【時】永久0288年(前々章より約14年後)
【空】鍵穴星
【人】瞬示 真美 ホーリー サーチ フォルダー 巨大コンピュータ
***
ここは別の宇宙空間なのか。数えきれないほどの火炎土器が怪しげに赤く輝きながら漂っている。今度はアラジンの魔法のランプから大男が出てくるように、ほぼ瞬間的に火炎土器から次々と物体がひねり出される。まず鍵穴星と小さな太陽が現れる。その鍵穴星の地表にはカシオペアの残骸やブラックシャークが見える。巨大土偶もいるがその姿はすぐに消える。
ブラックシャークの中ではまるで急ブレーキがかかったバスの乗客のように全員が艦橋の奥で折り重なって倒れている。
「ジ・・ク・・ワ・ン・・が・正常に・戻りました」
中央コンピュータが気を失ったフォルダーたちに報告を繰り返す。
「時空間が正常に戻りました」
「大丈夫か!」
[558]
意外にも一番下のホーリーが真っ先に叫ぶ。しかし、声にしたのはそれだけで全身を走る激痛にうめく。徐々にひとりずつ意識が戻る。上にいる者は下にいる者がクッションの役割をしていたためか、ケガひとつしていない。山のように折り重なったところから這うようにして降りると、立ちあがろうとする者の手を引っぱる。どうにか全員立ちあがると「大丈夫?」「大丈夫か」と、口々にお互いを見合わす。
「いったい何が起こったんだ?」
ようやくフォルダーが中央コンピュータに説明を求める。
「よくわかりませんが、時間が収縮したのは確かで、今は正常です」
痛みを忘れてホーリーが強い疑問を中央コンピュータに向ける。
「時間が収縮?戻ったんじゃないのか」
「いいえ、収縮です」
ホーリーに替わってフォルダーが声をあげる。
「収縮でも、逆行でも何でもいい。現在位置は?」
「鍵穴星にいます」
「ニセモノの神は?巨大土偶は?」
「いません」
ホーリーがフォルダーの言葉をかいくぐる。
[559]
「時間はどうなった?」
「わかりません」
ホーリーがまわりを一巡する。みんな若いままだ。
――時間島に包みこまれたのではなさそうだ
中央コンピュータが全力を投じて懸命に現状を把握する。
「ここは元の世界、元の宇宙です。宇宙の地平線の内側に戻っています」
「星が見えるわ」
サーチが艦橋の窓から上空をながめる。
「巨大土偶が俺たちを元の宇宙に戻してくれたのか」
ホーリーは何かを探すようにサーチと反対側の窓に近づく。
「あの小さな太陽が消えた!」
「消えたのではありません。現在、鍵穴星の向こう側を周回中です。あの小さな太陽のお陰で鍵穴星の温度が上昇して巨大土偶が生まれ、火炎土器が活性化したと推定されます。どうやらワレワレは火炎土器の中に吸いこまれて元の宇宙に戻ったようです」
「火炎土器に吸いこまれた?冗談はよせ。それとも狂ったのか」
「いいえ、記録を精密に精緻に綿密に分析した結果、そうとしか考えられません。ワタシが狂うことはありません」
[560]
「おい!あれは何だ。宇宙の地平線というのは肉眼で確認できるのか」
全員ホーリーが指差す窓に押しよせる。天空に白い線が左右に広がっている。
「いいえ、宇宙の地平線ではありません。よく見てください。巨大な壁です」
中央コンピュータが興奮する。白い線は横に伸びているだけではなく、その上にも下にもそしてたてにも数えきれないほど見える。まるで黒い紙の上に薄い白い線が縦横直交していて方眼紙のように見える壁が広がっている。
「間近なので方眼紙のように見えますが、とてつもなく大きな球体です。直径は……」
中央コンピュータが直径を計算する。すぐに答えが出ないほど大きな球体なのだろう。
「直径は約三十光年。先ほどまでワレワレがいた宇宙の地平線の向こう側で巨大コンピュータが造ったという宇宙と同じ大きさです。大きさの割には引力が弱すぎます。しかも安定していません」
「安定していない?」
「目の前に見える方眼紙のような壁をよく見てください」
徐々に目が慣れてきたせいか、一つひとつのグリッドがくっきりと見える。やがてそのグリッドは小さくなって鍵穴星からどんどん遠ざかる。
「今、時間が縮んでいます。恐らくある程度まで縮むとまた膨張すると思われます。ワレワレが先ほど見たときが最大だったようです」
[561]
「よくわからん。やさしく説明しろ」
余裕ができたのか、フォルダーの口癖が始まる。ホーリーも次の説明に期待を寄せる。
「うまく説明できません」
――時間が進んだり後退したりしているんじゃない。縮んだり、膨張したりするというのは何を意味するんだろうか?
がっかりしながらホーリーは心の中でつぶやく。
***
鍵穴星のある場所で火炎土器が地面に突きささっている。その火炎土器から二羽の埴輪の鳥が首を出す。まわりを伺うように首を上下左右に小刻みに動かす。火炎土器のふちにたどたどしくよじ登って翼を広げると飛びたつ。初めは翼を上下に動かしているが、やがてたたむと加速する。速度が上がるにつれ徐々に緑色に輝きはじめると姿が消えて、二本の緑の光線となって螺旋を描くように鍵穴星の裏側に向かう。緑色の光線はひとつになり丸い球体に変化して緑の時間島となる。その中に人影が浮かびあがる。瞬示と真美が抱きあっている。
【見える?】
【見える。グリッドが大きくなったり小さくなったりしている】
【洞窟の滝の上で見た空のこと覚えている?】
【あのときといっしょだ。時間が進んだり後退したり、いや、縮んだり膨張したりしている】
[562]
【縮んだり膨張したりっていう感覚は今までなかったわ】
瞬示が真美の素朴な感覚に驚く。
【ひょっとして時間は前後だけではなく左右や上下にも動くということかもしれない】
瞬示は次元を超えた時間の感覚を何とか表現する。しかし、瞬示の時間に対する重要な感覚を理解することなく、真美は時間島の外の景色に目を奪われる。
【あっ、今度はグリッドがどんどん小さくなるわ。どんどん遠ざかっていくように見えるわ】
瞬示は体得した重要な感覚を放棄して真美に同調する。
【無限に広がっている壁のように見えていたけれど、これは球体じゃないか】
ふたりが観念的に見つめる光景はブラックシャークの連中が見ている光景と同じものだ。鍵穴星の向こう側の宇宙の地平線の方向に見えるグリッドは巨大な球体のほんの一部だ。現れた当初は時間が止まっていた。やがて巨大な球体の中で時間が誕生するがとても不安定だった。それはまるで時計の針がどちらに進んでいいのか迷っているような状況だ。しばらくして時計の針は進む方向を決めて動きだす。しかし、針はどうも反対の方向に動きだしたようだ。
【過去に向かっているような感じがする】
ふたりを包む緑の時間島はまっしぐらに縮みだした巨大な黒い球体を追いかける。
【すごい速さだ】
【追いつけるかしら】
[563]
緑の時間島の色が薄くなる。時間をさかのぼっているせいか、やがて薄い黄色になって、そして色が消える。
【あれは!】
黒い球体がさらに縮む。完全な球体ではなく表面にはいびつな模様が刻まれている。しばらくすると今度は時間島に色が生まれて薄い黄色から元の緑に戻る。
【ずいぶん小さくなったわ】
【それでも太陽系よりはずっと大きいに違いない】
【ピンクの光線が球体のまわりをはいまわるように点滅している】
【まるで……】
ふたりはツバをごくっとのみこむような感じで叫びあう。
【まるで、脳だ!】
【黒い脳だわ!】
ふたりは驚きの頂点を登りつめる。真美がその頂点から転げ落ちるように信号を瞬示に送る。
【今まで死んだ全人類の脳があそこに集まっているような感じがする!】
表面は人間の大脳と同じようなシワがあり、ほぼ丸い形をしている。その表面をピンクの光線が現れると様々な方向に流れては潜るように消える。そのような無数のピンク色の光の流れがこの巨大な球体のあちらこちらに見える。そしてこの球体はまるで呼吸するように大きくなったり小さくなったりする。
[564]
ふたりの緑の時間島がどんどん黒い球体に接近する。その視界がもはや球体とは認識できないほどのところまで近づく。やがて目の前に巨大な黒い壁が立ちはだかる。
【なんと巨大な……星……いや、ブラックホール?違う!】
瞬示が言葉を失う。確かに黒いが透明な暗闇のように見える。数えきれないほどのピンクの光線が相変わらず現れては消える。光線というよりはピンク色の巨大な火の玉が一瞬のうちに現れて彗星のような尾をしたがえてあちこちを飛びまわって潜るように消えてはまた現れる。まるで太陽の紅炎(プロミネンス)のようで音は聞こえないが豪快な光景だ。
瞬示が何とか信号をふりしぼる。
【巨大な悪魔の脳】
【戻りましょう!】
真美が哀願する。そのとき「ドク、ドク、ドク」という重々しい低い音がふたりを包む。
【わかった】
しかし、緑の時間島はなおも進んでいく。いくつもの壁を突きぬけて巨大なピンクの火の玉をたくみに避けながら進む。まわりは黒い液体のように見える。瞬示には見覚えのある黒い液体が超巨大な星の中につまっている。
【この黒いものは……】
[565]
すぐに瞬示は思い出す。それは真美があの民宿でサーチに分子破壊粒子という毒物を飲まされたあと、その毒物を体外に排泄していた光景だった。
【あのとき真美の身体から黒い液体のようなものが全身から排泄されていた】
【記憶にないわ】
【あれと同じものではないと思うけれど、感じがよく似ている】
【なぜ時間島はわたしたちの意志を無視して進んでいくの】
やがてピンクの火の玉が消えて暗黒の世界となる。恐らく巨大でいびつな球体の中心に近づいているのだろう。暗闇でも視力が衰えないふたりの目をもってしても何も見えなくなる。
【怖いわ】
【あれは】
遠くでキラキラと輝く細い糸のようなものが見えはじめる。実際はかなり太いがふたりには糸のように見える。まわりがその光でほんのりと明るく見える。無数の糸のようなものが鈍い白い光を発する。絡みあってその量がどんどん増えていく。
【いやだわ、あの糸かしら】
瞬示も思い出す。入口が血で染められた洞窟に入ったときマユのようなものに包まれた無数の胎児と同じものが目の前に現れる。真美が瞬示にすり寄る。
【これは胎児じゃない!巨大土偶だ!糸の中にいるのは巨大土偶だ!】
[566]
巨大土偶の身体から無数の糸が出ている。そして巨大土偶はその無数の糸の中で身体を折るようにうずくまっている。あちらにもこちらにも数えきれないほどの無数の巨大土偶がまるで胎児のように丸まって薄く輝く白い無数の糸の中でじっとうずくまっている。胎児でない分、恐怖心が薄められたのか目を閉じることなく巨大土偶をじっと見つめる。そのうち、まわりが透明の世界から白濁したような緑色の世界に変化していく。ふたりは緑の時間島を自由自在に操ると白い糸がはじけて溶けるように消える。
【無駄だ】
低い音のような信号がふたりに届く。
【誰だ!】
【神だ】
【神!?】
【数えきれない無数の宇宙すべてを支配する神だ。時空間を移動できる程度のおまえたちなど神の前では無力な存在に過ぎない】
ふたりが使う同じ信号が送られてくる。
【巨大土偶はよみがえることはない】
【どこにいる?姿を見せろ!】
はるか彼方の正面からピンクの火の玉が現れる。どんどん膨張してふたりに向かってくる。
[567]
【あんなのにぶつかったら、ひとたまりもない】
いつの間にか糸の縛りから解放された巨大土偶が次々と背伸びをする。正面のピンクの巨大な火の玉に向かう体勢を取ろうとする巨大土偶の姿がふたりのまわりで何万いや何億いや何兆と見える。まわりは巨大土偶だらけで、それ以外は何も見えないほどになる。
【何が起こるんだ】
瞬示は何とか信号にするが、真美は瞬示に抱きついて口を半分開いたまま、うつろな視線をまわりに向ける。
【まるでピンクの太陽がこちらに向かってくるように見える】
無数にいる巨大土偶は巨大な火の玉と比べれば、全部合わせてもチリのひとつにも満たない大きさだ。それなのに数えきれないほどの巨大土偶が薄羽蜻蛉のように太陽のように見える物体に向かって集結する。
【まさか、突っこんでいくんじゃ?】
【そんな!】
頭を抑えつけるような声が後方から響く。
【神の意志を受けてみろ!】
瞬示が振り返る。暗闇の中にうっすらと白く輝く正三角錐のようなものが見える。そのど真ん中に薄いピンクの球体がおぼろげながら見える。かなり遠くにあるようにも見える。瞬示はなぜか急に一太郎の言葉を思い出す。
[568]
「脳の中では、ニューロンとニューロンとの間をシナプスというものを介して信号が伝達される。つまり脳はニューロンというネットワークを持っている。将来ニューロンと同じ機能を持つコンピュータが出現するかもしれない」
瞬示は直感的に正三角錐がニューロンで、こちらに向かってくるピンクの巨大な火の玉に見えるものがシナプスだと理解する。そして今いる巨大な黒い物質は一太郎が言っていたニューロコンピュータではないかと瞬間的に確信する。
【マミ!あれを破壊するんだ】
瞬示が真美にイメージそのものを送る。ふたりの身体から緑色を通りこして群青色に近い光線が発射される。次の瞬間、正三角錐の中心にある薄いピンクの物体を包みこんで消滅させる。ふたりは集団となった巨大土偶のすぐ近くまで来ているピンクの巨大な火の玉を見つめる。何万体もの巨大土偶が次々と解けるように消えていく。
【だめか!でも行き場所を失ったシナプスは消えるはずだ】
瞬示がそう考えたとき、大きな振動が起きてまわりは真っ暗になる。
【消えたわ】
遠くでピンクの小さな光の点が現れる。
【次のがくる!】
[569]
【どうなっているの】
【正三角錐の物質を探すんだ】
光源と自分たちの位置を結ぶ反対側の線上に正三角錐の物質が存在するはずだと、真美だけにではなく無数の巨大土偶にも瞬示はイメージを強い信号にして送る。
【あれだ】
【あそこにもあるわ。あっ、あそこにも】
瞬示と真美を包む時間島は光速に近いスピードで巨大な正三角錐のひとつに近づいていく。瞬示がシナプスだと思っているピンクの巨大な火の玉が太陽ぐらいの大きさがあるとすれば同じくニューロンと思っている正三角錐はその数倍はあり、その中の核のような白い球体も太陽ぐらいの大きさがある。
【かなり離れているように見えるけれど、この超巨大な黒い物質の中には何億いや何兆とあるんだろう】
瞬示がため息をつく。一つひとつ破壊してもすべてを破壊することは不可能だ。
【どうしようもない】
瞬示と真美は時空間移動の体勢を取る。時間島が収縮しはじめる。ピンクの巨大な火の玉にぶつからなくても、そのそばを通るだけで時間島といえども瞬間的に消滅するだろう。
***
[570]
瞬示と真美は鍵穴星で御陵のような形をした前方部分に立ってはるか彼方を見つめる。足元には火炎土器が転がっている。
【巨大コンピュータが怪物みたいな脳になっていた】
はるか彼方にある巨大な脳がふたりにはボールのように見える。
【巨大土偶はどうなったのかしら】
真美が瞬示に身体を寄せる。
【いったい巨大コンピュータの目的はなんだ?】
【わたし、普通に生きたい】
真美が目を閉じて逃げだしたい衝動を訴える。
【ぼくらは何のためにこんな能力を持たされたんだろう】
【女と男が仲良くなったまではよかったのに】
【あの巨大な脳の形をしたものが神なら、ぼくらの秘密を教えてくれればいいのに】
【瞬ちゃん、サーチやホーリーはどこにいるの】
【あいつは神じゃない。悪魔だ】
【ねえ、瞬ちゃん!わたしの話を聞いているの?】
瞬示が黙ると、そのとき何かざわめきのようなものが聞こえてくる。
【聞こえる?】
[571]
鍵穴星に小さな太陽が昇りはじめる。まわりが急に明るくなり、この小さな太陽の光が邪魔をして遠くに見えるはずの巨大な脳の姿を消してしまう。ふたりはまぶしそうに太陽を見つめる。アンドロイドTW5が作った太陽だ。
【いつの間にあんな太陽ができたんだ】
真美も驚きの表情でまぶしそうに太陽を見つめる。
【聞こえる!ホーリーの声だ】
【サーチの声も聞こえるわ】
ふたりは抱きあうようにして宙に舞うとたき火のような光を発見する。その近くにブラックシャークが見える。ふたりの姿が消える。
[572]