第三十一章 特別番組


【時】西暦2030年(一太郎と花子の回想)
【空】京都(壮大寺) 琵琶湖(末寺) 大阪城
【人】一太郎 小田 山内 大僧正 ミブ 二天

   ホーリー サーチ ミト 住職 リンメイ 忍者 ケンタ 五郎


***

 京都の双岡というところに樹木がうっそうとしたまるで御陵のようなふたつの小高い丘に建立された壮大寺という寺がある。ミブの父はその寺のトップで大僧正いう地位にある。夕方の斜陽すら届かない壮大寺の一番奥に時空間移動装置が現れる。回転が止まるとドアが跳ねあがってミブと住職が境内に降り立つ。すぐにドアが閉まると再び回転してすぐに消える。時空間移動装置のドアは修理されてスムーズに開閉するようになった。ミブが住職を連れて庫裏に向かう。


「立派な寺じゃ」


 羨望の眼差しでまわりを見る。寺を追いだされた住職にしてみれば、これ以上の言葉をミブに伝えることができない。

 

[84]

 

 

「大僧正!」


 中は真っ暗で薄暗い外から入ってきた者でもまったく何も見えない。


「この時間は庫裏にいるはずなのに」


 ミブは脱いだ靴をそろえると中に入る。同じように住職もスニーカーをそろえて足元を気づかいながら何とかミブのあとを追う。


「ミブはいずれこの立派な寺を引き継ぐのか、それともジャストウエーブ社で一太郎といっしょに無言通信のさらなる開発に関わるつもりか」


「住職、私は大僧正の実の息子ではありません。大僧正はこの寺の門に捨てられた赤ん坊の私を育ててくれたのです」


 住職はミブの声を頼りについていく。


「そうか。つまらないことを言って申し訳ない」


 ミブは別に不愉快な表情もせずに軽く笑う。住職の目がやっと暗闇に慣れる。


「大僧正」


 ミブがもう一度呼びかけたとき、住職が背中に気配を感じて振り返る。いつの間にかおごそかな僧衣を身にまとった大柄な僧侶が立っている。


「ミブ、いつ戻った?」


 ミブは驚くことなく大僧正のそばに歩みよる。

 

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「お聞きしていただきたい重要な話がございます」


 暗い部屋の中で息子の真剣な表情がわかるのか、大僧正はまったく音もたてずにミブと住職の間を通りぬけて奥の部屋に向かう。


「まるで忍者のような足取りじゃ」


 住職がふしぎそうに大僧正の背中を見つめる。ミブは隣の部屋に住職を案内すると灯明をつけて慣れた手つきで茶碗と茶托を用意する。


 しばらくして質素な黒い袈裟に着替えた大僧正が現れる。

 

「かなり重大なことらしいのう」


 大僧正が薄い座布団に腰を落とす。まず住職を紹介してから、ミブはこれまでのいきさつを詳しく説明しはじめる。ところどころで住職が補足する。


 約一時間、大僧正は一言も口を開かずに首ひとつ傾けることもなく黙然するかのように聞いていた。ミブの話が終わると大僧正がすっと立ちあがってふすまを開けると背中で応える。


「残りの方々も連れて来なされ」


「大僧正は?」


「客人を迎える準備をする」


 大僧正が奥に消える。住職はその威厳ある姿に感動する。一方、ミブは一太郎に無言通信を送る。

 

[86]

 

 

{一太郎、ミトに頼んで全員こちらに来てくれ}
{わかった}


 すぐさまミブと住職が庫裏の外に出る。時空間移動装置が三基同時に暗闇に包まれた庫裏の前に現れる。呼吸を合わせたようにそれぞれのドアが跳ねあがる。


「ここは外からまったく見えません。安心してください」


 ミブが全員を庫裏に招きいれる。


***

 六次元菩薩と呼ばれる摩訶不思議な仏像が安置された一番奥の壮大観という建物の中で大僧正を囲むようにミブ、二天、ミト、ホーリー、サーチ、一太郎、花子、小田、山内、住職、リンメイが数本の灯明に照らされて座っている。


 大僧正は小田や一太郎の話を受けいれたあと沈黙を破る。


「無言通信が普及すればより良き新しい世界が生まれるが、新しい難問も起こる。仏に仕える者としては次なる因果に備えなければならんのう」


 小田はミトたちに続いて強力な味方を得て手応えを感じる。一方、住職は生命永遠保持手術が普及したころを思い浮かべながら大僧正に語りかける。


「わしにはできなかった。それどころか新しい時代に埋没してしまった。時の流れというものが目に見えぬ川底で変化したことに気が付かなかったのじゃ」

 

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「戦争には抵抗もできようが、新しい時代の流れには逆らえないものじゃ」


 住職が大僧正に二度うなずいてから、自分の寺のことを手短く話す。


「住職のお名前は」


「これはわしとしたことが、大変失礼なことを!申し遅れました。空澄寺の最海と申す」


 ホーリーとサーチが初めて住職の名前を知る。


「空澄寺?はて聞いたことがない寺の名前だのう」


「生きている世界が違うのじゃ」


「最海殿。これから世の中でどのようにして仏の教えを説くか、何もわからぬし、何もできぬかもしれぬ」


 灯明がゆらりと一度だけ左右に揺れると大僧正が初めて顔の形を変える。


「いや、大僧正ならたやすいことと思われる」


「なんの、最海殿。仏力をお貸しくだされ」


「もちろんじゃ。世俗に汚れたわしにはもはや仏力はないが、もうひと働きしたいと思っておったところじゃ」


 そのとき、小田が頭を畳にこするようにして深く礼をしたあと、大僧正と住職の話に割って入る。


「無言通信チップを脳に埋めこむ手術をする場所について何か妙案はありませんか」

 

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 意外にも大僧正が即答する。


「壮大病院を利用すればどうかのう」


 小田が驚きを隠さずに質問を続ける。


「壮大病院?」


「壮大寺が経営する病院で、この丘のふもとにある総合病院です」


 答えたのはミブだった。


「しかし、そのチップとやらはどうやって作るのだ?」


 大僧正が首をひねる。一太郎が長い小ひざをたたく。


「それも大問題なのですが、とりあえず百個ほど手元にあります」


 一太郎が大事そうにジュラルミン製のアタッシェケースをパチンと開けると、中には指の先ほどの小さな強化ガラス製のカプセルに入れられたチップが並んでいる。


「こんな小さなものに人類が自由に通信できるカラクリが埋めこまれているのかのう?」


 大僧正がそのひとつをつまむと両目を鋭く光らせる。


「思ったとおりに、世の中を変えなはれ」


 大僧正がカプセルをアタッシェケースに戻すと立ちあがる。そして思案げに天井の一角を見上げる。


「さて、病院長にどう説明するかのう」

 

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 小田が両手を握りしめて大僧正とその視線の先を見つめる。


***

 壮大病院内のある部屋が無言通信チップの埋込手術室として確保されて山内の指導のもとサーチとリンメイが手分けして手術を実行する。ホーリーの頭部に要領よく埋込手術をするサーチの手腕に山内はただ驚くだけで指導する立場を放棄する。


「何という手さばきなんだ!これはまさに神の手じゃないか」


 サーチが逆に驚いて身を引く。


「もう手術の現場から去って数十年たつわ。リンメイはついこの前まで現役だったからすごいと思うわ」


 手術を通じてお互い打ち解けて呼び捨てで名前を呼びあうまでに親しくなるが、気楽に会話するのはサーチやリンメイの方で山内や一太郎は驚くばかりだった。


「冗談だろ。数十年というと、どう控えめに見てもサーチが小学生のころじゃないか」


 一太郎が笑うでもなくサーチをまじまじと見つめる。横でリンメイが住職の手術をしている。サーチの言うとおり、その手さばきはサーチをはるかに超えている。


「これは参った」


 一太郎はサーチの奇妙な言葉も忘れて老女に見えるリンメイにただ感心する。次にミトをはじめ兵士に手術が施される。あっという間に朝から始められた手術が夕刻にいたる十時間程度

 

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で完了するが、リンメイがついに音をあげる。


「寄る年波には勝てないわ」


「そんなことないわ。私の方がクタクタよ」


 サーチが手をあげる。異なる世界にいる人間の能力に山内は超人的な感じを抱くが、疲れたというふたりの言葉に何となく親しみを覚える。


「よーし、今日はここまでだ」


 山内も兵士の手術を終える。山内の助手に徹していた一太郎が大僧正と話しこむ小田を見つめる。どうやら行動を共にしてくれそうな者の人選をしているようだ。


「我らの宗門の者は必ず戒律を守る」


「とにかくジャストウエーブ社の腹心の幹部と部下をここに呼ぶ」


「待ってください」


 一太郎が会話に合流する。


「ミトや兵士の意識が戻るのを待って、まず手術の効果を確かめましょう」


「もちろんじゃ。それに彼らの意見も聞かなければならんのう」


 大僧正が一太郎の意見に賛同する。


「サーチとリンメイの腕を持ってすれば無言通信チップの手術はいとも簡単に終わる。次を考えなければ」

 

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「チップの量産ですね」


 一太郎の指摘に小田が腕を組む。


「ジャストウエーブ社の設備を利用するわけにはいかない」


「ニュースによれば、ジャストウエーブ社では社長の居所がわからないのでかなり混乱しているようだ」


 ミブが小田と同じように腕を組む。


「それにジャストウエーブ社は常時監視されている。悲しいことだが情報をもらす者もいる」


「人選は慎重にしなければならんのう」


「その上で政府の協力を取りつけて、ジャストウエーブ社でチップを量産するしか手はない」


 小田は一歩踏みだすことを決心する。


「まずは上手に宣伝して、世論を味方にするしか方法はなかろう」


 大僧正が目を閉じると思いをめぐらす。


「具体的には?」


 ミトが大僧正を見つめる。全員、静かに大僧正の次の言葉を待つ。沈黙がしばらく続いたあと大僧正が目を閉じたまま低い声をもらす。


「とりあえず、信頼できる者に今あるチップ全部を埋めこみなはれ。その間に何とか手立てを考えよう」

 

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 次の日には手術を受けた者の間で無言通信チップの埋込手術の協議が練習をかねて無言通信で行われた。その間にサーチがリンメイに手術を施したのち、大僧正にも手術を実施した。その直後サーチが過労のためか突然寝こんでしまう。サーチの回復を待って、翌日リンメイがサーチに手術をして全員の手術が完了する。そして残った無言通信チップを埋めこむのにふさわしい人選にかかる。


***

 京都のテレビ放送会社が極秘のうちに特別番組の準備を進める。表向きは「携帯電話とモラル」と題した番組だが、実際はジャストウエーブ社が開発した無言通信システムに関して行方不明の小田社長に直接インタビューするという衝撃的な特別番組で、大僧正がこの放送会社の社長に持ちかけた。インタビューの場所はこれも大僧正が手配した琵琶湖の小さな島にある壮大寺の末寺で行われることになった。


 放送会社は、末寺にディレクター、進行スタッフ、カメラマン、そしてジャストウエーブ社に好意的で信頼のおける十人のコメンテーターを送りこむ。「琵琶湖に浮かぶ神秘の島」の取材ということになっているが、実際はここから小田社長のインタビューを生放送するのだ。


 夜の九時だというのに花崗岩でできた険しい断崖を持つ周囲五百メートル足らずの島が明るく輝いている。すでに生放送の準備はとどこおりなく完了した。


「携帯電話が普及してから三十年たちました。携帯電話の使用についてモラルの低下が指摘さ

 

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れていますが、この点に関してコメンテーターの方々からご意見を伺います」


 もちろん、コメンテーターに携帯電話のモラルについて意見を述べてもらうのが目的ではない。ディレクターが腕時計をにらみながら司会者に目配せする。


「次のビデオをご覧ください」


 小田が到着するまでの時間稼ぎだ。


「これは二十年前の2010年に特集した『携帯電話とモラル』というテーマで取材したときに、各方面の方々に意見を述べてもらったものです」


 ディレクターが外へ出て上空をながめる。満天の星が輝いている。


「極秘番組だからCMは流せない。小田社長はどうやってここへくるのか?」


 ディレクターが携帯電話で本社に連絡を取りながら、檻の中のクマのように狭い境内を行ったり来たりする。ビデオが終わったのか男性のコメンテーターの声が聞こえてくる。


「携帯電話の発達には目を見張るものがありますけれど、マナーの低下には驚きますね。」


「そう言えば大昔、何人もの人が公衆電話ボックスに並んでいるのに、お構いなしにずーっと電話を独占していることがずいぶん非常識だと話題になったこともありました」


「今や、なつかしい話ですね」


「モラルが悪くなるのは携帯電話からの電磁波で頭がおかしくなるからでしょうか」


「携帯電話が悪いのではなく、政治や社会が悪くなったときに携帯電話が普及したためではないでしょうか」

 

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***

 風を切るような音が聞こえてくる。ディレクターが数歩さがって寺の門に身を引くと目の前に突然、時空間移動装置が現れる。


「何だ?これは!」


 ディレクターはもちろん、そばにいたスタッフもぼう然と時空間移動装置を見つめる。回転が止まってドアが跳ねあがる。小田が降りてくるとディレクターが我に返ったように小田に向かってかけだす。


「小田さんですね。こちらへ!」


 小田がうなずくと時空間移動装置を気にするディレクターに案内されて生放送の会場に向かう。すぐに時空間移動装置が消える。


 司会者、コメンテーター、カメラマンたちが驚きながら、粗末な会場の入口にいる小田に熱い視線を注ぐ。時の勢いのせいか、一同には小柄な小田がとても大きく見える。


「三、二、一」


 進行スタッフがカウントダウンする。


「さて、今日は携帯電話社会に大きな影響を与えるかもしれないジャストウエーブ社の小田社長をお招きしております。小田さんはご存じのとおり、身の危険を避けるために潜伏しておら

 

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れますが、ジャストウエーブ社が開発した無言通信システムに立ちはだかる巨大な圧力に対抗するため、メディアを通じて訴えるために意を決してお見えになりました」


 精一杯の拍手が小田を迎える。


「本日は危険をかえりみず、おこしいただきまして誠にありがとうございます」


 司会者が通り一遍のセリフを述べてから小田に会釈する。小田は緊張した面持ちで所定の座席に腰かける。司会者の緊張度も最高潮に達して上すべりした声を出す。


「もう一度紹介させていただきます。無言通信システムの開発に成功したジャストウエーブ社の社長、小田さんです」


 小田が座りなおして深々と頭を下げる。


「もう皆様方も十分ご承知でしょうが、無言通信システムといっても米粒ぐらいの大きさでそれを脳に組みこむとテレパシーのように誰とでも通信、いえ会話ができるというチップで、しかも翻訳まで行えるのですね」


「そうです」


 さっそく小田は内ポケットから大事そうに無言通信チップが入った小さなカプセルを取りだすとカメラがそれをアップで映す。


「すでに実用化されているのでしょうか」


「はい。わたくしの頭の中にもこのチップが入っております」

 

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 小田が頭の右側の少し前あたりを指差して言葉を続ける。


「このあたりに言語帯があるのですが、そこに埋めこまれた無言通信チップが言語帯に働きかけるのです。チップはこのあたり、少しハゲているでしょ、ここに埋めこまれています」


 コメンテーターは自分たちの役目を忘れて髪の薄い小田の頭部を戸惑いながら見つめる。


「現在どのぐらいの言語の翻訳ができるのでしょうか」


「約千種類の言語に対応しております」


「すごいですね」


「いいえ、世界で使用されている言語は方言もありますので数え方にもよりますが、六千以上と言われています。まだまだ満足のいく数字ではありません」


「無言通信はどのようにして行われるのですか」


「念ずるような感じで行います。まず無言通信したい相手に心の中で語りかけるように呼びだします。そして応答を待ちます。慣れれば簡単です」


 ここで堰を切ったようにほかのコメンテーターが小田に質問を浴びせる。


「通信という以上、電波を使うのですか」


「電源はどうなっているのですか」


 司会者があわてて質問に割ってはいる。


「まず、通信の仕組みから説明していただきましょう」

 

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 小田は少し苦笑するが、すぐに真剣な表情に戻って説明を続ける。


「相手の信号を受けるとやはり心の中で語りかけるように話をします。相手がアメリカ人ですと自動的に英語に翻訳されて無言通信が開始されます。相手からの返事も自動的に日本語に翻訳されてこちらに戻ってきます。感覚としては、水中に潜っている状態で頭の中がひっそりと響くような感じを想像してください」


「通信は電波で行われるのですか」


「ジャストウエーブ社のホームページで詳しく説明していますが、通常の電波ではありません。脳波です」


「脳波というのはかなり弱いものじゃないのですか」


「そのとおりです。でも皆さん、例えば怖い夢を見たとき響くような衝撃を受けた経験がありませんか」


 小田はいつの間にか落ち着きを取り戻してコメンテーターを順番にながめる。


「私は阪神淡路大震災を経験しましたが、もう四十年以上も前のことなのに、今でもときどきゴーッという地鳴りの中で逃げまわる夢を見ることがあります。その地鳴りが頭に響いて目が覚めることもあります」


 初老の女性のコメンテーターが両耳を押さえる。


「人間は大昔、つまり言語を持たない時代にはかなり強い脳波を発して仲間に危険や異変を伝えていたようです」

 

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 小田の説明に男性のコメンテーターが質問する。


「今も科学では説明できない動物たちの行動がありますが、言葉を発明していなかった太古の人類は特殊な通信手段を持っていたということですか」


「そうです。私どももまだそのような人間の能力についてほとんど解明できていないのですが、このチップを埋めこんで組みこまれたプログラムが実行されると、ふしぎなことに脳の中で生成された言葉が増幅されて特定の相手に届くことを発見しました」


「偶然そうなったとでもおっしゃるのですか」


 小田がそのコメンテーターの疑問に答えようと身体をずらす。


「私どもは究極のワープロソフトを作ろうと三十年近く研究しました。究極のワープロソフトとは音声入力で様々な言語に翻訳しながら文章を作るソフトです。どのような言語も基本的なルールがありますが、一方では人間一人ひとりの言語には『ゆれ』が、つまり個性があって基本的なルールを乱します。私どもの社員にこの言語の基本的ルールと『ゆれ』との間にある規則性を発見し、それをプログラム化した者がいました。複雑と思われる事象は意外と単純な法則で成り立っていることが結構多いのです。企業秘密ですが、私どもは言語に関する法則を発見したのです。すでに開発していた翻訳ソフトが高レベルに達していたので、この法則を組みいれて究極に近いワープロソフトを完成させました。ここまでくると欲が出て音声によらず直接脳で作られた言葉をアウトプットする方法として、例えば、脳に蓄えられた日本語の文章を
英語で直接プリントアウトするとか、つまり信号として取りだせないかと欲張ったことを考え
はじめました」

 

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 一部のコメンテーターは小田のこの程度の説明はジャストウエーブ社のホームページで予習済みの者もいるが、ほとんどのコメンテーターが興味津々といった顔つきで注目する。


「時間の関係もあり、まだほかにもいろいろお聞きしたいこともありますので、少し手短にお願いできますか」


 司会者が小田に告げる。実際のところ時間の制約などあるはずもない。司会者の職業的な口癖なのだろう。


「それでは少しはしょりますが、札幌の大学の医学部の協力のもと、猿を使っていろいろ試してみたところ、意外なことを発見したのです。本来猿が持ちあわせていない脳波が測定されたのです。そこでこれは禁じ手なのですが、私どもは社内で特別チームを組んで人間でも同じように特殊な脳波が現れるか実験をしました。結果はさんざんたるもので失敗の連続でしたが、つい数週間前に成功しました。非常に弱い脳波なのですが、それが特定の人間に向けられると強力な脳波となって通信できることが確かめられたのです」


「それが無言通信と呼ばれるものなのですね」


 小田はコメンテーターの言葉を気にも止めずにしゃべり続ける。

 

[100]

 

 

「このチップを埋めこむ手術もさほどむずかしいものではなく、私どもは一気に実用化の域に達しました」


「ここからが問題なのですね」


 司会者がいったん小田をさえぎる。少し興奮気味な自分に気が付くと小田は目の前のペットボトルのふたをひねってコップに注ぐことなくそのまま口にする。


***

「襲撃された相手に心当たりはないのですか」


 摩周村での襲撃事件について司会者の信頼が厚い年配のコメンテーターが質問する。小田が一同に向かって首を横に大きく振る。


「私どもの無言通信システムに大きな関心を持つ者は二種類に分けることができると考えております」


「といいますと」


 司会者が小田の言葉を受けとめる。


「ひとつは無言通信システムを自分たちに都合のいいように利用しようとする者です」


 小田が「もうひとつは」と言いかけたとき不作法な男性のコメンテーターが口をはさむ。


「このシステムが手に入れば大金持ちになれますね」


 お金持論を口にしたコメンテーターを軽蔑するように女性のコメンテーターが口をはさむ。

 

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「このシステムを軍隊に組みこめば、相手より素早く情報を集められるわ」


「指揮命令が迅速に、かつ正確に末端まで徹底することも可能だろう」


「ジャストウエーブ社に乗りこんで力ずくで奪いとるほどの価値があるわ」


 司会者が勢いにのるコメンテーターの話をさえぎる。


「最新の情報によりますと日本政府は陸上自衛隊をジャストウエーブ社警備のために一個師団派遣したようです。すでに東京と大阪の支社にも機動隊を派遣しました。さらに小田社長に身柄を保護するために最寄りの警察に出頭するように勧告しています。」


 小田が腕を組んで目を閉じる。より詳しい最新のニュースを無言通信で二天からまさしく今、受けとる。誰も小田が無言通信を受信していることに気付くことはない。


「このシステムを欲しがる者たちばかりではありません」


 小田の言葉にあるコメンテーターが素早く反応する。


「つまり、この技術を闇に葬ってしまいたい者がいるということですね」


「そうです!」


「独裁国家なら、このようなシステムが国内に入りこむと体制を維持できなくなるのでは」


「内戦状態にある国もそうだろう」


「いや、内戦状態の国では逆にこのシステムを欲しがるだろう。先にこのシステムを取りいれた方が内戦の勝者になるはずだ」

 

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「内戦状態でなくても多民族国家ではこのシステムによって分裂するかもしれない」


「逆かもしれない。お互いのこの無言通信の翻訳機能によってコミュニケーションが活発になり、誤解が解けて仲良くなるかもしれない」


 コメンテーターの討論がようやく満足のいくレベルに達したことで司会者の出番がなくなる。


「携帯電話の製造会社や通信会社から見ればこのシステムは目の上のたんこぶどころか、死活問題になるわ」


「すでに通信関連の企業が大きな打撃を受けている」


「とにかく世界が激変するなあ」


「我々も失業するかもしれない」


 何人かの人間が集まるとどうしてもピントのぼけた者が混じってしまうことがある。しかし、このピントのぼけたコメンテーターがずばっと言葉をはく。


「このシステムによって平和な世界になるのか、それとも混乱した世界になるのか、ジャストウエーブ社と日本政府次第だ!」


 小田はこのあと根気よく無言通信の有用性を説明する。そしてどのような質問にも誠実にしかもていねいに答弁する。やがてこの番組を通して世論がジャストウエーブ社に好意を持ってくれることを切に願う小田の姿が会場から消えて、迎えに来た時空間移動装置に乗りこむとこの小さな島をあとにする。コメンテーターや放送局のスタッフの記憶に時空間移動装置の丸い形が刻みこまれる。

 

[103]

 

 

 そのあと入れ替わるようにヘリコプターがライトを地面に向けて慎重に寺の正面に着陸する。カメラマンが機材を肩に背負ってヘリコプターに乗りこむ。ローターを回したままのヘリコプターから吹きだされる強風が、寺のまわりの木々を大きく揺らす。ドアが完全に閉まらないうちにヘリコプターが上昇する。


***

 日本中、この日は眠れない夜になった。生放送のあと数時間後にこの京都の放送会社が配信した録画を受けとった海外のメディアもすぐに翻訳して放映する。これを見たあらゆる人々が改めて無言通信システムに驚くとともにこのシステムが一国に独占されたり、悪意に満ちた者の手に渡ることを恐れる。平和利用を望む意見が大きなうねりとなってジャストウエーブ社を励ます声が高まる一方、一部に無言通信システムを永遠に葬るべきだと主張する不要論者が出現する。


 メディアが無言通信関連の報道を流さない日はまったくないほど全世界の話題を独占する。小田や一太郎は熱い思いを抱く一方でますます表に出る機会を失う。今、公の場に出ればどんなに政府が身辺を警護してくれようとも命の保証はないという恐怖感を強く抱く。さらにミトたちの存在が明らかになれば全世界が大混乱におちいることはたやすく推測される。


 日本周辺がにわかに騒がしくなる。ジャストウエーブ社の本社には無言通信の数々の資料や

 

[104]

 

 

チップの試作品があるが、言語処理プログラムのソースリストは一太郎と花子の頭の中にある。


 世界中が小田の次の行動を神経質なほど関心を持って見守る。日本政府は小田にあらゆるチャンネルを通じて接触を試みようとするが、小田は沈黙を守り続ける。


***

 小田を中心に、「西暦」の世界の一太郎、花子、ミブ、二天と、「永久」の世界のミト、ホーリー、サーチ、住職、リンメイが、壮大寺で連日今後の方針を議論するが、なかなか具体的な対応策を立てることができずに、ただ時間だけがいたずらに流れる。あせりの色が濃く漂いはじめたとき、ジャストウエーブ社の大阪支社が、機動隊の警備をかいくぐって突入した武装集団に占拠されたというニュースが流れる。


 大阪支社の社員を人質にテロリストがたどたどしい日本語で無言通信チップと言語処理プログラムのソースリストを要求する。政府は直ちにテロ対策専門の自衛隊員を大阪支社に派遣する。同時に外国人の入国制限を実施するが諸外国の反発を招く。


 一方、事態は最悪の状況となる。大阪支社は大阪城のそばにある九十九階建ての超高層ビルの最上階にあるが、社員が数時間おきにひとりずつ割れた窓から突き落とされるシーンが生中継される。国外からの反発がたちどころに消える。


 小田は気が狂わんばかりに動揺する。


「何てことだ!」

 

[105]

 

 

 政府からの小田に対する呼びかけはますますはげしく、NHK、民放を問わず連絡を取るように伝える。


「とにかく人質を救出しなければ」


 ミトを中心に救出作戦をたてようとするが妙案はない。時空間移動装置を使ってビルに空間移動して不意を突くまでの計画はたつが、その後どのようにして社員を救出するのかについてまったくこれといった具体策を構築できない。


「時間がない。またテロリストから一時間後にひとり突き落とすと通告してきた」


 一太郎が弱々しくつぶやく。


「時空間移動装置での移動が成功したとしても、素早くビル内に侵入するのがむずかしい」


 ミトほどの知将でもテロには打つ手がない。


「ひとりずつしか時空間移動装置から降りることができない」


 ホーリーが同じようにため息をつく。


「三基では第一陣として三人しか飛びだせないわ」


 サーチが言葉をつなぐ。


「せめてもう二基あれば何とかなるのだが」


 ミトが指を二本立てる。


「でも格闘になるわ。レスラーはこちらにはいない」

 

[106]

 

 

 サーチが首を横に振る。


「やはり政府に連絡して協力してもらうほかないか」


 ホーリーがミトを見つめる。小田が素早く言葉をはさむ。


「時空間移動装置や皆さんのことをどうやって政府に説明するのだ?」


 誰からも言葉が出ない。それまで黙っていた二天が発言する。


「俺とミブが先陣を切ろう」


 ミトが驚いて二天にきびしい視線を向ける。


「素人が戦える相手ではない」


「いや、俺たちの剣術を持ってすれば何とかなる」


 一太郎が少し意を強くして小田を見つめる。


「全日本剣道選手権の優勝者でもしょせんはスポーツの世界だ。テロリストのショットガンには通用しない」


 小田が二天に首を振る。二天は剣聖と呼ばれるほどの腕前を誇る。ミブはその良きライバルだ。そのミブが決心する。


「ほかに方法はない」


 そのとき庫裏の外で風を切る鋭い音がする。ホーリーが真っ先に立ちあがって外へ出る。


「時空間移動装置だ!」

 

[107]

 

 

 ホーリーの叫び声でサーチとミトが飛びあがるようにホーリーのあとを追う。


「二基か」


 ミトは庫裏の外で時空間移動装置の回転速度が落ちるのを見ながら、指を二本立てて先ほどしていたのと同じ仕草をする。


 時空間移動装置から戦闘服を身にまとったケンタと父親の五郎そして忍者のアケミとエリカが、もう一基の時空間移動装置からは佐助、お松、才蔵と半蔵が降りてくる。


「ケンタ!」


 サーチが叫ぶとお互いの名前を呼びあう。問われるまでもなく五郎がすぐに事情を説明する。


 宇宙戦艦の時空間移動装置格納室に潜りこんで密航したまではよかったが、しばらくして宇宙戦艦が自爆しそうなほどの衝撃を受けた。時空間移動装置の操縦は五郎とお松ができるので二基に分乗して宇宙戦艦から離脱すると緑一色の世界に放りだされた。その後、地球上をあちらこちら移動して地球連邦政府を探すが当然見あたらない。やがて五郎は今いる地球が自分たちの世界ではないことに気付く。時空間移動の痕跡を求めながら、地球をくまなく探索してやっとミトたちの時空間移動装置の空間移動の痕跡を発見してここへ移動して来たと言う。そして忍者が、特に佐助が住職に再会できたことを喜ぶ。


「偵察隊のメンバーから外されたとき、佐助を誘って宇宙戦艦に潜りこむことにしたんだ」


 ケンタがいたずらっぽくしゃべりだす。

 

[108]

 

 

「父さんに計画がばれたんだけど賛成してくれた。ビックリした」


「無茶をするもんじゃない」


 住職が笑いながらケンタの頭にゲンコツをあてるまねをする。ミトが五郎に一歩近づく。


「ところで、宇宙戦艦は?」


「わからない」


 五郎が当惑して首を横に振る。


「すごい衝撃だった。どうなったのかはわからない。無事だといいのだが」


 五郎はミトの質問から、この世界に宇宙戦艦が来ていないのではと不安げに一番知りたいことをミトにたずねる。


「ここは自分たちの世界ではないと思うのだが」


 ミトが残念そうにうなずくと逆に五郎に迫る。


「この時空間移動装置は時間移動できるのか」


「ふしぎなことに空間移動しかできません。エンジンに異常はないのですが、わけがわかりません」


「そうか……」


 ミトが肩を落とす。


「我々はこの世界から元の世界に戻ることができない」

 

[109]

 

 

 ミトの言葉に五郎が声を出さずにただ驚く。しかし、そんな会話を聞いても佐助たち忍者が冷静に身動きひとつせずに立っているのにミトが気付く。


「ひょっとして、彼らなら……」


 ミトは落とした肩に力を入れてホーリーとサーチの肩を交互にたたくと、ホーリーが真剣な表情のミトを見つめる。そして、ミトの次の言葉を読みきる。


「彼らなら、やれる!」


 ホーリーの言葉にサーチもハッとしてミトの意図を確かめる。


「忍者ならできるとでも?」


 ミトが大きくうなずくと全員に向かって庫裏に入るよう命令する。


「時間がない。紹介は抜きだ。作戦会議を続行する」


 ミトが手短く佐助たちに状況を説明して反応を伺う。急なことに佐助の顔をほかの忍者が見つめる。

ホーリーとサーチもじっと佐助を見つめる。


「その建物のこと、そして敵のことを詳しく教えてくれ」


 佐助が慎重に口を開く。ミトが顔を硬直させて佐助に頭を下げる。


「ありがとう。それでは説明する」


 庫裏に備えられたモニターにジャストウエーブ社の大阪支社が入居しているビルが映される。


***

 

[110]

 

 

{政府に伝えていただきたい。テロリストが次の人質を殺害すると通告してきた一六時のきっかり一分前に、煙幕弾と催涙弾をジャストウエーブ社の大阪支社にぶちこんで欲しいと}


 ミブがあの特別番組を制作してくれたテレビ放送会社の社長に無言通信を送る。この会社の社長はすでに無言通信チップの埋込手術を受けている。


{わかった。しかし、うんと言わなければ}
{この事件がどんな形で終結しようとも、必ず小田が政府関係者と会うという条件で交渉してください。もう三〇分も時間は残されていない}

{よく、わかった}


 五基の時空間移動装置のドアが何度も何度も跳ねあげられて、忍者がドアから素早く降りる動作を繰り返す。


「ビルの座標の確認は?」


 ミトがホーリーに念を押す。ホーリーは緊張した面持ちで時空間移動装置の中でモニターを見つめる。


「これが最後の調整だ。強風さえ吹かなければ誤差は数ミリ程度だ」


 サーチが外からホーリーとミトに声をかける。


「佐助が防毒マスクと対催涙コンタクトレンズは不要だと言ってるわ」


「彼らのやり方に任せよう」

 

[111]

 

 

 二天とミブが真剣を持って空を切る。佐助が長刀と短刀を持つ二天のその姿をじっと見つめる。二天がそんな佐助に気が付いたとき佐助から手裏剣が二天に向かって放たれる。二天は長刀で手裏剣を払いのけると二天の手から短刀が消える。短刀は佐助が手にした太い棒に刺さる。佐助が低い声をもらす。


「見たぞ。二天一流」


 二天はその棒が佐助の正面でないことに驚く。棒でかろうじて防いだのではなく一瞬の動きで二天の短刀を避けていた。そのとき庫裏から大僧正が現れる。佐助の気が二天から大僧正に向かう。大僧正もきびしい視線を佐助に向ける。佐助が身構える。


「二天の負けじゃ」


 大僧正は急に表情をゆるめて佐助から視線を外して言葉を続ける。


「二天一流は宮本武蔵しか使いこなせない厄介な武術だ。二天は武蔵の末裔じゃ」


 佐助に驚きの表情がはっきりと現れる。どうやら、西暦の世界にも永久の世界にも宮本武蔵が存在していた。しかも同じ剣豪として。


 そばで佐助と二天の一瞬の出来事を見つめていたミブは声も出さずに震えていたが、大僧正に何とか口を開く。


「大僧正、どこへ行かれていたのですか」


「ちょっとな」

 

[112]

 

 

 そのときミブに放送会社の社長から無言通信が入る。


{政府が了承してくれた}


 興奮が冷めないミブは即答できない。


{どうした?}
{社長、ありがとうございます}
{それでは健闘を祈る}


 ミブは佐助を見つめると、この作戦は忍者の腕にかかっていると確信する。


***

 一五時五八分五五秒、ジャストウエーブ大阪支社が入居しているビルの最上階の窓にめりこむように時空間移動装置が突然その姿を現す。南側と東側に二基ずつ、西側に一基、大きな音をたてて窓ガラスが割れて落下する。すぐさま時空間移動装置のドアが跳ねあげられて忍者が素早くおどりでる。忍者の腕がぴーんと張ると目にも止まらない速さで身体が宙に跳ねあがって、空中遊泳するかのようにうろたえるテロリスト目がけて突進する。


 テロリストがあわててショットガンを構えたときには、忍者は電磁ナイフでその腕を切りおとす。一秒そこそこの出来事だ。


 次に二天、ミブ、ホーリー、五郎がマスクをして床に降り立つと混乱したテロリストに襲いかかる。同時に催涙弾と煙幕弾の爆発音がして部屋の中に煙が充満する。

 

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 さらに時空間移動装置から飛びだした兵士がサーチとともに、縛られていた社員の縄を解いて社員を囲みながら時空間移動装置に戻る。


 忍者はまるで大阪支社に何度も来たような様相で的確に無駄のない攻撃を見せる。自害させないようにすでに戦意を失ったテロリストの後頭部のくぼみに指を突っこんで次々と気絶させていく。


 時空間移動装置のドア付近で様子をながめていたミトが次々と無言通信を送る。


{退去!}


 無言通信が通じない忍者に二天とミブが「退去!退去!」と叫ぶと、部屋の外が騒がしくなる。時空間移動装置はすでに窓から少し離れて全員が乗りこむのを待っている。支社のドア前のバリケートが揺れはじめる。最後に佐助が時空間移動装置に乗りこもうとする。佐助は割れた窓越しに見える大阪城をいちべつする。


「これがこの世界の大坂城か。小さいし、色も違う」


 時空間移動装置のドアが閉まって回転が始まる。支社のドアが吹っとぶとマスクで顔をおおった大柄の男たちがどっとなだれこむ。同時に時空間移動装置がこつ然と姿を消す。


 時刻は一六時ちょうど。わずか一分と数秒の出来事だった。

 

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