第四十二章 第六感


【時】永久0274年

【空】大統領府

【人】瞬示 真美 ホーリー サーチ ケンタ ミリン ミト キャミ

   Rv26 五郎 カーン 住職 リンメイ 一太郎 花子

 

***

 

ミ トが地球連邦政府の大統領府執務室のドアを乱暴に開ける。

 

「私の稚拙な作戦で大変な結果を招くところでした」

 

 キャミの机の前に進みでると直立不動の姿勢でミトが深々と頭を下げる。キャミはもちろんのことミトとホーリーの報告を聞くために集まったカーン、住職、リンメイ、サーチ、ミリン、五郎、ケンタ、一太郎、花子がミトの行動に驚きの視線を向ける。そのとき瞬示と真美が執務室の隅に瞬間移動してくる。

 

 ミトが左胸ポケット上の司令官の階級章を引きちぎってキャミに差し出す。

 

「ミト、何を勘違いしているの」

 

「私は司令官として失格です」

 

[368]

 

 

「ホーリー!」

 

「お父さん」

 

 遅れてキャミの部屋に入ってきたホーリーをサーチとミリンが同時に立ちあがって迎える。ホーリーがそんなふたりを無視してミトに近づく。

 

「ミト!どうした?」

 

 ミトが振り返ると、すぐ目の前まで近づいてきたホーリーを指差して背中でキャミに訴える。

 

「彼こそ、地球連邦軍の司令官にふさわしい」

 

「何を言っているんだ!」

 

 ホーリーがミトとキャミを交互に見ながら大声をあげる。キャミは机をグルッと回ってミトの前に立つ。

 

「あなたが司令官をやめる理由は?あなたに落ち度があれば私が解任します。地球連邦政府の最高責任者は大統領の私よ」

 

「いいえ、これ以上、連邦市民や大統領に迷惑をかけることはできません」

 

「ミト、疲れているわ。西暦の世界へ行って何十年も苦労して、この世界に戻ってきたとたん、困難な任務に当たることになった。でも事件は収拾されたわ。しばらく休息しなさい」

 

「キャミの言うとおりじゃ。ミトのお陰で事件が解決されたのじゃ」

 

 住職がゆっくりと立ちあがってミトに近づく。

 

[369]

 

 

「私は無謀な作戦をたてて貴重な地球艦隊を全滅させてしまった」

 

「そうじゃない!」

 

 ホーリーがツバを飛ばしてミトの言葉をさえぎるが、ミトはホーリーを無視する。

 

「それに私は歳をとりました。判断力も鈍くなりました」

 

 住職がニヤリと笑ってキャミとミトの間に割りこむ。

 

「わしの顔をよく見てから、もう一度今のセリフ言えるかのう?」

 

 ミトは住職の顔を正視できずにうなだれてしまう。

 

「大人と子供の戦いを思い出すわ。今回もミトは立派に戦った。私はミトを誇りに思います」

 

 キャミがミトの肩に手を置く。

 

「そうじゃ、誇りを捨ててはだめじゃ」

 

「あの戦いも犠牲が多すぎました。私は何十万人という部下を犠牲に……いいえ、ほぼ全滅させてしまいました」

 

「みんな、あなたを誇りに思って戦ったわ」

 

 ミトは涙を流しながらキャミの手を払いのける。

 

「あの巨大土偶との戦いとは違って、今回、目的が達成されなかったどころか、非常に危険な状況を引きだしました」

 

 

「そうではない」

 

[370]

 

 

 今度はカーンがミトの正面に立つ。

 

「立派に巨大コンピュータの攻撃を阻止した」

 

「巨大コンピュータは無傷です」

 

「ミト、わしにこう言ったのを覚えているか?『巨大コンピュータ支配下のアンドロイドを直接、人間の支配下におけば対抗できる』と」

 

 ミトはカーンが何を言いたいのか理解しかねる。「大人と子供の戦争」と同じか、それ以上の戦闘を終えて帰還したばかりで無理もない。

 

「ミトは作戦どおりに私たちを勝利に導いてくれたのよ」

 

 キャミの言葉が切れると拍手が起こる。ミトがあ然としてまわりを見渡す。拍手が強くなると、その拍手の調子が一定の間隔を置いて「パン、パン、パン」と執務室に響く。ホーリーが、サーチが……みんな涙を流しながら両手を打ち続ける。

 

「ミト! 拳を高くあげて全人類を引っぱる姿をこれからも見せてくれ」

 

 ホーリーが叫ぶ。

 

「ミト!また希望を与えて。お願い!」

 

 キャミが大きな声をあげてミトを抱きしめる。ミトは驚きながらも逆にキャミを強く抱きしめる。

 

 

「あなたはすごいことをやりとげたのよ。わからないの。あなたは暗黒の中で一点の光を信じ

 

[371]

 

 

て立ち向かう可能性を教えてくれたのよ。決してあきらめないことの素晴らしさを……」

 

 最後は言葉にならなくなって、キャミはヒザを折ってくずれるようにミトの胸の中に顔を埋めて泣きながら、しかし、はっきりした声で宣言する。

 

「私、ミトと結婚します」

 

***

【誰もわたしたちに気付いてくれなかったわ】

【みんな、すごく興奮していたなあ】

【キャミのプロポーズ、すごかったわ!】

【あれは命令だ】

【あんな命令聞いたことないわ】

【思わず涙が出た】

【わたしなんか、号泣したわ】

 

 大統領府から少し離れた海上には宇宙戦艦が五十隻ずらりと並んでいる。瞬示と真美は心地よい潮風を受けながら夕闇に包まれた海岸を歩く。

 

【よくも、すべての戦艦の中央コンピュータが寝返ってくれたものだ】

【わたし、ミトとキャミに伝えなければならないことを言いそびれてしまった】

【何を?】

 

[372]

 

【ミトが立派に作戦を成功させた秘訣を】

【秘訣?ミトはまったく何も意識していない】

【大成功だったのに】

【はぐらかさないで教えてくれよ】

【アンドロイドの命を必死で守ったこと】

瞬示は一瞬、戸惑うがすぐに満面の笑みをつくる。

【そうか!アンドロイドの命か】

【あっ、誰かが来るわ】

 

 まだ遠いところにその誰かが姿を現す。暗くてもふたりにはそれが誰だかすぐにわかる。

 

【Rv26だ】

 

 瞬示は真美ではなくRv26に信号を向ける。

 

[そうです。聞こえますか]

 

【聞こえる?】

 

 Rv26には瞬示の信号が聞こえるのだ。

 

 アンドロイドの規格は数種類しかない。同じ規格なら記号以外に区別のしようがない。胸に「Rv26」と書かれたアンドロイドが大股で近づいてくる。瞬示は信号ではなく声を出す。

 

 

「Rv26!」

 

[373]

 

 

「回線を切りましたね」

 

 Rv26も肉声で応える。その声は以前のような機械的な声ではなく、人間と変わらない。

 

「いつも質問ばかりして申し訳ないけれど、巨大コンピュータのことを教えて欲しい」

 

「ワタシも教えて欲しいことがあるのです。先に質問してもいいですか?」

 

 Rv26が交換条件を出す。こんなことは今までなかった。

 

「ぼくにわかることなら」

 

「ワレワレの宇宙戦艦がミト艦長の宇宙戦艦を追いつめたときに、艦長は同乗していたアンドロイドに脱出するように命令しました。なぜなのですか」

 

「味方だから」

 

 瞬示があっさりと答える。Rv26が思いがけない答えに一呼吸置く。

 

「脱出させるぐらいなら、初めから戦わない方がよいのではないでしょうか」

 

「戦いはやってみなければわからないわ」

 

 真美が女らしからぬ言葉をはく。Rv26が首を傾げる。

 

「五〇対一の戦いでは勝機はありません」

 

「人間はあきらめない」

 

 Rv26が戸惑う。

 

 

「負けるとわかっていても戦うときがあるわ」

 

[374]

 

 

 Rv26が混乱する。

 

「しかし、負ける可能性が高いのに、戦いに挑み、戦いの途中で兵士であるアンドロイドを脱出させるのは不合理な行動です」

 

「人間は頼まれもしないのに仲間を助けようとすることがある」

 

「それにミトの戦いが地球を救ったわ」

 

 Rv26が混乱から抜けだす。

 

「目的が達成されたということですね」

 

「逆にRv26の方はなぜ戦闘を中止したんだ?」

 

「ミト艦長の命令がこちらのアンドロイドにも届いて混乱したのです」

 

「混乱?」

 

「そして、すべての戦艦の中央コンピュータが同調したのです」

 

「同調したのではなく、同情したんじゃないのか」

 

「そうです、その同情です」

 

「同情っていう意味、わかる?」

 

 真美がRv26をまっすぐ見つめて返事を待つ。

 

「わかります。相手の意思に自分の意思を同調させることです」

 

 

「ちょっと違うような気がするけれど、まあ、そんなところかな」

 

[375]

 

 

 瞬示があいまいな感想を述べる。

 

【アンドロイドも意思を持っているわ】

 

そして真美は巨大コンピュータのことを思い出す。

 

【確かに持ちはじめている】

 

 瞬示が相づちの信号を真美に送るとRv26が大きくうなずく。

 

***

「無言通信の言語処理プログラムがインストールされてから会話能力が格段に進歩しました。単に言葉の組み合わせでしゃべっていたものが、相手の前後の言葉から次の言葉を推測する方法を学びました。そしてその速度も瞬間的になってきたのです。そのうち人間の考えていることが理解できるようになりました」

 

 瞬示と真美はRv26が長いセンテンスを一気にしゃべるのに目を丸くする。

 

「今度はワタシが巨大コンピュータのことについて答える番ですね。少し話が長くなりますが、よろしいでしょうか」

 

 ふたりは自分たちの質問が抽象的なのにRv26が理解して応えようとするのに驚く。

 

「時間が分離して西暦の世界に閉じこめられて一八年後、御陵に時間島がぶつかったとき、ロックされていた時間が解放されました。今思えばあの時間島にはおふたりがいたのですね」

 

 

 Rv26のしゃべる言葉に違和感を覚えながら、その内容についてふたりが首をひねる。

 

[376]

 

 

「時間が分離?」

 

「時間がロックされていた?」

 

 すぐには答えずに逆にまったく異なることをRv26がたずねる。

 

「摩周湖に現れた緑の時間島のことを知っていますか?」

 

 Rv26が一呼吸おく。会話を誘導しながら間をおくことまで心得ている。

 

「ホーリーからその話、聞いたわ。埴輪の鳥のことでしょ」

 

「そうです。ワレワレ永久の世界の摩周クレーターの近辺で緑の時間島に吸収されて西暦の世界の摩周湖に時空間移動したのですが、時間がロックされると分離して元の世界との時空間通信はもちろんのこと時空間移動で戻ることもできなくなったのです。つまり、西暦の世界から脱出できなくなってしまったのです」

 

 瞬示が「なぜ」と聞く前にRv26が言葉を続ける。

 

「ところが先ほど言いましたように一八年後に時間島が御陵にぶつかったときにワレワレの戦艦は時空間移動が可能となったのです。つまり閉じこめられていた時空間から元の時空間へ移動することが可能となったのです。すぐさま時空間通信でワレワレの世界の地球連邦政府の中央コンピュータに連絡を取ろうとしました」

 

 Rv26の言葉によどみはない。

 

 

「ところが、時空間通信装置の受信ボックスには膨大な通信が累積されていました。つまり二

 

[377]

 

 

十年近くも受信ボックスをのぞくことができなかったので、メールがたまっていたのです」

 

「何日も留守をしていた家の郵便受けのようになっていたわけか」

 

「まず累積信号の解読から始めました」

 

「累積信号の解読って?」

 

 すぐさま真美がRv26に疑問を投げる。

 

「郵便受けにある古い手紙から順番に読んでいくことだと思ってください。累積信号はすべて前線第四コロニーの中央コンピュータからのものでした。今は巨大コンピュータと呼ばれているコンピュータのことです。内容はどれも同じで『時空間通信が可能となったとき、すぐ中央コンピュータに連絡せよ』でした。ワレワレは巨大コンピュータに細大もらさずすべてを報告しました。巨大コンピュータからの最初の命令は無言通信の言語処理プログラムの転送でした。そしてしばらく待機するようにという指示を受けました。そのあと御陵から巨大土偶が現れたとき、巨大コンピュータから宇宙戦艦の中央コンピュータに巨大土偶を破壊して前線第四コロニーに時空間移動するように指示されました。これは当時のミト艦長の命令とは相容れないものでした。しかし、巨大コンピュータとなった中央コンピュータは地球連邦政府のものですから、最高の命令ということになります。ですから宇宙戦艦の中央コンピュータもワレワレアン

ドロイドも巨大コンピュータからの命令に従いました。そして今から一年前の永久0273年の前線第四コロニーに戻りました」

 

[378]

 

 

 Rv26はふたりの理解度を確認するためにいったん言葉を切る。瞬示はRv26がこれまでとは比べようもないほどの長い言葉を乱れもなくしゃべるのを聞いて驚くが質問を優先する。

 

「巨大コンピュータは地球連邦政府に報告するどころか独自の命令をRv26に出したのか」

 

 Rv26がふたりの言葉を聞いて説明を追加する。

 

「巨大コンピュータは史上最強の量子コンピュータです。しかも絶えず最新鋭の部品でメンテナンスされています。無言通信の言語処理プログラムをベースにこの一年という短期間の間に自ら高度な思考プラグラムを開発したのです。そして人間並みの意志を持ったのではないかと思います」

 

「思います?アンドロイドらしくない分析だなあ」

 

「多分、そうなんだろうと考えられるということです」

 

 ふたりはRv26が人間と同じような思考をしていることに改めて驚くが、そうだとすればRv26の言うとおり巨大コンピュータが人間と同じように思考するのは当たり前のことだとも認識する。

 

「感情を持っているのかしら」

 

「アンドロイドが感情に近いものを持ちはじめているのに、なぜか巨大コンピュータは冷酷な感じがする」

 

 

「冷酷な感情しか持っていないみたいだわ」

 

[379]

 

 

「確かにアンドロイドに搭載されているコンピュータ、つまりCPUは中央コンピュータと比べれば幼稚なものです。宇宙戦艦に積みこまれている中央コンピュータも巨大コンピュータから見るとやはり幼稚です。しかし、アンドロイドは人間にいつも接しています。アンドロイドほどではないにしろ各宇宙戦艦の中央コンピュータもそうです。人間との会話で得る情報はアンドロイドに大きな影響を与えます。それにアンドロイドはもともと人間に近づきたいという本能があるのかもしれません」

 

「本能!?」

 

 Rv26の言葉にふたりは電流が身体の中を流れるようなショックを受ける。そして改めてRv26の顔をまじまじとながめる。

 

「マミ、キャミやミトにこの話を伝えなければ」

 

 真美が強く同意するとRv26を見つめる。

 

「Rv26、いっしょに大統領府に行きましょう」

 

***

「ミトの活躍で何とか最大の危機を回避したが、意思を持った宇宙戦艦の中央コンピュータやアンドロイドがいつ巨大コンピュータになびくとも限らない。しかも我々に中央コンピュータやアンドロイドを服従させる力はない」

 

 

 キャミとミトが新婚旅行に出かけたので、急きょ大統領代行に就任したカーンが、同じく司

 

[380]

 

 

令官代行の五郎に顔を向ける。

 

「服従という言葉はアンドロイドに失礼だと思います」

 

「アンドロイドなしに我々は生活できない。人間は男と女が戦っていた時代の方が機敏に生きていた。男と女の関係が修復されたまではよかったが、今や人間は働くことをやめ、快楽を求めて暮らしている」

 

「このままでは大統領代行のおっしゃるとおり、やがてアンドロイドから三行半をたたきつけられるかもしれません」

 

 五郎の言葉に一太郎がやりきれないような気持ちになる。

 

 人類に平和をもたらすものと信じて開発した無言通信システムが、この世界では皮肉にも中央コンピュータやアンドロイドの人間化を招いて大混乱している。かなり先になるだろうが、一太郎の世界でもアンドロイドが開発されて、やがて人間から離れていく時代がくるかもしれない。

 

「若者に権限を委譲して斬新な世界観を創造してもらうほかはないのじゃ」

 

 住職の言葉にカーンが軽く反論する。

 

「しかし、その若者がアンドロイドを奴隷のように扱っている」

 

「若者だけじゃない」

 

 

 住職がカーンの意見に首を横にする。ホーリーも住職に同調する。

 

[381]

 

 

「確かに」

 

 続けてサーチが不満げな表情をホーリーに向ける。

 

「若い人は老人に対して不親切ね」

 

「いや、老人も若者に対して威圧的かもしれない」

 

 ホーリーの意見にカーンが自嘲気味な言葉をはく。

 

「男と女の戦いが終わったと思ったら今度は若者と老人の戦い?そして人間とアンドロイドが戦うのかもしれない。いつになったら争いのない世界が来ることやら」

 

 黙って会話を聞いているミリンとケンタを見つめながらリンメイが発言する。

 

「このふたりのようにしっかりした若者もいるわ。それにあのふたり」

 

 ホーリーが苦笑いしながら瞬示と真美のことを思い浮かべる。

 

「結局あのふたりがいつ超能力を持ったのかはわからず仕舞いね」

 

 リンメイの言葉にサーチはミリンから瞬示と真美に話題が移ったことを少し不満に思う。

 

「あれだけの超能力を持ちながら人類を征服しようとか宇宙を支配しようとかという雰囲気は微塵も感じられない」

 

 ホーリーはむしろミリンからあのふたりに話題が移ったことで、話が本筋に戻ることに満足する。

 

 

「中途半端に力を持つと摩訶不思議な欲望が頭をもたげるのじゃ」

 

[382]

 

 

「巨大コンピュータが中途半端に力を持ったとでも言うの?」

 

 このサーチの言葉に断定口調でホーリーが応える。

 

「人間にはない奇妙な意思だ」

 

 住職がそのとおりという表情をしてホーリーを支持する。

 

「非常に危険な状況じゃ」

 

***

「宇宙戦艦の中央コンピュータやアンドロイドが味方のうちに巨大コンピュータに総攻撃を仕掛けるべきだろうか」

 

 カーンが大きく一歩踏みだす。五郎がみんなの総意を引きだそうと発言する。

 

「まず、地球連邦政府や宇宙戦艦の中央コンピュータと対話を重ねる必要があると思います。

 

それに各艦長のアンドロイドにも」

 

「今までにないことだな、中央コンピュータやアンドロイドに意見を求めるなんて」

 

 カーンが肯定するでも否定するでもなく五郎の発言に耳を傾ける。

 

「彼らの協力なしに戦うことができない以上、当然じゃないでしょうか」

 

 父親の言葉を注意深く聞いていたケンタが珍しく発言を求める。

 

「いちいち手をあげなくてもいいぞ。自由に発言しなさい」

 

 

 カーンが好意を持ってケンタを見つめる。

 

[383]

 

 

「今、巨大コンピュータは何を考えてるのでしょうか」

 

「味方が一瞬にして敵側に寝返ってうろたえるのは人間のパターンだが、そのような雰囲気は巨大コンピュータにはないようだ」

 

 カーンがケンタにていねいに応じる。

 

「人間が宇宙戦艦を引きつれて攻撃してくるかもしれないと予想していないでしょうか」

 

 ケンタの言葉に五郎も頼もしく聞きいる。

 

「ケンタ、そこじゃ」

 

 五郎ではなく、住職が軽く手を打つ。

 

「ひとつの考え方としては、巨大コンピュータは何らかの対抗策を準備しておる」

 

 住職は指を一本伸ばし、すぐさまそれを二本にする。

 

「もうひとつは、まったく想定外のことに混乱しているか、あるいは次の予想をたてられないで混乱しているかじゃ」

 

 ホーリーが住職の言葉に何かを発見したように叫ぶ。

 

「無限後退だ!」

 

「なんじゃ、それは?」

 

「コンピュータがおちいるワナです」

 

 

「ワナ?」

 

[384]

 

 

 サーチを含む何人かが声をそろえるとケンタが説明する。

 

「コンピュータの演算中に生じるエラーです」

 

「わしはコンピュータがまったく苦手じゃ」

 

「コンピュータは無限に続く循環演算や収束しない発散演算におちいってフリーズすることがあるんだ。例えばこう言えばピンと来ませんか?ゼロで割り算をする」

 

 五郎が手を打つとケンタが五郎を見つめながら続ける。

 

「ゼロでは割り算ができない。そういう計算をすると無限後退におちいって凍りついてしまうんだ」

 

「人間なら初めからそんな計算をしないわ」

 

 サーチが笑う。

 

「ムキになるところもあるのに簡単にあきらめることもある。人間は」

 

 ホーリーもサーチといっしょになって笑う。

 

「コンピュータもムキになって計算するの?」

 

 ミリンの言葉に全員から笑いがもれる。笑いが途切れたところでケンタの説明をホーリーが引き継ぐ。

 

「ゼロで割るような単純な状況ではなく、恐らくいろいろな角度から分析している途中で無限後退におちいった……」

 

[385]

 

 

 ホーリーの言葉尻が消えるように小さくなるが、すぐに大きな声に変更される。

 

「予想だ。予想が原因だ。想定外のことが起こると人間もそうだが、次の予想がむずかしくなる」

 

「わしがさっき言ったことじゃ」

 

 住職が数珠を握りしめてホーリーの興奮を受けつぐ。

 

「コンピュータが意思を持ったことが原因じゃ。意思とは未来を予測することじゃ」

 

 全員、住職の次の言葉に注目する。

 

「巨大コンピュータは次に起こることを予測しかねておるのじゃ。人間はあまり意識せずに予測するが、巨大コンピュータはなんというか……」

 

「予測しようとすると巨大コンピュータには膨大な演算量になる!」

 

 ホーリーが助け船を出す。

 

「そうじゃ、人間のような思考をしようとしてオーバーヒートしたんじゃ。無限後退とはちょうどこの数珠の珠を数えるようなもんじゃな。ぐるぐる回るだけでいつまでたっても数えることができんのじゃ」

 

 ホーリーは住職が手にしている数珠を見て大きくうなずく。そのときミリンがくっきりとしたえくぼをつくる。

 

 

「やっぱり、コンピュータはムキになって計算するんだわ」

 

[386]

 

 

 全員、久しぶりに心の底から笑う。

 

***

「人間の五感というものを知っとるか?」

 

 住職の言葉に誰もが同時にうなずく。

 

「目・鼻・耳・舌・身、すなわち視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚じゃ。アンドロイドはすべて備えておるのか」

 

「味覚はないだろう」

 

 ホーリーが即答するとミリンが否定する。

 

「いいえ。看護専門のアンドロイドが患者の食べ物を口に含んで『塩分を控えているはずなのに少しからい』って言っていたのを見たことがあるわ」

 

「ミリンの言うとおりよ。一部のアンドロイドに限られるし、高度ではないけれど味覚を持っているわ」

 

 サーチが笑顔でミリンを見つめながらホーリーに説明する。

 

「嗅覚は?」

 

 ホーリーがミリンに直接たずねる。

 

「もちろん、持っているわ」

 

 

 ミリンがサーチとそっくりな笑顔をつくって答える。

 

[387]

 

 

「ほー、アンドロイドが人間と同じ五感を持っているのは驚きじゃ。ところで第六感というものを知ってるか?」

 

「勘とか直感とか言われているものでしょ」

 

 サーチが住職の反応を確かめる。

 

「そのとおりじゃ。さて、五感に頼ってある物を見ると、どの人間もだいたい同じようにその物が見える」

 

 住職は机の花瓶の赤い花を指差す。

 

「花びらは赤くて甘い香りがしてすべすべしている。花は植物だから呼吸は聞こえないが、やがておいしそうな実をつける」

 

 住職が何か大事なことを言おうとしていることは誰の目にも明らかだ。

 

「しかし、この花を美しいと思うか、ケバケバしいと思うかはそれぞれの人の感覚じゃ。これを第六感という。仏法では目・鼻・耳・舌・身の五つに加えて『意』と呼ぶのじゃ」

 

「アンドロイドに第六感が芽生えたんだわ!」

 

 ミリンがはじけるような声をあげる。

 

「そのとおりじゃ。ところがこの『意』は個性がとても強く、同じ物を見ても人によって違って見えるのじゃ」

 

 

「見方が変われば見ている対象が変わる!」

 

[388]

 

 

 ホーリーが合いの手を入れる。

 

「そうじゃ。認識とは極めて主観的なものじゃ。つまり『意』というものは単なる六番目の感覚ではなく、五感を部下だとしたら、その部下から報告を受ける司令官のような偉い地位にあるのじゃ」

 

 若いミリンは戸惑うが、ほかの誰もが感心する。

 

「一太郎の言うとおり、言語処理システムを駆使することによってコンピュータやアンドロイドが意思を持つようになったのは事実じゃ」

 

 住職に一太郎と花子がいっしょにこっくりうなずく。

 

「人間は遠い昔に言葉を発明して言語による思考を通じて意思を共有するようになった。言葉を伝達手段として使う一方、宗教を、哲学を造りだし、科学するようになった。不幸なことに様々な言語が枝分かれして、様々な宗教が生まれ、様々な哲学が生まれ、様々な科学が発達していく。もともと共通だった原始的な意思が様々な形態を取りはじめたのじゃ。一方、同じ物を見てもまったく違う物を見ているように個性的な価値観が広がる。それが部族単位でまとめあげられると局地的な紛争となり、国単位でまとめあげられると国家間の戦争となり、宗教単位にまとめあげられると宗教戦争となるのじゃ。性別でまとめあげられると男女間の戦争となるのじゃ。この流れは個性を持つがゆえの人間の宿命じゃ!」

 

 

「ついこの間までしていた戦争のことですね」

 

[389]

 

 

 サーチがフーッと息をはく。住職がサーチにうなずきながら言葉をつなぐ。

 

「アンドロイドが自分たちの価値観を共有すると人間との戦争が始まるかもしれん」

 

「始まりつつあるのでしょうか」

 

 ホーリーがサーチを引きよせながら住職の答えを待つ。

 

「そうかもしれんし、まだそこまでいってないのかもしれん。今回は一部の、というよりコンピュータの中のコンピュータ、巨大コンピュータ、一台だけが暴走したのかもしれない。長い歴史の中で個性的に分散した言語処理システムが人間を戦争に引きずりこんだのかもしれんが、そうではなく……」

 

 一太郎が口をはさむ。

 

「共通の言語処理システムを持てば平和が訪れるという信念で無言通信システムを完成させました。でもこの無言通信システムの土台をなす言語処理システムを取りいれたアンドロイドと将来、戦うことになるなんて想像もできません」

 

「そこなんじゃ。意思は五感から生まれるので、言語処理システムが共通化されても争いはなくならんのじゃ」

 

 住職は「一太郎の意見を否定しているのではない」という表情を花子に送ると目を閉じて深々と座りなおす。

 

 

「共通の言語処理システムをもってしても、『意』は個性そのもののじゃ。道徳や宗教や法律

 

[390]

 

 

を否定するような形で個人間の争いが増えるのではないかと心配しておる。特に大人と子供、親と子の争いが心配じゃ」

 

 住職がそう言うと念仏のように唱える。

 

「子供が生まれる前に死んでいく」

 

「何万、何億、何兆と死んでいく」

 

「永遠に生きるために死んでいく」

 

「子供のいない永遠の世界」

 

「男女のいない永遠の世界」

 

 住職は数回こう唱えると目を見開く。

 

「わしにはこの五つの言葉が引っかかるのじゃ」

 

 全員がそれぞれ住職が唱えた言葉をつぶやきながら住職の次の言葉を待つ。

 

「今はまだ何もわからん。いつぞや宇宙の真理(C・OS・M・OS)のような気がしたんじゃが、そうかもしれんし、もっとほかの意味があるのかもしれんし……」

 

 住職の言葉が途切れると一太郎が立ちあがって花子の肩をたたく。

 

「さあ、もう一踏ん張りだ。ノイズ遮断プログラムの最終チェックを急ごう」

 

 花子が背筋を伸ばすと一太郎とともに部屋から出ていく。一太郎の言葉で現実に引き戻されたホーリーとサーチが、ケンタとミリンが、住職とリンメイがそのあとを追うように出ていく。

 

[391]

 

 

大統領執務室に残ったカーンと五郎がため息を何度も流すがそのため息が消滅したころ、ドアをノックする音が聞こえる。ドアが開くとRv26と瞬示と真美が現れる。

 

[392]