第六十五章から前章(第六十九章)までのあらすじ
フォルダーはカーン・ツーの姑息な作戦に激怒するが、ノロは大量の恐竜のステーキを与える代わりに自立をうながす。
ノロはふしぎな本を披露して瞬示と真美の謎に挑む構想をぶち上げる。まず摩周湖で七基の時空間移動装置を回収すると鍵穴星に時空間移動する。そして宇宙の地平線をはさんで六次元の世界と三次元の世界が共存していることに気付く。回収した時空間移動装置を宇宙の地平線に投げこむと膨大なエネルギーが押しよせてきて、ブラックシャークは強制的にリンメイが生体内生命永遠保持手術をしていた時代の月に時空間移動させられる。
ホーリーがリンメイを連れてブラックシャークに戻ってくる。格納室から回収した時空間移動装置が一基消えると、月の生命永遠保持機構本部の建物に向かう光線が現れる。月にいるリンメイの行為とノロの目の前にいるリンメイの話から六次元の生命体が生体内生命永遠保持手術に介入したことがわかる。
ノロは古本屋の店主が大僧正ではないかと考えて大僧正をブラックシャークに呼びだす。しかし、店主が大僧正の双子の弟の最長であることがわかるとノロは最長の出現を待つ。
[466]
【時】永久0289年
【空】大統領府空澄寺ノロの惑星
【人】ノロ フォルダー イリ ホーリー サーチ 住職 リンメイ 瞬示 真美
ミリン ケンタ 五郎 一太郎 花子 Rv26 MY28 MA60
***
「あれは」
ブラックシャークのメイン浮遊透過スクリーンには廃墟と化した大統領府のまわりで動かなくなった赤茶けたアンドロイドが数多く見える。
「Rv26は無事だろうか」
ホーリーは娘のミリンより先にRv26のことを心配する。
サーチがミリンと無言通信で連絡を取る。ミリンからの返信を受けると、住職が五郎に、リンメイがケンタに無言通信を送る。
{みんな無事です。空澄寺に身を寄せています}
次々と無事を告げる無言通信が返ってくる。
{そちらへ行く}
ホーリーが五郎に無言通信を送るとノロを初め全員にその内容を伝える。
[467]
「悪いことが起きていなければいいのだが」
危惧するホーリーにノロが簡潔に答える。
「安心しろ。最悪という事態はこの世の中に存在しない」
ホーリーはなぜノロがこれほどまでに事態を正視しながら楽観的に物事を見つめることができるのかふしぎに思う。自分もかなり楽天家だと思っていたが、ノロのそれとはレベルが違うことに改めて気が付く。
真っ先にブラックシャークから時空間移動装置で空澄寺に向かったのは住職とリンメイだった。ホーリーとサーチは今後の行動方針をノロやフォルダーと相談するためにブラックシャークに残っている。しかし、ノロにたずねたのはイリだった。
「これから、どうするの」
「さっき言ったばかりじゃないか」
「本当に両生類やは虫類を捕まえるの?」
「そうさ」
「じゃあ、ブラックシャークはヌルヌルの動物でいっぱいになるの」
イリが肩をすぼめてから首を弱々しく横に振る。
「ノロの方舟を使うから安心しろ」
「私、やっぱりイヤだわ」
[468]
「結構可愛いし、うまそうなヤツもいっぱいいる」
「私、ノロの惑星に帰るわ」
ノロはまるで昆虫採集に行く子供のようにはしゃぐ。
「そんなことをしていたら、大僧正の弟の最長に会えないじゃないか」
イリを気づかうホーリーにノロが首を横に振る。
「俺は待ってればいいんだ。向こうから会いに来てくれる手はずになっている」
「でも、本当に現れるのかしら?」
サーチが疑問符をしっかり付けてノロを見つめる。
「最長は、それを承知で大僧正に言ったんだ。必ず会うと」
「まあ、そういうニュアンスだったことは認める」
ホーリーがノロの意見にしぶしぶ同意すると、イリがうるんだ目でノロを見つめる。
「玉子焼きを作ろうと卵を割るたびに亀が出てくる夢にうなされるなんてイヤだわ」
ノロが大きな声で笑うと背伸びしてイリの肩をたたく。
「ヘビよりましじゃないか」
そのとき、空澄寺に到着した住職からホーリーに無言通信が入る。
{奇妙なことが起こっている。すぐにこちらに来て欲しいのじゃが}
{わかりました}
[469]
ホーリーが住職の無言通信の内容を披露するとサーチをうながしながら、フォルダーに空澄寺へ行くために時空間移動装置を借りる旨を伝える。
「何か困ったことが起きたらなんでも言ってくれ」
フォルダーがホーリーとサーチの肩を同時にたたく。ノロも大きくうなずいてからイリに向かってうれしそうに誘う。
「さあ、カエルやトカゲを捕まえに行くぞ」
イリとふたりで酒を飲もうと言っていた中央コンピュータも元気な声を出す。
「捕獲リストを作成しました。このリストに従ってもれのないように捕獲しましょう」
サーチが心配そうにイリに言葉をかける。
「イリはどうするの。よかったら私たちといっしょに来る?」
返事もせずにイリがノロの前に立つと、ノロの頭の真上から大声をあげる。
「あのときのウナギみたいに変なものを背中に入れたら承知しないわよ」
「あれは、偶然、偶然。捕まえたと思ったら手がすべって、仕方なかったんだ」
「どうだか。ずいぶん大笑いしてくれたわね」
「あれは心配のあまりの声でして、決して笑ったのではありません」
「もうあんなことしないって、約束する?」
「する、する。じゃあ、とりあえず亀を捕まえに行こう。アイツはのろまだから捕まえやすい。さあ、ノロの方舟へ行くぞ」
[470]
ノロは上機嫌で艦橋を出て時空間移動装置格納室に向かう。そのノロの背中を機嫌をそこねたままイリが追いかけながら再び大きな声を出す。
「のろいのは亀じゃなくって、ノロだわ」
サーチが笑いながらホーリーの耳元でささやく。
「イリはどうしようもないぐらいノロにほれているのね」
「女から見てノロに魅力を感じるか?」
ホーリーが真顔でサーチにたずねる。
「さあ」
サーチは笑うだけでホーリーの腕を取って艦橋の出入口に向かう。その後ろ姿を見つめながらフォルダーが一息つく。
「やっと、静かになる」
***
「ごめんなさい。すぐに来られなくて」
頭を下げるホーリーとサーチを住職とリンメイが空澄寺の正門に案内する。
「あれを見てくれ」
住職がふたりをうながす。寺の正門に人が集まって誰かの話を熱心に聞いている。
[471]
「住職の門下の僧侶が説法をしているの?」
「アンドロイドじゃ」
住職が不機嫌そうに答える。
「アンドロイドが?」
「そうなの」
リンメイが住職の代わりに返事をする。
「ついにアンドロイドが神、いいえ、仏という概念を持ったのよ」
住職がリンメイの言葉に複雑な表情をする。ホーリーが住職の気持ちを代弁する。
「前線第四コロニーの中央コンピュータが神だと名乗ったのを知っているから、まだ平常心を保つことができるけれど、絶対的にキャパの小さいアンドロイドが自ら神と、いや仏だと名乗ることがあれば、その驚きは巨大コンピュータの比じゃないな」
ホーリーの的確な表現は、住職だけではなく、ここにいる全員の驚きを代弁した。ホーリーの言葉に反応する影が現れる。一太郎と花子とRv26だ。ホーリーがRv26の姿を見てほっとすると、白い長い髪の毛を黒いヒモで束ねた一太郎がホーリーたちを見つめる。顔に刻まれた深いシワは威厳に満ちて年老いた腰は曲がるどころかまっすぐに伸びて、ただでさえ長身の一太郎が迫力ある大木のように見える。
「いつ地球に?」
[472]
ホーリーの言葉を無視して一太郎が目を閉じると口を開く。
「僕は根本的に間違っていたのかもしれない」
一太郎の声は低いが力がこもっている。つれそう花子は目を細めて一太郎を見つめる。
わずかな時間の流れの中で一太郎と花子の姿が驚くほど変化している。もはや空澄寺の正門で説法しているアンドロイドの存在感など、まったく感じられないほどの圧倒感をふたりは保持している。永遠の命を持つ住職が思わず花子に手を合わす。
「弥勒菩薩じゃ」
花子はもちろん一太郎も生命永遠保持手術を受けていない。もう、かなりの年齢だ。それでもふたりの身体からはなんとも言えない気持ちのいい光がまわりを包んでいるように誰もが感じる。それでいてその光は誰にも見えない。
ホーリーが初めて傷だらけのRv26に気付いてその身体をなでる。
「ホーリー、心配してくれているのですね。感激します」
Rv26がうれしそうな表情をする。最新型のアンドロイドは表情が豊かになっているが、もう何百年も前に製造されたRv26は表情を変えることができないはずなのに、明らかにほほえんでいる。
「わしらがこの寺を離れた間に、何が起こったのじゃ」
住職がRv26に説明を求める。
[473]
「事件というより小さな変化が連続的に生じました。それが徐々に進行してまさに目に見える形になったのです」
「ここではなんじゃ」
住職は空澄寺の正門から境内に向かうようにうながす。まずリンメイが黙って住職の背中を追う。そのあとをホーリーとサーチ、そしてRv26が、最後に一太郎と花子がゆっくりと追従する。
住職は小さな島を持つ池にかかる短い石橋を渡りはじめる。ほんの数メートルで島にたどり着く。島には人が十人程度座れるような平たい白濁した緑色の岩が円を描くように配置されている。誰も言葉を発することなく身近な平たい岩の上に腰かけると、白濁した緑色の岩が透きとおるような濃い緑色に変化する。
「よかろう。Rv26、話を始めてくれ」
住職がまだ立ったままのRv26をうながす。
「ワタシから説明させていただいていいのでしょうか」
Rv26の一歩引いた言葉が一太郎をとらえる。Rv26以外はすべて人間だ。
「僕から言いたいことは今起こっていることではない。Rv26の話を先に聞きたい」
一太郎が耳に手を当てる。
「ワレワレアンドロイドは一太郎と花子が開発した言語処理プログラムのお陰で人間の思考をシミュレートして、意識を持つようになりました」
[474]
Rv26が一太郎をじっと見つめながら、間合いを計るように言葉をおさめる。一太郎がその間合いに苦しみながら言葉を出そうとするが、タンが絡んでせきこむ。
「あなた、大丈夫?」
花子が背中をさすると一太郎が苦しそうに肩で大きく息を吸っては吐きだす。やっとかすれた声を出す。
「Rv26の感謝の気持ちは素直に受けとるとして、僕らが開発した無言通信を含む言語処理システムが果たして人類、アンドロイドも含めて、良い方向に貢献したのか、疑問に思う」
一太郎は先ほどまでの苦しそうな表情を消し去ると間髪を入れずRv26が明確に否定する。
「素晴らしい発明や発見は、その本当の評価が出るまでかなりの時間がかかります」
「僕はアンドロイドが宗教心を持ちはじめたことが気がかりなのだ」
一太郎がRv26を直視する。若くて血色のいい住職が腕を組むと目を閉じてRv26を見つめる。
「宗教心を持つ?ワタシには理解ができません」
Rv26も一太郎から視線を外さない。一太郎はあえぐと視線を住職にそらす。
「あるひとりの人間に教えこまれたようです。穏健なアンドロイドに宗教まがいのことを押しつけている。一部のアンドロイドは宗教を理解するレベルまで意識が高くなった。しかし、アンドロイドには死という概念がない。死の概念がないと宗教心が生まれることはないのに、なぜ宗教を信心しようとするのか、そこが理解できない」
[475]
「いや……」
住職が一太郎を制してから言葉を続ける。
「……アンドロイドは死という概念を持っているかもしれん」
「まさか」
一太郎が住職に視線を戻す。
「フォルダーが多次元エコーを地球にぶち込むと言ってアンドロイドを地球から一掃しようとした事件を覚えておるか」
すぐさま反応したのはRv26だった。
「あのとき確かにワタシたち、アンドロイドは死という恐怖感に直面しました。それまでは旧式になると解体されたのは当たり前のことだと、死を意識したことはありませんでした。しかし、今は部品を新調すれば永久に動き続けることができます。昔、人間が生命永遠保持手術で得た永遠の命と同じです。その永遠の命が消えるとはいったいどういうことなのか、興味を持つアンドロイドがいてもふしぎではありません」
Rv26がよどみなく応える。一太郎が力をふりしぼる。
「そうか。しかし、人間には死があり、そして善悪という概念がある。つまり信仰は善悪という前提のうえに成り立つ。アンドロイドには人間に仕えるという使命があるが、その使命は人間の善悪に左右されてしまう。アンドロイドは人間の善悪を見極めるだけの能力を持ったのか?」
[476]
一太郎の掘り下げた言葉にRv26がためらうこともなく返答する。
「たとえば、ウソをつくという人間特有の性質はアンドロイドにはありませんでしたが、いつの間にか体得しました」
ホーリーが思わずRv26に頭を下げて言う。
「俺がウソをつくことをRv26に教えてしまった。すまなかった」
ホーリーの言葉が話の腰を折る。住職がホーリーの肩をたたくと一太郎をじっと見つめる。
「むずかしい問題じゃ。わしも多いに感心を持っておる。議論を続けたいが、この問題はさておき……」
残念そうな表情をにじませる一太郎に小さくうなずいてから、住職が話題を変える。
「……この世界で、永遠の命を持っている人間は、宇宙海賊やノロの星にいる者は別として、ホーリー、サーチ、五郎、ケンタ、ミリン、四貫目、お松、リンメイ、そして、わしじゃ」
リンメイが住職の話題に参加する。
「そのうち地球にいる人間たちは私たちのことに気が付くわ」
「そこじゃ!永遠の命を持っていない人間は、わしらのことをうらやましく思うだろ。それがねたみになるかもしれんのじゃ。カーン・ツーが永遠生命保持手術をねだっていたとお松が言
っていたこと、覚えておるか?」
[477]
「もちろん。そうすると永遠の命を持ったアンドロイドにもねたみを抱くことになる」
ホーリーが住職の言葉を引き継ぐ。
「いえ、その前にアンドロイドの方が人間から遠ざかると思うわ」
「それで宗教まがいのものを教えて、アンドロイドの離反を抑えようとでもしているのか」
「そうかしら。もっとほかに目的があると思うわ」
サーチが軽く反論すると、ホーリーが住職とRv26を交互に見ながらたずねる。
「いったい、誰がどんなことをアンドロイドに説いて回っているんだ?」
「ひとりの男です」
答えたのはRv26だった。
「カーン・ツーか?」
「いいえ。地球連邦政府の関係者ではありません」
ホーリーがRv26の言葉を遮断する。
「情報は?」
「ありません」
「年齢もわからないのか」
[478]
「若くはありませんが、老人でもないようです」
「アンドロイドの反応は?」
「質問の意味が理解できませんが、その男の布教をアンドロイドがどのように感じているかと言うことでしたら……」
ホーリーはRv26に自分の質問が抽象的だったことをわびるようにうなずく。
「……とまどっているという表現が適切だと思います」
「いったい何を吹きこんでいるのかしら」
サーチの質問に住職が腕を組んだまま沈黙する。Rv26は答える義務があると思って薄い唇を開く。
「アンドロイドに子供を産ませることを布教しています。子供を造る重要性について熱心に布教しています」
サーチが飛びあがって驚く。リンメイもそんなサーチと想いを共有する。それは女性であるという性を超越して、自らが生命永遠保持手術に直接かかわったこと、そして男と敵対して子供を産んで育てるという母性からいったん決別した経験を思い出したからだった。そんなふたりの気持ちなどわかるはずもなく、ホーリーが短い沈黙を破る。
「不可能なのに、アンドロイドに子供を造ることをそそのかしているのか」
「いえ、不可能とは言い切れません」
[479]
「!」
Rv26の即答にホーリーが驚きのあまり言葉を失う。それは不可能ではないということを思い出したからだ。そして、Rv26がまるでホーリーの記憶を盗むように言う。
「ノロはアンドロイドが子供を造ることは可能だけれども、今はまだその時期ではないと言ってノロの惑星のアンドロイドを落胆させたという話を、あの居酒屋で聞いたことがあります」
ホーリーが首をたてに振りながら、Rv26に確かめる。
「ノロが本気になればアンドロイドに生殖機能を付加できるとフォルダーは言っていたな」
Rv26が言葉に少し含みを持たせて応える。
「多分、そうなのでしょう」
「ノロは今、何をしている?」
「イリといっしょに亀を採りに出かけたわ。ホーリー、少し冷静になったら」
「そうだった」
サーチの言葉にホーリーがうなずく。住職とリンメイがふしぎそうにサーチを見つめる。
「亀を?」
「ノロの方舟に地球の両生類やは虫類をつめこんでノロの惑星へ持って帰るらしい」
***
「あまり気持ちのいいものじゃないわ」
[480]
イリはノロの方舟の船底の出入口で次々と運びこまれる両生類をリストに登録する。そして自分のまわりがカエルやサンショウウオやイモリなどの両生類や亀やヘビなどのは虫類でいっぱいになるのを心配する。
「次のは虫類の方がもっと気持ち悪いかもしれない」
ノロが滅多にしない意地の悪い笑い方をする。
「私、休暇をもらうわ。鳥類になったら参加する。ほ乳類のときはパンダとラッコを担当するわ」
「わがままだなあ、イリは……あれ?」
ノロにホーリーからの興奮した無言通信が入る。
{アンドロイドの間で奇妙な布教をする人間がいるんだ}
{奇妙な布教?}
{アンドロイドに子供を造ることを勧めているらしい}
{!}
一瞬、ノロが絶句する。
{確かに人間なのか?アンドロイドの間違いじゃないのか}
{Rv26から人間だと聞いた。その人間から影響を受けたアンドロイドが布教に力を入れているらしい}
[481]
{ホーリーはどこにいるんだ?}
{空澄寺という住職の寺だ}
{そちらに行く}
ノロはホーリーからの無言通信の内容を手短くイリに伝えると、急にイリが明るくなる。
「やっと、こんな気持ち悪い仕事から解放されるわ」
リスト作成用の端末をオオサンショウウオと格闘している海賊の首にかける。
「交代よ」
イリはノロといっしょに時空間移動装置に乗りこむ。
「俺たちの惑星のアンドロイドでこの地球に来ている者はいるのか」
「ノロの方舟の乗務員以外のアンドロイドは地球には来ていないはずだわ」
「そうか。やっぱり人間か」
ノロの惑星にいるアンドロイドが子供を欲しがっていることをノロは当然承知している。もし、「アンドロイドにも子供を」という意見を他のアンドロイドに伝えるのならノロの惑星のアンドロイドだと考えたが、そのカンは外れた。
「誰なのかしら。でもアンドロイドはみんな、いずれ子供を造れるようになると信じているわ」
時空間移動装置のドアが閉まる。
[482]
「ノロ、フォルダーに知らせた方がいいわ」
ノロはコントロールパネルから空澄寺の空間座標を検索してセットする。
「ノロ、聞いているの?」
「そうだな。フォルダーには勝手な行動をして迷惑かけたもんな」
「フォルダーに連絡しておくわ」
***
空澄寺の池の前にノロとイリが乗った時空間移動装置がその黒い姿を現す。ドアが跳ねあがると、近づくホーリーにノロが真剣な眼差しを向ける。
「さっき言っていた人間とはいったい誰なんだ」
「わからない」
ホーリーがRv26に説明しろと言わんばかりに視線を向ける。ノロは立ちあがったRv26の身体を見て驚く。
「傷だらけじゃないか。どうしたんだ」
ホーリーやサーチはRv26の身体の傷のことをまったく忘れていた。それほどこれまでのRv26の報告が衝撃的だった。
「どちらを先に説明しましょうか」
Rv26が石橋を渡ってノロの前に進むと逆にたずねる。
[483]
「まず、傷の話だ」
「この古い傷は人間から受けた暴行によるものです」
「反撃しなかったのか」
「人間を攻撃することはできません」
ノロはRv26の答えに自信を持っていたが、思っていたとおりの答えが返ってくるとひとまず安心する。
「なぜ、暴行を受けたんだ」
「アンドロイドが子供を持ちたいなんて生意気だと言って、一部の人間がアンドロイドを見ると暴行します。ワタシは立場上、あちらこちらの暴行現場に行って騒ぎを止めようとするのですが、人間とアンドロイドの間に身体を張って、暴行されているアンドロイドの身代わりになるしか方法がないのです。ほとんどの場合、人間はすぐに暴行をやめますが、なかにはしつように憎しみを持ってワタシを蹴ったり、パイプでたたいたりする者もいます。やがて疲れ果てて暴行は止まりますが、それまで黙って耐えるしかないのです」
「ひどいわ」
Rv26の背中の方からイリとサーチが同時に声をあげる。ノロも両手を拳に変えてその拳を震わせる。
「人間を代表して謝る」
[484]
Rv26の新しい傷は説明を受けるまでもなくアンドロイドからの暴行によるものだとノロは確信すると質問を中断して内容を切りかえる。
「アンドロイドに子供を造るべきだと言いまわっている人間は誰なんだ」
「誰だかよくわかっていません。その布教の様子を撮影したデータをお見せします」
Rv26が境内に向かって歩きだす。境内の影になったところまで来るとRv26の目が明るく輝いて、ひとりの人間が数十人のアンドロイドに囲まれている立体映像が空間に映しだされる。
「この真ん中の人間です」
Rv26がその人間をクローズアップする。その男の声とともに顔がはっきりと見える。
「アンドロイドも人間と同じように子供を造ることは可能で……」
ノロがその男の顔を見て驚く。
「止めろ!」
ノロは静止した立体動画に近づいて男の顔を確認する。
「まさか」
滅多に驚くことがないノロの顔が青ざめる。しかし、声を出したのはホーリーだった。
「大僧正!」
「いえ、大僧正じゃないわ」
[485]
サーチがホーリーの叫び声を否定する。そして住職がサーチの見解を支持する。
「おそらく、最長じゃ」
立体映像ではあるが、最長がはっきりとその姿を現す。イリが、ホーリーが、サーチが、住職が、そしてリンメイがノロに視線を切りかえる。一太郎と花子が不安そうに興奮するみんなを眺める。そのときまわりが暗くなる。ノロに向かっていた視線が一斉に空に向かう。ブラックシャークだ。ノロもたのもしくブラックシャークを見上げる。しかし、ノロの表情はきびしい。
「相手は人間ではない。ついに六次元の生命体が土足で俺たちの世界に踏みこんできた」
ノロがイリにゆっくりと近づいて真下からほほえみかける。
「ノロの方舟の動物をすべて解放しよう」
「あんなに苦労して集めたのに?」
イリの真上からの抗議に、ノロは本格的に笑いながら見上げる。
「苦労したと言うより、嫌々ながらあそこまでがんばったのにと言いたいんだろ?」
「そんな言い方はないでしょ。でも、また同じことを一からやり直さなければならないのなら、もうゴメンだわ」
イリは苦笑いするがすぐに真顔になってノロの方舟の船長に無言通信で命令する。
{すべての両生類とは虫類を解放して、惑星ノロに帰還しなさい}
[486]
無言通信を終えるとイリがノロに首を傾げる。
「私たちはどうするの」
「俺たちもいったん地球を離れよう」
ホーリーがすぐに同意の言葉を口にする。
「ノロの惑星に戻るのか」
「そうだ。今回の事件を分析する必要がある」
「空澄寺を離れるのはさびしいが仕方ない。ノロの言うとおりじゃ」
住職も今回はノロの真剣な訴えにすぐさま従う。残念なことにRv26は地球に残る道を選んだ。ノロはそのことに反対はしなかった。それどころか五郎に近づくと頼みこむ。
「五郎はRv26と地球に残ってこれから先の地球のことを見極めて報告してくれないか。気になることがあるんだ。それにキャミやミトのことも気になる」
五郎が快く引きうけるとケンタとミリンが五郎に近づく。
「俺も残る。父さん、いいだろ」
「ああ、だがミリンはノロの惑星に……」
ミリンが五郎の声をさえぎって首を大きく横に振る。
「私はケンタといつもいっしょです。残ります」
ノロがミリンに近づいて何かを言おうとしたとき、ホーリーもミリンに近づく。それ以上に
[487]
サーチがホーリーを追いこしてミリンに一番近づく。
「もう、立派な大人だわ。自分で判断したのなら、そのとおりにすればいい」
「サーチ、待て」
ホーリーがサーチを制する。サーチもホーリーを制する。
「あなたが残ると言ったら、私にどう言うのかしら。」
ホーリーが苦笑いしてケンタを見つめる。
「ついてくるなとは言えないな」
ホーリーがミリンの手を握る。
「気を付けるんだぞ」
ケンタが黙ったままポケットに手を突っこむ。サーチが四貫目とお松に近寄ると四貫目が頭を下げてサーチに応える。
「我らも残る。心配は無用でござる」
ノロが四貫目を見てから順番に指をさしながら数えはじめる。
「五郎、ケンタ、ミリン、四貫目、お松、そしてRv26、六人か……」
ノロはいったん言葉を止めてから、Rv26のすぐそばまで近づくと見上げる。そしてポケットからチューブを出して手渡す。
「これを傷口に塗るんだ」
[488]
「なんですか、これは?」
「アンドロイド用の軟膏だ」
「ありがとうございます。ノロ」
Rv26はしっかりとノロの手を握りしめてまるで感極まった人間のように何度も頭を下げる。
「念のために言っておくが、その薬は水虫には効かない」
このノロの言葉に誰もが笑いだす。それまで静観していたイリが一番大きな声で笑う。握手をしているノロとRv26は明るい笑顔で別れる。Rv26が明らかに笑っている。
***
ノロの惑星に帰還するとノロは迷わず自分の家に戻る。もちろん誰もがノロに続いてノロの家に入る。ノロは真っ先に地下室への扉の横に立つと鉄製の輪を握る。ギイーという音とともに扉が引き上げられると、暗いはずの地下室からぼーっとした緑色の光がもれる。扉のまわりで様子を眺めるイリ、フォルダー、ホーリーが驚きの声をあげる。残りの者もそのうしろで同じような声をあげる。ノロは表情を変えることなくくたびれたはしごを二、三段降りて扉の横にある、地下室から見ると天井にあるスイッチを押す。地下室の中が一挙に明るくなる。
「瞬示、真美」
ノロの声が地下室に響く。イリたちが「まさか」という表情をしてヒザを着いて地下室をのぞきこむ。
[489]
「ノロ、ごめんなさい」
真美の声が奥の方から聞こえてくる。ついにサーチがたまらず悲鳴をあげる。
「本当に瞬示と真美が地下室にいるの?」
ノロはサーチの言葉を無視してゆっくりとはしごを降りると奥へ進む。
「もう、すべて教えてくれてもいいんじゃないか」
続いてはしごを降りてきたホーリーがノロのうしろに立つ。サーチも追従して窮屈そうにホーリーに身を寄せる。
瞬示が言葉を探しながらノロを見つめる。
「残念ながら、ぼくらはほとんど何も知らない」
瞬示が分厚い本を手にしている。
「この本には確かにわたしたちのことが書かれているけれど、なぜ、ここにあるの」
真美が悲しそうな声をあげる。
「ノロのお陰で最後まで読ませてもらったけれど、結局自分たちの正体に迫るヒントは書かれていなかった」
「ちょっと待ってくれ」
ノロが少しだけ取り乱す。そしてフトコロから一冊の本を取りだす。
[490]
「この本とその本は同じものか」
瞬示はノロの差しだした本をいちべつしただけで瞬間的に言葉を返す。
「同じ本だ」
ノロは瞬示の答えに期待していたが、半分裏切られたという気持ちを抱く。
「俺には部分的にしか見えない。活字が現れたり、消えたりする」
ノロはもう一冊の本を取りだす。
「これは俺が一太郎たちの協力を得て作った本だ」
ノロは惜しげもなく瞬示にその本を手渡すと、真美には最初の本を手渡す。
「事実と異なる記述があったら、教えて欲しい」
ノロは胸を張るわけでもなく、逆にへりくだるわけでもなく、誠実に瞬示と真美に頭を下げる。再び、頭をあげたノロは瞬示と真美とこれ以上会話をする必要がないと思ったのか、ホーリーとサーチの横をすり抜けるとはしごを登る。瞬示と真美もノロに続いてはしごに向かう。ホーリーとサーチは通路を開けてふたりをまじまじと見つめる。どう見たって人間そのものだし、触れれば温かい感触があるように見える。ノロに続いて瞬示と真美が床の上に現れる。
「一太郎」
「花子」
瞬示と真美が以前会ったときよりも、さらに年老いた一太郎と花子を見つめる。
[491]
「瞬示、本物の瞬示か?本当に瞬示か?」
驚いて身動きできない一太郎と花子を見て瞬示と真美が困惑しながら、ただうなずく。
「その本はいったい何を意味しているんだ」
一太郎が瞬示にたずねる。
「わからない。ノロが古本屋の主人だったころ、ここと同じような地下室で途中まで読んだ」
真美が続く。
「引きこまれるように読んだことを覚えてるわ」
落ち着きを取りもどした花子は木彫りの美しい模様のようなシワにやさしさを漂わせて真美にたずねる。
「最後まで読んだの?」
「ええ。でも途中から白紙のページが続いていたの」
「どのくらい?」
冷静になったホーリーは興味深そうに瞬示が手にする分厚い本を指さす。
「二、三十ページくらいはあった」
真美が瞬示とホーリーにうなずく。
「その本の厚さからすると、白紙のページはたいした分量じゃないなあ」
「もうすぐ、物語が終わるということなの!」
[492]
サーチが飛びあがって驚く。全員がサーチと同じ新たな驚きを持つ。しかし、瞬示と真美、そしてノロも平然としている。
「そうかもしれないし、時間がたつと文字が表れるんだろうが、いつまでたっても残りの空白のページは数十枚を維持し続けて、本の厚さだけが増えるのかもしれない」
再び大混乱に陥るみんなをふしぎそうに見渡しながら、ノロは瞬示と真美の反応を待つ。
「そうかもしれない」
瞬示がノロの意見を肯定し、真美はうなずくだけの返事を送る。
「しかし、今度ばかりはサーチの言うとおり物語の終わりがそこまで来ているのかも」
このノロの言葉に瞬示と真美が驚く。
「そのときには瞬示と真美の秘密が解き明かされるのかしら」
サーチがホーリーの腕を握りしめる。
「わかるかもしれないし、そうでないかもしれない」
ノロが瞬示と真美を見上げる。
「なんだか怖いわ」
真美がサーチと同じように瞬示の腕を握りしめる。
「これからどうするんだ?」
すぐに興奮する性格のフォルダーが意外と冷静にノロにたずねる。
[493]
「何もしない」
フォルダーが大股でノロに近づくと前に立つ。
「何もしない?おまえらしくないな」
「今のフォルダーのように、こちらに近づいてくるのを待つだけさ」
「誰が近づいてくるんだ」
「アンドロイド相手に布教していた男、最長だ」
ノロは外へ出て造船所に向かって歩きだす。誰もが催眠術にかかったようにノロのあとをついていく。瞬示と真美にはノロが巨大土偶のように見える。
***
「やあ、MY28、MA60。おそろいで何をしているんだ」
ノロはMY28と妻のMA60に声をかける。
「見てのとおりですよ。ブラックシャークの整備です」
「助かるな。MY28の整備がなかったら、ブラックシャークの調子が悪いものな。中央コンピュータは機嫌良くしているか」
「はい、整備状況をチェックしています」
「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
いつになく真剣な眼差しのノロとその後方に控えるフォルダーやイリたちの表情が硬いのにMY28が身構える。
[494]
MA60も不安そうにMY28に寄りそう。しかし、ふたりにはフォルダーやイリのうしろにいる瞬示と真美の姿は見えない。
「ブラックシャークのことですか」
ノロが首を横に振る。
「MY28もMA60も子供が欲しいか」
とうとつな質問にMY28は躊躇することなく即答する。
「もちろんです」
MA60も大きくうなずく。
「みんな、ふたりと同じ考えなのか」
ノロがふたりを交互に見つめて確認するとふたりの目が輝く。
「そうです」
「地球や完成コロニーにいるアンドロイドはどうだ」
「意識を持ってかなりの時間がたっていれば、彼らも同じ考えを持っているかもしれません」
ノロはいったんブラックシャークを見上げてからMY28に視線を落とすと、うなずいてその場にそのまま座りこむ。ノロの思考がフル回転する。イリはまたノロが大の字になって眠ってしまうのではないかと心配する。
「それにアンドロイドに子供を産ませる改造の可能性については、ウワサがウワサを呼んでアンドロイドの常識になっています」
[495]
ノロはこの言葉に強く反応して立ちあがるとMY28に座るように指示する。そうすることによってノロとMY28の目線が水平に保たれる。MA60もMY28の横に座るとMY28の腕を取る。
「もし、アンドロイドに子供ができればアンドロイドの人口は爆発的に増える。わかるか?」
「はい」
「アンドロイドの人口は増え続けるだけで減ることはない」
「はい」
「子供が、また子供を造る。そしてその子供がまた子供を造る。アンドロイドには『生』はあっても『死』はない。増え続けるだけだ」
「はい」
「子供を造る機能を持ったが最後、アンドロイドの人口は永遠に増え続けることになるぞ」
「はい」
「そうすると子供が成長して一定の時間がたてば、子供を造ったアンドロイドを解体しなければならなくなる」
ノロの飛躍的な言葉にそれまで即答していたMY28が黙ってしまう。MA60の目から涙がこぼれる。
[496]
「誰が誰を解体することになるのか、わかるか」
はっとしてMY28が立ちあがる。MA60の手がごく自然にMY28の腕から離れる。ノロはMY28を見上げる。
――子供に親を解体する義務が生じることになる
MY28が心の中で叫ぶ。それまで一言も言わなかったMA60は座ったままうなだれる。
「そんな……」
「生命永遠保持手術を受けた者ばかりのこの星の人間は長らく子供を造ったことがない。というより生命永遠保持手術を受けると子供ができないんだ。その原因はともかく、もし永遠の命を持つ者が子供を造ることができるとすれば、人口は増えるばかりだ。元々人間は地球で住めなくなるくらい人口が増加したから宇宙へ飛びだした。コロニーの開拓に着手したころ、生命永遠保持手術が発明されて子供を造る能力を失った。男と女の愛情が子供を造り、育てた時代は終わった。そのうち愛情が消滅して、憎しみだけが残ってお互いを殺し合う戦争へと暴走した」
「十分存じております。でも、人間は再び子供を造り、人口を増やそうとしています」
「なんとかな」
「それに、この星の人間は永遠の命を持っていますが、男女の仲はいいと思います」
「ここは特殊なんだ。代を重ねることなく進化したんだ」
[497]
突然、瞬示と真美が叫ぶ。
「時間島だ!」
「時間島がここに来るわ!」
「全員!ブラックシャークに!」
ノロも叫ぶ。
「急げ!」
ブラックシャークの中央コンピュータも異変に気付いたのか、船底の扉を大きく開ける。瞬示と真美ははるか彼方の上空を見つめる。黄色い時間島が空中に現れる。瞬示と真美の姿が緑色に輝くと消える。
フォルダーは船内に入ると走りながら大きな声をあげる。
「発進!。非常事態体勢に移行!」
「ついに来たか」
ノロのつぶやきがフォルダーの声にかき消される。
「最大限の攻撃態勢、防御態勢を取れ!」
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