされてカプセルに入れられる。カプセルが閉まると同時に白い気体が充満する。イリは何も見えないカプセルの中をのぞきこむ。イリの止めどもない涙がカプセルに落ちた瞬間雪の結晶のように凍る。

 

「数分で完全に冷凍されるわ」

 

 イリは涙を拭くこともせずにフォルダーに視線を向ける。

 

「次の指示は?」

 

 フォルダーがイリの言葉にたじろぐ。

 

「適切な場所に保管するんだ」

 

「どこがいいの?」

 

 イリの言葉にすぐ中央コンピュータが反応する。

 

「ノロはこの砂漠に埋めてくれと言っていました」

 

「砂漠に埋めろだと?」

 

 フォルダーが天井に向かって叫ぶ。

 

「はい」

 

 フォルダーは中央コンピュータ室で抱いた重大な疑問を思い出すとイリに顔を向ける。そしてイリにだけ聞こえるような小さな声でささやく。

 

 

「中央コンピュータの言動が少しどころか大変おかしいような気がする」

 

[62]

 

 

「ノロの手作りだから仕方ないわ」

 

 イリも声を小さくして答えるが、フォルダーの意図するところに気付かない。

 

「ノロは中央コンピュータまで造ったのか」

 

 フォルダーが再び重大な疑問をどこかに置き忘れたようにイリの言葉を待つ。

 

「ノロは興味のあるものはなんでも造るわ。最大の作品はこの星で、最高の作品はこのブラックシャークよ」

 

 カプセルの内側に白いベールをまとったノロが現れる。

 

「あっ、メガネを取るのを忘れてたわ」

 

 しまらない口元がまるで笑っているように見える。イリがフォルダーと異なる疑問を中央コンピュータに向ける。

 

「ノロの死因はなんなの。外傷がまったくないわ」

 

「それは……」

 

 イリが背筋をシャンと伸ばして天井に向かって大きな声をあげる。

 

「どうしたの!答えなさい!」

 

「私はやはり男です。男同士の約束を破るわけにはいきません」

 

「なぜ?死因も教えてくれないなんて残酷だわ」

 

 

「約束です」

 

[63]

 

 

 イリが中央コンピュータを追求することさえ忘れるほどのショックを受ける。フォルダーは腕を組んで中央コンピュータの声がする天井に埋めこまれたクリスタル・スピーカーをにらみつける。

 

「ノロの家まで運びなさい」

 

 イリは当惑しきってどうにもならない現実に打ちひしがれているのに、声だけはしっかりと出す。しかし、中央コンピュータがイリに抵抗する。

 

「砂漠に埋めろと……」

 

 イリが中央コンピュータの抵抗を押さえつける。

 

「命令です。ノロの家まで移動しなさい」

 

「……わかりました。ノロの家に移動します」

 

 

 フォルダーが腕組みをとくとカプセルに視線を移して首を大きく傾げる。

 

[64]