第八章 時間島


【時】永久0011年11月11日 西暦2011年11月11日(第一章と同じ世界)
【空】御陵 摩周湖
【人】瞬示 真美 (ホーリー サーチ)


永久0011年11月11日


***

 注意深く洞窟を進む瞬示と真美の前方から重く息苦しい低い音がまばらに聞こえてくる。やがて規則正しくなると、まるで自分自身の鼓動のように感じる。


 しばらくすると遠くの方でわずかにキラッと何かが光る。ふたりの移動する速度は歩くほどの速さから、踏みしめて歩くような速さに落ちる。細くキラキラと輝くものが数多く見えてくると、まさしく鼓動そのものが洞窟内に響きわたる。その音源は輝くものと同数で、もちろん、ふたりにはそんなことは分からないが、ずれることなく完全に同調する。そのうえ洞窟の中なので極端なエコーがかかる。


「ドクン、ドクン、ドクン」


[154]

 


 誰の鼓動なのか、かなり大きな音だ。やがて洞窟の幅が広くなり天井も高くなると暗闇の中で輝くものが見える。それは丸い形をして中に何か入っているようにも見えるがボヤーッとしている。ふたりは自分たちの身体を少しだけピンクに輝かせる。


「キャア!」


 真美が叫び声をあげると瞬示の胸に顔を埋める。


 胎児だ!全身の半分以上もある大きな頭をヒザの上に載せて身体を丸めた胎児がクモの糸のようなものに包まれて眠っている。あちらにもこちらにも透明のマユに包まれたような無数の胎児がいる。ただ、糸のようなものはふたりのピンクの輝きからも、同じ色の胎児からも影響を受けずに無色透明でボーッと輝く。


 しばらくするとエコーが消えて単調な鼓動の音に急変する。生命体から発せられた音ではなく機械音に近い。


【この音、胎児からのものじゃないわ】
【胎児からだと思ったけれど、マミの言うとおりだ】
【瞬ちゃん。息をしていないわ】


 どの胎児もじっとして動かない。眠っているのではない。まったく生きた気配はない。


【どちらに進めば……とにかくここから離れよう】


 逃避しようとする瞬示の信号に真美の輝きが意思に反して最高潮に達すると、クモの糸のよ


[155]

 


うなものが反応して無色透明の輝きが強くなる。ますます胎児の姿が鮮明に見える。ふたりは洞窟とは思えない広い空間で無数の胎児に囲まれる。


 よく見るとクモの糸のようなものに包まれているのではない。細い管のようなものが胎児の身体から出ていて、それが胎児を包んでいる。


 真美の身体がピクピクとひきつけを起こす。瞬示が真美を抱くと輝きが消えた真美の身体が徐々に重みを持ちはじめる。瞬示は真美がずり落ちないようにしっかりと抱きしめる。


――進むのか?戻るのか?


 瞬示は体勢を整えるために真美を抱き直して鼓動が聞こえる方向へ、胎児にふれないように可能な限り速度を上げて移動する。今度は瞬示の身体が真っ赤になる。早くここから立ち去りたいという焦りが瞬示の心を支配する。


 瞬示の輝きは最高潮のままだ。瞬示には無数の胎児が悲しい表情で何かを訴えるように見える。まっすぐには進めない。真美が瞬示の胸の中で小刻みに震えながら時々ピクッと身体を硬直させる。胎児を避けて進む瞬示に緊張が続く。


 いつの間にか、機械音だった鼓動が再び生き生きとしたエコーの効いた音に変わるが、今度はまったく同調していない。波のように押し寄せるが、その波に規則性はない。大きくなったり小さくなったりする奇妙な鼓動の音に真美のあえぎも強くなったり弱くなったりする。


 天井が徐々に低くなる。それとともに胎児の数は少なくなり、逆に鼓動の音が大きくなって


[156]

 


くる。重くて低い、しかし、不規則さが増すばかりの音がふたりを包む。


 もう胎児の姿はない。幅は十分にあるが、通りぬけられるかどうかというほどに天井が低くなる。しかも地面の凹凸が多くなる。


 ――行き止まりか


 真美の身体が目を覚ましたように輝きだすと、瞬示から真美を抱いている感覚が消える。


【もう大丈夫】


 真美が離れると、ふたりは腹這いで移動する。


【瞬ちゃん、聞こえなかった?】
【何が?】
【誰かがあんなに大声を出して話しかけてたのに!】
【えっ?】
【また聞こえる!真下よ】


 もう進めなくなるほど天井が低い。


【行き止まりだわ】
【いや、登れる】


 見上げると上に向かう狭い空間が見える。ふたりはゆっくりと浮上する。


【聞こえないの?】


[157]

 


 真美が腹立たしい感情をこめて信号を送るが、瞬示には何も聞こえない。


【悲しいわ】


 四、五メートル浮上したところで真横に真ん中が少し盛り上がったような場所を見つける。ふたりはその小山を這い上がる。ここの天井も低い。上体をあげると頭を打ちそうなぐらいに低い。ふたりは身体を浮かすこともできずに、ただゆっくりと腹這いのまま進む。


【悲しすぎるわ】


 真美は何を聞いたのか。瞬示に感じることができない信号を受けたのか。息を止めて心の耳を澄ますが何も聞こえない。


 小山の中央部が行く手の左右に少し窪んでいる。ふたりは両手と腹部に水分を感じる。


【涙よ】
【涙?】
【わたしたち、巨大土偶の目の上にいるわ】
【え!まさか!】


 瞬示は巨大土偶の目から放たれた強烈な光線のことを思い出して悲鳴を上げる。


【こんなところ、歩いて大丈夫か】


 しかし、真美が瞬示の手をつかむと平然と信号を送る。


【こっちよ】


[158]

 


 瞬示は自分の悲鳴が巨大土偶を刺激していないかと心配しながら真美に黙ってついてゆく。


 窪みの部分はまわりより数十センチ低い。やっと中腰で歩けるようになる。ピチャピチャと音を立てながら真美が瞬示の手を引きながら歩く。


 やがてゆるやかな下り坂になる。濡れた地面のせいか真美が滑って転びかける。慌てて瞬示が真美の手を強く引く。深くはないようだが直径二、三メートルほどの穴がふたりをのみこもうとする。巨大土偶の鼻か口なのか。とっさにふたりが浮きあがると、狭い縦穴から木漏れ日のような光が差しこんでくる。その光に誘われるようにゆっくりと上昇する。真美は瞬示から手を離すと身体を浮かしたまま下の方に向かって手を合わす。


西暦2011年11月11日


***

 ふたりが出てきたところは、うっそうとした森の中でびっしりと木が生えている。


【御陵だ!】


 瞬示と真美は予想したとおり御陵に戻ってきたと喜びを共有する。しかし、巨大土偶が抜け出して巨大な窪みができた無残な御陵ではなく、こんもりとした山のような古墳に戻っていた。以前のように別の世界に移動したのかもしれないと不安を感じるが信号にはしない。この古墳の外がどんな世界なのか、今のところ分からない。当然、瞬示も真美もすぐにこの古墳の外を


[159]

 


確認したい気持ちにかられる。


【何が聞こえたんだ?】


 真美がすぐに心の口を開く。


【この下にはあの巨大な土偶が眠っているの】
【それはわかったけれど、ぼくらの攻撃で巨大土偶は消滅したはずじゃ?】
【わたしたちが攻撃した巨大土偶とこの下にいる巨大土偶が同じかどうかわからない】


 瞬示は巨大土偶が複数存在するのかもしれないという真美の示唆に驚く。


【時間が……】


 ふたりは復元する山門や逆流する川を思い出す。御陵から現れた巨大土偶が消滅したあとにできた穴に吸いこまれたが、そのときの御陵かどうかは別として再び御陵に戻ってきた。しかし、そこに巨大土偶が埋もれている。


【時間って何なのかしら】


 ふたりは「時間」が持つふしぎさだけを共有すると黙ってしまう。


 何を思いついたのか瞬示は草をかきわけて土を露出させる。そして窮屈そうにかがんで地面に耳をつける。かつて奇妙な音を聞いたことを思い出す。瞬示に重く低い音がかすかに届く。


【わたしたち、あの巨大土偶の胎道から胎内に入ったの】


 真美が柔らかそうな草をクッションがわりにして腰を下ろす。


[160]

 


【そのあと巨大土偶の胸元から顔へ移動したのよ】


 瞬示は無我夢中で移動していたが、「そう言われるとそうなのか」という表情をしながら地面から耳を離す。


【最後は顔の上を歩いていたのか】


 真美がうなずくと密生した樹木でまったく見えない空を探すように信号を送る。


【声でも信号でもない悲しい響きだったわ】


 瞬示が真美の前に立つ。


【何か黙示的だった】


 真美が目を閉じる。


【子供が生まれる前に死んでいく】
【何万、何億、何兆と死んでいく】
【永遠に生きるために死んでいく】
【子供のいない永遠の世界】
【男女のいない永遠の世界】


 真美が目を開いて瞬示を見上げる。


【わたしにはこう聞こえた】


 真美は繰り返し繰り返し、何百回、何千回と聞いたと言う。


[161]

 


【前半はマユに包まれたような胎児の集団のことを言っているのかなあ】


 瞬示はとりあえず真美の言葉の意味を考えてみる。


【あんな強いメッセージだったのに、瞬ちゃんには何も聞こえなかったんだ】


 瞬示が真美の言葉を復唱する。


【子供が生まれる前に死んでいく】
【何万、何億、何兆と死んでいく】
【永遠に生きるために死んでいく】
【子供のいない永遠の世界】
【男女のいない永遠の世界】


 真美がうつむく。


【女にしか聞こえないのかしら】
【女にしか?】


 瞬示が復唱をやめる。


【たった五つの言葉を真美に伝えるために巨大土偶はぼくらを洞窟に招いたのか】


 真美が再び黙って瞬示を見上げる。沈黙が続いた後、瞬示が真美に背中を向ける。


【ここが、どんな世界か確かめに行こう】


 真美がフーッと長い息をはいてゆっくりと立ち上がる。しかし、とても普通に歩けるような


[162]

 


ところではない。ふたりは輝くことなく身体を浮かして古墳の上に移動すると眼下に白い鳥居を見つける。


【やっぱり戻ってきたんだ】


 ふたりは鳥居の真下に瞬間移動すると鳥居横の平屋の管理事務所を気にしながら道路を見つめる。


【クラシックカーが走っている】


 瞬示がおどけてみせる。しっかりとタイヤを地面につけて自動車が走っている。道路に出ると左手に踏切も見える。ふたりは期待を膨らませてどんどん歩を進める。あの懐かしい喫茶店もある。ふたりは踏切を渡って左に曲がる。


【間違いないわ】
【戻ってきた!】


 真美は感極まりながらささやく。


【瞬ちゃん、これで世にもふしぎな旅は終わりなのかしら】


 そうかもしれないという落胆と、もっとふしぎなことが待ち受けているのではという期待を、瞬示が器用に表現する。


 線路沿いの一筋目の角を右に曲がると遠くに小学校が見える。どこからかキンモクセイの香りがする。


[163]

 


【秋だわ】
【夕立にあわなくて済むなあ】


 真美が久しぶりにケラケラと笑う。


「早く靴をはきなさい。遅刻するよ」


 母親らしき声が聞こえる。


【登校の時間か】


 ふたりは改めて時間を意識する。


 ふたりの前後を何人かの小学生がランドセルを背負って歩いている。


 ひとりで歩く男の子。


 ふたりでペチャクチャしゃべりながら歩く女の子。


 その女の子の頭をポンと叩いてアッカンベエをして走り去る男の子。


 軽くステップをしながら歩く女の子。


「寄り道しないで帰ってくるのよ」


「はーい」


 登校時の普段の光景がふたりを暖かく包む。


【寄り道か】


瞬示がポツンと信号を送る。少し間を置いてから真美も独り言のような信号を送る。


[164]

 


【回り道かも】


 やがて自分たちの家の前に立つとふたりは顔を見合わす。


【どうする?】
【どうするって、自分の家よ】


 真美が躊躇することなく玄関に向かう。瞬示は真美の後ろ姿を見つめる。真美がドアのノブに手をかけた瞬間、ドアが開く。


 そのドアから真美が出てくる!

 

 同時にドアのノブに手をかけた真美が一瞬にして消えてしまう。


「マミ!」


 思わず瞬示が叫ぶが真っ青だ。家から出てきた真美は首を一瞬傾げるが笑顔で応える。


「おはよう」


 しかし、すぐ真美の笑顔が消える。


【マミ!】


 瞬示が目の前の真美に強い信号を送るが返信はない。


「どうしたの?瞬ちゃん」


 ここでやっと瞬示は大きなリュックサックを持った真美を認識する。


「おはよう」


[165]

 


 瞬示は何とか言葉をつなぐ。


「どこへ?旅行?」


「北海道」


「!」


 バケツの底をバットでボコボコに叩かれたようなショックを受けた瞬示の驚きをよそに真美は腕時計を見る。


「飛行機の時間に遅れたら大変だから行くね」


「……」


 真美が瞬示の横をすり抜けてリュックサックを背負う。


「いつ帰ってきたの?」


 瞬示に真美の背中のリュックサックが尋ねる。真美にすれば瞬示は札幌にいるはずなのだ。


「変なの。じゃ」
 真美が早足で駅に向かう。背けていた瞬示の視線が真美の家の新聞受けに突き刺さる。朝刊を取り出すと、西暦2011年11月11日という日付が飛びこんでくる。


「何を言ってるのよ!今朝会ったばかりじゃないの」


 摩周湖での真美の言葉が瞬示の頭に痛烈に響く。今日の夕方、瞬示と真美は摩周湖の展望台の駐車場で出会うことになっている!


[166]

 


 瞬示の横を手をつないだ男の子と女の子が通りすぎる。


***

――真美は消えたのではなくて……ひとつになった?もしそうなら記憶はどうなる?


――この世界の自分は今、一太郎といっしょに札幌からレンタカーで摩周湖に向かってるのか?


――自分も自分に会えば、今の自分は消えるのか?


 瞬示は確信を持てないまま隣の自分の家に向かわずに線路沿いの道を右に曲がって駅に向かう真美を追いかけながら、摩周湖での真美の言葉をもう一度つぶやく。


「何を言ってるのよ!今朝会ったばかりじゃないの」


――摩周湖で会ったときのマミはさっき会ったことを知らないはずじゃないか!なぜだ!?


 瞬示の驚きあわてふためく顔を見て赤いランドセルを背負った女の子が避けるように道の端に寄る。


――ついさっき会った出来事をなぜマミが知っていたんだ?


 急に瞬示が走りだす。


――時間がひっくり返っている


 瞬示の思考もひっくり返る。どんなことをしても駅に向かう真美といっしょに摩周湖に行か


[167]

 


なければという思いが強くこみあげる。


 住宅や店舗が並ぶ先に駅が見える。そして改札口を抜けようとする真美が見える。瞬示は走りながらポケットから小銭入れを出す。


――入場券なら買える


 駅のホームに瞬間移動しようかと思案していると背中からガタンゴトンという音が聞こえてくる。そして駅前の古本屋の少し先にある踏切のカンカンカンという音が瞬示の頭を叩く。小銭入れをポケットに戻すと瞬示の身体がピンクに染まる。しかし、いくら念じてもホームに移動することができない。黄色とオレンジ色のツートンカラーの六両編成の電車が瞬示を追い越してホームに停車する。


***

 今の瞬示に瞬間移動する能力はない。瞬示は御陵の管理事務所の死角になるところから泳いで堀を渡り、数十分前に真美が座っていたあたりに戻る。そこで真美といっしょに出てきた穴を捜すが見つからない。


【誰か、教えてくれ!】


 強い信号を発するが何も返ってこない。瞬示の頭の中が真っ白になる。


――いったい、どうすればいいんだ。何が起こったんだ!


[168]

 


 瞬示の頭の中では幾度も幾度も「今朝会ったばかりじゃないの」という真美の言葉が流れる。瞬示は頭を抱えこんで座りこむ。


――摩周湖に行かなければ


 瞬示は立ち上がると目を閉じて全神経を集中させる。身体は輝くがその輝きに勢いがない。


【摩周湖に!】


 しかし、瞬示の身体はかみ合わせの悪い歯車のようにブルッと震えるだけだ。神経をさらに集中させるが同じだ。何度も試みるが無駄だった。


 身体から輝きが消えると瞬示はウロウロと狭い空間を歩き回る。やがて疲れ果てて仰向けに寝ころぶ。大きなため息を何度もつく。やがてそのまま眠ってしまう。


西暦2011年11月11日から永久0011年11月11日へ


***

【!】


――真美?


 瞬示が飛び起きる。真美の信号ではない。瞬示の頭を意味不明な言葉が突く。徐々に言葉が明瞭になってくる。


【子供が生まれる前に死んでいく】


[169]

 


【何万、何億、何兆と死んでいく】
【永遠に生きるために死んでいく】
【子供のいない永遠の世界】
【男女のいない永遠の世界】


 確かに聞こえる。繰り返し繰り返し呪文のように聞こえる。何という悲しい響きだ。瞬示は胸を押さえる。胸が締めつけられて涙があふれる。


 身体が勝手にピンクに輝くと瞬示は思い切って一番近い大木の上へ移動を試みる。すぐ楽々とその上に出る。東の方に山々が見える。上半身をひねって西の方を見るといわし雲が横から陽を受けて黄金色に輝いている。やがてうっすらと赤みを帯びて鮮やかなオレンジ色の見事な夕焼けになるのだろう。そのあと深い紺色に変わるとすぐに暗闇に支配されるはずだ。


【急がなければ!】


 振り返ってまだ明るい東の山々を見つめる。瞬示が御陵の上空から消える。


 瞬示は自分が念じた山の頂の十数メートル上空への移動を成功させていた。すぐさま次に移動すべき山を探す。秋の東方向の空は澄みきった青い色をしている。次の目標を定めると瞬間移動する。


「よっし!」


 瞬示はあえて声に出して自信を深める。


[170]

 


「次だ」


 再び瞬間移動する。


「次は……」


 遠くに富士山が見える。


――何と美しい山なんだ


 瞬示は富士山の頂上に瞬間移動する。広大なパノラマが眼下に広がる。素晴らしい眺めだ。しかし富士山そのものの美しさを感じることはない。単に富士山の頂上にいるだけだ。


 瞬示はふと真美の言葉を思い出す。


「これで世にもふしぎな旅は終わりなのかしら」


 頂上にいると富士山の美しい姿は見えない。瞬示と真美はそのようなところをウロウロしているだけで、与えられた大きな使命に気が付いていないだけなのかもしれない。


 瞬示は富士山の頂上から真上に上昇する。富士山全体が見えるところまで上昇し続ける。同時にはるか彼方に北海道が見えてくる。そこで強烈な暗示的なものを感じる。


【あそこだ】


 富士山上空から屈斜路湖の上空に瞬示が現れる。間近に摩周湖が見える。


――摩周湖も屈斜路湖も消滅していない。ということはここはケンタのいる世界ではない


 瞬示は瞬間移動の方向があまりずれていなかったことに何とも言えない感動を覚える。


[171]

 


 すぐさま摩周湖の上空に移動する。霧におおわれているが瞬示には湖面がはっきり見える。その湖面を見て瞬示は驚く。摩周湖の真ん中にあるはずの島がない。そのかわりに透きとおるような黄色くて丸いものが浮いている。そこから強烈な信号が瞬示の全身を貫く。


【瞬ちゃん!】
【マミ!】


 瞬示が空中で小躍りする。急に止めどもなく涙が流れ出す目をこすりながら、黄色い球体に向かって直線的に移動する。その途中で車のエンジン音が耳に届く。眼下の駐車場に向かう白い車が見える。運転するのはもうひとりの瞬示のはずだ。しかし、視線はすぐに摩周湖のカルデラの壁に遮られる。吸いこまれるように黄色い球体に入ると服が溶けて消える。そこにはボヤッとしか見えないが確かに真美がいる。


【もうひとりの瞬ちゃんに会ったの?】


 明るい真美の信号を瞬示は精一杯の喜びで受けると、すぐさま真美の信号を上書きする。


【会ってない。もうひとりのぼくはあの白い車に乗っているはずだ】
【あっ、そうか】
【御陵からここまで瞬間移動を繰り返してきた……マミはどうやってここに?】

【一瞬よ、目の前の自分を見たとたん、すぐここに。まるで時間というムチに打たれたような強いショックを受けたわ】


[172]

 


【同化したのかと思った】
【同化?】
【ふたりのマミが合体したんじゃないかと】


 真美が首を振って信号を続ける。


【時が許さなかったのよ】
【時が?】
【同じ場所に同じ人間がいることは許されないの】


 無限に広がる感触が瞬示を包む。瞬示はここでやっと冷静に真美の信号に反応する。


【この感触、記憶がある。気持ちがいい】
【ここは時間島の中】
【ジカントウ?】
【時間しかない空間】
【あの黄色い球体のことか?】
【そう!瞬ちゃんが言っていたあの丸くて黄色いもの、それが時間島】


 ふたりがいる黄色い球体の時間島が上昇する。直接ではなく間接的にふたりの意識の視野に霧ですっぽりと包まれた摩周湖が見える。つまり時間島が十分高いところまで上昇したのだ。


 眼下の摩周湖はいつの間にか黄色い水のようなものに満たされている。深い霧に関係なくそ


[173]

 


う見える。ふたりにわかるはずもないが、つい先ほど時間が地滑りを起こして西暦2011年から永久0011年の世界に時間移動した。ふたりがいる時空間は西暦2011年11月11日の世界ではなく、永久0011年11月11日の世界だ。


【マミが聞いた巨大土偶からの言葉、ぼくにも聞こえた】
【そう!良かった】
【うん】
【もうすぐ、摩周湖の駐車場にまず瞬ちゃんがやって来る。そのあとわたしが現れる】
【えっ!同じ場所に同じ人間がいることはできないんだろ?】
【ここでは別】
【なぜ?】
【わからない。ただ、ここは時間だけが存在する世界なの。わかっているのはそれだけ】


 眼下の摩周湖では透明感のある黄色いものが膨らむ。そのふくらみがどんどん大きくなる。カルデラの壁を溶かすように膨張する。その分、霧が摩周湖の外へ押しやられる。やがて球形に姿を整えて周囲にあるものすべてをのみこみ溶かしながら膨張する。すでにその直径は数キロメートルに達っする。


 下側はまったく見えないが、さらにこの球体は今にも爆発しそうなスピードで膨張する。直接見ていないのに、ふたりの脳裏には透きとおった黄色い巨大な球体がはっきりと見える。


[174]

 


【わたしたちの時間島とはスケールが違うわ】
【わたしたちの時間島?】


 瞬示には理解できないが、ふたりの時間島の大きさからすると、眼下に見える物体は巨大時間島と呼ぶにふさわしい大きさに成長する。


【何だ!あれは?】


 突然その巨大時間島のふちに小さな緑の球体と青の球体が現れる。あとではっきりすることだが、この緑の球体はホーリーの時空間移動装置で、青の球体はサーチの時空間移動装置だ。


(ホーリーの)緑の球体は激しく揺れながら巨大時間島にのみこまれまいと抵抗するように見えるが吹き飛ばされる。


(サーチの)青の球体は巨大時間島との距離を確保していたので巨大時間島の膨張から逃げるように離れる。


 ふたりは観念的に膨張し続ける巨大時間島を見つめる。巨大時間島はついに直径が数百キロメートルにも達する。地球から離れたところでこの様子を眺めると、北海道の摩周湖あたりに大きな黄色いたんこぶが見えるかもしれない。少なくともふたりにはそう見える。


 ふたりの小さな時間島は、この巨大時間島の膨張を邪魔しないように地上から千キロメートルのところまで上昇している。


 やがて巨大時間島の膨張が止まる。そしてふたりの時間島に最も近いところが盛り上がる。


[175]

 


この盛り上がったところからヒモのようなものがふたりの時間島に向かって延びてつながる。


 真美はこのふたつの時間島がやがてひとつになることを信号で表現する。


【もうすぐ、わたしたちがやってくる】
【えっ!】


 巨大時間島が一瞬にして消えてふたりの小さな時間島に吸収される。しかし、ふしぎなことにふたりの時間島の大きさに変化はない。まるで大小ふたつの時間島がふたりのすべての矛盾を取りのぞくように合体する。


 誰かが近づく気配がする。すぐ上なのか横なのかわからないがもうひとりの意識のない瞬示がいる。同じようにもうひとりの意識のない真美がいる。


 瞬示は間近で真美と真美がひとつになるような光景を目にしたような気がする。真美も瞬示と瞬示がひとつになるような光景を見たような気になる。


 ふたりは何事もなかったように地上を観念的に見つめる。地表には大きなクレーターができている。超巨大時間島の丸い底の部分が摩周湖を中心として地上を押しつけて巨大な摩周クレーターを形造った。


【こうしてできたのか】
【こんな大事件なのに、誰も目撃することはできないわ】


 ふたりは深い感動を共有する。


[176]

 


【ぼくらは普通の人間じゃない】
【普通の人間には戻れないわ】
【その代わり】


 ふたりは同じことを感じる。本当は別々ではなく心がひとつになっているが、まだそれに気付くことはない。


【空間を自由に移動できる】
【それに】


 真美が一呼吸置いて言葉を選ぶ。


【時間の中を自由に移動できる】
【何のために!】


 瞬示がびっくりする。


【わからない】
【時間島を完全にコントロールできるのか?】
【前は失敗したけれど】
【前?】
【変な星で戦闘に巻き込まれたでしょ】
【無意識のうちに時間島であの星へ行ったとでも】


[177]

 


【だと思う】
【マミ!まるで時間島からいろいろ教わったような口ぶりじゃないか】
【今度は摩周湖に引きこまれてもわたしと瞬ちゃんは暴走しなかった】
【あの星に行かずに済んだと言いたいのか】
【どちらの自分が自分なのかしら?】
【あの星へ行った記憶のある方が本物の自分じゃないのか】


 真美から返事はない。瞬示は同じ質問を繰り返そうとしたとき真美が断定する。


【どちらも本物だと思う】
【なぜ再び摩周湖に引きこまれた自分と合体しなければならないんだ】
【初めのわたしたちは未完成だったんだわ】
【未完成?】
【よくわからない】
【何をやり直しているんだ?】


 再び真美の返事が滞る。瞬示は仕方なく質問を続ける。


【最初に摩周湖で会ったときに『今朝会ったばかり』と言っていたのを覚えてるか?】
【ええ、だって『今朝会ったばかり』だったもの】
【会ったのはついさっきの家の前じゃないか】


[178]

 


【えっ!】
【ぼくが会ったのはもうひとりのマミだ】
【でも、わたし、家の前で瞬ちゃんに会ってから摩周湖に来たのよ!でもなぜかしら】
【そんなこと言われたって、答えようがない】
【そうでしょ。でも、わたしは家の前で確かに瞬ちゃんと会った】
【別々のところにいたのに記憶を共有しているみたいだ】
【ふしぎだわ】
【頭が変になる】


 真美がため息を混ぜた白い信号を瞬示に送る。


【結局、元の世界へ戻れなかったわ】
【そうだな】


 瞬示も白い信号を送る。


【ぼくら、どうなるんだ?】


 真美が急に全身がひきつけを起こしたような信号を瞬示に送る。


【あれを見て!】


 瞬示は意識の中で時間島の外を眺める。時間島の下で巨大な城が金色に輝いている。


[179]

 

 

[180]