これまでの主な事件
西暦2030年無言通信システム完成
摩周村診療所事件(永久0255年からミトたちが摩周村に到着)
ジャストウエーブ大阪支社事件
硫黄島事件
西暦2031年幼い瞬示と真美をホーリーとサーチが発見
西暦2048年11月11日
瞬示と真美が地球に帰還
もう一組の瞬示と真美の二十二歳の誕生日
【時】西暦2048年11月11日
【空】宇宙戦艦北海道(民宿、摩周湖) 壮大寺
【人】ミト ホーリー サーチ 住職 リンメイ ミブ 瞬示 真美 一太郎 花子
[188]
***
瞬示と真美は民宿の近くで川の形をした緑の時間島と同じ色に身体を染めて一太郎と花子の長い思い出話(第二十九章~前章)を聞いていた。それはまるで千夜一夜物語のようで、ミトが、ホーリーが、サーチが、住職が、そしてリンメイが生命永遠保持手術のことや遮光器土偶のことを二天に説明する話が最後だった。それは一太郎がすでにジャストウエーブ社を退職したあとで二天から聞いた話だった。
ふたりのまわりから泡がいくつも生まれては時間島の表面にたどり着くと音もなく消える。それはふたりのため息のようにも見える。
【ぼくらよりずいぶん前にホーリーたちがこの世界に来ている】
【花子と一太郎が無言通信を発明したなんて】
ふたりは意外と冷静に一太郎と花子の話を受けとめていた。
【心の中をのぞかなくても簡単に物語が聞けてしまった】
これまで聞いた話は瞬示と真美が一太郎と花子の心の中から引きだしたものだったが、ふたりはそうは思っていない。
【サーチたちに会いにいく?】
瞬示が間をおく。
【マミ、時間島は何を考えているんだろうか】
[189]
【わからないわ。瞬ちゃんにはわかるの】
【ぜんぜん】
真美ががっかりすると真美のまわりで緑の液体のようなものが少し揺れる。
【時間島はまったく動かないなあ】
すぐに揺れが止まる。
【あっ!また無言通信が聞こえるわ】
【一太郎や花子のものじゃない。ミトだ】
【瞬ちゃん、何かおかしいと思わない】
【思うよ】
【時間島ね】
【そう、時間島だ】
【時間島がこの世界の数十年間の出来事を一太郎や花子や、そして今度はミトの信号に見せかけてぼくらに送っているんだ】
【わたしもそう思うわ】
ミトの無言通信のかけらを取りこむと、ふたりはミトの心の中に侵入する。
***
十七年間もいたジャストウエーブ社の上空から宇宙戦艦が離脱する。移り気の早い世間から
[190]
はすでにジャストウエーブ社や宇宙戦艦のことが記憶の片隅に追いやられていたが、再び世界中の注目を浴びる。
ジャストウエーブ社は急成長して世界株式市場に上場されるほどの大きな会社になったが、各国に設立された現地法人のシンボル会社に過ぎない。むしろ中国ジャストウエーブ社の方が規模からいって数十倍も大きい。
この日のちょうど一年前に一太郎と花子が退社して花子の実家の民宿で余生を送っている。社長を二天に譲った小田は世界中で無言通信のモラル向上のためのボランティア活動を続けている。ミブは大僧正が謎の失踪をしたあと、やむを得ず壮大寺の大僧正となった。そして前大僧正ほどではないが、ミトたちの求めに応じてあらゆる情報を提供する。
九十歳になった住職はおとえることなく、そして生命永遠保持手術を欲することもなく、七十五歳になったリンメイとともにジャストウエーブ社から壮大寺に居を移していた。
今日二十二歳の誕生日を迎えるこの世界の瞬示と真美を監視し続ける壮大寺の僧侶からミブへ報告をミトがその都度無言通信で確認する。
{まったく、あのふたりに変化はありません}
「発進!」
ミトは、ジャストウエーブ社を護衛するという役割が事実上なくなったこと、この世界の地球の未来にこれ以上の介入は避けなければならないことを理由に宇宙戦艦を月に向かわせる。
[191]
もちろん、本当の目的は月からこの世界の地球を含む宇宙に何らかの異変が現れるのかどうかを見極めるためだ。
宇宙戦艦は北海道上空から瞬間的に月に移動する。すぐさま地球連邦政府に対して月に到着したことを伝えると、全世界がその恐るべき科学力に改めて驚く。
***
「何も起こらない」
ミトはがっかりする。そのときアンドロイドの鋭い声がする。
「未確認物体を発見!二二時の方向です」
メイン浮遊透過スクリーンに猛烈なスピードで地球に向かう緑の光球が映ると、ミトの目が輝く。
「時間島か?」
ミトが見たことのある時間島は黄色でヒモのように長かったが、今、目の前に見えるものはほぼ丸い形で色は緑だ。すぐさまホーリーに無言通信を送る。
{艦橋に来てくれ!いや……}
そのとき、時空間レーダー担当のアンドロイドの報告がミトの頭をつらぬく。
「日本に向かって移動しています。時空間にゆがみはありません」
このころになるとアンドロイドの言葉は人間と変わらないほどに進化していた。アンドロイドは一太郎の言語処理プログラムを完全に使いこなしている。
[192]
「予想到達点は?」
ホーリーとサーチが艦橋に現れる。
「どうした!ミト」
「ホーリー、緑色の物体が地球に近づいてくる。時空間移動装置で待機してくれ!」
ミトがホーリーとサーチに強い口調で命令する。ふたりは時空間移動装置の格納室に向かいながら重大なことが起こりつつあると興奮する。
「日本に向かって発進!」
宇宙戦艦が一瞬大きく揺れる。ミトの命令を受けたRv26が付け加える。その言葉は人間の直感に近い。
「巡航速度まで加速。最短距離で日本の上空へ移動せよ」
ミトは心の高まりを覚える。
「やはり、何かが起こる!」
時空間移動装置の格納室に到着したホーリーとサーチは壁のモニターの前で立ち止まる。そのまま丸い緑色の物体の映像に釘付けになる。しばらくしてホーリーがそのモニター下のケースを見て驚く。
「どうしたの」
[193]
サーチがケースを開けるホーリーをふしぎそうに見つめる。ケースの中には反りのない直刀が六振り納められている。
「ずいぶん前に俺が開発した電磁レーザー忍剣だ。ここに置いていたことをすっかり忘れていた」
「電磁レーザー忍剣?」
サーチがつぶやく。そのとき、艦橋のサブ浮遊透過スクリーンでふたりがまだ格納室にいるのに気付いたミトが強烈な無言通信をホーリーに送る。
{ホーリー!何をしている!時空間移動装置の中で待機しろ}
{わかった。五郎とお松たちを連れて行く}
ホーリーとサーチがすぐさま五郎とお松を別々に無言通信で呼びだす。サーチが五郎にケンタとともに、そしてホーリーがお松にほかの忍者や兵士とともに時空間移動装置の格納室に来るよう指示する。ホーリーはケースから六振りの電磁レーザー忍剣を取りだして両脇に抱えこむ。
宇宙戦艦の前を緑に輝く球体が通過するが、その速度はかなり落ちている。その中に瞬示と真美がいることなどミトにはもちろん誰にもわかるはずもない。艦橋のメイン浮遊透過スクリーンが地上をズームアップする。
「大阪城」
[194]
画面上方に大阪城が見える。しかし、大阪城が予想到達点ではないらしくスクリーンからこぼれるように消える。すぐに手前の方から御陵の全景が現れる。その御陵の上で赤い点滅信号が輝く。
「あの物体の到達地点の座標を時空間移動装置に!」
「まだ空間移動の準備ができていません」
アンドロイドの報告を無視してミトはホーリーに無言通信を送る。
{早くしろ!時間島らしき物体の到達点がわかったぞ}
{時間島!}
四基の時空間移動装置が回転を始める。
緑の時間島から赤く輝く塊が分離すると時間島はそのまま御陵に衝突する。しかし、ミトは分離した赤い塊に気付くことなく、時間島が御陵に衝突したというよりは吸いこまれるように消えたという感覚を抱く。
{時間島らしきものが御陵に到達した}
ミトは状況を正確にホーリーに伝えようと衝突という言葉を避ける。ホーリーはそのミトのニュアンスから、手動で空間移動地点を御陵のすぐ真上に修正する。
格納室から時空間移動装置が消えて御陵の真上に現れるが、そのまま突然ホーリーたちの時空間移動装置がすべて御陵上空から消滅する。
[195]
「時空間移動装置が消えました!」
すぐさまミトが無言通信を試みるが返事はない。
{ホーリー!どうした!返事をしろ}
続けてサーチにも無言通信を送る。アンドロイドが詳しい報告を追加する。
「時空間移動装置が時間島らしき物体の到達地点上空に移動しましたが、すぐ消滅しました」
「移動先を捜索しろ……」
ミトは言葉を切るとつぶやく。
「ホーリーはいったい誰を連れて行ったんだ?」
四基といえば時空間移動装置の定員からして二十人だ。ミトは佐助にも無言通信を送りながらアンドロイドに搭乗者を調べさせる。しかし、佐助はもちろん、ほかの忍者からも返信はない。ミトの目の前のモニターに搭乗者名簿が映される。
「ホーリー、サーチ、五郎、ケンタ、佐助、お松……」
ミトは途中で読みあげるのをやめる。忍者も兵士も全員ホーリーたちと御陵に向かったことがわかってモニターから視線を外す。
「人間でこの艦に残っているのは私ひとりか」
ミトは第二陣の時空間移動装置を御陵に送りこむことを断念する。
{あのふたりに変化はないのか}
[196]
ミトはミブへの報告を求めるというより、独り言のような無言通信を発する。
{ありません}
ミブから素っ気ない無言通信が返ってくる。
――変化があったのはこちらの方だ
ミトが本当の独り言を発すると肩を落とす。
――判断ミスだ。必ずあのふたりに変化が現れると思いこんだのが誤りだった。二十年近くも待ち続けてあせってしまった。いや、もうろくしたのか」
ミトは艦橋の強化ガラスの窓に映る自分の姿を見つめる。
{住職、知恵を貸してください}
返事が来るまでの間、アンドロイドに御陵から目を離さないように命令する。
{どうしたのじゃ}
***
ミトはRv26に艦長の権限を委譲すると、事細かく指示してから時空間移動装置に乗りこむ。住職はリンメイとともにミトの時空間移動装置が到着するはずの庫裏の前で待つ。目の前に時空間移動装置が現れるとすぐに回転が停止してミトひとりが降りてくる。住職はミトの肩をポンとたたいて庫裏に向かう。中ではミブ、ジャストウエーブ社に差し向けられた時空間移動装置で空間移動してきた二天が出迎える。
[197]
「わしひとりの知恵では足らんと思って呼んだのじゃ」
「先に皆さんにお詫びを申し上げなくてはならない」
「瞬示と真美の件じゃろ」
「住職はお見通しなのですね」
ミトが苦笑する。
「いや。ところで何が起こったのじゃ。ホーリーやサーチは?」
「みんな、消えました」
「なんと!」
ミトがつい先ほどまでの出来事を説明する。
「緊急ニュースを見てまさしく時間島が現れたと驚いておったところじゃ」
リンメイがやさしくミトに声をかける。
「ところが、ミブによるとあのふたりに何の変化もないの」
ミブがリンメイの言葉に小さくうなずく。
「予想が外れたということじゃな」
ミトはうなずきながらホーリーたちのことを心配する。
「あのふたりが二十二歳になったら、何か事件が起きると考えてしまった」
「勝手に思いこんでしまったのじゃ」
[198]
住職とリンメイが同時にホーリーとサーチの一人娘のことを気にする。
「あれから、埴輪の鳥や遮光器土偶に変化は?」
「ありませんわ」
「あのとき埴輪の鳥は何らかの行動を起こそうとしたが、何らかの理由で中止した。それと今の時間島の到来とは何か関係があるのでしょうか」
ミトが住職に乞うようにたずねる。
「わからん」
住職はできるだけやわらかく答えようとしたが、出た言葉は素っ気なかった。会話が途切れると、ミトは目を閉じて行き場のない考えをめぐらす。
リンメイがテレビをつける。御陵に突っこんだ物体が単なる水のような物質であると説明されている。ボーッと緑に輝く御陵の遠景が映っていて周辺は立入禁止になっている。放射能が検出されたとか様々な乱れた情報が流されているが、画面は一向に変わらない。
ミトは宇宙戦艦に戻るが、それ以降何の変化もないし、ホーリーたちの消息も不明のままだ。意気消沈したミトは疲れてときどきまどろむが、そのとき誰かが自分の心の中をのぞきこんでいるような夢を見る。
***
瞬示がノブを回すと簡単に民宿の玄関のドアが開く。
[199]
「お邪魔します」
返事はない。奥の食堂の方で人気がする。真美が大きな声をあげる。
「お邪魔しまーす」
ガタガタという音が聞こえる。ふたりは食堂に向かって廊下を歩く。食堂の入口には老夫婦が立っている。ふたりは背の高い老人とふっくらとした老婆のすぐそばまで近づく。
「瞬示」
「真美」
「無事だったか?ご両親は?」
瞬示と真美がそろって首を傾げる。
「御陵が大変なことになったわね」
花子がキョトンとするふたりにやさしく声をかける。
「しばらく会わないうちに立派になったな」
「そう言えばもう十年も会っていないのかしら」
「よく似ているな。そっくりだ。ちょっと待てよ。なぜ、ここに?」
一太郎と花子が瞬示と真美を顔から足の先までなめるように見つめる。
【もう一組のぼくらと勘違いしている】
「花子!」
[200]
「一太郎!」
老夫婦がふたりの呼び声にうろたえる。昔、瞬示がそして真美が一太郎と花子を呼んだ声そのものがよみがえる。花子はくずれるように一太郎にもたれかかる。瞬示と真美は一瞬、生命永遠保持手術の機能が停止して老人となったカーンの姿を思い出す。一太郎も花子もふたりを見つめたまま動かない。やっとの思いで一太郎が声を出す。
「本物の瞬示か?」
「本物?」
瞬示が聞きかえす。
「学生時代、摩周湖へ旅行したことを覚えているか?」
一太郎の目が年甲斐もなく輝く。
「もちろん!あれから、どうなったんだ」
「それはこちらが聞きたいことだ。あのとき、死んだんじゃなかったのか?」
「え!」
話がかみ合わない。
「花子の方が死んだと思ってたわ」
花子が一太郎にもたれたまま首を小さく何度も横に振る。
民宿の食堂で今にもつぶれそうなあのなつかしいテーブルで四人が向かいあう。お互いたず
[201]
ねたいことがいっぱいあるのに、何から聞けばいいのかわからないほど混乱する。
少し落ち着いたらしく花子がお茶をふるまう。そのお茶を一太郎が震える手で口に少し含むとしゃべりはじめる。今までそつなくお茶をふるまっていた花子の手も震えだして、茶碗を口元まで持っていくこともできない。瞬示と真美はお茶に手をつけることもなく黙って一太郎の話を聞く。それはあのときの摩周湖での話だった。
***
展望台にいる四人は身近な自分たち以外、霧で何も見えない。視点の定まらない力の抜けた目で空間をながめる。濃霧の中で瞬示が真っ先に異常を感じる。
「揺れている」
「ほんと!」
真美も花子もほぼ同時に応える。
「地震だ!」
一太郎が展望台の手すりをつかむ。
バケツ一杯の水が振動でこぼれるように摩周湖から大量の霧が流れだす。もしこれが霧でなく水だったら、四人は間違いなくのみこまれて溺れてしまうほどの速さで流れる。四人は霧の中で重々しい響きを感じる。やがて足元から左右に揺れる震動がはっきりと伝わってくる。
「戻ろう」
[202]
瞬示が叫ぶとさらに大きな揺れが四人を襲う。一太郎は手すりをつかんでいた片手に満身の力をこめるともう一方の手で浮きあがった花子の身体を抱きよせる。
「あー」
瞬示と真美は霧で色が消えたスローモーションビデオのように地上から一メートルほど浮きあがると、手すりを超えて摩周湖に落ちていく。
「瞬示!」
一太郎が絶望的な悲鳴をあげるが、花子の身体を長い腕の中に引きいれて両手でしっかりと手すりを握る。花子も一太郎の腕の中から片腕を伸ばして何とか手すりをつかむ。その手すりも大きく揺れている。手すりが地面から抜けたら、ふたりも瞬示と真美のように摩周湖に落ちるのかもしれない。
いつの間にか振動がおさまり、ふしぎなことに霧も晴れる。一太郎と花子はかなり長い間振動が続いたような錯覚におちいる。しかし、それは一瞬の出来事だった。いつの間にか陽が一太郎と花子のまわりを明るく照らしている。
「真美」
花子がへなへなと地面に座りこむ。一太郎は手すりを持ったまま足元の摩周湖をのぞきもうとするがすぐにあきらめる。ズボンの尻のポケットから携帯電話を取りだしてボタンを押すが途中でやめる。
[203]
「圏外か」
花子が一太郎の手を握りしめて立ちあがる。ふたりはくずれた階段を用心深く降りる。振り返って展望台を見たい衝動にかられるが、そんな余裕はない。やっとの思いで駐車場にたどり着く。売店が倒壊して一太郎と瞬示が乗ってきた白い小型のレンタカーが横転している。花子の赤い車は止めてあったところからずいぶん離れたところに何事もなかったように駐車している。無数の亀裂をまたぎながら何とか赤い車にたどり着く。
「急ごう!日が暮れる」
「私が運転するわ」
気丈夫にも花子は運転席のドアを開けてエンジンをかける。一太郎が首を横に振って花子を見つめる。
「この辺の道路は私の方がよく知っているわ」
うなずいてから一太郎が助手席のドアにまわる。花子の車は四輪駆動車だが、まともに走行できる保証はない。これから先の道はとても道路と呼べるものではない。
***
「まるで浦島太郎だ」
瞬示が天井の裸電球を見つめる。花子がゆっくり立ちあがって壁のスイッチを押すとお互いのこわばった顔が浮かびあがる。花子がうつむいたまま炊事場に入るとポットを持ってくる。
[204]
「お茶、飲まないの?」
「わたしたちはいい」
花子がふしぎそうに真美と瞬示を見つめてから、空っぽになった一太郎と自分の茶碗に茶こしを通して湯を注ぐ。
あのときにお互い信じられない、しかも異なる事件が起こったが、まさしく別々の現実が合流して目の前で新しい現実となる。
「展望台で地震が起こったときに、それぞれの世界が別々に引き裂かれてしまったのか」
湯気が出ている一太郎の茶碗を瞬示と真美が見つめる。
一太郎の世界では、瞬示と真美は地震の大きな揺れにバランスを崩して摩周湖の展望台から真っ逆さまに転落したことになっている。その後の捜索でもふたりの死体は発見されなかった。
花子が一太郎に替わって話を続ける。
一太郎と花子は摩周村に向かうが、道路に亀裂が入っていてなかなか先へ進めなかった。日が暮れる少し前に何とか摩周湖に一番近い民家にたどり着いたが、その民家は壊滅状態だった。
一太郎が再び携帯電話の電源を入れるが、地震の混乱で回線がパンクしたのかどこへも連絡は取れなかった。
仕方なく、ふたりは村人が避難する摩周村診療所にたどり着くと、駐車場に車を止めて余震が続く一夜を車内で明かすことになった。その診療所が親友の山内の父親の診療所であるとは、
[205]
そしてそこで小田に手術をすることになろうとは、そのときの一太郎には知るよしもなかった。ふたりはエンジンを切らずに暖を取りながらうつらうつらと夜を明かして、日の出とともに花子の民宿へ向かった。
瞬示と真美がときどきうなずきながら花子の話を聞く。
その後鉄道が復旧すると、一太郎は花子の両親からいくらかのお金を借りて花子に最寄りの駅まで送ってもらって札幌に向かった。一太郎は再び学生生活に戻り、同じく再び大阪で学生生活に戻った花子とは、お互いの消息と瞬示と真美の不慮の死を悼む内容の電子メールをときどき交わす程度の付きあいをしただけで、そのうちメールのやりとりもなくなってしまった。悲しい出来事から逃避したかったからだ。
「それから僕は大学を卒業して札幌のジャストウエーブ社という元気のいいコンピュータソフト開発会社に就職した。ところがなんとその会社の入社式で妻と再会したんだ」
「本当にビックリしましたわ」
瞬示が手をあげて花子の会話を制する。一太郎は医学部の学生だったのに、なぜコンピュータソフトの開発会社に就職したのか釈然としなかったからだ。
「一太郎は脳外科医になるんだと言ってたじゃないか」
「いや、脳外科とまったく関係がないわけじゃない。僕は脳に損傷を受けてしゃべることができない人が意思疎通ができるような研究をしたかったんだ」
[206]
瞬示は一太郎の言葉をそのまま受けいれることができないと首を傾げる。一太郎が花子をやさしく見つめなおしてから言葉を続ける。
「高度な次世代ワープロソフトの開発のために花子と同じ研究室で仕事をすることになった」
「本当にビックリしましたわ」
花子がいつもの言葉を繰り返す。それから一太郎と花子がたどった人生についてはすでに瞬示や真美にはわかっている。瞬示が再び花子の言葉をさえぎって重要な質問をする。
「もうひとりのぼくらは何者なんだ」
「もちろん瞬示と真美の両親の子供だ」
「いつ生まれたの」
真美が食いつくようにたずねる。
「ご両親は真美、瞬示の死をひどく悲しんでいたわ。あれはいつでしたか、あなた」
「確か、無言通信システムの開発計画をたてたころだったから2026年の秋だ」
「そうだったわ。確か真美と瞬示が死んだとされた日のちょうど一五年後の同じ日の同じ時刻にそれぞれの両親から生まれたと聞いたわ」
「そうだ!その日は亡くなった瞬示たちの誕生日だとも言ってたな」
瞬示と真美が驚く。摩周湖であの事件に遭遇した日は自分たちの誕生日だった。
「あれは確か2011年、一五年後にぼくらの両親は出産した」
[207]
「かなりの歳よ!」
真美が瞬示の言葉にはげしく反応する。
「ぼくらの両親は四人とも同級生だった。ぼくらは確か両親が二十三歳のときの子だった」
一太郎と花子はさほど驚かない。
「摩周湖にいたとき、両親は四十五歳ということになる。十五年足すと、えーと……」
「六十歳で出産!」
真美が驚いて言葉を止める。
「すごい高齢出産じゃないか」
瞬示の驚く声に一太郎が子供に説明するように口を開ける。
「医療の進歩やそのほかいろいろな要因で、今や七十歳での出産例もある」
「そう言えば、いつか六十歳を超えて出産したというニュースを聞いたこと、あるわ」
真美が納得する。
「その生まれてきた子供が死んだ瞬示と真美の生き返りのようだとご両親がおっしゃっていたのを覚えてるわ」
「名前は?」
「もちろん、真美、瞬示と名付けられたわ」
「ときどき、ご両親から写真や動画の添付されたメールが送られてきたな」
[208]
一太郎が席を立つと棚から薄っぺらいノートパソコンを手にする。
「メールでのお付きあいは年賀状代わり程度でしたけれど、一度お会いしなければと」
ノートパソコンが立ちあがると一太郎がキーボードをなでる。
「これだ。今年の正月に送られてきたメールの添付動画だ」
この世界の瞬示と真美が、それぞれの家の前で撮影された短い動画がノートパソコンのモニターに映しだされる。瞬示と真美が一太郎の後ろに立つ。
「そっくりだわ!」
「マミそのものだ」
「さあ、今度は瞬示の話を聞こう」
一太郎の言葉にふたりは顔を見合わす。
「驚かないでね。途方もなくふしぎな話だから」
念を押すように真美が言葉を開くと瞬示が続ける。
「信じてもらえないかもしれない」
まず摩周湖での出来事から話すことにする。瞬示と真美の長い話が始まる。いつの間にか一太郎と花子は瞬示と真美の話が確かにとてつもなくふしぎなものだと戸惑う。平然と聞ける話ではないが様々な苦難を経験したふたりは終始驚きながらも何とかついていく。それどころか一太郎の目がときどき子供のように輝く。
[209]
民宿の外から波の音が聞こえてくる。少し荒れているようだ。さすがに花子の目がうつろになる。しかし、一太郎の目から眠気は感じられない。
「この辺にしておこうか」
「そうだな」
一太郎が花子の肩に軽く手をのせる。こっくりこっくりとしていた花子が反射的にすーっと立ちあがる。
「布団の用意をしますわ」
「花子、いいわ」
「えっ」
「わたしたち眠ることはないの。普通の人間のようにはね」
「少し散歩してくる」
瞬示が立ちあがると一太郎も立ちあがる。
「散歩?外は真っ暗だぞ」
「ぼくらには関係ない。暗闇でも物は見えるんだ」
真美も立ちあがって柔和な表情を花子に向ける。
「続きは明日ね」
「このまま消えてしまうということはないだろうな」
[210]
一太郎が不安そうにふたりを見つめる。
「大丈夫!おやすみ」
瞬示が一太郎と花子を安心させるために精一杯の笑顔を見せる。そして真美とともに勝手口のドアに立つと足元をスニーカーが包む。そのふたりの背中に一太郎が声をかける。
「この辺は泥棒がいないからドアに鍵はない。いつでもどこからでも入ってきてくれ」
「はい」
真美の返事が花子の耳に心地よく伝わる。
***
「この世界では、ぼくらは死んだことになっている」
「もう一組のわたしたちは、わたしたちじゃない」
「偶然なのか。まったく同じぼくらが生まれている」
ふたりは今すぐ両親に会って自分たちが生きていることを知らせなくてはという思いを持つ。
「でも、これまでのこと、どう説明するの」
瞬示がうなずきながら、指を一つひとつ折っていく。
「お父さんもお母さんも八十二歳だ。とても理解してもらえないかもしれない」
「わたしたち、生きてますって、目の前に現れたらショックで倒れるかもしれないわ」
「でも、ぼくらの両親、ふしぎな親だと思わないかい?」
[211]
「会わない方がいいのかしら」
急にふたりの気持ちがしぼむ。
「花子も一太郎も生きていてくれてよかったわ」
話をそらすつもりではなく、真美が素直な言葉を瞬示に向ける。
「一太郎も花子も意外と冷静だったなあ」
「本物かって言ってたわね」
ふたりはフーッと息をはいてから胸いっぱい空気を吸いこむとまわりをゆっくりと一巡する。
「何も変わっていない」
真っ暗闇なのに、ふたりには苦もなく民宿の周辺の様子がよくわかる。
「ここで信じられないような様々な事件が起きたわ」
ふたりはゆっくりと海辺の崖に向かう
「ほんの少し前の出来事に思えるんだけどなあ」
「そうよ。ずいぶん前のような気がするけれど、ほんの一週間か十日ぐらい前のことだわ」
「でも、ここでは三十七、八年もたっている!アインシュタインの相対性理論ってよく知らないけれど、宇宙を旅して帰ってくると地球上の時間が宇宙旅行した人の時間の何倍も進んでいるという」
すぐに真美が拒絶反応を起こす。
[212]
「でも、あの時空間移動装置が格納されていた穴はない」
徐々に空が明るくなる崖の下の海辺をふたりが見つめる。振り返ると民宿がさびしそうに建っている。よく確かめずにここへやって来たが、瞬示や真美の家も老朽化していた。鉄道は高架になっていた。小学校は建てなおされていた。しかし、自動車はエアカーではなかったし、電信柱も昔のままだった。一方喫茶店はなくなっていたし、それに御陵は消滅して池になっていた。
「テレビ!」
ふたりは民宿の食堂に戻って液晶テレビの前に立つ。リモコンを探す真美を尻目に瞬示が直接電源を入れる。ちょうど朝一番のニュースの映像が流れる。
***
「超大型時空間移動船!?」
瞬示と真美が身動きひとつせずにテレビを見つめる。
「大砲が御陵を狙っているぞ」
「これ、ニュースなの」
「朝からSF映画を放映するテレビ局なんて聞いたことがない。わあ、レーザー光線が!」
瞬示が叫んだあと画面が変わって男性のニュースキャスターの声が流れる。
「このあと宇宙戦艦が消えるのですが、別のカメラがふしぎな映像を捕らえています。これは
[213]
御陵近くのビルの屋上に備えられたビデオカメラが偶然に撮影したものです」
空の一角から緑に輝く丸い光の塊が御陵を目指して突進する。緑の光の塊、すなわち緑の時間島が御陵にぶつかる手前で赤い光が分離して御陵の上を通過する。これは瞬示と真美が時間島から離れて小学校に向かったことを示している。映像はあまり鮮明ではない。
「瞬ちゃん!緑色よ!時間島が緑色をしている」
真美の言葉に瞬示も驚きながら首をたてに振る。
緑の時間島が御陵におおいかぶさる。御陵は緑の光の塊に抑えこまれてキラキラ輝く無数の緑のホコリを残して消滅する。ほんの数秒間の出来事だ。霧のようになって舞いあがったホコリが徐々に晴れていく。ここで映像が上空から撮影された鮮明なものに変わる。巨大な鍵穴の形をした緑色の池が画面いっぱいに映しだされる。
「ぼくらが緑の時間島でこの世界に戻ってきたことは間違いない」
「御陵にぶつかる直前にわたしたちは小学校に移動した」
同じ映像が繰り返し幾度も流れたあと男性と女性のニュースキャスターが交互に解説を始める。
「未来人ミトは宇宙戦艦で未来に戻ったのでしょうか」
【未来人?】
【ミト!】
[214]
瞬示と真美はニュースキャスターの声をもらさず聞くために会話を信号に変える。
「これをご覧ください」
女性のニュースキャスターがボードを自分の前に置くとカメラがそのボードを画面いっぱいにアップする。
「これはミトたち未来人が地球にやって来たときから今日に至るまでの彼らの行動を年表にまとめたものです」
【西暦2030年にやって来た?】
【ミトたちって、ミトのほかにこの世界へやって来た者がいるということだわ。キャミ?】
【こんな大事件を一太郎も花子も何も言ってくれなかったな】
年表を見て驚くばかりで何も考えることができない。やっと真美が信号を発する。
【誰がミトといっしょにやって来たのかしら】
【宇宙戦艦と言ってた】
【ここは本当にわたしたちの世界なの?】
【あの宇宙戦艦から大砲を取りのぞいたら、キャミやミトが地球を脱出したときの超大型時空間移動船とよく似ている】
しばらくするとふたりは信号を交わすこともやめてニュースキャスターの解説に神経を集中させる。すべてを理解するとふたりは一太郎と花子の心の中をのぞく。ぐっすりと眠っている。
[215]
【起きそうにもないな】
【ふたりが目を覚ますまで、沼みたいになった摩周湖を調べに行かない?】
【ひょっとしたら摩周湖に何かヒントがあるかもしれない】
瞬示が真美の手を取って摩周湖に瞬間移動する。
***
摩周湖の周辺がうっすらと明るくなる。わずかに残った湖水の付近はまだ真っ暗だが、ふたりには鮮明に見える。
「あんなに水をたたえていたのに」
変わり果てた摩周湖の上空から、もはや湖と呼ぶにはふさわしくない白濁色の沼を見つめる。
「底はどうなっているんだろう」
「降りてみる?」
真美はそうしたいわけでもないが瞬示に提案する。
「そうだな」
瞬示も気乗りしない返事をする。ふたりが徐々に高度を下げて水面下に沈んでいく。心が痛むほどのやせた水がふたりを包む。
【何も見えない】
白濁した水の中ではさすがにふたりの視力を持ってしてもぼんやりとしか見えない。やがて
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徐々に視界が広がる。底の方は透明度が高く水中にいるような感じがしない。
【あれは何かしら】
瞬示が真美の信号からその方向を見つめる。
【丸い緑色の……まさか大型のマリモじゃ?】
ふたりが沼の底に到着する。
【これは!】
目の前には緑の時空間移動装置が転がっている。
【どうしてこんなところに】
【一、二、三、四……】
真美が数を数えはじめる。七基の時空間移動装置が身を寄せるように沈んでいる。
【中に入るぞ】
瞬示の手をあわてて真美が握る。ふたりは一番近い時空間移動装置内に瞬間移動する。
【うっ!】
なんと時空間移動装置の中は宇宙そのものだ。瞬示も真美も瞬間移動を間違えたのかと錯覚する。ふたりは次々と別の時空間移動装置の中に移動して六基目の時空間移動装置の中にいる。
どの時空間移動装置の中にも宇宙が広がっている。しかし、六基の時空間移動装置の中の宇宙はそれぞれまったく異なる宇宙に見える。ある時空間移動装置の中の宇宙には近くに赤い星
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が見えるのに、ある時空間移動装置の中ではほとんど星が見えなかったりする。同じ宇宙の異なる場所を示しているのか、それともまったく別の宇宙空間を示しているのか。
ある部屋で南側の窓を開けると山が見え、北側の窓を開けると海が見え、東側の窓を開けると月が見え、西側のドアを開けると夕陽が見える。しかし、それぞれの窓の外の世界が同じものかどうかわからないということだ。そして窓の外の景色が山や海であれば驚きもしないが、逆に外から窓を通して家の中を見たら、そこに山や海や夕陽や月が見えるようなもので、ふたりはしばらく信号どころか声も出ない。これは時空間移動装置が時空間移動に失敗したときに起こる現象だが、ふたりにそんなことはわからない。
【時空間移動装置の中が宇宙になっている】
【わたし、頭が変になりそう】
まるでエベレストのふもとの山小屋のドアを開けて部屋の中に入ったら富士山のふもとに立っているというような感覚を瞬示と真美が共有する。
ふたりはいつの間にか展望台のベンチに腰かけている。東の空がうっすらとピンク色に染まると美しい朝焼けがふたりの顔をピンクに染める。
【摩周湖に時空間移動装置が沈んでいるだけでもふしぎなのに】
【どこから来たんだろう】
【誰が乗っていたのかしら】
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【緑色、ホーリーじゃないだろうな】
【いやなこと言わないで】
真美が機嫌をそこねる。
【ホーリーは今どこにいるんだろうか】
【ニュースで聞いた感じでは宇宙戦艦にいるんじゃないのかしら】
【あ、そうだ!まだ、もうひとつ時空間移動装置の中を確認していない】
【もう、いいんじゃない。どうせどこかの宇宙なんでしょ】
【そうだと思うけれど確認しておこう】
真美があきらめて同意するといっしょに七基目の時空間移動装置の中に瞬間移動する。
【わあ!何だ?】
これまでの時空間移動装置の中と違って赤や黄色の華やかな色彩の世界にふたりは包みこまれる。
【ここは……寺の境内じゃないか】
これまでとまったく違う世界にふたりはただ驚くばかりでしばらくの間その光景に釘付けになる。境内は紅葉狩りの人々で賑わっている。
【ここは壮大寺って紅葉で有名な京都のお寺よ。一度来たことがある。間違いないわ】
【どういうことなんだ】
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【七基目の時空間移動装置の中だけが地球上のしかも京都の寺だなんて……】
真実が腕時計を確認する
【西暦2048年11月11日12時】
【わたしたちが地球に戻ってきた三時間ぐらい前の世界よ】
【どんな風にぼくらが地球に戻ってきたのか確かめることができるぞ!】
【民宿に戻るっていう約束は?】
【一太郎にはいつでも会えるさ】
ふたりは壮大寺の境内の鮮やかな紅葉に誘われて奥の方に向かって歩きだす。
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