第二十章 クーデター


【時】永久0100年(前章より155年前)
【空】月の生命永遠保持機構、豊臣時空間移動工業
【人】サーチ キャミ カーン 徳川 忍者


***

 生命永遠保持手術を受けたあとは毎年検査を受ける必要がある。瞬示と真美の正体を見極めるためにあの民宿に派遣されたサーチやコーマも毎年二月ごろ時空間移動装置で永久0215年の完成第一コロニーに時空間移動して生命永遠保持センターで定期検査を受けていた。


 そのときのサーチとコーマが乗っていた時空間移動装置の発着の大音響を、ケンタが民宿の自分の部屋でそれぞれ一回ずつ計二回聞いていた。


***

 ともあれ、定期検査は理事長の徳川であっても例外ではない。永久0100年のある日、徳川にも年一回の定期検査の日がめぐってきた。警備室長のカーンをはじめ三十人ほどの男の武装警備員が徳川専用の特別検査室前で警備に当たる。検査室のドアの左右の壁には内部を映す


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二台のビデオモニターが埋めこまれている。そのモニターに徳川と副理事長のキャミ、手術室長のサーチ、専務理事の武田という男が写っているが徳川以外は全裸だ。徳川の用心深さは異常なほど徹底している。


 徳川がキャミの左手の薬指に輝く緑の宝石の指輪に視線を落とす。


「去年、誕生日にあなたに頂いたものよ。お忘れになったの?」


 キャミがにこやかに笑って指輪を外しかける。


「いや、それはいい」


 しかし、キャミは指輪を抜くと軽く唇をつけてからスキャン装置のコントロールパネルの横に置く。特別検査室の外ではビデオモニターに映るキャミとサーチの裸身をカーンが眺める。


 徳川がガウンを脱ぎすててカプセルに入ると仰向けになる。


「頼むぞ」


 徳川がカプセルにふたをしようとするキャミに向かって低い声を出す。カプセルが密閉されるとキャミが徳川のガウンを床から拾いあげる。そして丁寧に折りたたんでカゴに入れる。


 すぐに徳川が入ったカプセルが足の方から全身スキャン装置に送りこまれる。キャミ達三人がモニターの前に立つ。


 安静状態で精密に検査をするためにカプセル内に特殊な催眠ガスが注入される。生命永遠保持手術を受けた者は麻酔や催眠ガスが効くまで時間がかかる。やっとモニターの上の赤いLE


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Dが緑色に変わる。


「スキャン開始」


 三人は目をこらしてモニターを見つめる。


「異常ナシ」


 モニターに徳川の全身が映される。スキャンしているところが白く輝きながら足首からヒザに向かう。


「異常ナシ」


***

 理事長室と特別検査室を除くあらゆる場所が一階の警備管理室に設置された数十台のモニターに映っている。二十人ほどの女の武装警備員がモニターを注視する。その後ろで三人の男の武装警備員が最上段のモニターの上の大きな赤い非常灯を見つめる。


 突然、ひとりの男が腰からレーザー銃を抜くといきなりほかの男の武装警備員に向かって発射する。次の瞬間女の武装警備員が倒れた男の両手両足に素早く手錠をかける。そのうちの四人と先ほどレーザー銃を撃った男が上着を脱ぐ。五人は黒い装束を身にまとっている。あの大凧から生命永遠保持機構本部に侵入した忍者の生き残りだ。もちろん、そのひとりはお松だ。


 女の武装警備員が警備管理室奥の主電源装置の電源のスイッチを切る。と同時に本部建物内


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のすべての照明が消えて、けたたましいサイレンが鳴ると間髪を入れず警報が響く。


「主電源装置停止!」


「異常事態発生!異常事態発生!」


 独立電源でバックアップされている特別検査室は明るいままだ。しかし、全身スキャン装置が停止する。自動的にカプセルの中に強力な反催眠ガスが充満する。徳川の意識がゆっくりと戻りはじめる。


 キャミがカプセルのロックを解除するとすぐにサーチと武田が取っ手を握って持ちあげる。徳川も本能的にカプセルのふたを押しあげようとするがその力は弱々しい。やっとカプセルのふたが開く。


「異常事態が発生しました!検査は中止です」


 キャミがうつろな徳川のほほを強く叩く。


 徳川の検査中に異常事態が発生すると検査はすぐ中止するルールになっている。しかし、異常事態が発生したことは今まで一度もなかった。


 キャミは武田とサーチに抱えられた徳川にガウンを手早く羽織らせてからコントロールパネルの横に置いていた指輪を慎重に右手中指にはめる。そしてサーチと交替して徳川を支える。検査室の外ではカーンが指示を出し終えて、特別検査室のドアの生体認証装置に右手を当てる。ドアがスライドすると両脇を全裸のキャミと武田に支えられた徳川にカーンが報告する。


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「主電源装置が停止しました。原因を調査中です」


「調査中?何を悠長なことを言ってるの!」


 キャミの叱責に徳川がかすかにうなずくとアゴを少しだけ前に出す。カーンは徳川が理事長室に向かうように指示しているものと察知してキャミと武田をうながす。


「理事長室へ」


 キャミと武田が徳川を抱えながら特別検査室から暗い廊下に出ると一斉に照明がつく。


「補助電源装置作動開始!」


「M23地区、警戒セヨ」


 警報が間断なく続く。キャミがうろたえる武田をうながす。徳川はまだ完全には覚醒していないのか、足元がおぼつかない。


「警備室長!先導しなさい」


 キャミの大きな声がまわりを支配する。カーンと武装警備員四、五人が徳川を支えるキャミと武田を取り囲むように理事長室へ先導する。サーチはガウンを羽織るとキャミと武田のガウンを手にしてキャミ達を追いかける。


 特別検査室と理事長室はあまり離れていない。理事長室の前に到着すると徳川自身が生体認証装置に右手を当てる。音もたてずにドアがスライドして開く。


「よし、もう大丈夫だ」


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 徳川が武田の手を払いのける。


「キャミ以外は部署に戻れ!」


 徳川はふらつきながらも、そんな自分をごまかすかのように両肩を張って部屋に入る。サーチがキャミにガウンを手渡そうとするが、キャミは押し戻して全裸のまま徳川とともに理事長室に入る。


***

 五人の忍者が地下の補助電源装置室にいる。女の忍者が電源装置のスイッチを次々と切断する。その間男の忍者がドアから廊下を見張る。


 室内はもちろんのこと廊下の天井の照明が消え、壁に埋めこまれた充電池内蔵の補助灯だけが頼りなさそうに輝いている。


「全補助電源装置停止!」


 警報が流れる。


「終わりました」


 女の忍者がドアに集合する。


「主電源装置室へ行くぞ」


 男の忍者の低い声がすると女の忍者を引きつれて廊下に出る。行く手の方から複数の足音が


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聞こえる。忍者達はライフルレーザーをくるっと背中に回して跳躍する。その手が天井に張りめぐらされた配管を握ると身体を回転させて配管と天井のすき間に身を隠す。


 補助電源装置室に向かう二十人ほどの男の武装警備員が忍者の下を通過する。その直後音も立てずに廊下に飛び降りて忍者が一斉にライフルレーザーの引き金を引く。武装警備員は抵抗する間もなく、ひとり残らず倒れる。忍者は通路の補助灯をレーザー銃で破壊しながら主電源装置室に向かう。その主電源装置室では点検作業が行われていた。


「おかしいな。装置自体に異常はない」


 男の係員がヘルメットのライトと天井に埋めこまれた補助灯を頼りに暗い部屋で首を傾げる。武装警備員がライトで係員の手元を照らしながら作業を手助けする。


 そのとき、主電源装置室に侵入した忍者がヘルメットのライト目がけて次々とレーザー銃を発射する。何人かの係員と武装警備員がうめき声をあげて倒れる。攻撃をまぬがれた残りの武装警備員と係員はすぐさまヘルメットのライトを消す。そのうちのひとりから連絡をとる声がする。


「こちら主電源装置室。何者かの攻撃を受けている」


女の忍者がライトの消えた方に向かって這いながら武装警備員に近づく。武装警備員は真っ暗な部屋の中で身動きが取れない。忍者は苦もなく武装警備員と係員に近づいて次々と電磁ナイフで仕留める。


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「気配が消えた」


 男の忍者が確認する。


「全員いるか?基本スイッチをすべて切断せよ。心してかかれ」


 返事がなくとも男の忍者には女の忍者全員が無事であることがわかる。男の忍者がドアから廊下の気配を探りながら急かす。


「急げ」


 そしてドアの内側で用心深くライフルレーザーを構える。すぐにかなりの数の靴音が聞こえてくる。暗くて何も見えないせいかその靴音は鈍い。男の忍者が呼吸を整えると廊下に出てすかさずライフルレーザーを乱射する。足音がすべて消える。男の忍者は再び部屋に戻りドア横のボタンを押す。ドアがスライドして閉まる。


「終わりました」


 主電源装置の基本スイッチの切断作業が終了する。


「散れ!」


 女の忍者はそれぞれ距離をとってライフルレーザーをドアに向けて構える。


 しばらくするとドアが吹っ飛ぶ。そのドアから侵入しようとする男の武装警備員にライフルレーザーが次々と発射される。ドア付近に折り重なるようにして武装警備員が倒れる。男の忍者は数歩後退して空になったライフルレーザーのエネルギーカートリッジを交換しようとする。


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しかし、次々と団子のように侵入してくる武装警備員に、男の忍者はカートリッジの交換をあきらめてライフルレーザーを投げ捨てるとレーザー銃で応戦する。その間、女の忍者のライフルレーザーがドアに向かって一斉に火をふくが、武装警備員のレーザー銃の光線が数本、男の忍者に命中する。レーザー銃を投げつけて刀を抜くと男の忍者が武装警備員に向かうが、集中攻撃を受けて身体が跡形もなく吹っ飛ぶ。


「影丸様!」


 女の忍者の悲鳴が主電源装置室に響く。


 廊下でも撃ち合いがはじまる。女の武装警備員が到着したのだ。男の武装警備員は女の武装警備員と忍者のはさみうちにあって一瞬のうちに全滅する。


***

 理事長室は独立電源装置でバックアップされているので普段と変わらない。キャミはなれた手つきでコーヒーをカップに注ぐと、ソファに座る徳川にひざまずいてカップを差し出す。


「これを飲めばすっきりするわ」


 キャミがソファの前のテーブルに置いたもうひとつのカップに口をつける。それを確認してから用心深い徳川もコーヒーを一口飲む。


「何か羽織るものを貸してください」


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「そのままでいい」


 コーヒーをぐっと飲みこむと徳川はカップをテーブルに置いて立ち上がり、するりとガウンを床に落としてキャミに近づいて抱きしめる。


「こんなことしている場合じゃないわ」


 キャミは徳川が催眠ガスの影響でまだ普段の体調に戻っていないと確信する。


「キャミ」


 徳川がキャミの唇を奪う。キャミは逆らわずにむしろ積極的に自らも徳川の口の中で舌を絡ませると豊満な胸を押しつけて身体を徳川に密着させる。そして徳川の首に手を回すと指輪の緑の宝石をずらして、そのなかに仕組まれた針を徳川の首筋に強く押しつける。


「うっ!何をする」


 快感を期待していた徳川の顔がひきつる。徳川は両手を突きだしてキャミを押し倒す。微量ではあるが分子破壊粒子が確実に徳川の体内に打ちこまれた。キャミは素早く立ち上がって長い足で徳川の股間を蹴りあげる。もんどりうって倒れかける徳川の腹部を再び渾身の力をこめて蹴る。たまらず徳川が仰向けに倒れる。


 キャミは部屋の奥にあるドアに向かって走る。ドアを開けて隣の部屋に移る。そこはキャミの副理事長室だ。補助灯しか点灯していないが開けたドアから漏れる明かりで苦もなく机の引出から注射器を取り出すと再び徳川の前に戻る。


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 徳川がうめきながらフラフラと顔をあげる。キャミは徳川の喉元を絞めるように押さえつけ腕を取って慎重に静脈を探る。押さえつけた手で注射器を持つと静脈に注射針を正確に差しこむ。徳川がキャミの手を払いのけようとするが簡単にかわされる。キャミは一気に液体を打ちこむと徳川から離れる。


「キャミ!分子破壊粒子を打ったな」


 徳川が咳こんで弱々しく唸りながら自分の机の方へ這いだす。キャミは先回りして徳川の机の引出しから茶色のビンを見つける。そのビンのふたを開けて中の液体を分厚いじゅうたんに全部吸いこませる。それは分子破壊粒子の中和剤だ。徳川の顔が徐々に土色に変化する。


「ウラギリ……」


 徳川の呼吸が停止する。やがて人間の形をした土の塊となるはずだ。


 キャミがフーと息をはくと自分の部屋に戻る。手探りで衣装ケースから白いスラックスとコバルト色の薄手のセーターを手にする。それを身にまとうと開けっ放しの机の引出しからレーザー銃を取り出す。そしてもう一方の手で受話器を取りあげる。


 信号音が一回したあと武田専務理事の声がする。


「理事長はどうですか?」


「熟睡しています。ところで相談したいことがあります。こちらに来ていただけませんか」


「わかりました」


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 目が慣れてきたので補助灯の明かりだけでも結構見えるものだと思いながら懐中電灯を棚から取りあげる。その懐中電灯を点灯すると眩しいぐらいに明るい。


 武田の部屋は理事長室をはさんでキャミの部屋の反対側にある。すぐにドアをノックする音がする。


「どうぞ」


 ドアがスライドすると武田がやはり懐中電灯を手に入ってくる。


「ロックしてください」


 武田は閉まったドアをロックするとキャミに告げる。


「カーン警備室長の報告によると一部の女がクーデターを起こしたらしい」


 武田に向けていた懐中電灯を消してキャミが応える。


「らしいじゃなくて、そのとおり……」


 キャミが言い終わらないうちにレーザー銃を発射する。武田は声を発することもなくその場に倒れる。キャミは念のために武田にも分子破壊粒子を注射する。そして、机に戻って分子破壊粒子のアンプル数本と注射器とレーザー銃をポーチに入れるとつぶやく。


「カーンがクーデターに気付いた。始末しなければ」


 ドアのロックを解除して部屋の外へ出る。外には男の武装警備員がふたり立っている。急に出てきたキャミに驚く。


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 理事長室の前にも、そして向こう側の武田専務理事室の前にもふたりずつ男の武装警備員が張りついているのを目をこらして確認する。


「ここは任せます」


「専務理事は?」


「命令を出すために私の部屋で待機しています。ここから動かないように」


 キャミが有無を言わせずに命令すると武装警備員が反射的に敬礼する。キャミは分子破壊粒子を冷蔵保存した倉庫に向かう。


***

 カーンが直属の部下十数人を伴って隣の豊臣時空間移動工業の工場長室に到着するとすぐさま工場長に要請する。


「急いで幹部全員を招集してくれ!」


「何が起こったんだ?真っ青じゃないか!」


「とにかく、全幹部を集めてくれ。緊急事態だ」


 ただならぬ様子に驚きながら工場長が場内放送を通じて招集命令を出す。


「カーン、説明してくれ」


「女がクーデターを起こした」


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「女が?クーデター?」


 工場長室に続々と豊臣時空間移動工業の幹部が現れる。


「工場長!どうしたのですか」


 工場長が黙って横にいるカーンに目配せする。幹部全員が集まったのを確認するとカーンが口火を切る。


「えっ!生命永遠保持機構の女がクーデターを起こした?」


 幹部が口々に信じられないという表情をカーンに向ける。


「キャミ副理事長が首謀者に違いない」


「まさか!」


「ここも女達にやられる可能性が高い」


「バカな」


「間違いない。キャミを侮ってはならない」


 カーンが大きな身体を揺すりながら、工場長を汗だくの目で直視する。


「時空間移動装置を使って前線コロニーに逃げるしかない」


「戦えばいいじゃないか。この工場はすべて男で二千人ほどいる」


 すぐさま工場長が反論する。


「だから逃げるんだ。ここは男だけしかいないから女にとって非常に攻撃しやすい」


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 焦っているがカーンは一呼吸置いて説得のための時間をつくる。


「工場長、いいですか」


 カーンは大きな身体を揺するのをやめてゆっくりとかみ含めるようなトーンに変える。


「空調設備の心臓部にガス化した分子破壊粒子を仕掛ければ簡単に全員殺せる」


 一瞬にして工場長の顔がこわばる。


「なぜ前線コロニーに脱出するのだ。地球でもかまわないじゃないか」


「もちろん、それも考えた」


 カーンが目を閉じる。それは迷いの表情でもある。


「キャミが発作的に月面の生命永遠保持機構の本部だけでクーデターを企てたとは考えにくい」


 カーンはキャミが用意周到に地球上のすべての生命永遠保持センターにもクーデターの指示を出している可能性が高いと考えた。工場長もカーンと同じように目を閉じる。工場長は日ごろから親密な付きあいをしているカーンの性格を知りつくしている。


「わかった。どうすればいい」


 工場長のこの言葉を待ってたとばかりにカーンが一気にしゃべりだす。


「できるだけの武器と重要書類や時空間移動装置の設計図のデータを持って、最新型の時空間移動装置で完成間近い前線第十七コロニーに移動する。そして……」


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 工場長が驚いてカーンを見つめ直す。


「カーン!待ってくれ。なぜ最新型の時空間移動装置のことを知っているんだ」


「理事長から聞いた」


「そうだったのか。しかし、最新型の時空間移動装置は試作機が一基あるだけだ」


「えっ!もう量産されていると思っていた」


「開発担当者が気まぐれでな。気分が乗らないと働かない困った性分の持ち主で、やっと何とか試作機を完成させたところだ。しかし、その担当者の行方が不明……」


 カーンが工場長の言葉を遮る。


「その試作機は使い物になるのか」


「試験運転は何度もしている。量産目前と言ったところだ」


 工場長の言葉にカーンの表情が少し晴れる。


「試作機の型番は?」


「MZ1500」


「そうか。大事な試作機だ」


 カーンが腕時計を見ながら少し余裕を持つと、工場長が次の言葉を催促するように上目づかいで見つめる。


「逃亡に使う以外の時空間移動装置をすべて破壊して前線第十七コロニーに脱出する」


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 工場長が震えながらカーンにうなずくと幹部に向かって命令する。


「全工員に周知させろ!」


 幹部のひとりが場内放送装置の前でスイッチを押すとサイレンが鳴る。その幹部はできるだけ冷静に言葉を発する。


「緊急事態発生!緊急事態発生!試作機MZ1500型の時空間移動装置と四百基の時空間移動装置を残してすべて破壊せよ。繰り返し伝える。MZ1500と四百基の時空間移動装置を残してすべての時空間移動装置を破壊せよ。破壊作業終了後、テストパイロットはMZ1500に、ほかの者は四百基の時空間移動装置に分乗しろ!ここから脱出する」


 その間、何人かの幹部がモニターを慎重に確認しながらコンピュータの端末を必死で操作する。工場長がそのモニターを次々と確認する。


「前線第十七コロニーへの移動プログラムをすべての脱出用の時空間移動装置にインストールするのにどれぐらいかかる?」


「五分は必要です」


「よし!ほかの者はそれぞれの部署に戻って指示を徹底してくれ」


 十人ほどの幹部がドアに向かって走りだす。カーンの部下もひとりを残して、そのあとを追いかける。ひとり残った部下が携帯通信機の呼び出しを受けて受話器に耳を当てるとすぐその内容を伝える。


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「警備室長!副理事長が武装警備員と月面軍数百人を連れてこちらに向かったそうです!」


「なに!キャミは月面軍も支配下に置いたのか」


 携帯通信機から大きな悲鳴が届く。どうやら情報を送ってきた男は息を引きとったようだ。


***

 豊臣時空間移動工業の建物のあちこち爆発音がする。


「急げ!」


 青い戦闘服を身にまとったキャミがまっしぐらに豊臣時空間移動工業の建物に向かって走りながら大声をあげる。しかし、月の重力のせいで思うほど身体が前に進まない。キャミはいらだちながら手にしていたレーザー銃を工場の正門に連射しながら命令する。


「バズーカで正門玄関を破壊せよ」


 月面軍がキャミの前に出ると何十発ものバズーカ弾を正面玄関に向かって撃ちこむ。豊臣時空間移動工業の正面玄関は跡形もなく破壊される。


 まだ熱気の残る正面玄関前にキャミがたどり着いたとき、時空間移動装置の独特な回転音が共鳴するような大音響となって工場内部から聞こえる。百基以上の時空間移動装置が同時に回転する轟音であることが容易にわかる。


「遅かったか」


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 キャミが地団駄を踏む。玄関から広い工場内に突入すると、数百台の濃い緑の時空間移動装置がまさに空間移動する体制に入っている。


「撃て!」


 キャミが命令を出すまでもなく一斉にライフルレーザーから時空間移動装置に向かって青い光線が向かう。しかし、ほんの数基の時空間移動装置が破壊されただけで、ほとんどの時空間移動装置が轟音を残して工場内から消える。


「抵抗せずに時空間移動装置で逃亡するとは」


 一瞬、キャミは放心状態となる。カーンが無事逃亡したとすれば脅威となることは間違いなかった。


「追跡!」


「副理事長、ここは自重された方が」


 ひとりの武装警備員が進言する。確かにカーンの脱出は見事だった。それだからこそ絶対にカーンを追跡して抹殺しなければとキャミは一歩も引く気配を見せない。


「残っている時空間移動装置を調べなさい」


 キャミはあくまでも追跡する姿勢を崩さない。そして十数人の武装警備員を連れて工場長室に向かう。部屋のドアの両側に武装警備員がライフルレーザーを構えながら貼りつく。そのとき、キャミを呼ぶ乱れた声がする。


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「副理事長!時空間移動装置は一基も残っていません」


 工場長室のドアが吹っ飛ぶと怒濤のごとく武装警備員が部屋の中になだれこむ。部屋の中は煙が充満している。キャミは抵抗がないことを確認してからゆっくりと部屋の中に入る。煙が開け放たれたドアに向かうと徐々にまわりの状況がはっきりとする。部屋の片側の壁にびっしりと配置されたコンピュータが完全に破壊されていた。これでは逃亡先のデータを取り出すことはできない。それに時空間移動装置の移動先の識別信号も、残った時空間移動装置が爆破された衝撃で補足することもできない。カーンは追跡用に一台の時空間移動装置も残さなかったばかりか、移動先のデータや識別信号を完全に消し去った。


「カーンは完璧に逃亡を成功させた」


 キャミが誰に言うともなく力なくつぶやく。これでは月面軍に配備された数十基程度の時空間移動装置でカーンを追跡することもできない。仕方なくキャミはそばにいる武装警備員に強い口調で命令する。


「地球の同志にカーンが現れるかもしれないと警告しなさい」

 

 その可能性は低いだろうが用心に越したことはない。と同時に、もし地球に現れたらカーンを捕らえるチャンスだともキャミは考える。


「疲れてるのはわかりますが、地球でのクーデターの作戦を実行します」


 キャミが新たな決意をまわりの女の武装警備員に告げる。


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